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【早くも重版!】あなたの頭の中の細胞がこの言葉を読んでいる。それがどれだけすごいことか、考えてほしいーージェフ・ホーキンス『脳は世界をどう見ているのか』試し読み

4/20の発売直後から大きな反響を呼び、早くも重版が決定したジェフ・ホーキンス『脳は世界をどう見ているのかーー知能の謎を解く「1000の脳」理論』(大田直子訳)。第1部「脳についての新しい理解」の冒頭部分を公開します。

あなたの頭の中の細胞がこの言葉を読んでいる。それがどれだけすごいことか、考えてほしい。細胞は単純だ。一個の細胞は読むことや考えることはもちろん、たいしたことはできない。それなのに、脳をつくるのに十分な細胞をまとめると、本を読み、さらには書く。建物を設計し、テクノロジーを発明し、宇宙の謎を解明する。単純な細胞でつくられた脳がどうやって知能を生み出すのか。これは非常に興味深い疑問であり、いまだに解明されていない。

脳の仕組みを理解することは、人類にとって大きなチャレンジのひとつと考えられている。そのために、欧州のヒューマン・ブレイン・プロジェクトや国際ブレイン・イニシアチブのような、国家的・国際的な取り組みが数多く生まれている。世界中のほぼあらゆる国々で、何万人もの神経科学者が、脳を理解しようとさまざまな専門分野で研究している。神経科学者は多様な動物の脳を研究し、いろいろな疑問に答えているが、神経科学の最終的な目標は、人間の脳がどうやって人間の知能を生み出しているかを知ることである。

人間の脳はいまだに解明されていないという話に、あなたは驚くかもしれない。毎年、脳に関する新たな発見が発表され、新しい脳の本が出版され、人工知能(AI)のような関連する分野の研究者は、たとえばマウスやネコの知能に近いものをつくり出していると主張する。このこと から、科学者は脳の仕組みについてかなりよくわかっていると思われがちだ。しかし神経科学者 に尋ねたら、ほぼ全員が、まだ何もわかっていないと認めるだろう。脳について膨大な量の知識と事実がわかっているが、全体の仕組みはほとんど理解できていない。

一九七九年、DNA研究で知られるフランシス・クリックが、脳科学の状況に関する小論「脳について考える」を書いている。彼は科学者が集めた脳についての大量の事実を説明し、それでもこう断じた。「詳細な知識は着実に蓄積されているが、人間の脳の仕組みはいまだにまったく の謎である」。彼はさらに「とくに足りないのは、こうした結果を解釈するための考え方の大ま かな枠組みである」と述べている。

クリックが言うには、科学者は何十年もの間に脳に関するデータを集めてきた。科学者はたくさんの事実を知っている。しかしそうした事実をまとめて、何か意味のあるものを組み立てる方 法を考え出した人はいない。脳はピースが何千個もある巨大なジグソーパズルのようなもので、 パズルのピースは目の前にあるのに、私たちはそれを理解できない。答えがどんなふうになるはずか、誰にもわからない。クリックによると、脳が謎である原因は十分なデータが集まっていないことではなく、すでに手元にあるピースの並べ方がわからないことにある。クリックがこの小 論を書いてから四〇年間に、脳について多くの重要な発見があり、そのうちのいくつかについて 私はあとで話すつもりだが、結局、彼の意見はいまだにそのとおりである。頭の中の細胞からどうやって知能が生まれるのかは、いまだに深遠な謎なのだ。毎年、パズルのピースがさらに集められると、脳に対する理解に近づくのではなく、逆に遠ざかっているように感じられることもある。

私は若いときにクリックの小論を読んで刺激を受けた。私が生きている間に脳の謎が解かれる可能性もあると感じ、それ以来、その目標を追いかけている。この一五年間、私はシリコンバレーで、新皮質と呼ばれる脳の部位を研究するチームを率いてきた。新皮質は人間の脳の約七割を占めており、視覚、触覚、聴覚から、あらゆる形式の言語、そして数学や哲学のような抽象的思考まで、知能と結びつくものすべてをつかさどっている。われわれの研究の目標は、脳の生物学を説明し、同じ原理で働く知的機械をつくることができるくらい、新皮質の仕組みを詳しく理解することである。

二〇一六年初め、われわれの研究は劇的に進歩した。理解が大躍進をとげたのだ。われわれもほかの科学者も、重要な材料を見逃していたことに気づいた。この新しい洞察によって、パズルのピースがどう組み合わさるかがわかった。言い換えれば、クリックが書いていた枠組み、新皮質の仕組みの基本を説明するだけでなく、知能についての新しい考え方をも生み出す枠組みが発見されたのだと、私は考えている。まだ完璧な脳理論はない──それにはほど遠い。科学の各分野は一般に、理論的枠組みから始めて、あとになってようやく細部が解明される。おそらく最も有名な例は、ダーウィンの進化論だろう。ダーウィンは種の起源に関する大胆な新しい考え方を提案したが、遺伝子とDNAの仕組みのような細部は、ずっとあとになってようやくわかった。

知能をもつには、脳は世界について非常に多くのことを学ばなくてはならない。私が言っているのは、たんに学校で学ぶことではなく、日常的なものがどう見えるか、どう聞こえるか、どう感じられるかのような、基本的なことである。ドアがどうやって開閉するのかから、スマートフォンの画面をタッチするとアプリは何をするのかまで、物体のふるまい方を学ばなくてはならない。個人の持ち物を家のどこにしまうかから、図書館や郵便局が町のどこにあるかまで、あらゆるものが世界のどこに位置するかを学ぶ必要がある。そしてもちろん、「同情」や「政府」の意味のような、高度な概念も学ぶ。何より、私たちはそれぞれ、何千何万という言葉の意味を学ぶ。

私たちはみな、世界について膨大な量の知識をもっている。食物の摂取方法や痛みの避け方のように、遺伝子で決まっている基本スキルもある。しかし私たちが世界について知っていることのほとんどは、学ばれたものだ。

脳は世界のモデルを学ぶ、と科学者は言う。「モデル」という言葉は、私たちが知っていることは事実の山としてただ蓄積されるのではなく、世界とそこに含まれるすべての構造を反映するように体系化されることを意味する。たとえば、自転車が何かを知るために、私たちは自転車についての事実のリストを覚えるわけではない。そうではなく、私たちの脳はさまざまな部品、その部品が互いに対してどう配置されるか、さまざまな部品がどう動いて連動するかなど、自転車のモデルをつくり出す。何かを認識するために、私たちはまず、それがどう見えるか、どう感じられるかを学ぶ必要があり、目標を達成するためには、私たちが世界の事物と相互作用するとき、そうした事物が一般にどうふるまうかを学ぶ必要がある。知能は脳がつくる世界のモデルと密接につながっている。したがって、脳がどうやって知能をつくるのかを理解するには、単純な細胞からなる脳が、どうやって世界とそこにある万物のモデルを学ぶかを解明しなくてはならない。

われわれの二〇一六年の発見で、脳がどうやってこのモデルを学ぶかの説明がつく。新皮質は人が知るすべてのこと、すべての知識を蓄積するのに、座標系(reference frame)と呼ばれるものを使う、とわれわれは推定した。このことはあとでもっと詳しく説明するが、さしあたって、たとえとして紙の地図を考えてほしい。地図はモデルの一種だ。町の地図は町のモデルであり、緯線や経線のような格子(グリッド)線は一種の座標系である。地図の座標系である格子線は、地図の構成を 支えている。座標系はあなたに事物の相対的な位置を教え、ある場所から別の場所への行き方の ような、目標達成方法を教えることができる。脳の世界モデルは地図のような座標系を使って構 築されていることに、われわれは気づいた。ひとつではなく、一〇万を超える座標系だ。それど ころかわれわれの現在の理解では、新皮質内の細胞のほとんどは、座標系をつくり、操作するこ とに専念しており、脳はその座標系を使って計画を立てたり考えたりしている。

この新しい洞察によって、神経科学者の最大の疑問に対する答えが見え始めた。さまざまな感 覚入力が、どうやってひとつの経験に統合されるのか? 私たちが考えるとき、何が起こってい るのか? ふたりの人間はどうして同じ観察結果から異なる意見に到達しうるのか? そしてな ぜ私たちには自己意識があるのか?

本書はこうした発見と、それらが人びとの未来にもつ意味について語る。資料のほとんどは科 学誌で発表されており、論文へのリンクを巻末に示した。しかし科学論文は大規模な理論の説明 にはあまり適していないし、専門家でない人が理解できるような説明にはなおさら向かない。

本書は三部に分かれている。第1部では、座標系の理論、われわれが「一〇〇〇の脳理論 (Thousand Brains Theory)」と呼ぶものを説明する。この理論は論理的推論にもとづいている 部分もあるので、われわれが結論に達するまでの足どりを案内する。さらに、この理論が脳についての思想の歴史にどう関連しているかがわかるように、歴史的背景も少し紹介する。第1部を読み終えるまでに、あなたが世界の中で考え、行動するとき、あなたの頭の中で何が起こっているか、そして知能をもつとはどういう意味なのか、理解してもらえると思う。

第2部のテーマは機械知能である。二〇世紀がコンピューターによって変革されたのと同じように、二一世紀は知的機械によって変革される。一〇〇〇の脳理論は、なぜ現在のAIはまだ知的ではなく、真に知的な機械をつくるために何をする必要があるのかを説明する。将来の知的機械はどんなもので、人びとはそれをどう使うことになるのか、詳しく語る。なぜ一部の機械は意識をもつようになるのか、それについて私たちがやるべきことがあるなら、それは何かを説明する。最後に、知的機械は人類存亡のリスクであり、私たちは人類を破滅させるテクノロジーをつくろうとしているのだと心配する人はたくさんいる。私はそうは思わない。われわれの発見は、機械知能そのものは無害である理由を明らかにしている。しかしテクノロジーには力があるので、リスクは人間がそれをどう使うかにかかっているのだ。

第3部では、脳と知能の観点から人間のありようを見ていく。脳がつくる世界のモデルには、私たちの自己のモデルも含まれる。このことから、あなたと私が一瞬一瞬に知覚するものは世界のシミュレーションであって現実の世界ではないという、奇妙な真実につながっていく。一〇〇〇の脳理論の結論のひとつは、世界について私たちが思っていることは誤っているかもしれない、ということである。どうしてそうなるのか、なぜ誤った思い込みは排除しにくいのか、そして原始的な感情と合わさった誤った思い込みは、どういうふうに私たちの長期生存にとって脅威なのかを説明する。

最終章では、人間が種として直面する最も重要な選択と考えられることについて議論する。私たち自身についての考え方は二通りある。ひとつは、生物学的有機体として、進化と自然選択の産物として考えること。この視点から見ると、人間は遺伝子によって定義され、生命の目的は遺伝子を複製することだ。しかしいま人間は、純粋に生物学的な過去から脱しつつある。高い知能をもつ種になった。地球上で初めて宇宙の大きさと年齢を知った種である。初めて地球がどういうふうに進化し、自分たちがどうやって生まれたかを知った種である。宇宙を探検し、その秘密を学ぶための道具を初めて開発した種である。この視点から見ると、人間は遺伝子ではなく知能と知識によって定義される。未来について考えるときに直面する選択はこうだ。人は生物学的過去によって動かされ続けるべきなのか、それとも新たに出現した知能を活用することを選ぶべきなのか。

どちらかを選ばなくてはならない。私たちは地球を根本的に変え、生物学を操作し、そしてまもなく自分たちより賢い機械をつくることができる、強力なテクノロジーを生み出しつつある。

しかしいまだに、いまの私たちをつくり出した原始的行動も起こす。この組み合わせこそが、取り組まなくてはならない真の人類存亡にかかわるリスクである。もし人間を定義するものとして遺伝子ではなく知能と知識を活用する覚悟があるのなら、私たちはより長く続き、より崇高な目的のある未来を創出できるだろう。

一〇〇〇の脳理論につながる旅は、長く曲がりくねっていた。私は大学で電気工学を勉強し、フランシス・クリックの小論を読んだときは、インテルに就職したばかりだった。あの小論に深く影響されたおかげで、仕事を変え、人生を脳の研究にささげることに決めた。インテルで脳の

研究をする職に就く試みに失敗したあと、私はMIT(マサチューセッツ工科大学)のAI研究所の大学院生を志願した(知的機械をつくる最善の方法は、まず脳を研究することだと感じてい た)。ところがMITの教授陣との面接で、脳の理論にもとづいて知的機械をつくるという私の 提案は却下された。脳はたんなる面倒なコンピューターであり、それを研究しても意味がないと 言われたのだ。意気消沈したもののひるまなかった私は、次に、カリフォルニア大学バークレー 校の神経科学博士号プログラムに登録した。そして一九八六年一月、研究を始めた。

バークレーに到着してすぐに、神経生物学の院生グループ担当教授のフランク・ウェルブリン 博士にアドバイスを求めた。すると、博士論文のために私がやりたい研究を説明する論文を書くように言われた。そこでその論文で、新皮質の理論について研究したいと説明した。新皮質がど うやって予測するかを調べることによって、問題にアプローチしたいとわかっていたのだ。ウェ ルブリン博士が数人の教授に私の論文を読ませたところ、その評判はよかった。博士によると、 私の熱意は称賛に値し、私のアプローチは確実で、私が研究したがっている問題は科学の中でと くに重要だ。しかし──続きがあるとは思わなかった──どうすればいま私がその夢を追いかけ られるのかわからない、と言い足した。神経科学の大学院生として、私は教授のための研究をし なくてはならない。教授がすでに取り組んでいることと似たような研究をするのだ。そしてバー クレーには、というかウェルブリン教授が知るかぎりほかのどこにも、私がやりたいことに近い ことをやっている人はいなかった。

脳機能の総合的理論を構築しようとする試みは、あまりに野心的であり、ひいてはあまりにリ スクが高いとされた。学生がそれに五年間取り組んでも、進展がなかったら卒業できないだろう。教授にとっても同様にリスクが高い。終身在職権が手に入らないのだ。研究に資金を分配する政府機関も、リスクが高すぎると考えた。理論に重点を置く研究の提案は、いつも決まって却下される。

実験研究所で働くこともできたが、いくつか面接を受けて、自分にはあまり向いていないとわかった。動物を訓練し、実験装置を構築し、データを集めることに、ほとんどの時間を費やすことになる。展開する理論はどれも、その研究所で研究される脳の部位に限定される。

それから二年間、私は毎日、大学の図書館で片っ端から神経科学の論文を読んだ。それまでの五〇年間に発表されたとくに重要な論文すべてを含めて、読んだ論文は数百に上る。さらに、心理学者、言語学者、数学者、哲学者が脳と知能について考えたものも読んだ。型破りではあったが、一流の教育を受けたのだ。二年間の独学のあと、変化が必要だった。そしてある計画を思いついた。四年間また産業界で働き、そのあと学界でのチャンスを見直すのだ。そこで、シリコンバレーでパーソナルコンピューターの仕事にもどった。

私は起業家として成功するようになった。一九八八年から九二年にかけて、ほぼ業界初のタブレットコンピューター、グリッドパッドを開発した。そして一九九二年、パーム・コンピューティング社を設立し、パームパイロットやトレオのような、当時最先端の携帯型コンピューターとスマートフォンを設計する一〇年が始まった。パームで私と一緒に働く人たちはみな、私の心が神経科学にあり、モバイルコンピューティングは当座の仕事と考えていることを知っていた。最先端の携帯型コンピューターやスマートフォンを設計するのはわくわくする仕事だ。何十億という人びとが、最終的にこうした装置に頼ることになるとわかっていたが、それでも脳を理解することのほうが重要だと感じていた。脳理論はコンピューターよりも大きなプラスの影響を、人類の未来に与えると信じていたのだ。だから私は脳研究にもどる必要があった。

退職に都合のいいタイミングなどなかったので、私はある日を選び、設立を手伝った企業を去った。数人の神経科学者の友人(とくにUCバークレーのボブ・ナイト、UCデイヴィスのブルーノ・オルスハウゼン、NASAエイムズ研究センターのスティーヴ・ゾルネッツァー)の助けと催促を受けて、二〇〇二年、レッドウッド神経科学研究所(RNI)を設立した。RNIは新皮質理論を専門とし、一〇人の専任科学者を抱えた。私たちはみな、脳の大理論に関心があり、RNIはこの着目が許されるばかりか期待される、世界でもごくわずかな場所のひとつだった。

私がRNIを運営した三年のあいだ、一〇〇人を超える学者の訪問を受け、なかには何日も何週間も滞在する人もいた。毎週、一般公開の講演を行ない、それがたいてい何時間にもわたる議論と論争に発展した。

私を含めてRNIで働く人はみな、それがすばらしいと考えていた。私は多くの世界トップクラスの神経科学者と知り合い、ともに時間を過ごすようになった。そのおかげで、神経科学の複合的な分野に精通することができたが、そんなことは典型的な大学の研究職では難しい。問題は、私は一連の具体的な疑問に対する答えを知りたいのに、チームはその問題に関して意見が一致する方向に動いてはいないとわかったことだ。個々の科学者は自分のことをするのに満足していた。

そのため私は、研究所を三年間運営したあと、自分の目標を達成する最善の道は、自分自身の研究チームを率いることだと決断した。

RNIはほかの面では万事順調だったので、UCバークレーに移すことに決めた。そう、私が脳理論を研究する場はないと告げたのと同じ組織が、一九年後、脳理論センターはまさに必要なものだと判断したのだ。RNIはいまも、レッドウッド理論神経科学センターとして続いている。

RNIがUCバークレーに移ると、私は数人の同僚とともにヌメンタを始めた。ヌメンタは独立系の研究会社である。第一の目的は、新皮質の仕組みの理論を構築すること。第二の目的は、脳についてわかったことを、機械学習と機械知能に応用すること。ヌメンタは大学の典型的な研究室と似ているが、もっと柔軟である。私はチームを監督し、全員が同じ課題に集中するようにし、必要であれば何度でも新しい発想を試すことができる。

この原稿を書いているいま、ヌメンタは創立一五周年を過ぎたが、いまだにある意味でスタートアップのようだ。新皮質の仕組みを解明しようとすることは、きわめて困難だがやりがいがある。進歩するためには、スタートアップ特有の環境の柔軟性と集中が必要だ。多大な忍耐も必要であり、それはスタートアップの特徴ではない。われわれが最初の重要な発見──どうやってニューロンは予測するのか──をしたのは二〇一〇年、始めてから五年後だった。新皮質に地図のような座標系があるという発見は、六年後の二〇一六年である。

二〇一九年、われわれは二番目のミッションに取り組み始めた。脳の原理を機械学習に応用することだ。その年は、われわれが学んだことを共有するために、私がこの本を書き始めた年でもある。

宇宙が存在することを知る宇宙内で唯一のものが、私たちの頭の中を漂う一四〇〇グラムの細胞の塊であるとは驚きだ。古いなぞなぞが思い出される。森の中で木が倒れたとして、それを 聞いている人が誰もいない場合、木は音を立てたのか? 同様に、私たちはこう問うことができる。もし宇宙が誕生して消滅し、それを知る脳がなかったら、宇宙は実際に存在したのだろう か? 誰にわかるのだろう? あなたの頭蓋内を漂っている数十億個の細胞は、宇宙が存在する ことだけでなく、それが広大で古いことも知っている。その細胞は世界のモデルを学んでいる。 私たちが知るかぎり、ほかのどこにもない知識だ。脳がどうやってこれをするのかを理解しよう と、私は生涯努力してきて、学んだことにわくわくしている。あなたにもわくわくしてほしい。 さあ、始めよう。


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