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【#三体ニュース】いよいよ発売! 翻訳・大森望氏によるあとがきを公開!

いよいよ劉慈欣『三体』が発売となりました!
話題沸騰、発売前に重版も決まった本作。本日の「#三体ニュース」では、本作の翻訳をつとめた大森望氏によるあとがきを公開します!

訳者あとがき
大森 望

 たいへん長らくお待たせしました。現代SFの歴史を大きく塗り変えた一冊、劉慈欣(りゅう・じきん/リウ・ツーシン)『三体』の、中国語版原書からの全訳をお届けする。
 小説のテーマは、異星文明とのファーストコンタクト。カール・セーガンの『コンタクト』とアーサー・C・クラーク『幼年期の終り』と小松左京『果しなき流れの果に』をいっしょにしたような、超弩級の本格SFである。
 題名の「三体」とは、作中でも説明されているとおり、天体力学の "三体問題" に由来する。三つの天体がたがいに万有引力を及ぼし合いながらどのように運動するかという問題で、一般的には解けないことが証明されている(ただし、特殊な場合には解けることもあり、『機動戦士ガンダム』でおなじみのラグランジュ・ポイントも、そうした特殊解のひとつ)。もしもそんな三つの天体を三重太陽として持つ惑星に文明が生まれたとしたら──というのが本書の(あるいは、本書に始まる〈三体〉三部作の)基本設定。
 にもかかわらず、いきなり文化大革命当時(1967年)の激しい内ゲバと壮絶な糾弾集会から始まるので面食らうかもしれませんが、これは主役の片方である天体物理学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)の "ある決断" を描くための前フリ(それと同時に、三部作全体の宇宙観、人間観を象徴する場面でもある)。やがてもう片方の主役、ナノマテリアル研究者の汪淼(ワン・ミャオ)(日本語読みだと「おう・びょう」)が登場すると、物語は俄然、エンターテインメント色が強くなり、超一流の理論物理学者たちの相次ぐ自殺や、不可思議な "ゴースト・カウントダウン" をめぐって、それこそ鈴木光司『リング』ばりにぐんぐんサスペンスが加速してくる。作中のVRゲーム『三体』がやたらめったら面白いのも本書の特徴。物語の中盤では、汪淼のまさに目の前で驚愕の大事件が起こり、読者を茫然とさせることになる。
 この圧倒的なスケール感と有無を言わさぬリーダビリティは、ひさしく忘れていたSFの原初的な興奮をたっぷり味わわせてくれる。たとえて言えば、山田正紀『神狩り』やジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』を初めて読んだときのようなわくわく感。おいおい、そんなのありかよ──と思うような終盤の展開は、バカSFの奇才バリントン・J・ベイリーを彷彿とさせる。それでいて、現代エンターテインメントらしい娯楽性、(文潔の過去パートに代表される)強固な日常的リアリティと文学性、政治的な鋭い問題意識を失わないところが『三体』の強味。著者がほぼ同世代のSFファンとあって、国の違いを超えてものすごくよくわかる部分がある一方、英語圏や日本のSF作家には絶対に書けない、驚くべき蛮勇の産物であることもまちがいない。いやもう、とにかくすごいんだから!
 と、つい興奮して話が先走ったが、本書はもともと、中国のSF専門誌《科幻世界》に2006年に連載され(5月号~12月号)、第19回中国銀河賞特別賞を受賞。2008年1月に重慶出版社から単行本が刊行された。
 六年後の2014年、アメリカの大手SF出版社トー・ブックス(Tor Books)から、「紙の動物園」で知られる中国系アメリカ人SF作家ケン・リュウによる英訳版 The Three-Body Problem が出版されると、これが大方の予想を覆すスマッシュ・ヒットとなり、いくつかの幸運なめぐりあわせも手伝って、2015年のヒューゴー賞長篇部門を受賞した。ヒューゴー賞は世界最大のSF賞と言われるが、もともと英語圏の賞。したがって、『三体』の受賞はアジア初の快挙。それどころか、英語以外で書かれた作品がヒューゴー賞長篇部門を受賞すること自体、これが史上初めてだった。
 英語圏における『三体』ブームにさらに拍車をかけたのが、バラク・オバマ前アメリカ大統領。大統領在職中の2017年1月、ニューヨーク・タイムズに掲載されたミチコ・カクタニによるインタビュー記事「オバマがホワイトハウスの日々を生き延びた秘訣:書籍篇」の中で『三体』に触れ、「とにかくスケールがものすごく大きくて、読むのが楽しい。これに比べたら、議会との日々の軋轢なんかちっぽけなことで、くよくよする必要はないと思えてくるのも(本書を楽しんだ)理由のひとつだね」と語ったことで、『三体』は全米の注目を浴びることになった。
 前述のように、本書は、地球文明と三体文明の関わりを描く〈三体〉三部作(〈地球往時〉三部作)の第一作で、言わば "接触篇" 。"発動篇" にあたる第二部『黒暗森林』(2008年)を経て、完結篇の第三部『死神永生』(2010年)では、広げに広げた大風呂敷が太陽系サイズまで広がって、さらにものすごい領域に突入する(分量で言うと、第二部が本書の五割増し、第三部にいたっては本書の倍くらいあります)。
 三部作を合わせた累計発行部数は、2019年5月現在、中国語版だけで2100万部に達するというからすさまじい。まさに桁違いのモンスター小説なのである。
 それにしても、こんなものすごいSFが、いったいどこから生まれたのか。『三体』英訳版に著者が寄せたあとがきによれば、本書の出発点のひとつは、劉慈欣が七歳のときに経験した出来事だという。時は1970年4月25日の夜。場所は、一族が先祖代々暮らしてきた河南省羅山県の小村。大人も子どもも、村人がおおぜい池のほとりに集まって見上げる夜空を、ちっぽけな星がゆっくりと横切っていった。それは、中国が初めて打ち上げた人工衛星、東方紅1号だった……。
 当時、その地方の生活はとても貧しく、子どもたちはいつも腹ぺこだった。劉慈欣は靴を履いていたが、友だちのほとんどは冬も裸足で、春になってもしもやけが治らない。村に電気が通ったのは80年代のことで、それまで、明かりは灯油ランプが頼りだった。両親は千キロ以上離れた炭鉱で働いていたが、ちょうど文革の嵐が吹き荒れはじめたこの時期、幼い息子が内戦に巻き込まれることを心配して、郷里の村に預けることにしたのだった。当時、村人たちはスプートニクもアポロの月着陸も知らず、少年には人工衛星と恒星の区別もついていなかった。しかし五年後、少年は一般向けの天文学解説書で光の速さと "光年" という言葉を学び、宇宙に魅せられる。同じ1975年、河南省では、人類史上最大の人災とも言われる板橋ダム決壊事故が起き、それに続く大洪水によって24万人の死者が出た。
 人工衛星、空腹、灯油ランプ、天の川銀河、文革期の内戦、光年、洪水──少年時代のこうした経験が、自分のSFの基盤になっていると劉慈欣は言う。本書をすでに読み終えた読者なら、『三体』のあちこちに著者の実体験がちりばめられていることに気づくだろう。
 同様に、〈三体〉三部作の随所に政治的なメタファーや体制批判を読みとることも可能だが、著者いわく、「SFファン上がりのSF作家として、わたしは、小説を利用して現実社会を批判するつもりはない。SFのいちばんの醍醐味は、現実の外側にある想像の世界を無数につくれることだと思う。(中略)SFのワンダーは、ある世界を仮構したとき、現実世界では悪/闇とされるものを、正義/光へと(もしくはその逆)変えられることにある。わたしがこの三部作で書いているのも、ただそれだけのことでしかない。そして、想像力の力でどんなに大きく現実をねじ曲げても、突き詰めるとその根っこには現実が残っている」
 この姿勢は、映画化されて大ヒットしたジュブナイルSF短篇「流転地球」(阿部敦子訳「さまよえる地球」/SFマガジン2008年9月号)にも共通している(ただし映画版は、基本設定をのぞけば、ストーリーもキャラクターも原作とはまったく別物なので、その点、ご注意ください)。

 著者のプロフィールや、中国SFにおける本書の位置づけについては立原透耶氏の解説をごらんいただくとして、このあたりで、本書の翻訳の経緯について触れておこう。最初に書いたとおり、本書は中国語版『三体』の全訳だが、英日翻訳が専門の大森がなぜ翻訳者に名を連ね、こうして訳者あとがきまで書いているのか?
 早川書房が翻訳権を取得した時点で、本書には、光吉さくら氏とワン・チャイ氏の共訳による日本語訳が存在していた。諸般の事情から契約締結前に作成されていたこの翻訳原稿をもとにして、現代SFらしくリライトするというフィニッシュ・ワークが大森に与えられた使命。いわば、中国語から日本語に訳されたテキストをSFに翻訳する仕事だと言ってもいい。中国語は訳せないが、SF翻訳については40年近い経験がある。日本語訳と英訳に目を通し、『三体』を日本の読者になるべくベストに近いかたちで届けるにはどうすればいいかと考えた挙げ句、改稿作業を引き受けることにした。
 いざ日本語訳ファイルをもとに改稿しはじめると、手直し程度では済まなくなり、けっきょく全面的に(ほぼすべての行にわたって)訳し直すことになった。監修や監訳ではなく訳者としてクレジットされているのはこのため。他の仕事を放り出し、英語で書かれたふつうのSF長篇一冊をゼロから日本語に翻訳するのと変わらない時間と労力を投入して、『三体』と格闘することになった。基本的な骨格は光吉さくら氏とワン・チャイ氏の日本語訳だが、最終的に、(いい悪いは別にして)全体の八割以上は大森の訳文になっていると思う。
 具体的な改稿に際しては、原著者から提供された中国語版のWordファイルと、ケン・リュウによる英訳のKindle版を同時に開き、日本語訳のWordファイルと照らし合わせながら作業を進めた。英訳は(ぼくにわかるかぎり)きわめて原文に忠実で、わかりやすくするための省略や加筆はほとんどなく、英語圏読者に理解しにくい箇所(文革関連や天体物理学関連など)についてはきめ細かに訳注が付されている。
 中国語版と比べて、英語版には数字などの細かい違いがあるが、これは、ケン・リュウが劉慈欣と協議のうえ、原書刊行後に得られた科学的知見などに照らしてアップデートしたものだという。つまり、英訳版の(仮想的な)原文は、いわば『三体』の最新バージョンであり、インターナショナル・バージョンと見なすことができる。
 そこで、英訳版で加えられた変更は、基本的にこの日本語版にも引き継ぐことにした。海外版を参照して修正するのは奇異に見えるかもしれないが、訳者の経験で言うと、たとえばコニー・ウィリスの小説を邦訳するさいには、アメリカ版を底本にしつつ、あとから出たイギリス版で加わった修正を日本語版にも反映させるのがつねなので、それと同じようなやりかたを採用したことになる。
 ただし、英訳版の変更を採用しなかった箇所もある。英訳版では、「34 虫けら」の冒頭が、本書のページにして二ページ半ほど(一行空きのところまで)カットされている。ここは、主役のひとりとして丁儀(および林雲)が登場する長篇『球状閃電』の内容に触れた部分。『三体』英訳版刊行時には同書の英訳がまだ出ていなかったため、未読の英語圏読者に配慮して削除したものと思われる。2005年6月に四川科學技術出版から刊行された『球状閃電』(球電)は、〈三体〉三部作の前日譚とも言うべき要素のある長篇。この削除部分に関しては、前述の原文ファイルに残されていることもあり、いつか邦訳されるかもしれない『球状閃電』へのとっかかりとして、日本語版には生かすことにした。
 それともうひとつ、中国語版初刊本(重慶出版)には、英語版(およびこの日本語版)とくらべて、一目瞭然の大きな違いがある。2008年1月に出た『三体』中国語版は、なんと、現代パート(本書第二部の「4 〈科学境界(フロンティア)〉」)から始まっているのである。文革当時を描く過去パート(第一部の「狂乱の時代」「沈黙の春」「紅岸(一)」の三章分)の出だしは、本書一三七ページの真ん中あたりに移されている。説明がややこしいが、つまり初刊本では、第9章「宇宙の瞬き」が「宇宙の瞬き(一)」と「宇宙の瞬き(二)」に分割され、葉文潔の教え子である沙瑞山が文潔の過去について語りはじめたところで章が変わって、1967年の「狂乱の時代」に飛び、「沈黙の春」「紅岸(一)」と過去パートが続いたあと、現代パートにもどって「宇宙の瞬き(二)」(本書137ページ6行目の途中から始まる)に続くという構成になっている。ただしこれは、著者が本来意図していた順序ではなく、初刊本刊行当時の中国の政治・社会状況に照らして、文革から語り起こすのは得策ではないという判断が下り、苦肉の策として行った改変だったらしい。劉慈欣とケン・リュウが協議のうえ、それを本来の順序に戻したのが英訳版で、現在はこちらの順序がスタンダードとなっているため、日本版もそれに準拠した(原著者側から提供された中文ファイルも英語版と同じ順序になっている)。中国語版初刊本と同じ順番にこだわりたい人は、第二部から読みはじめて、137ページ6行目まで来たら第一部を読み、そのあと137ページ6行目に戻ってください。かなり印象が変わるはず(ケン・リュウも語るとおり、エンターテインメントとしてはそちらのほうが読みやすいかも)。
 また、『三体』には二種類の部分訳が存在する。翻訳にあたっては、その両者を参考にさせていただいた。ひとつは、NHKラジオテキスト『レベルアップ中国語 2014年1月号』掲載の、千野拓政氏による翻訳。「中国文学~現代の息吹」と題して現代の中国小説を紹介する三カ月連続シリーズの第一弾に選ばれたのが『三体』で、作中から二十箇所が抜粋され、原文と翻訳が掲載されている。ごく一部とはいえ(全体で400字×30枚ほど)、英訳が刊行されるよりも早く、ラジオ講座のテキストとして日本語訳が出ていたわけで、ここからも『三体』の注目度の高さが窺える。同テキストに掲載された千野拓政氏の『三体』紹介文には、「中国のSFと聞くと、科学技術を駆使して敵から社会主義の祖国を守るといった、プロパガンダ作品をイメージする方は多いのではないでしょうか。しかし、今では世界から高い評価を受けるグレッグ・イーガンや伊藤計劃に負けない本格SFが登場しています。その先頭を走るのがこの作品です」と記されている。
 さらに、海外SFファンならご承知のとおり、ケン・リュウ編訳の英訳アンソロジーを英語から日本語に訳した『折りたたみ北京』には、『三体』の一部(第17章「三体 ニュートン、ジョン・フォン・ノイマン、始皇帝、三恒星直列」)を改稿し、主人公を荊軻に置き換えて短篇に仕立て直した「円」が、中原尚哉氏の翻訳で収録されている。「円」のほうを先に読んで、これがどんなふうに『三体』に組み込まれているのか頭を悩ましていた人も多いだろう。本書の第17章では、「円」以上にとんでもない結末が待っているので、「円」を未読の方はもちろん、既読の方もお楽しみに。
 ともあれ、光吉さくら氏とワン・チャイ氏が敷いてくれたレールのおかげで、なんとかこうしてゴールまでたどりついた。このやりかたが果たして正しかったかどうか、 "ヒューゴー賞を受賞した現代SF長篇" にふさわしい翻訳になっているかどうかは読者の判断を待つとして、英訳を担当したケン・リュウ氏に、そして前述の千野拓政、中原尚哉両氏にも感謝したい。
 また、最終的な訳稿は、ケン・リュウ氏と同様、作家であり中国SFの紹介者でもある立原透耶氏に監修者として綿密にチェックしていただき、登場人物名のカタカナ表記のご指導と巻末解説のご寄稿をいただいた。天体物理学など科学的な記述と用語については、旧知の林哲矢氏の知恵を拝借し、いくつかの恥ずかしいまちがいを未然に防ぐことができた。作中では、物理学的にちょっとどうなのかと思うようなことも起きているが(とくにゲーム内世界を描いた「三体」パートと、三体世界パート)、それについては作者も重々承知の上の横紙破りだろう。本書はまぎれもない本格SFだが、行儀のいい狭義の(科学的に正確に記述された)ハードSFではないことはお断りしておく。もちろん、この日本語版に翻訳上の誤りがあった場合は、すべて、アンカーとして最終的な訳文を作成した大森の責任であることは言うまでもない。
 末筆ながら、本書に関わる機会を与えてくれた早川書房の山口晶氏と〈ミステリマガジン〉編集長の清水直樹氏に感謝する。昨年、某所の飲み会で『三体』邦訳のあるべき姿について山口氏相手に熱弁をふるったときは、まさか自分がそれにタッチすることになるとは夢にも思っていなかったが、おかげでこの歴史的な出版に立ち会うことができた。また、編集実務に関しては、早川書房〈SFマガジン〉編集部の梅田麻莉絵氏、校正に関しては永尾郁代氏にお世話になった。ありがとうございました。
 そして最後に、この日本語版のカバーに関しては、世界的コンセプト・アーティストの富安健一郎氏に、力のこもった新作を描き下ろしていただいた。SF読者には小川一水『天冥の標』やブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』新版のカバーで知られる富安氏のすばらしい装画のおかげで、ごらんのとおり、本国版や米国版、英国版にも負けない本に仕上がったのではないかと思う。
 私事ながら、この数カ月、三体世界と中国語世界にどっぷり浸かって過ごしたことは、訳者の長いSF歴の中でも得がたい経験だった。とはいえ、〈三体〉三部作の物語は、まだ始まったばかり。本書を読み終えた人が禁断症状に苦しみ、中国語の勉強をはじめたり英訳版を注文したりするのが目に浮かぶようだが、続く第二部『黒暗森林』は、同じ早川書房から2020年に邦訳刊行予定。人類文明の最後の希望となる "面壁者" とは何者か? 首を長くしてお待ちください。

 2019年6月

『三体』(Amazonページに飛びます)
著=劉慈欣(りゅう・じきん/リウ・ツーシン)
訳=大森 望、光吉さくら、ワン・チャイ
監修=立原透耶
装画=富安健一郎/装幀=早川書房デザイン室

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