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【著者紹介】原尞(はら・りょう)、その7つの伝説とは?

原尞(はら・りょう)

1946年佐賀県鳥栖生まれ。 九州大学文学部美学美術史科を卒業。70年代はおもにフリージャズのピアニストとして活躍。30歳ころから意識的に翻訳ミステリを乱読し、とくにレイモンド・チャンドラーに心酔した。1988年に私立探偵・沢崎が初登場するハードボイルド長篇『そして夜は甦る』で日本のミステリ界に颯爽とデビュー。日本の風土にハードボイルドを定着させた優秀作として高い評価を得た。89年の第2作『私が殺した少女』で第102回直木賞を受賞。1990年に6つの短篇を収めた連作集『天使たちの探偵』を上梓し、第9回日本冒険小説協会大賞最優秀短編賞を受賞。その後長篇第3作『さらば長き眠り』(95年)、第4作『愚か者死すべし』(2004年)と書き継いだ。その他の著作にエッセイ集『ミステリオーソ』『ハードボイルド』がある。佐賀県鳥栖市に在住し、ジャズ演奏と執筆に勤しんでいる。

最新作は2018年3月1日発売の『それまでの明日』。

原尞、7つの伝説
1 持ち込みでデビュー
原尞と早川書房の運命的な出会いは、1988年、編集部に届けられた一通の持ち込み原稿から始まった。それはハヤカワ・ポケット・ミステリ(通称ポケミス)とまったく同じ2段組みで組まれていた。たちまちその才能が認められ、新人としては異例の単行本による出版が決まったが、実は本人はポケミスで出したかったらしい。

2 第2作にして直木賞受賞
何度も候補に挙がる作家もいる一方で、原尞は第二作『私が殺した少女』にして早くも候補となり、見事受賞の栄冠に輝いた。原尞の受賞をきっかけに、その後、高村薫、宮部みゆき、大沢在昌などミステリが直木賞でも市民権を得るようになる。

3 10年に一度と寡作
1988年のデビュー以来30年、発表した長篇はわずか4作。第2作と第3作の間が6年間、第4作までが9年、そして待望の新作となる第5作まではじつに14年の歳月が流れている。デビュー当時からの年季の入ったファンのなかには原尞の新作を読むことを生きがいに精進している方も多いのだとか。

4 ひとつの出版社からしか出さない
直木賞受賞直後、当然のごとく文藝春秋はもちろん、大手出版社からの執筆依頼が殺到した。しかし、本人によれば断わったつもりはないのだが、いずれの社も痺れを切らして諦めてしまったのだとか。

5 書くのは沢崎シリーズのみ
長篇、短篇含めこれまで発表した小説はすべて私立探偵・沢崎を主人公としたもの。原尞と沢崎は、両切りピースを吸い、美術や映画、ジャズ、囲碁を愛好するなど共通点も多いが、あくまでも著者は自分ではないと言い切る。そこには男ならばこうありたい、こうあるべきだという理想像が反映されているのだ。

6 出せば10万部超え
『私が殺した少女』の52万部、『そして夜は甦る』の30万部(いずれも単行本、文庫合計)を筆頭に、寡作ながらも出せば必ず10万部超え。沢崎シリーズ合計では130万部に達している。

7 かつては黒澤組にいたことも
「雨あがる」などで知られる小泉堯史監督らとともに、黒澤作品に日本語字幕をつける仕事や、脚本修行をしていたという原尞。そのためか映像へのこだわりは人一倍強く、これまで何度となくあった沢崎シリーズ映像化の話はいずれも実現していない。黒澤明が監督するのならばいいというのだが。

沢崎シリーズ
西新宿に「渡辺探偵事務所」を構える私立探偵・沢崎が活躍するハードボイルド・シリーズ。事務所名はかつての沢崎の同僚の名を取ったものだが、一人になっても改称していない。初登場時は40代前半、新作『それまでの明日』では50代半ばになっている。両切りピースを手放さない愛煙家。レギュラー・メンバーに新宿署の錦織警部、清和会の暴力団員、橋爪、相良らがいる。主人公の「沢崎」は、苗字のみで下の名前は作中一度も出てこない。著者は知っているというが、明かす気はまったくないようだ。

シリーズ既刊/いずれもハヤカワ文庫JA(書影をクリックするとAmazonページにジャンプ)

『そして夜は甦る』(1988)

『私が殺した少女』(1989)

『天使たちの探偵』(1990)短篇集
収録作品:少年の見た男 / 子供を失った男 / 二四〇号室の男 / イニシャル"M"の男/ 歩道橋の男 / 選ばれる男 / 探偵志願の男

『さらば長き眠り』(1995)

『愚か者死すべし』(2004)


『ミステリオーソ』(2005)


『ハードボイルド』(2005)


『それまでの明日』(2018/3/1)

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