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【Netflixシリーズ「ヤキトリ」独占配信開始】『幼女戦記』カルロ・ゼンのミリタリーSFシリーズ『ヤキトリ1 一銭五厘の軌道降下』第一章「選択」90,000字を全文公開

Netflixシリーズ「ヤキトリ」独占配信がついに始まりました。『幼女戦記』カルロ・ゼン氏の新たなミリタリーSFシリーズである原作小説は、2017年8月に『ヤキトリ 1──一銭五厘の軌道降下』、2018年4月に『ヤキトリ 2──Broken Toy Soldier』が発売になっています。未読の方はぜひこの機会に読んでみてください。

プロローグはこちら 

【第一章「選択」・試し読み】

商連総督府発行──惑星地球概要

①政治状況
可住惑星。原住種あり。星間知性種認定基準を満たすものの、惑星統一政府なし。林立した部族政体に近い統治機構が存在するため、原住種の文化保護を規定した倫理基準に従い、総督府は惑星地表での間接統治プログラムを運営中。
自由貿易に対する反抗運動はおおむね撲滅済み(原住種の分裂政体に関しては、190以上と数えられる。詳細は、別掲の学術報告書を参照のこと)。

②経済状況
市場としては著しく小規模(間接統治を直接統治に切り替えた場合、赤字は確実)。特筆に値する工業基盤なし。極めて原始的な製造業の萌芽程度であり、原住種の工芸品が辛うじて市場価値を有する程度。一次産業(有機系)の供給源としても辺境惑星の域を出ず。商連に対する貢献は、ヤキトリの提供/航路上の経由地程度である。

③原住種の保護に関る現状
・惑星地表における自治権を保証/惑星主権のみ行使中。
・商連における市民権/属州民として登録中。
・宙賊対策/艦隊により人身売買を阻止中。

④倫理審査(列強派遣団による信頼醸成のための第27次保護星域相互監査報告書より)
・概ね完璧/統治状況に倫理上の瑕疵なし。
課題:原住種の保有する旧式の熱核兵器管理について、彼らに対する啓発不足の指摘在り。
対応:『核兵器』に対する宗教的熱情(MADという宗教と思われる)への干渉が原住種の信仰の自由を侵害しないか倫理委員会が検討中。


第一章『選択』

ロンドン宇宙港──第3ターミナル

 ロンドン宇宙港とやらは、嘘の匂いだらけだった。酷く小奇麗な空間。清潔さに対する病的な拘り。真っ白なフロアに、煌々と灯される照明の明るさ。俺のぶち込まれていた収容所も外向けの区画はこうだった。上辺以外はヘドロだったが……体面だけは大した面の皮の厚さ。初めて降り立った瞬間、奇妙な既視感に襲われてしまうほどだ。
 もっとも、全部が全部そうってわけじゃない。俺には好奇心ってやつがある。社会福祉公団様の施設外を見るのも久しぶりなんだ。
 全く、何年ぶりだろうか? 本当に、随分と糞のように久しぶりだ。昔、まだ、俺が自由だと言われていた頃以来だろう。
 だというのに、新鮮な気持ちって感想を持てない。原因の半分以上は、お馴染みの腰縄と手錠の存在ってやつだ。
 もう半分は、同行者が性根の腐りきった社会福祉公団の『保護者』様ってやつだからに違いない。正直、俺も独り立ちしたい頃なんだ。とにかく俺が好き好んで『大変にお忙しい職員の皆様』へ同道を願ったわけじゃない。
 おせっかいな彼らは、つい先日まで『恵み深く』も『お世話』とやらになっていた『矯正施設』の『優しい』職員様だ。曰く、国連経由のリクルーター様へ引き渡すまでは、断固として『責任をもって保護』するだとか。
 ふざけた口実で、ロンドン宇宙港まで勝手に付いてきやがっただけだ。旅費という名のこづかいがほしかっただけだろう。寄生虫め。
 だが、忌々しい連中と同じ空気を吸う辛抱もあと少し。
「国連のヴァーシャ・パプキンさんですね?」
 肩からぶら下げている翻訳か通訳か知らないが、言葉を訳す機械を、はい、と頷くのはガタイのいい男だ。
 社会福祉公団の弛んだ腹が出た職員共と違い、奴のそれは引き締まり、率直に言って殴り合いが得意そうな肉体だ。にもかかわらず、その男、パプキンは胡散臭い微笑みを顔面に張り付けている。要するに、虚勢を張る必要がないタイプの野郎だ。
「日本の社会福祉公団より、ただいまをもちまして伊保津明君を引き渡しいたします。受領書類にサインを」
「護送、ご苦労様です。ここにサインですね?」
 へぇ! と俺は小さく口笛を吹きそうになっていた。俺を『送迎』してくださった公団職員の皆様から『君』と呼ばれる! これが生まれて初めてだ。いつもは、認識番号やら罵りやらなのだが。
 物事が、変化している証拠だった。少しばかり明るい展望っていえるかもしれない。全ては眼前で俺の受領証明書とやらを公団職員に手渡している男、パプキンのおかげだ。こいつが俺をどんな風に利用する腹積もりなのかは知らない。だが、今までとは違った未来を期待するぐらいは、悪くないだろう。
 そんなことを考えていると、俺へパプキンがちらりと視線を向ける。
「正直、随分と大げさなことに思えます。日本の流儀は存じ上げませんが、青年一人の引き渡しなんですよ。やりすぎでは?」
「とんでもない! 全ては伊保津君の人権を『彼自身から』保護するためです」
 噛みついてやりたい戯言を口にする職員共だが、今ばかりはおとなしくするしかない。土壇場で物事を壊すほど、俺は、短絡的じゃないんだ。
 あと数分でこいつらとお別れできるというならば、殺意だって飲み込んでやる。
「……彼が、自分自身を保護できないからあなた方が?」
「ご理解いただけたようで幸いです。大崩壊以来、行き過ぎた自由が社会と個人を苛む事例が多すぎますからな。商連にも、困ったものです」
 成程と、パプキンが愛想笑いと共に頷く職員様の言葉は聞き飽きた代物。本当に、本当に、本当に忌々しいぐらい耳に叩き込まれているそれ。なんでも、かんでも、悪いことは宇宙人のせい。聞き飽きた妄言だ。
 商連人とかいう宇宙人なんぞは、知ったことか。俺にとって、ぶん殴りたいのは貴様らだ。
 俺は成績が良かった。何しろ真面目に勉強したからな。サボっていた他の連中と違い、俺は、俺だけはまともだったんだ。だから、権利ってやつを主張した。アホ共と同じ労働共同体以外の進路ってやつを求め、大学へ出願しただけだ。何も間違っちゃいない。
 だってのに『みんながやっているのに』だの、『一人だけ別の道を』だの馬鹿をいう連中に翻意を迫られ、断ったら反社会的性格認定だ。普段は仕事の遅いお役所も、人の邪魔だけはいっちょ前。あっという間に、俺を社会福祉公団の収容所へ『保護』しやがった。
 一つ聞きたいんだが、このどこに商連が関係しているんだ? 商連とやらがどうであれ、貴様らに俺を拘束しろと命令したのは誰だ? 商連の連中じゃないだろう。
「では、確かにお引き渡しいたしました」
「はい、ミスター・伊保津の身柄、確かに責任をもってお引き受けいたします」
「電子鍵はこちらに。ご忠告ですが彼のためにも、解くときは周囲に注意し、最大限の配慮を払ってくださいね。では、我々はこれにて失礼いたします」
 その台詞と共に、忌々しい社会福祉公団の制服を纏った屑どもは俺をパプキンに委ねて立ち去っていく。願わくは、二度と会いたくないものだ。奴らが死んだとかで、死体確認とかだったら喜んで駆けつけるんだが。
「ロンドン宇宙港へようこそ、ミスター・伊保津。仰々しいのもあれなので、アキラと呼ばせてもらっても?」
 パプキンは手を出しながら大げさな口上を述べ始める。
「快適な長旅だったかはさておき、歓迎しよう。ああ、歓迎の握手はお嫌いかな? そうだとしても、君が纏っているちょっと独特な、そう、日本風のアクセサリかな? 腕のそれと縄は外させてもらうが、ご容赦ねがうよ」
「やっぱり、似合っていないとあんたも思うか?」
「伝統的な民族服だったりするのかな? そうならば、気を悪くしないでほしいものだが、センスのないことだとは思うね」
 その一言と共に、パプキンは手錠の電子認証を解除し、同時に手錠に絡めてあった腰縄を振りほどいてくれる。アホ共の忠告を真に受けるほど頭にウジが湧いていない人間ってのは、良いもんだ。
「やぁ、これで男前になった」
 改めて差し出される手を俺は力強く握り返し、改めて謝意を口に出す。
「ありがとう、パプキンさん。全部、あんたのおかげだ」
「なんだか面映ゆいものだね。どうせ、近い将来には邪悪な商連の狗と罵られるんだと想像ができても、なかなか愉快な気持ちになれる」
 とはいえ、とパプキンはそこで言葉を変える。
「立ち話もなんだ。場所を変えようじゃないか」
 実に素っ気なくいうものだから、俺はなんとなく頷いてしまう。
 この男がどこへ向かうかも分からず、付いていった先にあるのは小奇麗な宇宙港に相応しいオシャレな飲食店。俺とは、徹底的に縁のない世界ってやつ。
 殆ど好奇心だけで、俺は店の看板に視線を向けていた。煌びやかな電飾のアルファベットだが、幸いなことに俺には読めた。収容所にぶち込まれていても、それ以前の受験勉強で覚えたことを全部忘れてしまったわけじゃない。
 エムシードナルドって店だろう。読めたことがちょっとうれしく、メニューを覗き込んで俺は後悔する。さびれた語学力じゃ掲示されているメニューまで読むのはきついが、パネルの写真を見る限り本物のパンと肉を提供している高級店だ。
 眩しくてたまらない。
「マクドナルドでいいかな?」
「なんだって?」
 Mとcでエムシーじゃないのか。いや、それ以上に……こんなところに入るはずもないと思っていたが……そのまさかだ。信じがたい思いの俺を置き去りに、パプキンの野郎は平然とした足取りで店内に足を運び入れている。
 唖然とする俺の前で、カウンターにおいてある機械の前に立ったパプキンの野郎はそこで、信じがたいことに暴言を口にする。
「ミスター・アキラ。君は、何を注文するかね?」
「は?」
 ぽん、ぽん、ぽん、とタッチパネルに何事かを叩き込んでいるパプキンは知らないのだろうか? 俺はすっからかんだと。知らないはずがないだろうさ! 収容所にぶち込まれて、手持ちなんてどこにもない。貯金なんて没収されている。
 ここまでくれば、十分だろう。
 全部承知の上で見せつけているのか? だとすれば、随分とふざけたやつだ。舐め腐っていやがる。選べる人間は、いつだって傲慢だ。自分ができないことを、見せびらかされるのは腹に来る。
「無視しないでくれ、注文だよ、注文」
 注文とやらを済ませたパプキンが話しかけてくるが、うっとうしい。
 こいつが、俺をつい先ほど社会福祉公団の手錠を解除してくれたリクルーターでもなければ、文句なり拳なりの一つでも見舞ってやりたい気分だ。
 ……初対面の際なんといってたか覚えちゃいないが、要するに、俺はパプキンの野郎に傭兵か何かに誘われ、飛びついた。それ以外に、道がなかったからだ。そんな人間に、こいつは、なんと言いやがった?
「選べるとでも?」
「何だって? 好きに選べばいいじゃないか」
 衝撃的な発言、侮辱的極まりない。拳を握りしめ、俺は思わず歯を食いしばる。
 選ぶ? 選ぶだって?
 金も配給券もないのに、どうやって選べと?
 俺に選択肢がないことを知っている癖に、良くも言えたもんだ。屈辱に拳を握りしめながら、俺は辛うじて平静を装って口を開く。
「パプキンさん、少しいいかな」
「なんだろうか?」
 ぽかんとした間抜け顔が心底から憎たらしい。
「あんたが存じ上げてくれていると幸いなんだが、俺のちっぽけな財産とやらは政府に『没収』されている」
「お金の問題ということか? つまり君が気にしているのは会計ということだね? なら、問題はない」
「大問題だろう」
 金がない。一体全体、どうすれば、これで問題がないなんて言えるんだか。人を嬲りやがって。
「問題ないさ。ミスター・アキラ。君にくっついてロンドン観光にお越しいただいた社会福祉公団のタカリ屋連中の出張費まで国連持ち。まぁ、なんだ。商連人の財布ってことさ。遠慮はいらない。君の食費ぐらいはこっちが経費で落とすよ」
「なんだって? 本気か」
「好きに注文すればいい。支払いはこっちでもつさ」
 眼前でパプキンは躊躇うことなく断言してみせる。
 いや、厳密に言えばそいつの言葉をそいつが肩からぶら下げた機械が翻訳して、機械音声を垂れ流してくれているというべきか。
 思わず、なんと返すべきか戸惑う発言だ。
 好きにしろ? 選ぶ自由があるってことか? 家族でもないのに、奢ると? 何に驚くべきか迷うというのは、人生においてこれまでに類例がない代物だ。
 翻訳機が壊れているといわれる方がまだしもありえそうだ。
 いや、そうだ。
 機械をどうして信じたのだ? よそ様がどうなっているのか知らないが、商連が来る前は品質で世界一だったとか老害共が自慢する日本製を見ればわかる話だろう。収容所の機械なんて、しょっちゅう故障だらけだった。
「その機械、壊れてないか?」
「翻訳機は正常だ」
 パプキンの返答は、自信と奇妙な確信に満ちている。それこそ、自分の肩にぶら下げている翻訳機の様子を一瞥することもなしだ。
「確認もなしか? 言葉が通じているか確信がないが、念押しさせてくれ。まさか、そいつを信用しているのか?」
「信用しているとも。この上なく。法的業務へ仕様が許可されている商連/国連認証済みKSAH‐632782カテゴリーのD32級だからね。こいつが製造寿命で故障するより、人間の方が先にくたばるだろうさ」
「すまん……なんだって?」
「官僚的な言い回しまで、実用上は完璧な翻訳機ということだ。ミスター・アキラ。君の言葉はきちんと私に伝わっているし、私の言葉も君に伝わっていると思うのだが」
 分かるだろうとばかりにパプキンは笑みを浮かべて見せる。
「個人的な意見だが、こいつは商連が珍しくいい仕事をした代表例だ。国連標準語の意思疎通用としては最高だと思うが」
「……だとすれば、機械の問題ではないんだな」
 今までの経験則から、機械は信用しないことにしていたんだが、俺が間違っていたらしい。言われてみれば、確かに翻訳機とやらが壊れているようにも思えない。
 したがって、原因は単純だ。
 機械は糞のように故障するし、まともに動作しないとはいえ……大抵の人間よりは余程マシだ。機械ですら、人間に比べればずっと信用できる。誰にだって異論がないだろう。
「人間が問題だったと思い出したよ。旨すぎる話は、信じないことにしているんだが」
「ミスター・アキラ。何か誤解があるのでは?」
「誤解? じゃあ、本気で食事を奢ると?」
 困惑した表情を浮かべるパプキンだが……随分とまぁ表情を造るのがうまいことだ。日本の政治家といい勝負ができることだろう。
 食べ物を、選ばせてくれる? いい冗談だ。挑発的ですらあるだろう。
 並べられた単語の意味は、本当の意味と違う。これまでずっとそうだった。正しくは、『我慢する』という意味合いだ。俺は、我慢することを選ばされていた。誰かの都合が悪くならないように、ずっと、ずっと、皆に合わせろと生まれてこの方ずっとだ。
 選ぼうとして、収容所にぶち込まれれば嫌でも言葉の裏を勘繰ぐるようになる。そうなるのが、当然だ。今さら、それを、変えられるはずがない。
「嗜好品を? それこそ正気か、あんた?」
「別に変な話でもないだろう。食事を一緒に取るのがそんなに奇妙か?」
「むちゃくちゃだ。とても、信じられない」
 不信感を分からないとすれば、そいつは、きっと、血税を啜るのが大好きな特殊階級(国民福祉特恵待遇カテゴリー634‐高度代替困難職務遂行者)の吸血鬼に違いない。
 連中、自分の言葉を俺たちが信じていると信じ込んでいる。……そうでなければ、あんな戯言を口に出せるはずもないじゃないか。
「これまでにも、なんどか会話したおかげで信用を勝ち取ったつもりだったんだがね」
「あんたと喋ったのは、社会福祉公団施設で一日だけ。しかもパプキンさん、大半はあんたが一方的にしゃべってただけだ」
 政治家や学校の糞教師共と同じだ、という一言を飲み込みながら俺はまた拳を握りしめる。
 選べる自由なんてなかった。
 ずっとだ。
 生まれてから、この方、ずっと。
 選ぶことが権利だといわれつつ、選ぶと罰せられた。
 我慢しろ。
 公平に分担しろ。
 皆と同じようにしろ。
 平等に分かち合え。
 戯言のような理想、いや、糞のような戯言を口いっぱいに頬張った『先生』とやらが、俺たちの耳に無理やり押し込みやがったフレーズはいくらでも反復できる。
 我慢して、アホ共の尻拭いを強制され、ノルマを割り当てられ、めげずに抜け出そうと頑張った俺は、優等生だった。皮肉なことに、学業で一番の優等生だった。
 労働共同体の福祉労働以外を夢見て、大学へ出願できるほどにって言えば過去の努力も伝わることだろう。奴らが、成績を口実に却下できないほどに、俺は数字を出していた。
 結果、反社会なんとかとやらで収容所で『再教育』される羽目に陥ったんだが。今になって思えば、なんだって厭味に聞こえて仕方がない。だからこそパプキンの心底から困惑しつつ憐れむような表情が癪に障る。
 こいつは、なんで、俺を、哀れむのだ。
「OK、では、同じものにしよう」
「なんだって?」
「勝手に注文する。費用もこちらで負担する。別に請求もしないし、食べたからなにかを要求するということもない。気が向いたら自由に食べてくれ」
 そういうなり、奴は注文端末に何事かを音声で申し込む。
 同時に、懐から取り出したカードをさしかざせば……注文と決済やらが、終了らしい。受領を意味するらしい音声と共に、吐き出されてくるレシート。
 それをパプキンは財布に挟み込むと笑顔で俺に話しかけてきた。
「今、スタッフが用意してくれているから席を選ぼう」
 無造作な発言だが、俺は心中で苦笑してしまう。
 まただ、と。
 呆れるほど頻繁にパプキンの口から飛び出してくる『選ぶ』という単語。苛立ちと困惑を覚えてしまうほどに、軽々しく扱われる言葉は俺にとってどれだけ重いか知りもしまい。
「ついでに説明すると、ここでは自由に席を選べる。まぁ、話をするには静かなほうがいい。折角だから、空いているあそこにしよう」
 自由、選ぶの連発に酔いそうだ。
 正直に認めよう。俺は、このパプキンという男の在り方が理解できない。こんな人参をぶら下げるなんて、いったい、俺をどう利用するつもりなのだ?
 ペラペラと口を回し続けるパプキンに対し、俺はただただ疑念を抱く。
「大崩壊以来、日本自治政府の社会保障政策には課題が多いらしいね。君の優しい保護者とやら、どうしようもないよ。私の母国もまぁ酷いものだが、ディストピア度合いで行けば負けるやも知れないな」
 訳知り顔で語る男の表情は、何も俺に窺わせようとはしない。内心が読めない人間というのは、酷く厄介だ。小奇麗な席に腰かけ、座り給えと勧めてくるパプキンは経験則にないタイプだと認めるしかないだろう。
 腹をくくり、俺はパプキンに相対するシートに腰を下ろす。……空路の移動機と同じで、硬くない座り心地は妙になじまないものだが、それにしても座りが悪い。
「向かいに失礼。言葉遣いも容赦してくれ。どうやら、俺は反社会的性格の持ち主らしくてね。おかげで、社会福祉公団から何人も心配してついてきてくれてな」
「いや構わないさ」
 俺の皮肉に苦笑しつつ、パプキンは相槌を打ってくれる。
「リクルートしている側がいうのもなんだが、大抵の場合、日本自治エリアからの応募者には問題が多い。過剰に卑屈になるか、極端に反抗的かの二パターンだ。君の場合は、反骨心もあるにはあるんだろうが……」
 何がウソか、何を偽っているかはさておき、臭さはわかる。……こいつだって、腹に一物抱えているのはわかるんだ。なのに、今は、なぜか、こいつの態度に違和感がない。
 怖い。
 純粋に、初めての感情だった。わからないのは、恐ろしい。
「まぁ、おいおいわかる話だ」
 その通り。相手のことを知らないと、いつ、寝首をかかれるかもわかったものじゃない。
今のパプキンは天敵や不倶戴天でないにせよ、将来の保証などなし。
 ナイフを手放していいのは、生きる意志を失った羊だけだ。
「少しばかり話でもしようじゃないか。君が最終契約書にサインする前に、お互いのことを知っておくのは悪くないだろう?」
「部分的には同感だ」
 頷きつつ、俺は思い切って問い返す。
「だがパプキンさん、あんたが俺のことを知ってどうすると? 雇用した兵隊の行方なんて、あんたに関係するのか?」
 誘われた時、傭兵だなんだとかいう話だとは理解している。俺が行ってしまえば、その後、こっちのことなどパプキンの奴に関係ないだろう。強い視線でじっと見つめると、パプキンは肩をすくめてこちらの背後に視線を向ける。
「どうにも取り付く島がないな」
 そこで微苦笑を浮かべ、やつは、突然俺の後ろに立っていた人間に声をかける。……俺が、他人の足音に気が付かないなんてよほど緊張しているのか?
 どっちにしても、嫌な汗が背筋に流れて仕方ない。
「ご苦労さま、ちょうどいいタイミングだ」
 ごゆっくりどうぞ、という建前だらけであろう言葉とスマイルで残されたのは、紙箱で梱包された何かと使い捨て容器の飲料物。
 揃いの食事だというが、本当に、揃いで手配したらしい。
「やれやれ、マクドナルドは相変わらず仕事が早い。銀河一、誰にでもフレンドリーだと思わないかい?」
「……ん、ああ、そうだな」
 無造作に紙箱に手を伸ばしたパプキンが取り上げるのはハンバーガーというやつだ。受験勉強中、何かの文化資料で見たことがある。パン、肉、野菜、チーズ。サンドイッチという文化と似ているという話だったか。
 だが、そんなことはどうでもいい。
 忌々しい合成プラントの味は散々に覚えさせられている。ゴムのような食感に、奇妙な異臭。トドメは腐ったような味わいと来ている。配給券で選べるのは、それだけ。選べるってのは要するに、我慢する権利ってことだった。
 それが、どうだ。目の前にある箱から漂うのは異臭というよりも芳香だ。においが、食欲をそそる。唾がこぼれそうになってしまうほどだ。生まれてこのかた、飢え以外で食欲を刺激されるのは……初めての経験だった。社会福祉公団の収容所にぶち込まれる以前でさえ、そんなことはなかったというのに。
「冷めてしまう前に食べ始めよう」
 パプキンは実に無造作にかぶりつく。
 認めよう、羨ましい。
「食べないのかね?」
 食べていいのか? 食べるとどんな代価を要求されるのか?
 だが、これを逃せば……次にこんな上等な食事にありつける機会がいつある? いや、そもそも、次があるのか?
 迷いを押し殺し、俺は取り繕いの言葉を口に出す。
「……初めてなので、食べ方がわからない」
「食べ方は、まぁ、見ての通りだ。特にマナーもなにもないぞ。フォークとナイフというような食事でもないんだ。ガブリといくとなかなかイケる」
「返せと言われたって、返せないが?」
 葛藤の末に吐き出した言葉だった。
 眼前でうまそうに貪られ、香りが嗅覚を刺激してくるというのは慣れないだけに強烈極まりない。
「構わんとも。……少しは信用してくれ。なんなら、毒見でもしようか?」
「毒見?」
「ロシア人の食事だからって、警戒されているのかとね。別にポロニウムもダイオキシンも入っちゃいない。必要ならば、その旨を記載した宣誓供述書を用意してもいいんだが」
 訳の分からない単語を連発したのち、パプキンはこちらの戸惑いに気づき口を噤む。どうにも俺には理解できないネタだが、冗談だったのか?
 距離感の分からない男だ。
「同胞へは鉄板のネタなんだがね、ダメだったか」
 もぐもぐと美味そうにハンバーガーを咀嚼し、良く冷えたドリンクでそれを流し込んでパプキンは苦笑して見せる。
「翻訳機の欠陥でないにせよ、文化的な障壁を訳した言葉が撃ち抜けるわけではないと思い知らされるよ」
 なにしろ、と彼はハンバーガーを片手に言葉を続ける。
「意味が伝わっても、面白さが伝わらないのはもったいない。言葉とは不思議なものだね。その点、味というのは好みこそあれ人類共通の分かりやすさだ」
 召し上がれ、と続けられてそれ以上断る理由もない俺はおずおずとハンバーガーを手にする。思いきって噛みついたとき、俺は戸惑う。混ざりもの、じゃりっとした突っかかり。一瞬だけ欠陥品を喰わされたのかと憤りかけたところで俺は違いに気が付く。
 職員の嫌がらせで完全栄養食に混入したゴミではなく、パンの上にまぶせられている粒のような調味料だ。
 なにより、歯ごたえがある。ゴムのような食感じゃない。
 遅れて舌に伝わるのは……肉の味だ。数回だけ味わったことのある、肉モドキとはけた違いに旨味を含んだそれ。噛めば噛むだけ、味が出てくる。
「味はどうだね?」
「……それを聞くか?」
 合成じゃない、牛の肉。
 温かく、きちんとした食感のある肉。
「無粋な質問だったね。もしよければ、追加してくれてもいい」
 涎が口の中で溢れるほどに蠱惑的な誘惑だ。
 毒を食らわば皿までという衝動に身を委ねてしまえればどれほど楽だっただろう。きっと、なけなしの自制心がなければ飛びついていた。
 だから、俺は、勿体ないと叫ぶ心の一部を押し込め話題を強引に移す。
「飯を奢れるなんて、パプキンさん、あんたはどんだけ稼いでるんだ?」
「ミスター・アキラ。一つ訂正しよう。調理師なんだ。稼ぎの多寡にかかわらず食事代ぐらいもつのは当然だろう」
「調理師? あんたは、リクルーターだとばかり思っていた」
 俺を商連の軍隊だか艦隊だかが使うというんだから、募兵係、リクルーターだろう。ついでに言えば、眼前の男には調理師なんぞとても似合わない。包丁よりも、ナイフで敵を刺し殺しそうな体格じゃないか!
「だいたい、あんた、調理師というには物騒すぎる」
 言動の物腰こそ丁寧で柔らかだが、本質を偽るには足りないだろう。なにしろ眼光に険がありすぎる。普段、厨房で調理しているとはとても思えない剣呑さ。いうなれば、隠しても奴からは狼の牙がちらつく。
「心外だな、これでも立派な調理師だよ。勿論、正式名称というか法的な呼び方は違うが通称では調理師だ」
「通称?」
「説明するとも。だが、その前に追加のオーダーがないかだけ確認を。こっちは年で節制も必要だが、君のように成人したばかりの世代ならば話も違う。がっつり食べられるはずじゃないか。まだまだ行けるだろう? 追加注文は本当にいいのか?」
 誘惑を諦めない態度といい、ここまで挑発されて穏やかさを保つ物腰といいすべてが剣呑極まりない。
 吠えないからと言って一律に相手をどうしようもない臆病者だと考え、自分の強さを誇示しようと叫ぶやつほど、弱い負け犬だ。
 叫ぶ犬は撃ち殺せる。
 だが、叫ぶ必要のない犬は本当に怖い。
「……歳だけが理由じゃないさ。ただ飯にがっつくのは、どうにも後が怖い」
「欲張らないってことかな? なかなか、色々な経験を重ねているようだね」
 俺の一言から、どんだけ読み取るのだろうか? 物騒で頭の回転が速いのは察していたが、いよいよこいつは強敵だ。
 自信、傲慢さ、そして丁重さの混合? 実に最悪だ。一番、厄介な手合いじゃないか。
「あんたの想像が正しいだろう。自分の取り分はさっさとだ」
「どこも変わらないわけだ」
 寂しさを携え、パプキンは手にしていたハンバーガーを丁寧にプレートの上に戻す。別に食べ方ぐらい好きにすればいいし、放置しても構わないのだろうが……この男のハンバーガーへの執着は何なのだろうか?
 日本でも、食べるペースぐらいは選ぶ権利がある。もっとも、公共財たる公共食堂でモタモタ席を占有していると『反社会的占有罪』で告発されるが。
 誰からも監視されず、せかされもしない食事というのはめったになかった。公共秩序警察の屑どもがロンドンに居ないのは知っている。だが……正直、今、この瞬間にも人の足を引っ張るのが大好きなお役所の連中の姿が現れないか不安でならないほどだ。
「宇宙に上がれば、その意見も変わるだろう。良い意味でも、悪い意味でも。とはいえ、今ばかりはゆっくりでも悪くはない」
 当人としては意味深に呟いているつもりなのかもしれないが、片手でケチャップのボトルを握りしめているのでは台無しだ。
「せめて、フライドポテトの追加はどうかな? 君が今食べているものだ。芋をあげただけだが、これが、中々奥深い」 
「どうも合成食を思い出すんだが」
「まぁ、澱粉だからな。とはいえ、マクドナルドのフライドポテトに地球のケチャップをたっぷりつけて食べるのは宇宙勤務者に大人気なんだぞ」
 食べればわかるだろうなどと言いながら、ケチャップをまぶしたフライドポテトを口に運ぶ様は……随分と子供臭い。
 これが演技だとすれば、狼がよくもまあ上手に羊の皮をかぶったものじゃないか。
「随分と熱弁を振るうんだな」
「君も宇宙に出れば同意してくれるだろうさ。この雑な塩味、流石に地球だ」
「宇宙では違うとでも?」
「ああ、大いに違う。『大満足』って言葉を君は知るだろうさ」
 力強い首肯の言葉。同時にパプキンの言葉には、珍しくあからさまな感情すら込めてある。
馬鹿げているかもしれないが、奴は本気に見えた。
 俺には、どうにも理解できない。
「商連の船に乗ってしまえば、嫌でも分かる。人間にとって、マクドナルドが商連勢力圏で一番高級なファーストフードだ。これを愛さない人類がいるとすれば、残念だが友達になれるとは思わない」
「ご高説の力説中にすまないが、俺はもう十分に味わったし、あんたの好みにとやかく言うつもりはない。仕事の話を進めてもらいたいが」
「仕事? やれやれ、仕方ない」
 気障なことに、パプキンはポテトに伸ばしていた手を引っ込めるなり、卓上においてある白い紙の束に手を突っ込む。無造作に数枚つかみ取り、それで手を拭う。
 そうだとは思っていたが、やはり、ここでは何もかもが使い捨てらしい。
「となると正式な契約説明だな。その手続きに入る前に、形式的で恐縮だが法的要請を果たそう」
 ええと、どれだったかなどと呟きながら、パプキンは書類カバンに手を伸ばす。
 マクドナルドの磨き上げられたテーブルの上に取り出されるのは、分厚いフォルダと頑強そうなタブレットだ。
「ああ、これだ。一応、これを読み上げて資格証明するのが義務だからね、忍耐してきいてくれよ?」
 取り出した書類を手にしてパプキンは読み上げはじめる。
「汎星系通商連合航路保守保全委員会指定による惑星原住知性種管轄局選定により業務受託を行う国連・総督府弁務官事務所合同許認可機構によって認証される特殊宇宙保安産業管轄汎人類担当官認可資格保持者として、自分、ヴァーシャ・パプキンは説明業務を行います」
「は?」
 翻訳機から流れてくる単語は、まるで呪文だった。
 さっきまでの言葉が秘められた本意を疑うべき類だとすれば、今の言葉は文字通りに理解が及ばない代物だ。
「商連に雇われる前の形式ってことさ。哀れなリクルーターに課せられた規則ということだと思って協力してくれ」
「お役所仕事ってのは、どこもか」
 納得できる説明だった。宇宙人の商連政府様も、我らが慈悲深い日本政府も変わらないってことだ。
「伊保津明氏、公式の手続きに基づき、私の資格を認証する旨を音声にて発してください。機械にて録音します」
「……どうしろっていうんだ?」
「この紙通りに読み上げてくれ。一応、日本語のはずだ」
 手渡された書類は、確かに日本語だ。問題があるとすれば、ついさっきまでのパプキンの言語と同じく奇怪な代物ということ。
 意味がさっぱり分からない。
「汎星系通商連合航路保守保全委員会指定による、なんだこりゃ」
「お役所文法、お役所方言だ」
 意味が分からない書類にサインする? 馬鹿げている。ありえない。そんなことをするのは、自殺志願者だけだ。
「訛っててきついとは思うが、まぁ、合わせてやってくれ」
「だめだ、説明してもらう」
 俺を利用しようとするのはいい。俺も、相手を利用する。だが、俺が納得できない方法で
活用されたくはない。だから話を聞いて自分で決める。
 隠し事がおおいのだろう。相手が面倒くさがったり、露骨に嫌がるとは承知している。しかし、譲れない一線なのだ。
 俺は、自分が分からないことについてサインしないと決めていた。絶対に、だ。
「説明? 構わないが、何を」
「この文の意味だ」
 さぁ、どうくるか。
 渋るか?
 ごまかすか?
 ……どう出てくる?
「契約書の説明を求められるのは、久しぶりだ。よろこんで説明させてもらおう」
「は?」
「は? と言われても困る。君の質問だろう。何から説明すればいいんだ?」
 面倒を予想し、腹をくくっていた俺はあっけにとられパプキンの表情をまじまじと凝視していた。渋られるかと覚悟していたにもかかわらず、奴の返事は快諾だ。
 本気か?
「じゃあ、まずは舌を噛みそうなこいつ、汎星系通商連合航路保守保全委員会指定による惑星原住知性種管轄局ってのは、なんだ?」
「要するに、商連からみた地球の国連ということさ。それでもって、国連・総督府弁務官事務所合同許認可機構という組織を宇宙人が『公的な許認可組織』として認めているって意味だ」
 真に驚くべきことは、パプキンは言葉通りスラスラと説明をしてくれているということに他ならない。
「特殊宇宙保安産業は?」
「正しく、今、君が応募している傭兵モドキの正式な法的カテゴリーだ。職業自体は軌道降下をする歩兵となる。地球だと、もっと多種多様な罵詈雑言で表現されているが、公文書だと無味乾燥なものだろう?」
 かみ砕いて説明しているのだろう。少なくとも俺が理解できる範疇に限れば誠実な回答だ。ついでに言えば、嘘の匂いが少ない。ない、と断言するのは危険だが……こいつは臭くないのだ。
 よほど卓越した詐欺師か、何かの思惑があって素直に答えているかのどちらかだろう。ひょっとすると、両方かもしれない。
「管轄汎人類担当官認可資格保持者ってのは? パプキンさん、こいつは、あんたのことだと思うが」
「その通り。ついさっき、調理師と俗称で語った私の正式な肩書だ。私、ヴァーシャ・パプキンは邪悪な商連の手先でね。地球人を宇宙の傭兵モドキとして売り飛ばすんだ」
 ……地球の支配者様の手先、宇宙人の傭兵募集係というわけだ。
「さて、ミスター・アキラ。君は説明を受けることに同意してくれるかな」
「同意だ」
 他に選択肢もないだけに、話を先に進めるために俺は頷く。
「大変結構。ではミスター・アキラ、説明の前に一つ良いだろうか。君について改めて簡単な質問だ。日本地域を管轄する自治政府の社会福祉公団と称する自治団体から『精神鑑定書』とかいうへんてこな書類が出されている。これについて確認させてくれ」
 俺は思わずパプキンの顔をぶん殴りそうになっていた。相手がやつでなければ、或いは、殴ったかもしれない。
「……何を話せと? 愉快な話じゃないんだが」
 パプキンは俺を反吐のような収容所から、連れだしてくれた。胡散臭い男の言葉に応じたのは、それ以外に道がなかったからではあるが、おかげでヘドロの底から出られたのは間違いなく事実なのだ。
 どんな性根や思惑をパプキンが抱いているにせよ、結果としては今のところ良い方向へ物事が進んでいる。結果、結果がすべてだ!
 無礼な言葉を聞いても、殴り掛からない程度に我慢するのは、そのためだ。
 しかし、しかし、だ。感謝すると言っても物事には限度がある。不愉快な過去を荒らされていいわけがあるか? ないだろう、普通。
「別に根ほり葉ほり事実関係を確認したりはしないとも。むしろ、はっきり言っておくと私はその辺に興味がないほどだ」
「じゃあ、何を話せって?」
「なぜ、この紙がでているか……君の自己認識を聞かせてくれるかな。何でもいいが、君の意見をぜひとも知りたい」
「はぁ?」
 思わず聞き返していた。誰もかれも、俺が有罪だと決めつけて問いかけてきたことはあるが、意見を求められたのは初めてだ。
「カウンセリングでもするってか?」
「いや、そちらもまったく。なにしろ私は精神科医でも、精神医学の専門家でもない。カウンセリングは商連政府の専門部署に任せる仕事だ」
 さっくりとした言葉。裏腹に、パプキンの目はえらく鋭い。
 これがつい先ほどまで、ハンバーガーとフライドポテトについて喜々として熱弁を振るっていた男だと? とても、同一人物とは思えない。パプキンの変貌ぶりは、かくまでも劇的だった。
「さ、聞かせてくれ」
 豹変し、むき出しの凶暴さすら交えた眼差しが俺を凝視する。のぞき込もうとしてくる視線は、酷くこちらを落ち着かない気持ちにさせやがるではないか!
「君は、どうして、隔離されたと思う?」
 答えを求める声。
 糾弾するでもなく、軽蔑するでもなく、純粋な問いかけ。だからこそ、不安すら掻き立てる。いったい、何故こんなことをこの男は求めるのだ?
 理解できない未知だった。どうすればいいのか経験則で理解できず、俺は思わず普段から思っていたことを口にしてしまう。
「正気だったからだろ?」
「……君が正気だったからと? 興味深いな。ぜひ、続けてもらえるかな」
 ちらり、と。
 パプキンが俺を観察する視線に妙な色が浮かび始める。
「どいつもこいつも、自分の世界に逃げ込んでた。プライドだけが富士山よりも高くて、現実はド底辺。だから、都合の悪い事実から目を背ける」
 俺の遺伝子提供者とやらも、そうだったらしい。
 ……らしい、というのは不公平だ。なにしろ、俺は、連中のことを殆ど知らない。尤も一般的な日本人で『親』のことを知っている奴の方が珍しいのだろうが。
 ともかく、俺の知る限り、現実から集団で逃避する空間だった。
 悪いことは、人のせい。自分たちは、犠牲になっているんだと誰もが口にするゴミのような空間。で、不都合な真実を突き付けられると騒ぎだしやがる。
 プライドだけが超弩級。口先だけの屑ども。
「『自分たちのような勤勉な人間が苦しんでいるのは、邪悪な商連のせいだ』と生まれてこのかた真面目に働いたこともない連中が、素面で、素面でだぞ? 真顔で語るんだ。政府の餌が不味いと一人前に叫ぶくせに、仕事をしようとはしないんだ」
 そして、俺は働いて、自分の金で食い物を手に入れたかった。手に入れかけた。そして、奪われた。いつだってそうだ。ごみ共は、頑張った人間の足を引っ張る方に喜びを覚えやがる。
「不都合な真実なんて見向きもしない。自分は被害者だって連中だらけ。……そんなところで、俺がまともじゃ都合が悪いんだろうさ」
「どう都合が悪いんだい?」
「俺が、自分の人生を自分で動かしたからだ」
 全員が、選んだ振りをしていた。俺は、選びたかった。だから、選ぼうと抗
った。労働共同体の福祉労働なんてまっぴらごめん。だから、勉強して、受験資格を獲得した。獲得した折角の権利だ。そいつで、大学に行って、掃き溜めから抜け出そうとし、足を引っ張られた。たったそれだけの話だ。
 あんなに苦労して勉強していた理由は、驚くほど、些細でささやかな願いなのだが。俺は、ただ、自分の自由を確保したかっただけだ。
「……動かせない人間には眩しすぎたのかな?」
「絶対正義の『みんな』と違うことをしたのさ」
 給付栄養とやらではなく、労働の対価を求めようとしただけだ。ほかの連中がタラタラしているところで、抜け出そうと人一倍に頑張っただけだ。
 要するに、俺は、勤勉だった。不平不満よりも、手を動かして糧を手にする男ってやつだろう。ちょっとばかり、人間理解でしくじったのが致命的だったが。
 周りの愚鈍な連中が途方もなく馬鹿だとは嫌というほどに知っていたんだが、どうしようもなく愚劣で恥知らずだったということを……理解し損なっていたことだ。俺はまともなだけに、屑っていう人種相手に仕方ないっちゃ仕方ないんだろう。
「成功に対する屑どもの嫉妬心は、俺の想像を超えていた。最低の輩ってのは、矜持もくそもない。挙句、人の足を引っ張ることだけは得意なんだよ。前に進めないゴミでも、進む真面目な人間を止めることはできるってことだ」
「随分と哲学的だ。ミスター・アキラ、君は哲学書を書くことに興味はないかい?」
「哲学で、一冊の本に仕上げるだって? 俺の認識では、そんなことができる連中はよほど暇だったんだろう」
「理由は?」
 簡単さ、と俺は笑う。
「真理とやらはいたって明瞭だからだ」
 試しに、哲学書とやらを書き始めてみよう。
 シンプルな事実──世界というのは、くそ野郎・ゴミ野郎・まともな俺の同類という三要素で構築されている。おそらく、異議を唱えるふりはみんなするだろう。するだろうが、心底から否定できる間抜けがどこにいる?
 ともあれ、進歩的に知性を持つとうぬぼれた連中向けに説明するとしよう。
 やや複雑な事実──世界を構築するくそ野郎には、程度問題でましなのもいる。発見というべきか、屑にも良し、悪しがあるのだ。どうしようもない糞から、我慢できなくもない糞まで世界というのは多様性とかいうやつを持ち合わせている。
 理解されやすい事実──ゴミ野郎は、殺すか埋めるかしないといけない。だいたいは、くず野郎の進化系だ。
 素晴らしく簡明に二要素を語ったところで、真実を知っている人間向けに最後の英知を記そう。
 正確無比な事実──くそ野郎どもというのは、結局、くそ野郎だ。マシだろうが、どうしようもない最底辺だろうが、屑=ゴミという本質は変えようがない。くずもゴミも燃やせ。
 以上が、素晴らしく長々と書き記す哲学書というやつだ。こんだけ単純な事実を説明するために、一冊の本が書けるとは!
「哲学者ってのは、屑だったんじゃないかな」
「というのは?」
「よほど、自分の仕事を忙しくするように見せかける天才だったに違いない。俺の周りにも、ああ、昔の俺の周りによくいた連中も口先だけは達者だったよ」
『忙しい、忙しい』が口癖で、さぼることと、他人の成果を自分のものにすることに汲々とした寄生虫共。恥で死んでいないだけに、心があるのか疑わしいぐらいだ。ゾンビだったんじゃないのかと思いたい。
 きっと、哲学者とやら、ああいう手合いだったに違いないだろう。
 それとも、宇宙から商連人共がやってくる前の地球人類というのは物事を違うベクトルで考えていたのだろうか? 
 今となっては、知ったこっちゃない。
 ハッキリしていることは、たった一つ。
「俺は、自分の仕事をする。さぼるやつとは、別にしてくれ」
「勤労意欲と評価が適正な点では、宇宙の方が君の性に適うかもしれないな。正直に言えば、地球人には評判のよくない仕事だが」
「仕事なら、なんだっていいさ」
 なにしろ、と俺は本音を投げ続ける。
「選り好みするタイプじゃない」
「ミスター・アキラは随分と勤勉なことだ。これが、全滅したとかいう古き良き日本人というやつかね? 今日日、大抵の人間にしてみれば、『自分に相応しい仕事かどうか』を病的なまでに気にするものだがね」
「支払いがあるなら、別に、なんだっていいだろう?」
 俺の稼ぎは、俺のものだ。そうあるべきだし、そうでなくちゃありえん。単純で、分かり易くて、公平だろう。商連の侵略だとか、地球人だとかをトヤカク叫ぶ趣味もない。
「宇宙人の軍隊に入るのだって、たいして変わらない」
 俺の一言は、しかし、パプキンの注意をひいたらしい。
「誤解があるようだから訂正しておくと、君が入るのは軍隊ではないよ」
「なんだって? 話が違うのか?」
「別に違うというわけではない。私がリクルートしているのは、ああ、ちょっと長くなるんだが……」
 はぁ、とため息をこぼすとパプキンは頭を振る。
「汎星系通商連合航路保守保全委員会指定による惑星原住知性種管轄局選定により業務受託を行う国連・総督府弁務官事務所合同許認可機構によって認証される特殊宇宙保安産業の第行う国連・総督府弁務官事務所合同許認可機構によって認証される特殊宇宙保安産業の第321組の募集だ。K321ユニットと便宜的に呼ぶものだね」
「……その舌を噛みそうな名前は誰が考えているんだ」
「知らないが、会ってみても愉快な会話ができるとは思わないね」
 思わず、同感だと俺は頷く。
 大抵のお役人ってやつは、人を見下し、平然と馬鹿にしてくる連中だ。例外的な話せる連中がいたとしても、話していて楽しい隣人というレベルじゃない。
 社会福祉公団の職員をみて、理解できないならば病気だ。
「K321での仕事は、リクルートされた新兵としては標準的なものだ」
「パプキンさん、あんたには当たり前の知識でも、こっちにはちがう」
「もちろん、説明するとも」
 肩をすくめつつ、パプキンは少し考える様に頭を振る。
「具体的には、傭兵だと思ってもらえばどうかな? ある程度、仕事の内容も想像しやすいんじゃないだろうか」
「傭兵? さっきから気になってたんだが、軍の募集じゃないのか」
「法的には商連正規軍の枠組みに組み込まれる。旧時代の外人部隊が一番近いかもしれないな。ただし、一つ注意してほしい。商連はリクルートされた君たちを最大限好意的に見て武装警備員だとは思っても、軍人だとは絶対に認めない」
「じゃあ、俺たちは一体なんだってんだ? 商連とかいう宇宙人の軍隊に雇われるんだろう?」
「商連にとって、厳密に言えば軍人というのは宇宙艦隊のクルーだ。宇宙艦隊海兵隊のような非艦艇部門がないわけではないんだが、彼らの主戦場は宇宙に限られる」
 重苦しい表情でパプキンが告げてくる内容は、俺にとって慣れた話だった。
 要するに、地球人は、『別枠』扱いだ。いや、こっちが『別枠』というよりも、連中と俺の世界が分けられているということである。……忌々しい区切りは、商連だろうと地球だろうと、相変わらず変わらないということだ。
「要するに、商連は『宇宙』の住人だ。少数の勇者というか、冒険野郎が海兵隊として降下してはいるがね。それ以外では『惑星』に降下するのは、左遷やハラスメントの類だと本気で信じている」
「だから、やりたくない仕事に俺たちを使う?」
「その通り」
 理解できる話だ。忌々しいが、正直な話、『それぐらい』なら納得してもいい。連中はやりたくない仕事を、金を払ってやらせる。
 ……ある意味、フェアだ。
「商連人は地球人に『地上戦』という惑星での任務を主として期待している。普段の職場はステーション駐留だが、いざとなれば惑星降下作戦は必須だろう」
「飛ばされるってことか。俺は、どこの戦場に行くんだ?」
 困ったような表情でパプキンは言葉を継ぎ足す。
「……実際のところ、K321を含めた新品の配属先は列強の情勢に左右されやすい。私としては、分かり次第、通知するように努力するとしか約束できない」
「どこだっていい。給料が払われるんなら、どこへだっていく」
 金は、自由の偉大な一歩だ。俺は、かつてそれを手にしかけていた。こんどこそ、もう、誰にも邪魔はさせない。商連人が払ってくれるというならば、仕事をきちんとこなしてみせる。
「結構だ。ああ、忘れる前にもう一つ。仮に契約した後の話だ。自己都合の退職は原則として禁じられているが、一つだけ例外がある」
「例外? 自殺でもすればいいと?」
 思わず俺は笑い出しそうだった。わざわざ宇宙に出向いて自殺するならば、とっくの昔に収容所で首をつって管理者の責任問題にしてやっていただろう。
 奴らへの嫌がらせには、本当にそれを検討してもいいぐらい心を惹かれるってやつだ。
 もっとも、あんなちっぽけな屑野郎どものキャリア如きと引き換えにするには、俺の中で俺の命は貴重すぎたのだが。
「宇宙ステーションで自殺なんてやめてくれよ? 昔、反商連のテロリストか、神経衰弱か原因は知らないが、ステーションの一区画を巻き込んだ糞の自殺があって以来、みんな神経質なんだ」
 宇宙空間で自爆まがいの自殺がいかに脅威かは知らないが、パプキンの苦々しい表情を見れば想像はつく。馬鹿野郎の巻き添えはごめん被りたい。当然の要望だ。
「契約後、新応募者を新兵にするために火星のキャンプで訓練を受けてもらう。この際、例外的に、自分に合わないと思えば自己都合で契約解除を申し立てできる仕組みだ」
「で? 罰金は?」
「罰金?」
 ぽかんととぼけるパプキンは、俺を何だと思っているのだろうか? 俺は俺が馬鹿じゃないと釘を刺すべく口を開く。
「契約を解除するんだから、裏切りだ。裏切りを放置すると? 最低でも罰があるんだろ?」
「とくには何も」
「商連人は、契約を重んじると読んだんだ。隠さないでくれ、パプキンさん」
 過去の栄光を物語るという我が日本自治政府の歴史教科書を読んで、商連人とはどういう存在か多少は理解しているつもりだ。
 被発見日以来、大崩壊で日本経済がどれほど深刻な被害を被ったかを学校ではさんざん繰り返し教わっている。『私たちは、被害者なのです』と。普段は信じてもいなさそうな薄っぺらい言葉を吐く教師も、その授業時間だけは妙に気持ち悪い熱を込めて語っていた。
 おかげで商連人と商連に対する罵詈雑言を何パターンも学べたほどだ。受験に役に立たないことだけは、熱心に教えてくれたわけだ。ごみ共め。
「俺だって、教科書を丸のみにするほどおめでたい頭じゃない。だが商連人というのは血も涙もない『契約主義者』で、契約に情実の入り込む余地がないという点は確かだろう?」
 被害者ぶった連中が、力を込めて『ひどい目にあわされた』と騒ぐ部分は、いつも決まったパターンだ。由来となった元の話も、きっと、そういうことだろうと想像はつく。
「勉強熱心なのは結構だが、地球の資料は偏りがちだということを忘れないでくれ」
「じゃあ、人間味にあふれているとでも?」
「確かに商連人はがめついが、自殺するかもしれない兵員を宇宙空間に抱え込むリスクは『費用対効果』が悪すぎると判断できる程度には合理的だ」
 渋い表情でパプキンは言葉を続ける。
「契約放棄のプロセスもかっちりと整備されている」
「本当か? 具体的に説明できることなのか?」
「明確に規定されているさ。契約解除後の給料はなし。道中分は返金だ。退職金だって当然でない。だが火星から地球に帰る船便の4等船室チケットは無料で手配される。とにかく、放り出されるにしても、地球へ優しく放り出してくれるわけだ」
 意図的か、単なる吹かしかは分からないが……優しく放り出すという言葉に俺は強い嘘をかぎ取っていた。
 罰金がないというのは、悪いことだ。アホは単純に喜ぶかもしれないが、要するに、それは、ペナルティがなしというわけじゃない。逆だ。
 ……たぶん、地球に放り出すだけで『処罰』になる『何か』があるんだろう。
「つまり、負け犬になれば帰れるというわけか。結構だが、俺は負け犬へ興味がないし、素よりなるつもりもない」
「随分と強気だな、ミスター・アキラ」
「強気? 冗談じゃない」
 生きたいだけだ。
 自分の人生を生きたいにすぎない。
 どうとらえたのかは知らないが、しかし、パプキンはそこで頷くと話題を次のものへと転じてくれる。
「OK、じゃあもう二つほど。一つは待遇の説明だ。もう一つはリスクの説明になる」
「とても大事なことだ」
 パプキンは俺の言葉に力強く応じていた。負け犬以外の道を、俺は、歩む。そのためにも待遇とリスクは、とても大事だ。
「汎星系通商連合航路保守保全委員会指定による惑星原住知性種管轄局選定により業務受託を行う国連・総督府弁務官事務所合同許認可機構によって認証される特殊宇宙保安産業の支払いは商連通貨建てだ。レートにもよるが、基本的にPPP換算で地球上における一生分の生活費も二、三年で稼げるだろう」
 意味がまたしても、よく分からない。パプキンがぶら下げている翻訳機の故障であれば、あたりをつけるのも簡単だった。だが、あれは正常らしい。
 ……単純に、パプキンが紡ぐ言葉の長さに俺の頭が付いていけていないだけだ。なんと俺を苛立たせることだろう!
「つまり?」
「金払いはいいが、そのほかの待遇は劣悪だ。基本的に、劣化した現代版のセポイだと思ってくれ」
 翻訳機ではなく、人間が翻訳する。少し奇妙だが、役所の文法をかみ砕いてもらうとはこういうことだろう。もっとも、俺にはセポイが何なのかよくわからないが……世界史の授業でちょろっと目にした記憶はある。傭兵の隠語か何かだろうか? 歴史の授業で、商連に対する恨みつらみの時間が減っていればもう少し分かっていたのかもしれないが。
 つくづく、無能な教師共め。そして、分からないことを放置するのは座りが悪い。
「パプキンさん、セポイというのは?」
「植民地から雇われた現地人の兵隊のことだ。歴史的な定義に興味があるのであれば、百科事典にでもアクセスしてみるかね?」
「いや、傭兵だとわかればいい」
 別に傭兵の名前に興味はない。肝心なのは、中身だ。
「それで? リスクは?」
「端的に言えば、実にひどい。この仕事最大の難点だと明言させてもらおう」
「はっ、どこだって仕事ってのはろくでもないさ」
「捉え方次第だな。ミスター・アキラ。ハッキリ言っておくとしようか。諸君は、投入され次第、激烈に消耗する」
「消耗?」
 単純な質問のつもりで口にした瞬間、珍しくパプキンの表情に羞恥の色が浮かぶ。あたかもまるで……いや、違う。間違いなどではなく、奴にとって今の一言は不用意な失言だったのだ。
「……すまない、忘れてくれ」
 首を振った奴は顔面に平静さを取り戻したようだが、作り物じみた表情だ。露骨にでるなど、それほど厄介なミスだったのか?
「現実を数字で話そう」
 意図的に話を逸らすべく紡がれる言葉。消耗という単語は、奴にとってそれほど恥ずべきなにかだったということだ。パプキンを理解するうえで、覚えておこうと俺は決意する。
「毎回一度に千人近くを宇宙に打ち上げるが、生きて二年の第一契約を満了できるのは半数にも満たない」
「死亡率が5割超え?」
 衝撃のあまり、思考が固まる。宇宙で殺し合いをやれば、死ぬリスクがあるのはわかっているつもりだった。だが、半分が死ぬ?
「違う」
「は? 単純な計算だ。それぐらい……」
「これは個人的な忠告だが、統計の見せかけに騙されないことを勧めよう」
 重たい表情でパプキンは言葉を続ける。
「生き残ったヤキトリの過半はバージンだ。その大抵は衛星軌道か惑星の駐屯防衛組で、実戦に参加せず任期を満了したために部隊丸ごとが無傷というパターンだ」
 含みを俺は読み解いてみる。
 半分が死ぬ。随分と危険な仕事だ。ただし、生き残った部隊の半分は戦争をしていない。
 ……じゃあ、それは、参加部隊は半分以上死ぬということじゃないか!
「実戦に参加した連中の詳細な死亡率はどうなると?」
「降下作戦での死亡率は平均して7割。惑星降下までは、麗しき商連艦隊のおかげで2割程度と低消耗だが、地表では作戦参加部隊が全滅するか、成功するかの二つに一つだ」
 7割? 7分ではなく、7割?
 冗談じゃない数字だった。
「防衛の場合も同様だ。成功すれば死亡率も低くなるが、失敗した場合は9割9分、実質はだと思ってもらっていい。商連と覇を競う他列強の軍隊は、非列強市民の権利なんぞ微塵も考慮しないぞ」
「参考までに聞きたいのだが、実戦へ参加しない方法は?」
「ないね。運よく実戦を経験しなければ……と大勢が思って志願し、おおよそ半分ぐらいは死んで帰ってくる。ちなみに、死体収容はしないので死亡通知一枚で地球送りだ」
 圧倒されかけた俺は、思わず、マクドナルドの真っ白い天井を仰いでいた。覚悟はしていたつもりだが、想像を遥かに超える仕事らしい。
 わずかに沈黙が広がったのち、パプキンは警告の続きを口に出す。
「もう一つ補足しておくと『生きて戻ってきた』ヤキトリも無傷ではありえないな。半数は傷病退役に近い。五体満足で退役するのは、宝くじを当てるようなもんだ」
「パプキンさん、あんたがさっきから口にしているヤキトリってのは?」
「ああ、まぁそのうちわかることだろうが……リクルートされた兵隊モドキこと軌道降下する歩兵の俗称さ。もっとも商連人は、地球人を『ヤキトリ』だと公文書に記載しているがね」
 思わず、俺は反吐を吐きそうになる。
 ヤキトリ? ヤキトリとは、あの焼き鳥のことか? 標準栄養食の前で、見せびらかして食っていた……いけ好かない連中の手にしていた料理のことか?
 自分たち以外を差別するというのは、古今東西珍しくないのかもしれないが、商連人の差別主義も大したものじゃないか。
「焼かれて喰われろと?」
「そうか、君は日本人だったな。であれば、単語の響きへ抱く違和感も理解できなくはないが……」
「商連人ってのは、酷いセンスだな」
「彼らの名誉を擁護する義務はないが、身内の不祥事を他人に擦り付けるのはフェアではないので訂正したい。地球人由来だよ、その名称は」
 信じられない思いで俺は首をかしげる。何を考えていれば、自分をチキンの焼かれた存在だと称するのだろうか? 正気か? それとも、何かのジョークか皮肉なのか?
 それにしたって、選び方というものがあるだろうに。
「ばかじゃないのか、そいつら」
「さて、どうかな」
 パプキンはそこで軽く笑う。軽薄な笑みでありながら、しかし、それは、どこか凄みを含んでいた。
「満期後、君から感想を聞くのが楽しみだ。馬鹿げているとその時言えるのであれば、お好みのワインなり酒なりを一本用意するとも」
「……楽しみにしているよ」
 微笑み返しながら、俺は今の言葉を心に刻む。この先に何が待ち受けているのかはわからないが、覚悟だけは決めておくべきだった。
 死にたくなんぞない。俺だって、怖いものは怖いんだ。だが、他に俺に選択肢なんてあるのか? どうせ、ここで断れば日本の社会福祉公団へ送り返される。そうなれば、俺にあるのは死ぬまでぶち込まれる運命だけだ。
 外で生きるか死ぬかを選べるだけ、まだ、まし。
 商連にしっぽを振る方が、糞野郎に保護されるよりも、よっぽど幸いだ。言い換えれば、選ぶんならばマシな悪を選ぶってやつだろう。
 知っておくべきを知っておけば、狼狽える醜態だけは避けられる。
「話を戻そう。リスクの話だが、説明義務があるので明言しておくと……実は君のリスクは少し低くなる」
「そいつは素敵だが、理由は?」
「なんとなれば、実戦参加期間が短縮されるからだ。入隊に合意した場合、君はユニット、ああ、まぁ、分隊の一員として火星でトレーニングを受けてもらう。ここまでは標準的なんだが、K321は通常の訓練期間よりもはるかに長期間のトレーニングを火星で受けることになる予定なんだ」
「それはなんでだ?」
「これは、テストヘッドとしての役割が強い。商連では新品の教育改善に取り組んでおり、新手法の開発・研究が急務だ。このため、私がリクルートする新任はこのプログラムへ参加してもらうことになる」
 そうか、と俺は頷く。
 質問ばかり繰り出し、相手の出方を調べていたが……質問を歓迎すると語ったパプキンの言葉に偽りは見いだせない。
 少なくとも、返答を厭うことはなかった。ならば、話を進めるに限る。
「納得できた。入隊の手続きを済ませたい」
「じゃあ、いよいよ書類仕事だ」
「書類? おいおい、今までのは?」
「単なる法的説明になる。そして今からはこまごまとした書類作業だ」
 これを、とパプキンが差し出してくるのは机に並べられていたタブレットだ。少しだけ触ったことがあるが……実は、俺はこの手のやつが得意じゃない。なにしろ、成人前に収容所送りだ。触る機会自体がろくになかった。
「商連も商売だけは超効率主義だが、自分たちが関わるわけではない分野については酷く雑でね。分厚い書類の山があるのさ」
 タブレットを受け取り、俺はモニターに目を通す。アラビア語、中国語、英語、スペイン語、フランス語といった五大主要言語しかなければ絶望的だ。
 微かな緊張と共にモニターを眺めるが、幸い、杞憂に終わった。この辺は融通が利くのだろう。この手のタブレットは日本語も選択できるらしい。
 慣れないながら、言語を選択し、俺は質問プロトコルとやらを起動する。
 インターフェイスの指示によれば、これから問われる問題にYESかNOで答えればいいらしい。二択というのは、迷わずに済むだろう。
「……あなたは、反モーツァルト主義者ですか? モーツァルト?」
 表示された質問を前に、俺は思わず疑問の声をあげてしまう。YESかNOかの二択はいいが、肝心の質問文の訳が分からない。なんて厄介な。
「モーツァルトってのは、なんだ?」
「正確には、誰か、だね。彼は音楽家だよ。地球生まれの地球人。被発見日のずっと昔に活躍し、割と有名な曲を作っているんだが」
 だとすれば、音楽の質問か。妙な質問というか、珍妙な質問だ。一体、どんな意味を持っているのだろう。
「で? 反モーツァルト主義ってのは?」
「モーツァルトの作曲した曲を聴くと、神経症状がでたり、他人を攻撃したり、スピーカーを殴りたくは?」
 ぎょっとして俺はパプキンに訊ね返す。話を聞く限りまともじゃない。
「ひどい曲なのか?」
「いや、名曲だとは思う。勿論、好き嫌いには個人差はあるだろうがね。別に赤ん坊に聞かせたって問題のない曲だよ」
「NOだ」
 興味もない話に、時間を割くのは馬鹿げている。タブレットのNOを選択し、俺はため息をこぼす。次の質問ぐらいは、まともであってくれるといいのだが。
 軽く願いながら、表示された次のページを読むなり、俺はまたもや失望を味わう。
「反カフェイン主義・カフェインアレルギー・反カフェイン的宗教のいずれかに該当しますか……?」
 意味不明にもほどがあるだろう。
一番大事なことだ。正直に答えてくれ」
「はぁ!? これが?」
 くそ真面目な表情で問いかけてくるパプキンを見る限り、冗談じゃあないのだろう。にしたって、理解できない。胡乱げに睨んでいると、奴は少し説明してくれた。
「入隊後、火星で健康診断をやるが、毎年十数人が食物アレルギーで除隊になる。多少であれば、商連も調整しえるが……カフェインアレルギーは、例外なしだ」
「ああ、まあ、それはわかる」
 花粉症のようなものだろう。宇宙に行って、アレルギーで倒れたとかでは、笑えない。そう思えば、まともな質問なんだろう。
 ……正確には、というべきか。
 俺はNOを選び、今度こそは変な質問でないことを祈り始めていた。
 結果から端的に言えば、ダメだった。モーツァルトもカフェインも、どうでもいいくらいに馬鹿げた質問が続き、俺は早くも疑問の声をあげざるを得なくなっていたからだ。
 四足歩行の動物由来のたんぱく質に対する宗教観とやらにNOと回答した時点で俺は耐えきれずに口を開く。
「20個ほども、馬鹿げた質問に答え続けたがさっぱりだ。で? このくだらない質問票はあとどれくらい続くんだ?」
 キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・その他多神教の戒律から自由に食事できるかという質問と重複している。いや、馬鹿馬鹿しいことにカフェインが宗教的タブーかという質問が別箇にあることを思えば無頓着なのか?
「どうしたんだい」
「パプキンさん、確認だ。俺は、銃を撃ちに行くんだよな?」
「そうだが?」
 当然のように頷くパプキンの分厚い面の皮。実に大したものだ。
「それで、戦争ごっこのイントロダクションがこれか?」
 お役所の仕事はさっぱりだ。これまでに回答した中で一番まともな質問が、カフェインアレルギー? 時間の無駄にもほどがある。
「こんなに不毛な質問票には、いつまで答えればいい?」
「どういうことだね?」
 呑気に頬杖を突くパプキンに対し、俺は憮然と指摘する。
「ほとんどの質問がどうしようもなく無意味だ。真剣な意図があるのか、これ? ふざけているとしかおもえない」
 人を馬鹿にする以外の意図があるならば、聞いてみたいほどだ。これが入隊前の試験か確認か何だか知らんが、目的がさっぱり読めないだけに気持ち悪い。
「これを作成した連中は、何を考えているんだかさっぱりだぞ」
「いい指摘だ、ミスター・アキラ」
 満面の笑みをたたえ、俺があたかも重要な事実を指摘したかのようにパプキンは手を叩いて拍手してやがる。
「馬鹿にしているのか?」
「とんでもない。むしろ、本気で感心している」
「感心だって?」
 その通りだとばかりにパプキンは大仰にほほ笑む。
「大半の面接者がどんな反応を示してきたと思うかね? 是非とも想像してほしいが」
「呆れ果てるに決まっている。あるいは、途中で席を蹴ったりだろう」
「残念! 正解は『さも重要な質問集であるかのように振る舞う』だ。ミスター・アキラの示してくれた健全な懐疑的精神は、実に素晴らしい。本当に、本当に、素晴らしいものだ」
 大絶賛され、逆に俺としては思わず吹き出してしまう。
「ちょっと待った。パプキンさん、あんた、『こいつ』を大真面目に答える面接者ばかりだって?」
「就職活動というのは、過酷なものなのだ」
 重々しく告げるパプキンは、何を考えているのかさっぱりうかがい知れない。
「私が見た中では、これを、態度テストの一種だとみなし、くそ真面目さをどれだけ保てるかと頑張る志願者が過半だったがね」
「そいつらは、考える振りをしただけだろう。意味がないものに、意味があると思い込んだんだ。普段から頭を使っていないゾンビだから、そうなる」
「なぜ、そう思うんだい? 無意味試験で反応をみるのはありえるのじゃないか?」
「無意味試験とやらをやるならば、もっと、馬鹿馬鹿しい問題集がいくらでも用意できるはずだろう?」
 おいおい、とパプキンは肩をすくめて見せる。
「こいつも、十分に馬鹿げた質問用紙だ。なにより、君自身が馬鹿げていると指摘したばかりじゃないか」
「役所ってやつの馬鹿馬鹿しい形式主義ってやつは、わざわざモーツァルトだの、反アルコール同盟だのを持ち出すのか?」
 日本自治政府の役所だけが、ずば抜けて間抜けでもない限り、無意味な書類とやらを量産する人間に役所が事欠くのか? そんなユートピアは、傲慢極まりない政治家だって口にしない。ありえなさすぎる。
「なるほど、大正解だよ、ミスター・アキラ。だからこそ、私は感心したんだ。王様は裸だと叫べる人間は少ない。まして、君らのような境遇の人間であれば驚異的ですらある。我々のリクルートに応じる人間なんて、どだい、『後がない』人間ばかりだからね」
「前言撤回だ、パプキンさん。俺は間違っていたらしい。馬鹿だといったが、そいつらは、まだましだ」
 俺は、間違いを認める。忸怩たる失敗だ。周りが屑だらけだからといって、一律まとめて屑と呼べば、俺だって屑にカテゴライズされてしまう。
「抜け出そうとする意欲がある馬鹿と訂正しよう。そいつらは、屑かもしれないがマシな部類にいれる必要がある」
「なんだって?」
「ようするに、戻りたくない人間が志願するってことだろう? だとすれば、残る連中よりは、人間としてよほど上等じゃないか」
 足を引っ張るよりも、前に進もうとする人間はマシだ。
「ハラショー。それでこそ、期待した価値がある」
「期待? ミスター・パプキンよぉ、あんた、本気で言っているのか?」
「胡散臭いと? 疑われるのに慣れていない訳じゃないが、傷つかない機械人形というわけでもないんだ。勘弁してもらえるかね」
 とても傷つくとは思えない声色で、パプキンは続ける。
「説明したはずだがね。新しい訓練方法を開発したいんだ。そのために、自分で考えられる人材が欲しかったんだ。君のように反骨心・批判精神に富む候補者を今日日の地球でリクルートできるのは本当に運がいい」
 ああ、なるほど。そんな感想と共に、俺は皮肉な笑いがこみあげてくることに気が付く。
 何の目論見もなく、わざわざ社会福祉公団の収容所まで足を運んだ訳じゃないってことか。
 こいつ、最初からそのつもりだったわけだ。
「あんた、だから、収容所に来たんだな」
「その通り。思わぬ掘り出し物を見つけたと喜んだものさ」
 それは、つまり、最初から、俺のような類を引っ張るつもりだったということだ。色々と説明を丁寧にやったのも、結局は、俺を軍、ああ、いや、傭兵へ納得ずくで放り込むため。
「周到かつご苦労なことだ。正直、何故、そこまで細かくやるのか疑いたい」
「貴重なテストなんだ。関わる人員にも、入隊前の意思確認を徹底したいのさ。そろそろ、本題というか最後の結論にいこう。要するに、契約するかの最終確認をさせてもらってもいいだろうか」
「最初からイエス以外選択肢が俺にはないだろう?」
「ミスター・アキラ。言わんとするところは理解できなくもないが、社会には形式というものがあるんだよ」
 そういうなり、徐にパプキンは口調を改める。
「伊保津明氏に対し、公的認証資格D4182572号に基づく意思確認を行います」
 翻訳機が紡ぐ機械音声に、色はない。無味無色な機械音声だ。それでも、スピーカーからこぼれてくる言葉は呪文に近い。聞きなれれば、しかし、案外と大したことを言っていないのが分かってくる。随分と大仰なことじゃないか。
「あなたは汎星系通商連合航路保守保全委員会指定による惑星原住知性種管轄局選定により業務受託を行う国連・総督府弁務官事務所合同許認可機構によって認証される特殊宇宙保安産業への従事に際し、十分かつ適切な説明を受けたうえで、なおも自発的意思により志願されますか?」
 こけおどしじみた言葉に、俺は頷く。
 当たり前の話だった。俺は、俺の意思だけで動く。
 だから、その先には本当に何があるのか……俺はあまりわかっていないまま覚悟だけを決めて首肯していた。
「イエス」
「大変結構。これにて、契約は終了だ」
 満足げなパプキンの言葉には、一仕事を終えたという安堵が微かに混じっていた。結構なことだが、それはパプキンの都合だ。たぶん、俺の仕事はここからだろう。だから聞けと言われたとおりに俺は尋ねていた。『今日、契約したとして入隊日まではどうすればいいのか』、と。
 質問に対し、パプキンは肩をすくめるとこちらに一綴りのパンフレットを寄越す。曰く、『ガイダンス』。簡明なことだ。
「入隊までは、自由時間だ。ロンドン宇宙港から船が出る都合上、ここで待機してもらう。ああ、希望するならばだが、君はロンドン近郊のリクルート施設に任意で入ることもできるだろう。そこで、君の分隊仲間と顔を合わせることになる」
「滞在費用がないんだ。選択肢がないのは、知っているだろう?」
「選択を提示する義務がある。これも形式というやつでね。それに悪い話じゃない」
 なぜだ、と俺が問うまでもなかった。聞かれるのが分かっているからだろう。パプキンはきちんと理由を説明し始める。
「同僚と顔合わせするのは早い方がいい。なにしろ君たちは運が良ければ、二年間を一緒に過ごす仲間になるだろうからね。私としても、しっかりとお互いを知って仲を深めておくことを強く勧めよう」
 一見すると、正しい助言だが……何か気に入らない話だった。
 俺はそこで漸く問題の所在に気が付く。何か気に入らないと思えば単語だった。『仲間』という戯言は、癪に障ってしまうのだ。
 一緒に働く同僚がいるのは仕方がない。俺だって、軍隊に行く以上は気に入らない屑どもと肩を並べる日が来るのは覚悟している。納得すらできるだろう。
 だが、仲間とは呼びたくない。お友達ごっこをしに行くんじゃないのだ。俺がやるのは仕事であって、仲良しごっこじゃありえない。履き違えられちゃ、困る。
「私からは以上だ。なにか、他にあるかな?」
「とくには。しいて言えば、他に何かしておくべきことは?」
 大して有益な助言が得られるとも期待していなかったが、返答は予期せぬものだった。
「出発前にかね? 好きにすればいい。ただ、火星までの道中は引率者の指示に200%従うことを強く推奨するがね」
「200%?」
「それぐらい真剣に、ということだ」
 真剣な表情でパプキンはちらっと俺をのぞき込む。まるで、俺が助言を軽んじるんじゃないかと疑っているのだろうか? だとすれば、パプキンの観察力も大したものだと認めるしかない。
「毎年、引率者の指示を軽んじたアホが火星で悔やむ羽目になるのさ。先人の助言というのは、きちんと聞いておくべきだろう。挨拶と敬語も忘れないように」
「嫌味もお説教も勘弁してくれ」
「いやいや、善意からの忠告さ」
 目と裏腹にどこまでも軽薄さを感じさせる口調。善意、忠告、要するに戯言。胡散臭さを極めているとは、こいつのことだ。目と口先であれば、目ほど物を語るものもないだろうから本心がいずこかも明白だろう。
「いうべきは言った以上、これ以上は踏み込まないが、覚えておいてもらえると幸いだ」
「覚えておきましょうともさ。ああ、そうだ、ごちそうさま」
「いやいや、お互いに満足できるようで何よりだ。では、また火星で」
 その言葉と共に、パプキンは立ち上がり手を差し出してくる。差し出された手を俺は握り返していた。
 こうして、俺は、一歩を踏み出したのだ。
 ……踏み出したというよりは、選ばざるをえなかったというべきかもしれない。なにしろ、自由を手にできる宇宙勤務か、素晴らしく慈悲深い日本自治政府の代用監獄かだ。
 日本国自治政府に精神異常者呼ばわりされた俺が、宇宙を選ぶ羽目になったのが俺の本意かどうかは永遠の謎だろう。
 選べるならば、宇宙で戦争なんてやりたくない。
 でも、俺は選ぶしかなかった。
 だから、選んだ。
 果たしてこいつを、自由意思って呼ぶのかは偉い学者の先生だけが知っているに違いない。なんにせよ、俺は未来ってやつを掴むために、負け犬共の掃き溜めから抜け出すべく立ち上がった。
 なんだっていい。俺を、俺の未来を、邪魔するな。邪魔する奴は、全部、死んでしまえ。


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