暗黒声優_2560p

轟く声優カラテ! 熱川バナナワニ園の決戦!! 「暗黒声優」その3(草野原々『最後にして最初のアイドル』収録作)

  Ⅲ

 声優監視委員会の発足により、声優はプライバシーを失った。生体情報や位置情報を、リアルタイムでSNSに発信するよう義務づけられた。次第にそれ以上の情報まで、声優自らが公開しはじめた。情報を公開し、自分は無害である、やましいことをしていないとアピールしなければ人気を得ることはできず、生活の糧の喪失につながるからだ。
 そうしたなか、女性声優のなかで『百合営業』という文化が誕生した。『百合』とは、女性同士の友愛や恋愛を示す言葉である。将来の結婚に影響が出ない範囲での同性同士の付き合いは、監視委員会から許可されており、ガス抜きとして奨励もされていた。人気度にも直結するため、彼女たちは同業者とバディを組み、仲の良さを演出した。いまや、女性声優としてやっていくならば必ず百合営業はマスターしておかなければならない。
 アカネももちろん百合営業をしていた。相手は五歳年下の天宮(あまみや)サチー。養成学校時代の後輩だ。こちらは営業だと割り切っているが、彼女のほうではかなり本気らしく、心酔といってもよいほどの感情を向けられる。
「これからサチーと、バナナワニ園デート♡」
 そんな文章がアカネのSNSに投稿された。コミカルなワニのキャラクターを背景に、アカネとサチーが腕組みする写真が添付されている。
 ここは、静岡県東伊豆町、伊豆半島の先っぽにある温泉街だ。目玉の観光施設として、熱川バナナワニ園がある。温泉から出る熱を利用した温室にて、一年中バナナとワニを見ることができる。
 ふたりはオフを利用して温泉で骨休めをしようと、電車に乗ってやってきたのだ。チェックインまで時間があるため、ワニを見て暇つぶしをしようと考えていた。
「せんぱい、早く入りましょうよ!」
 サチーがアカネの手をぐいぐいと引っ張る。小柄だが肉づきがよくフレッシュな姿だ。ショートボブがところどころ跳ね上がっており、思わず手櫛で直したくなる。Tシャツには、銀のロングヘアーでカーディガンを羽織った女性声優の写真がプリントされていた。声優独立戦争のときに活躍した檜森(ひもり)スズカの若い頃の姿だ。声優としての能力はAクラスの下位だが、船医としての英雄的な活躍からサブカルチャーでは一種のイコンとなっている。
 サチーは全力でアカネを引っ張るが、小柄なせいかまったく力を感じない。彼女はいわゆる天然キャラで、天真爛漫に振舞うためファンからもスタッフからも人気が高い。養成学校時代も、なにかとスキンシップが過剰な子であった。
 バナナワニ園は三つの分館があり、最初に入るのは巨大なドームに囲まれたワニ館だ。むっとする暖かい空気と人工的な滝の音が一同を迎える。
「ワニ見るなんて、すっごい久しぶりです!」
 サチーが水槽に向かって走り出すが、アカネと手をつないだままなので、リードが張った犬のようにつんのめってしまう。
「あははは! ワニってのろまなんですね! ぜんぜん動かない!」
 サチーは恒温動物特有のテンションの高さで変温動物をからかっている。アカネが手を離すと、犬がボールを追いかけるように走りはじめ、視界から消える。
 しかし、そのほほえましい日常は、突然の轟音によりかきけされた。
 温室の窓ガラスがブルブルと震える。外を見ると、黒くて細長い二等辺三角形が地面に降り立とうとしていた。全長五メートルほどのその形に、アカネは見覚えがあった。一週間前、ニュースに出ていた特殊小型宇宙戦闘機〈ブラックスワン〉だ。
〈ブラックスワン〉のハッチが開く。
 降りてきたのは黒フードをかぶり、黒いマントをたなびかせた背の低い人物であった。その喉元には、ふっくらとした発声管。見間違えようがない。ニュースの監視カメラ映像と同じだ。
 彼女は『暗黒声優』だ。
 アカネは急いで外に出ようとするが、暗黒声優のほうから先に温室に入ってきた。実物を見ると、その発声管の素晴らしさをますます実感できる。
「見つけた。貴女、四方蔵アカネね。『声』が聞こえるってSNSに書いたでしょう」
 暗黒声優が問う。その声は、どことなく余裕がないようであった。
「まあ、たしかにアタシは四方蔵アカネだけどさ。SNSに書いただけでこんな大層な登場の仕方する? ネットストーカーかよ」
 アカネは急な展開に慌て、素の乱暴な口調が出てしまう。
「時間がないの。本当に『声』が聞こえるか、試させて!」
 そう言うや、暗黒声優はいきなり攻撃してきた。一瞬で発声管を膨らまし、高エネルギーのレーザービームを奏でる。あわてて、アカネはビームと反対の周波数を震わせ、攻撃を打ち消す。
「アタシに勝負を挑もうっての? いい根性してるね! 叩きのめして、その発声管をいただくことにするよ!」
 アカネの体の十一か所が盛り上がる。そこから青い稲妻が流れ出した。稲妻は空気中にとどまり、体の表面にまとわりつく。
「貴女……発声管を体内に移植したのね。それも、類人猿のものではなく、正真正銘のヒトのものを。最近、声優が相次いで失踪していると聞いたけど、貴女のしわざなのね」
「すべては最強になるためだからな。どんな努力も惜しくはない!」
 アカネは構えの形をとった。
「いままで、最高の声優たちの発声管を手に入れ、アタシは強くなった。オマエが最後だ。オマエを殺し、アタシは最強になる!」
 バチバチバチバチと音をあげる青い稲妻をまとい、アカネは暗黒声優に向けて拳を放った。独自に編み出した最強の格闘技、声優カラテだ。エーテルを揺り動かして発生させた電流でプラズマを生み出し、接触した相手に火傷を負わせる。従来のカラテと比べて何倍もの攻撃力をもつ技だ。
 アカネの拳を、暗黒声優は苦もなく両手でガードする。格闘技を経験しているのだろうか。しかし、声優カラテの真価が発揮されるのはこのときだ。電流とプラズマが接触した相手の体に吸いこまれていく。
 だが──人肉がこげるにおいは漂ってこない。青い稲妻は暗黒声優の体を通り、床に吸いこまれていく。
 どうやら、エーテルの流れを操り、電流を逃がしたようだ。
「アンタ、強いね」
 アカネは相手の実力に驚くと同時に、高揚感を覚えた。
 相手もにやりと笑っているような気がする。
「おい! おまえ! せんぱいに何をしている!」
 サチーが死角から暗黒声優に体当たりする。突然現れた不審者に最愛の先輩が襲われているのを見て、とっさに体が動いたのだ。
 しかし暗黒声優は身じろぎもせず、逆にサチーが吹き飛ばされ、ワニの檻へと落ちた。おそらく、重力を操っているのだろう。単独で、トランジスタなしに重力制御できる声優は、現在ではAクラスのなかでも稀少だ。これだけでもかなりの実力が計り知れる。
 アカネは相手から距離をとった。重力制御はかなりの疲労感が伴う。いまこの瞬間に、一気に片をつけるべきだ。両腕を伸ばし、二の腕に移植した発声管を振るわせた。アカネを中心にしてエーテルの波が広がり、虹色の光が温室に広がる。両手のひらの間には、青い光の球体が出現していた。高温の電流でプラズマ化した空気だ。
「死ね!」
 強烈な光を宿した青い球体から、一筋の線が暗黒声優めがけてほとばしった。両腕に巻きつくようにエーテル流を作り、電流を巡らし、それをコイルにしてプラズマを加速したのだ。アカネの必殺技『声優超電離砲(セイユープラズマガン)』だ。
 ところが、相手には傷ひとつつかなかった。プラズマは暗黒声優の手前で見えない壁にぶつかり、反射してしまったのだ。
「エーテルバリアよ。これで驚くようなら、まだまだね」
 エーテルバリア。エーテルの密度差を人為的に作り、光や音や衝撃を反射させる技だ。波は密度により決まるため、逆に波により密度を変えることもできるという発想から作られた技である。声優独立戦争のときはおおいに使われたらしいが、まさか太陽系内にトランジスタなしで使える者がいたとは。
「これで貴女の攻撃は終わり? じゃあ、今度はこっちの番ね」
 アカネは攻撃を無効化しようと構えたが、それは予想外の方向からやってきた。突然、後ろから強く引っ張られたかのように力を感じた。床が傾斜していき、崖となる。いや違う。局所的に重力の方向が変化しているのだ。暗黒声優が重力をコントロールしている。それがわかっても、失ったバランスを取り戻す役には立たなかった。アカネは無様に転んでしまう。
 転んだアカネの頭を、暗黒声優が蹴り上げる。鼻血が飛び散る。立ち上がろうとするが、コンクリート片で押さえつけられているように動かない。アカネに対してだけ、重力が何倍も増えているようだ。視界にチラチラと小さな光の塊が飛び交う。重力が増加したため、脳に血流が行き渡らなくなったのだ。息が苦しい。狂ったように脈拍が増えているが、血流が沈滞し、全身が寒い。景色から色がなくなっていく。発声管にも血が届かず、萎んでしまう。これでは攻撃ができない。
 暗黒声優は、アカネの無抵抗な姿を見ても暴行をやめなかった。それどころか、ますます激しく攻める。
「『声』は聞こえる? 聞こえる? ねえ、聞こえる?」
 大声で問いながら、アカネを踏みにじっていく。なんという屈辱だ。最強の声優を目指しているはずが、文字通り手も足も出ずに、相手に一方的に踏みのめされるとは。
 必死に、全身の発声管を震わそうとする。出ない力を振り絞り、重力制御を打破しようとする。
 そのとき、『声』が聞こえた。普段は幾重ものガラスを隔てて歪んだように聞こえる『声』であったが、焦点が合ったように、いつもより少しだけはっきり聞こえた。
 不安……。不安に震える声だ。心臓にざわざわと冷たい風が吹くようだ。内容はわからないが、そんな感覚があるような気がした。
 それを認識すると、エーテルをより効率的に振動させる方法が直感的に頭のなかに入ってきた。それに従い、周囲に張り巡らされた重力場をすばやく打ち消して体を起こす。
「……聞こえたのね?」
 立ち上がったアカネを見て暗黒声優が問う。どことなく嬉しそうな様子。
「ああ、はっきりとはしないが、いい気分じゃないな」
 アカネはなんとか立っていられたが、ボロボロであった。口から深紅の液体が垂れる。血だ。気づけば眼球の隙間からも血が漏れている。発声管に血流が過剰供給されて、あふれかえっているのだ。
「まだ完全に聞こえるわけじゃないみたいね」
「そんなことどうでもいい……いま、ここで、オマエを殺す!」
 アカネは暗黒声優へと突進した。このままで終えられるわけがなかった。プライドを折られたままで終われるか。最強の声優になるために、目の前の相手を殺さねばならないという決意を秘めて、声優カラテを繰り出す。
 しかし、渾身の一撃は、軽々と避けられた。アカネはむこう脛を蹴られて、無様にふたたび倒れる。
「貴女の相手をしたいのはやまやまだけど、もう時間切れなの。私にまた会いたいならば、追ってきなさい」
 暗黒声優はポケットから片手で持てる大きさの機械を取り出した。
「エーテルビーコン受信機よ。これさえあれば、私のいる位置がわかるから」
 受信機をアカネに投げると、暗黒声優はマントをはためかして振り返った。去り際に、ぼそりと言う。
「どこまでも追ってきなさい──たとえ、何があろうとも」
「当たり前だ! 追いついたら絶対オマエを殺すからな!」
 血を撒き散らしながらそう叫んで立ち上がろうとするが、脚の筋肉がひきつって痙攣する。もがくアカネを尻目に、暗黒声優は悠々と去っていった。〈ブラックスワン〉に乗り、空の彼方へ飛び立つ。
「せんぱい! 大丈夫ですか? 何があったんです?」
 数分後、なんとかワニの檻から脱出したらしいサチーがアカネに走り寄ってきた。ハンカチで血だらけの顔を拭いてくれる。
「殺されかけたんだよ。少し休んだら、さっきのやつを追うぞ。落とし前はつけさせてもらう」
「そうですよね。売られた喧嘩は買わなきゃですよね」
 サチーはアカネに追従してこくこくとうなずく。ワニの檻に飛ばされたのに怪我ひとつない。運のいいやつだ。
 とにかく、いまは体力を回復すべきときだろう。ビーコン受信機があれば、暗黒声優の場所はわかる。
 だが、そうもいっていられない事態がやってきた。

 地球のすべての重力が、消失したのだ。


この続きは書籍版にてお楽しみください。

草野原々『最後にして最初のアイドル』(ハヤカワ文庫JA)

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