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「アメリカ最初のシリアルキラー」の犯罪実録!『万博と殺人鬼』解説試し読み

19世紀末シカゴ。建築家ダニエル・バーナムは史上最大規模の万国博覧会を成功させるべく邁進する。だが、建設ラッシュに沸く街の片隅では、後に「アメリカ最初のシリアルキラー」と呼ばれるH・H・ホームズの手による、おぞましい連続猟奇殺人が起きていた……。
新興国アメリカの光と闇を描き世界的ベストセラーとなった、エドガー賞(2004年/犯罪実話部門)受賞の傑作ノンフィクション『万博と殺人鬼』(エリック・ラーソン、野中邦子訳、ハヤカワ文庫NF)が、このたび待望の復刊・文庫化を果たしました!
巽孝之さんによる本書の解説を、特別に試し読み公開します。

『万博と殺人鬼』

解説:シカゴ万博の光と影

たつみ 孝之(慶應義塾大学名誉教授・慶應義塾ニューヨーク学院長、アメリカ文学専攻)

現代アメリカを代表するベストセラー作家エリック・ラーソン。

1992年、高度資本主義市場においてプライヴァシーがいかに巧妙に搾取され商品化されてきたかを活写した『裸の消費者』で単行本デビューを飾り、我が国でも、1994年に刊行された第2作『アメリカ銃社会の恐怖』(邦訳1995年)以降、1999年の第3作『1900年のハリケーン』(邦訳2000年)や2003年の第4作『悪魔と博覧会』(邦訳2006年)、そして2011年の第6作『第三帝国の愛人──ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家』(邦訳2015年)まで、コンスタントに翻訳紹介されてきたから、すっかりおなじみの名前だろう。

しかも、彼の場合は、デビューしてから30年余、いまもなおその筆力は衰えることなく、新作を出せば必ず《ニューヨーク・タイムズ》紙ベストセラー・リストに載るし、ニューヨーク・シティ周辺の書店で、著書を見かけない日はない。

たとえば全米最大規模の書籍チェーン店バーンズ&ノーブルやグランド・セントラル駅のキオスク、はたまたジョン・F・ケネディ空港の売店で、ラーソン印はいつも表紙が目立つ面陳列か平積みである。

今年2024年に出た最新刊『混沌の悪魔── 南北戦争幕開けの傲慢と絶望と英雄群像』(The Demon of Unrest : A Saga of Hubris, Heartbreak, and Heroism at the Dawn of the Civil War)も、御多分に漏れない。ラーソンの著作群の射程は広く欧米圏に及んでいるが、とりわけ高度資本主義や銃社会、世紀転換期、南部大暴風、それに心理学者ウィリアム・ジェイムズなど、アメリカ史の真相に迫る歴史ノンフィクションの技量が高く評価されていたから、本書で、いつかは取り組むだろうと思っていたエイブラハム・リンカーン大統領にとうとう挑戦したと知った時には快哉を叫んだものだ。はたしてリンカーンが大統領に当選した1860年11月から、それへの反発も含み南北戦争が勃発する61年4月までのほんの5ヶ月だけに絞ったこの最新刊のきっかけは、何と2021年1月6日、通称「J6」。そう、バイデン大統領就任への反発からトランプ前大統領がワシントンDCの議事堂を急襲するようシンパに呼びかけ死者まで出した事件が、それだ。ラーソン作品を司る歴史的物語学は、たえずそれが書かれた時点のアメリカ的現在と無縁ではない。

折も折、この『混沌の悪魔』が話題を呼んでいる現在、タイトルが相似する前掲『悪魔と博覧会』が『万博と殺人鬼』と改題のうえ文庫化されることになり、改めて読み返した。というのは、本書邦訳が出てまもなく、私は朝日新聞書評委員として、こう書いたからである。

 遊園地には見世物小屋と大観覧車がつきものだ。とはいえ、そんな常識が初めて成立したのは、1893年にコロンブスの新大陸到達400周年を記念して開かれたシカゴ博覧会、通称ホワイトシティ以降のことであり、かのオズの魔法の国やディズニーランドすら、その影響下にあった。独立革命や南北戦争につづく画期的な事件、それがシカゴ博覧会である。天才発明家エジソンの手になる映画の原型キネトスコープも、ここでお披露目されている。
 2003年に発表されベストセラーとなった本書は、シカゴ博覧会の景観設計から現場監督まですべてを統率した高層建築の先駆者ダニエル・ハドソン・バーナムの人生と、博覧会場最寄りのワールズフェア・ホテルを経営しつつ容赦なく多くの人々の生命を奪った医師にして連続殺人鬼マジェット、転じてはヘンリー・ハワード・ホームズの人生とを巧妙に縒り合わせ、底知れぬ恐怖と歴史の感動とをもたらす一種のノンフィクション・ノヴェルである。
 バーナムとホームズは直接出会ってはいないものの、シカゴ博覧会を舞台に、片や光り輝くホワイトシティを、片や暗く怪しいブラックシティを代表する男たちが、期せずしてひとつの時代を構築してしまったのは運命の皮肉だろう。コナン・ドイルの名探偵ホームズが誕生し1886年にマジェットがホームズなる偽名を選んだのも奇遇だが、本書後半、重婚と詐欺と虐殺をくりかえす殺人鬼ホームズをじわじわと締め上げていくベテラン刑事フランク・ガイアの手腕は、それこそ名探偵ホームズに勝るとも劣らぬ迫力だ。
 そして最大のクライマックスは閉幕式直前、アイルランド系移民のプレンダーガストによるハリソン市長暗殺の瞬間に訪れる。さらに本書は、バーナムとその盟友ミレーとが、それぞれ豪華客船オリンピア号とタイタニック号に乗り込んでいた、というもうひとつの奇遇で枠組まれ、世紀末シカゴのみならず20世紀アメリカ全体の光と陰を予告するのだから、何とも心憎いではないか。

(「朝日新聞」2006年6月18日付)

18年後の現在でも、この時の拙評を手直しする必要は感じない。

ここでも明記した通り、シカゴ万博が「独立戦争や南北戦争につづく画期的な事件」だったからには、本書はラーソンがいずれ前掲『混沌の悪魔』を書く伏線だったかもしれないからだ。案の定、その迫力ある筆致が評価されて、本書は2004年、アメリカ探偵作家クラブが年間最優秀のミステリに授与する「エドガー賞」の犯罪実話部門賞を受賞した。

とはいえ、右の書評で割愛せざるを得なかった文脈には触れておかねばならない。

「独立戦争や南北戦争につづく画期的な事件」と定義すれば、あたかもシカゴ万博が一切の戦争とは無縁のように響くかもしれないが、それを実現に導いたのは、1890年の段階でWASP(白人アングロサクソン・プロテスタント)を中心にしたアメリカ合衆国の西漸運動が、ついにアメリカ先住民をすべて制圧し終えて一段落し、北米において白人文明の手付かずだった「フロンティア」がどこにもなくなったからである。これを一般に「フロンティアの消滅」と呼ぶ。それは、白人対アメリカ先住民の熾烈な最終戦争の結果であった。

具体的には、1890年12月29日に中西部はサウスダコタ南西のウーンデッド・ニーにて行われたラコタ族大虐殺が、歴史的分水嶺となった。その日、ラコタ族のみならず北米インディアン部族全般に通底するメシア信仰宗派が、自身の土地をいずれ取り戻そうとする最後の希望を込めて死者と交流する「ゴースト・ダンス」を舞う計画を練っていた。アメリカ合衆国政府は、合衆国成立の条件の一つである宗教の自由をこのゴースト・ダンスには認めず、むしろそれを合衆国に歯向かい戦争を仕掛ける導火線とみなしたのである。それに先立つ1890年12月15日、白人側はインディアン警察官を利用してダコタ族の支族テトン族に属するハンクパーパ族の大物酋長シッティング・ブルを逮捕し殺害していたから、インディアン部族全般における不安は最高潮に達していた。そして29日、ウーンデッド・ニーの大虐殺が起こり、その瞬間、北米全土が白人主導のアメリカ合衆国政府の手に落ちた。いかなる歴史にも、光があれば影がある。

この事件から3年を経た1893年、歴史家フレデリック・ジャクソン・ターナーは論文「アメリカ史におけるフロンティアの意義」で当時の国勢調査に鑑み、1平方マイルあたり白人が2人も存在しない土地がついに北米から消滅したことを重視し、アメリカ的民主主義とは実は西漸運動に伴うフロンティア開拓指向によって生まれたことを強調した。こうした発想は、中西部はウィスコンシン州出身のターナーだったからこそ、可能だったのかもしれない。彼はフロンティアを、北米に厳然と存在する荒野をいかに克服していくかというたゆまざる意志によってもたらされたものと見た。アメリカ的民主主義は、新たなフロンティアに挑戦するたびに新たな活力を得るのだ、と。これをフロンティア理論ともターナー理論とも呼ぶ。

ここで、ターナーが同理論を発表したのが1893年にシカゴで開かれたアメリカ歴史学会の席上であり、それがまさにシカゴ万博、通称ホワイトシティの開催期間にそっくり重なっていたことは、偶然とは思われない。アメリカ合衆国は17世紀ピューリタンが北米に新たな理想郷カナンを、転じては地上に神の国を築こうと夢見た「丘の上の町シティ・アポン・ア・ヒル」の理念を促進し、まさにそれこそがアメリカ人ならではのフロンティア・スピリットを育んだ。その結果、当初、アメリカは農業国家として発展してきたものの、稀代の文化史家レオ・マークスも名著『楽園と機械文明』(1964年)で語ったように、原生自然ウィルダネスが、とりわけ19世紀以降のテクノロジーに介入され、やがて融合していく展開は、南北戦争を経て決定的となり、フロンティア観の刷新が要求されたのである。

かくしてフロンティア消滅の3年後に登場したホワイトシティは、その名の通り、まさしく白人が夢想した最新の地上の楽園として、新古典主義的な美学的意義を担った。白人の起源たるヴァイキングの船が、会場内の池に浮かべられたのは、象徴的である。そのかたわらではまったく対照的に、ミッドウェイ・プレザンス(「中央歓楽街」)と命名され、世界各国の見世物から成る幅600フィート、全長1マイルに及ぶ大通りが広がり、ベリーダンスやムーア人の宮殿、カイロの街路、トルコ劇場やラップランドの村まで、およそ「エキゾチック」な印象を醸し出すありとあらゆる民族文化が、それこそ豊饒なる混沌を展開していた(大井浩二『ホワイト・シティの幻影──シカゴ万国博覧会とアメリカ的想像力』[研究社出版、1993年]第1章参照)。こうした明確な対照を基軸にした景観設計が、白人文明という中心と非白人文明という周縁を無意識のうちに構造化していたのは興味深い。

世紀転換期アメリカ最大の歴史家ヘンリー・アダムズはホワイトシティをキリスト教信仰の中核を成す大伽藍カテドラルに喩えながら、のちに「バベルの都」とも呼んだが、こうした矛盾の背後には、すべての楽園には光もあれば影もあるという二律背反への洞察があるだろう。そして本書は、バーナムとホームズという二人の対照的な同時代人の歩みのうちに、シカゴ万博に潜んだ光と影を、みごとなまでに再現してみせたのである。


本書の内容はぜひお手に取ってご確認ください(電子書籍も発売中)。

記事で紹介した書籍の概要

『万博と殺人鬼』
著者:エリック・ラーソン
訳者:野中邦子
出版社:早川書房
発売日:2024年6月18日
本体価格:1,680円(税抜)

著訳者略歴

著者:エリック・ラーソン(Erik Larson)
1954年生まれ。アメリカのジャーナリスト、ノンフィクション作家。ペンシルベニア大学でロシアの歴史・言語・文学を学び、コロンビア大学でジャーナリズムの修士号を取得。これまでの著書8冊のうち6冊がニューヨーク・タイムズ・ベストセラー入りを果たしている。マンハッタン在住。

訳者:野中邦子(のなか くにこ)
出版社勤務を経て、現在翻訳家。代表的な訳書に、サックス『貧困の終焉』(共訳)、『地球全体を幸福にする経済学』、フレイザー『マリー・アントワネット』(以上早川書房刊)、ホプキンズ『ザ・ミュージアム』、ケリー『黒死病』、ヘンライ『アート・スピリット』、カリオン『世界の書店を旅する』など。