見出し画像

酉島伝法、3冊目にして初の作品集成!『オクトローグ』解説:大森望

いよいよ発売となった『オクトローグ 酉島伝法作品集成』。本書の巻末に収録されている大森望さんの解説を公開いたします。発表した全著作で日本SF大賞を受賞する究極の独創的作家、酉島伝法の魅力とは?

画像1

『オクトローグ 酉島伝法作品集成』
装幀:水戸部功

解説

 本書『オクトローグ 酉島伝法作品集成』は、『皆勤の徒』(二〇一三年)、『宿借りの星』(二〇一九年)に続く酉島伝法の三冊目の著書にして(連作を除く)初の短篇集。二〇一四年から二〇一七年にかけて発表された短篇七篇に書き下ろしの新作一篇を加え、発表順に収録している。タイトルのオクトローグ(octo-logue)は、“八話”くらいの意味。“作品集成”のサブタイトルがついているのは、さまざまな媒体にばらばらに発表された単発の短篇をひとつにまとめたことからか(推定)。
 思い起こせば、第2回創元SF短編賞を受賞した「皆勤の徒」で酉島伝法が作家デビューを飾ったのは二〇一一年七月のこと。そこから数えると、現在までの作家歴は、まる九年になる。九年間に著書が三冊というのは、(テッド・チャンや飛浩隆ほどではないにしろ)相当に寡作の部類だが、量産できない理由は一目瞭然。おそろしく手間のかかる方法で書かれているからだ。これが工芸品なら、手間をかけた分だけ高い値段をつけられるわけだが、小説はそうはいかない。書くためにかかった労力は、本の値段にまったく反映されない。十倍の時間をかけて書いても原稿料は変わらないし、十倍の労力を投入したからといって十倍売れるわけでも、国から補助金が出るわけでもない。
 まったくもって引き合わない作風ですが、ではまったく報われないかというとそうでもなくて、過去の二作、連作短篇集『皆勤の徒』と第一長篇『宿借りの星』は、ともに日本SF大賞を受賞している(第34回と第40回。後者は小川一水『天冥の標』全十巻と同時受賞)。『皆勤の徒』は、「ベストSF2013」国内篇でダントツの1位に選ばれたばかりか、翻訳SFまで含めた「2010年代SFベスト」でも1位となり、酉島伝法は二一世紀の日本SFを代表する作家のひとりと目されている。
 評価は国内だけにとどまらない。“翻訳不可能な傑作”などと評されがちだった『皆勤の徒』は、めでたく英訳されて、二〇一八年三月、“extreme science と high weirdness のモザイクノベル”というキャッチコピーのもと、著者自身の描いたイラストをカバーにあしらい、Sisypheanのタイトルでアメリカ版が刊行された(ダニエル・ハドルストン訳)。『全滅領域』の著者として知られる作家兼批評家のジェフ・ヴァンダーミアは、この英訳版について、「いやもう、最高の小説」「この本の前では他のほとんどの先鋭的な試みが凡庸に見えてしまう」などと熱狂的にツイート。自身のフェイスブックでは、「わお。酉島伝法の『皆勤の徒』はすごいぞ。画期的な作品だ。おそらく、この十年で初めての、百パーセント独創的なSFだろう」と絶賛し、以下のように評している。「『流刑地』と『変身』のカフカが、フィリップ・K・ディックとスティパン・チャップマンとレオノーラ・キャリントンの霊を呼び出して、不気味な地球生物学と遠未来とブラザーズ・クエイをミックスしたコンテクストに放り込んだら?(中略)アンジェラ・カーターがシュールリアリズムに手綱をつけて、プロットのあるストーリーをぎりぎり語れるようにしたのと同様、酉島は、異形の未来に移植されたこの地球で、人間の奇天烈な生態と有機体の奇天烈なライフサイクルをどうにか物語として成立させている。つまり、おそろしく風変わりで先鋭的ではあっても、本書は実験的ではない。実験的な部分があるとすれば、それは、ライフサイクルや生物組織をプロットに組み込む、そのやりかたにある」
 この評は、本書収録作の半分くらいにもだいたいあてはまる。もっとも、こういう絶賛の一方で、酉島作品と言えば、人間がほとんど出てこないかわりに、なんかグロテスクな生きものがいっぱい出てきて、造語(見たこともないような漢字を含む)が山のようにちりばめられてるせいでやたら読みにくく、なにが起きているかよくわからない小説でしょ──と思っている読者も多いかもしれない。なぜこんな読みにくいものが一部でもてはやされるのか理解できない。そもそもどうしてこんなに造語を使うのか?
 著者は、Weird Fiction Reviewに掲載されたデイヴィッド・デイヴィスによるインタビューでその理由を訊かれて、想像上の異世界を描くとき、既成の名詞を使うとしっくり馴染まない、自分にとって造語は、映画におけるセットや小道具、特殊メイクのようなものだと答えている。
 それでも納得できないという人のために、『宿借りの星』に対する日本SF大賞選考委員の選評をいくつか抜粋して紹介しよう。
「読み進めていくうちに、人間である自分の視点が異種族と同化し、世界を全く違った風に見始め、そしてさらに二転三転翻される」(池澤春菜)
「酉島氏独特の漢字表現が異様にハードルが高く、1ページ目で何度もはねかえされる。だが辛抱して読んでいると、異星の種族の視点がインストールされ、異星の種族の存在のまま人類の姿を見て、その気色悪さに戦慄するという希有な体験ができる」(白井弓子)
「不気味なはずの異星生物たちが、物語を読み進むにつれて愛すべき存在として身近に感じられるようになり、自らも彼らの一員であるかのような錯覚に陥る、そのような読者の意識が変容する体験は、優れたSF作品ならではの魅力だと思います」(三雲岳斗)

 ここで異口同音に語られている特徴は、本書収録作のいくつかでも遺憾なく発揮されている。たとえば──というわけで、ここから各篇について簡単に見ていくが、その構造がとりわけわかりやすいのは、巻頭の「環刑錮」だろう。これは、SFマガジン二〇一四年四月号のベストSF国内篇上位作家競作特集(ベストSF投票で高い評価を得た作品の著者の新作/新訳を掲載する四月号の恒例企画)に寄稿された作品。翌年出た『年刊日本SF傑作選 折り紙衛星の伝説』に再録された。
 環形動物と禁錮刑をミックスしたような題名からなんとなく想像がつくとおり、この短篇は、受刑者が巨大ミミズ(みたいな生きもの)にされてしまう刑罰の話で、“異形の存在になった気分を味わう”ということそのものが題材になっている。最初から異生物が登場する『皆勤の徒』や『宿借りの星』にくらべると、人間から出発する分、圧倒的に読みやすい。
 これでも造語が多すぎてちょっと……という人に、酉島伝法入門篇として広くおすすめしたいのが、二番めに置かれている「金星の蟲」。こちらは、ファン出版ながら、山田正紀、堀晃、飛浩隆、瀬名秀明、円城塔、宮内悠介、藤井太洋などプロ作家十七人が寄稿した巨大オリジナルアンソロジー、『夏色の想像力 第53回日本SF大会なつこん記念アンソロジー』(今岡正治編/草原SF文庫)のために書き下ろされた作品。現代日本の小さな刷版工場に勤めている主人公のリアルな日常が、ほとんどお仕事小説のように語られてゆく。登場人物のひとりが「しとしとぴっちゃんやな」と言っているくらいだから、舞台はテレビドラマ版「子連れ狼」が放送されていたことのある日本(たぶん大阪)だろうし、CTPの刷版出力機と現像機が使われているから、時代はおおむね二〇〇〇年代前後……と想像がつく。
 ちなみに著者は、実際に刷版工場で働いていたことがあり、そのときのつらい経験を描いたのが「皆勤の徒」だという。朝日新聞の読書サイト「好書好日」掲載の記事「造語だらけのポストヒューマン小説はいかに生まれたか 「宿借りの星」酉島伝法さん8000字インタビュー」(山崎聡)の中で、著者いわく、
「……定時で終わることにつられて刷版工場に入りました。印刷の前段階の刷版を作る仕事なんですが、ほとんど一人でこなさないといけないし、ひっきりなしにトラブルが起きるしで、人生最大ぐらいの過酷さでした。同じ時期に複数の知り合いから職場のひどい待遇の話もよく聞かされて、現代の『蟹工船』を書かないといけないという気持ちが生まれたんです。でも、現実に起きているままを書いても、この無慈悲さを実感できるように表現しきれない。あるとき仕事中に、まるで得体の知れない宇宙人にわけのわからない言葉でわけのわからない仕事を強いられているような錯覚に陥ったことがあって、SFの手法なら、極限労働の表現が可能になるんじゃないかと気づいたんです。人間という種族自体が、労働のための生物につくりかえられて、生物学的に奴隷になっている、という感じで」
 この経験を(異境SFに変換せずに)そのまま書いたのが「金星の蟲」ということか。面白いのは、刷版工場の専門用語を説明なしに使うことで、造語に近い効果が生まれていること。「菊全八丁で裏表ありますけど、ドン天やから四版。クワエは外五十。大特急」というような謎めいた台詞が異化効果をもたらす──というのは話が逆で、これらの見慣れない用語にひとつひとつ意味がある(ネットで検索すればすぐにわかる)のと同じように、『皆勤の徒』に出てくる膨大な造語にもそれぞれはっきりした意味や背景がある。ウソだと思う人は、電子書籍で刊行された「隔世遺傳(かくりよいでん) 『皆勤の徒』設定資料集」に目を通せば、作品の背景にどれだけ緻密かつ膨大な世界があるかを知って茫然とするはずだ。奇怪すぎるあの世界も、酉島伝法にとっては、この世界と変わらないくらいクリアな現実なのである(逆に言えば、著者の目にはこの現実もあの世界と同じくらい異様でわけがわからなく見えているのかも)。
「隔世遺傳」巻末に、『皆勤の徒』担当編集者である東京創元社編集部の小浜徹也が寄せた文章によれば、作中のここはいったいどういう意味なのかと著者に質問すると、たちどころに明晰な答えが返ってくることに驚いたという。いわく、「酉島さんの目には、作品内の光景のみならず、その背景を支える事物の歴史さえもが、すでに驚くほどの明瞭さで『見えて』いたのだ」
 酉島文体の(漢字の)字面が与える効果には目をつぶり、意味を伝えることを優先させた『皆勤の徒』の英訳がものすごくわかりやすくなっているのもそのためで、「もともと酉島さんの言葉が持っていた論理性が、そしてそれが支える想像力の強固さが浮かび上がった結果だと思う」と小浜氏は書いている。
「金星の蟲」では、特殊な業界用語(および特殊な病気に関連する用語)を使って書かれていた前半部分から、現実が徐々に変容するにつれて、見慣れない単語や造語が少しずつ増えてくるのだが、そのおかげで著者の手の内(現実がどのような操作を経て異界化されるか)が非常に見えやすくなっている。
 同じことは、“企画もの”として書かれた二作、「痕の祀り」と「堕天の塔」についても言える。
「痕の祀り」は、SFマガジン二〇一五年六月号に掲載されたのち、『多々良島ふたたび ウルトラ怪獣アンソロジー』に収録された。このアンソロジーは、二〇一六年にウルトラマンシリーズ放送開始五十年を迎えた円谷プロダクションと、創立七十周年を迎えた早川書房がコラボレートする特別企画として誕生した特撮小説シリーズ「TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE」の第一弾。初代「ウルトラマン」を下敷きにした小説なので、原典を知っている読者なら、科学特捜隊(科学特別捜査隊、略して科特隊)が“加賀特掃会”に置き換えられて、怪獣の死骸を処理する業務に従事する人たちの話になっていることはすぐに見当がつく。なるほど、この世界では、ウルトラマンは“斉一顕現体”で、怪獣は“万状顕現体”か──と頭の中で翻訳できるのでわかりやすい。読者の頭の中に、あらかじめ(「隔世遺傳」のような)設定データベースがインストールされているわけだ。
 対する「堕天の塔」は、ハヤカワ文庫JAから二〇一七年五月に出たオリジナル・アンソロジー『BLAME! THE ANTHOLOGY』に書き下ろされた作品。こちらは、日本を代表するSF漫画のひとつ、弐瓶勉『BLAME!』の世界が下敷きになっている。漫画の舞台は、はるかな未来、太陽系を呑み込むほど果てしなく増殖を続ける巨大な積層都市。人類は、都市を管理するネットスフィアへのアクセス権を失い、正規の端末遺伝子を持たない人間を排除しようとするセーフガードや、人類とは別の種に変貌した珪素生物などと敵対している。主人公の霧亥(キリイ)は、彼らと戦いつつ、ネットスフィアの支配レベルである統治局への再アクセスに必要なネット端末遺伝子を探し求め、孤独な旅を続けている。
 原典のこの設定や用語をそのまま使いながら、著者は独創的な物語を紡ぎ出す。こちらの主役は、統治局の命令で月の発掘作業に従事していたホミサルガ。あるときとつぜん「大いなる光」が積層都市を貫き、巨大な穴(大陥穽)を開ける。ホミサルガたちが暮らしていた塔の残骸は、彼らを閉じ込めたまま、穴の中をどこまでも落下しはじめる……。
 先に引用した「隔世遺傳」巻末のエッセイで、小浜徹也は、「酉島さんの小説は『上下運動』ないし『立体的な移動』を含むものがすごく多い」と指摘しているが、本編はまさにその典型。積層都市のとてつもないスケールを十全に生かし、壮大なメガストラクチャー本格SFに仕上げている。
 本書には、一般の小説誌に発表された作品も収められているが、SF専門媒体でないからといって、著者はまったくアクセルをゆるめていない。二〇一六年四月刊の〈別冊文藝春秋 電子版7号〉に掲載された「ブロッコリー神殿」は、著者十八番の異生物SFの植物バージョン。翌年の『年刊日本SF傑作選 行き先は特異点』再録時に寄せられた「著者のことば」によれば、『世界で一番美しい花粉図鑑』(マデリン・ハーレー、ロブ・ケスラー著、武井摩利訳、奥山雄大監修/創元社)に魅せられて、「ただ花粉が飛ぶだけの生態系SF詩のようなものを書きたくなった。植物の気持ちになろうとすると動けなくなるので難航したが、なんとか華の精と共に風にのることができた」という。セリフ部分は、異星に赴いた人類の探査チームのあいだのやりとりだが、地の文は、彼らの活動を観察している惑星生物側の視点から書かれていて、独特の効果をあげている。
「彗星狩り」は、小惑星帯に住む生命体の日常のひとコマを切りとった、異生物版の少年小説。〈小説すばる〉二〇一七年六月号の「宇宙と星空と小説と」特集に、著者自身の挿画とともに掲載された。『年刊日本SF傑作選 プロジェクト・シャーロック』再録時の「著者のことば」によれば、「これまで肉々しい作品が多かったので硬質な世界を書いてみたくなり、宇宙に暮らす機械生命の部族の話をぼんやりと温めていたところ、〈小説すばる〉から宇宙テーマの依頼を頂いたので、すばるにちなんで散開星団を舞台にして書いた」とのこと。
「橡(つるばみ)」〈現代詩手帖〉二〇一五年五月号の特集「SF×詩」に寄稿された作品。月面の“幽霊”(デジタル人格)たちが地球に帰還して、汎用材料でつくられた人工身体に宿る。プルースト『失われた時を求めて』で、紅茶に浸したプティット・マドレーヌの味から幼少時の体験が甦るように、本篇ではコーヒーの香り(を題材にした一篇の“詩”)から言葉が紡がれ、世界を彩ってゆく。作中の詩は、木下杢太郎『食後の唄』収録の「珈琲」が出典。作中に引用されている冒頭部分のあとは、以下、〈残りゐるゆゑうら悲し。/曇つた空に/時々は雨さへけぶる五月の夜の冷こさに/黄いろくにじむ華電気、/酒宴(さかもり)あとの雑談のやや狂ほしき情操の/さりとて別にこれといふゆゑも無けれど、/うら懐しく/何となく古き戀など語らまほしく/寂(せつ)としてゐるけだるさに/當(あて)もなく見入れば白き食卓の/磁(じ)の花瓶にほのぼのと薄紅の牡丹の花。/珈琲、珈琲、苦い珈琲〉と続く。題名の「橡」は、くぬぎ、および(くぬぎの実である)どんぐりの古名。本篇は『年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ』に再録された。
 巻末に置かれた「クリプトプラズム」は、最新の書き下ろし短篇。意識がもともとの体から切り離されてべつの体に宿るというのは、酉島作品の多くに共通するモチーフだが、本篇もそのひとつ。もともとの意識(生来体)から分離したコピー人格(分岐識)だった“わたし”ことペルナートは、いまは独立した個人としての存在を許され、人工的な肉体(容識体)を得て、宇宙を航行する市街船で暮らしている。彼らの市街船は、宇宙空間に広がる膜状の謎めいた物体“オーロラ”と遭遇。研究班の一員として、オーロラから採取したサンプルの培養実験を試みるうち、思いがけない結果が……。
 題名は、「隠れた」「秘密の」を意味するcrypt-に、「形質」を意味する「-plasm」をくっつけた合成語(推定)。作中では、コンピュータが解析できない分類不能の物質の呼び名だと説明される。グレッグ・イーガン『シルトの梯子』を思わせる実験SFだが、アイデンティティの問題につながってくるところが酉島伝法らしい。本書収録作の中ではもっともストレートなSFかもしれない。
 以上八篇を通して読むと、濃淡に差はあるものの、小説のテーマやモチーフや手法が重なり合い、まさしく“作品集成”的な奥行きと広がりを感じさせる。酉島伝法の変わらなさと変わり具合を同時に味わえるオクトローグ。十年後にまた読み返したい。

――――――



みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!