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19歳、NYに向かう列車、大都会へのときめきが止まらない!『女たちのニューヨーク』(エリザベス・ギルバート)試し読み

長篇小説『女たちのニューヨーク』(原題City of Girls)を5月18日に早川書房から刊行します。著者は、『食べて、祈って、恋をして』で、全世界の女性たちを勇気づけたエリザベス・ギルバート。今作では、1940年代のニューヨークを舞台に、慣習をうちやぶって、自分の力で道を切り開いていく女性たちを描き出します。

主人公は、19歳のヴィヴィアン。名門大学を追い出され、ひとり、ニューヨークへ向かうところです。憧れの街への思いをヴィヴィッドに描き出す冒頭を公開します。

女たちのニューヨーク

『女たちのニューヨーク』
エリザベス・ギルバート/那波かおり 訳
早川書房より5月18日に発売

***

愚かなことをするなら、尽きせぬ熱情をもってせよ ──コレット


ニューヨーク市 2010年4月

数日前、彼の娘から一通の手紙が届いた。

アンジェラ……それが彼女の名前。

長い歳月のあいだ、わたしはなにかにつけてアンジェラのことを考えた。でも、今回を含めて、まだ三度しか実際にやりとりしたことがない。

最初は、わたしが彼女のウェディングドレスを仕立てた、1971年。

二度目は、彼女のほうから父親の死を知らせてきたとき。1977年だった。

そして今回の手紙は、母親が亡くなったという知らせだった。彼女は、この訃報にわたしがどう反応すると思っていたのだろう。ショックを受けると思ったかもしれない。だとしても、そこに悪意はないはずだ。アンジェラは、そういう人じゃない。彼女は善良なる人。そしていっぷう変わった人。

むしろわたしは、彼女の母親がこんなにも長く生きたことに驚いた。もうとっくに逝ったと思っていた。人の寿命はわからない。(けれど、船底のフジツボのごとく現世にしがみついているわたしが、他人の長寿に驚く理由はない。おのれの命と財産をかかえこみ、ニューヨークの街をよろよろと歩く老女は、わたしのほかにもごまんといるだろう。)

けれども、なによりわたしの胸を衝いたのは、最後にしるされた問いかけだった。

アンジェラはこう書いていた。「ヴィヴィアン。母が亡くなったいまなら、あなたは心おきなくわたしに語れるのではないでしょうか。あなたが、わたしの父にとって、どういう人だったのかということを」

なんと、まあ、なんと ……。

彼女の父親にとって、わたしがどういう人だったのか? その問いに答えられるのは彼しかいなかった。そして彼が娘にそれを語ることなく死んでいったのなら、わたしにそれを語る資格はない。

わたしからアンジェラに語れることがあるとしたら、それは、わたしにとって彼がどういう人だったのか、ということだけ。


1940年の夏、わたしの両親は、19歳の不出来な娘を、ニューヨークシティで劇場を営むペグ叔母さんのもとに送り出した。

その少し前に、わたしはヴァッサー女子大を放校になった。一年生のあいだ授業に出席しなかったせいで全科目の試験に落第点をとった──というのが放校の理由だった。その成績ほどにはばかじゃなかったつもりだが、勉強しないことが言い訳になるはずもない。授業に出なかった膨大な時間を、わたしはいったいなにに使っていたのだろう? はっきりと憶えているわけではないが、どうせわたしのことだから、自分の見てくれをどうするかで頭がいっぱいだったのだと思う。(その年、〝返し巻き〟の習得に血道をあげていたことは憶えている。自分にとっては避けて通れない一大事だったが、前髪に大きなロールをつくる流行のヘアスタイルが、ヴァッサー女子大にふさわしいものであったはずがない。)

わたしは最後まで、ヴァッサー女子大に自分の居場所を見いだせなかった。いくらでも見いだされるべき場所があったはずなのに……。キャンパスにはさまざまなタイプの女学生がいて、さまざまなグループがあった。でもだれひとり、どのグループひとつ、わたしの興味を.き立てなかった。当時のヴァッサー女子大には、革命を夢見る娘たちもいて、地味な黒ズボンをはき、世界情勢の混迷について語り合っていた。でもわたしは世界情勢の混迷に興味をもてなかった。(いまでもそうだ。ただし、黒ズボンが──あんなにポケットにものを詰めこまなければ──とてもシックな装いだということには当時から気づいていた。)一方、ガリ勉の道を突き進み、医者や弁護士を目指す娘たちもいた。そういう仕事に就く女性がそう多くなかった時代だ。わたしは彼女らに興味をもつべきだったが、そうしなかった。(そもそも、彼女らひとりひとりの見分けがつかなかった。みんながみんな、お古のセーターでこしらえたみたいな、型崩れしたウールのスカートをはいていて、見るだけで気持ちが萎なえた。)

いや、華やかで魅力的なものが皆無だったわけじゃない。愛くるしい目、美しい顔、自慢の長い髪をもつ、イタリアン・グレーハウンドなみに由緒正しき良家のお嬢さまたちがいた。なぜかみんな中世史を好み、芸術愛好家だった。わたしは彼女らにも近づかなかった。キャンパスにいる女学生はだれだろうと、わたしよりも世知に長けていると感じていたせいかもしれない。(若さゆえの思いこみではなく、いまでも、あの人たちは当時のわたしよりずっと賢かったと思っている。)

正直に言って、わたしには大学がなにをするところなのかわかっていなかった。なにを目的にそこに行くのか、だれも教えてくれなかった。それは、目的を説明するまでもない、最初から決まっていることだった。幼いころから、あなたはヴァッサー女子大に行くのだと言われつづけたが、だれもその理由を語らなかった。いったい、なんのために行くの? そこを出たらどうなるの? どうしてわたし、こんなキャベツみたいに小さな寮の部屋に、社会改革を熱烈に夢見る娘といっしょに住んでいるんだろう?

勉強することにはもう飽きていた。ヴァッサー女子大の前の数年間は、ニューヨーク州トロイ市にある女子校、エマ・ウィラード校で過ごした。優秀なる教師陣は全員女性で、しかも名門七女子大学(セヴン・シスターズ)出身者──もう充分じゃない?わたしは12歳のときから寄宿学校で学びつづけ、もうやりきったと感じていた。本が読めると証明するのに、本をあと何冊読まなきゃならないんだろう? カール大帝がどんな人かはもう知っている。だからわたしのことは放っておいて。とまあ、そんな気分でいた。

ヴァッサー大での気の滅入る一年目が始まってすぐ、わたしは大学のあるポキプシーの街に、深夜まで安いビールとジャズの生演奏が楽しめる一軒のバーを見つけた。そして、その店に通いつめるために──鍵の壊れたトイレの窓だとか隠した自転車だとかを使って──寮から脱出する方法を考えついた。当然ながら、わたしは寮監の宿敵になった。翌朝のラテン語の動詞変化はまるで頭にはいらなかった。なぜって二日酔いだったから。

ほかにも、学業に支障をきたす問題があった。

たとえば、煙草の吸い過ぎとか。

要するに、わたしにはやることがありすぎた。

そのせいで、ヴァッサー大のお利口なる一年生女子、362名中361位という成績をおさめた。それを知った父は、恐れおののくように言った──「いやはや、まだ下がいたとは……その子はいったいなにをやっていたんだ?」。(かわいそうに、その子はポリオを患っていたとあとになってわかる。)そんなわけで、ヴァッサー大はわたしを実家に送り帰し、親切にも、もう戻ってこなくていいと言ってくれた。

母はわたしに手をこまねいていた。親密な母子関係をつくるにはまたとないチャンスだったかもしれないが、わたしたち母子がこれをきっかけに歩み寄ることはなかった。母は乗馬にのめりこんでおり、わたしが馬でも馬に夢中な人でもないから、話がつづかなかった。そこへもって、娘の不祥事にひどく恥をかかされ、わたしの顔を見るのさえいやになっているようだった。娘とは対照的に、母はヴァッサー女子大で輝かしい成績をおさめている。(1915年期生、歴史とフランス語専攻。)母の誉ほまれの──そして毎年の惜しみない寄附金の──おかげで、わたしはあの神聖なる学府に入学を許されたのだ。そして、このざま……。実家の廊下ですれちがうとき、母はエリート外交官のようにわたしにうなずいた。丁重に、冷ややかに。

父もまたわたしを扱いかねていたが、ヘマタイト鉱山の経営に忙しく、娘の問題には首を突っこまなかった。娘の失態よりもはるかに大きな心配事があったのだ。父は実業家で、海の向こうの戦争については孤立主義の立場をとっていた。そして、ヨーロッパに拡がる戦火が、彼の事業に暗雲を招いていた。おそらくそれだけで父の頭はいっぱいだったはずだ。

兄のウォルターはといえば、プリンストン大学でりっぱにやっており、妹のことはなにも考えていなかった。ただ、妹の無責任な行動をくさすだけだった。ウォルターは、彼の生涯において、無責任なことはいっさいしなかった。寄宿学校時代は寮仲間の尊敬を一身に集め、ついたあだ名が ──けっしてわたしの捏造ではないと誓っておく ──大使(アンバサダー)。大学進学に際して工学部を選んだのは、世界じゅうの人々を助けるインフラをつくりたいからだった。(ここでもうひとつ、わたしの恥を告白しておくと、わたしには〝インフラ〟という言葉の意味がわかっていなかった。)ウォルターとわたしは2歳しか年齢が離れていない。にもかかわらず、兄とはほとんどいっしょに遊ばなかった。兄は7歳にして、子どもじみたものすべてを捨てた。その子どもじみたもののひとつがわたしだった。自分が兄の人生からはじき出されたことは、よくわかっていた。

そしてわたしの友人たちも、人生の駒を前に進めていた。大学に、仕事に、結婚に ──要するに、わたしには興味もなく理解もできない、おとなの世界に。そんなわけで、わたしをかまったり楽しませたりしてくれる人はまわりにいなかった。毎日が退屈で気怠かった。その退屈さは、すきっ腹の痛みに似ていた。6月前半の2週間、わたしはガレージの壁に向かって、ひたすらテニスの壁打ちをつづけた。〈茶色の小瓶〉を口笛で吹きながら、何度でも、何度でも ……。とうとう、よほどげんなりしたのか、両親はニューヨークシティに住む叔母のもとへ娘を送り出すことを決めた。この件について、いったいだれが両親を責められるだろう?

両親はニューヨークの街が娘を共産主義者か麻薬中毒者に変えてしまうのではないかと危ぶんだはずだ。それでも、テニスボールが壁に打ちつけられる音をえんえんと聞かされるよりはましだった。

アンジェラ ……こうしてわたしは、この街にやってきた。そう、すべてはここから始まった。

両親はわたしを列車でニューヨークシティに送り出した。それはなんと素晴らしい列車だったことか。ユーティカからニューヨークシティまで直行するエンパイアステート急行 ──ぴかぴかのクロームメッキをほどこされた、不良娘配達便。わたしは両親に礼儀正しく別れの挨拶をして、旅荷を赤帽にあずけた。なんだかいっぱしのおとなになったような気がした。列車に乗りこむと、ずっと食堂車に居すわって、麦芽乳を飲み、糖蜜浸けの梨を食べ、紙巻き煙草を吹かし、雑誌のページをめくった。自分が家を追い出されたことはわかっていたが、それでも ……そう、かっこつけていなきゃ!

アンジェラ ……あのころの列車はいまよりずっと上等だった。

でも昔がどんなによかったかをくどくど語るのは、せいいっぱい控えると約束しましょう。わたしも若いころは、老人たちのそんな話を聞いてうんざりした。(どうだっていいじゃない! あなたの黄金時代なんて、だれも知っちゃいないのよ! つまらない話はやめて!)それにはっきり言って、1940年代のほとんどは、いまよりもよくなかった。デオドラント製品もエアコンもろくなものじゃなかったから、暑い季節はだれでもすごく臭った。そのうえ、ヒトラーがいた。でも、列車だけは、疑いようもなく、あのころのほうがよかった。いつから、列車のなかで麦芽乳も煙草も楽しめなくなったのだろう?

その日わたしが着ていたのは、レーヨンのこざっぱりしたワンピースだった。青地にヒバリの柄で、襟ぐりには黄色のレースがついていた。スカート部分はほどよく細くて、腰には大きなポケット。いまもありありと目に浮かぶ。わたしは、人がなにを着ていたか、自分がなにを縫ったかをけっして忘れない。しかも、そのワンピースはとてもよい出来だった。ふくらはぎに当たって揺れる裾が、ちょっとそそる感じで ……。肩パッドを縫いつけているときには、どうか、これを着た自分が女優のジョーン・クロフォードみたいに見えますように、と祈った。でもまあ、そこまでの効果はなかった。釣り鐘形の地味なクローシェ帽をかぶり、母から借りた青い地味なハンドバッグ(中身はほぼ化粧品と煙草)を持ったわたしは、銀幕の妖婦どころではなく、ありのままの ──つまり親戚を訪ねていく19歳の小娘にしか見えなかったはずだ。

19歳の小娘がニューヨークへ向かう旅荷は、大きなスーツケースが2個。ひとつにはきちんとたたまれた服が、もうひとつにはいずれ服になる生地と縁飾り用のレースやテープ、裁縫道具がはいていた。さらにもうひとつ、1個の頑丈な木箱があった。中身はミシンだ。運ぶのにも手こずる、重くて扱いにくい野獣(ビースト)。でもそれなしには生きていけない頭のイカれた美しい魂の双子(ソウル・ツイン)。

そう、わたしたちは、その後も長くいっしょに生きていくことになる。

そのミシンについて、それがわたしの人生にもたらしたすべてについて、わたしはモリスのお祖母さまに感謝しなければならない。だからここでちょっとだけ、彼女のことを話したい。

アンジェラ ……あなたは〝祖母〟という言葉から、どんな人物を想像する?白髪の小柄なかわいらしい老婦人? だとしたら、それはわたしの祖母とはちがう。モリスのお祖母さまは背が高くて、情熱家で、歳を重ねた女ならではの艶のある人だった。白髪を赤褐色に染め、香水の香りとゴシップに包まれて人生を歩んだ。身にまとうものはサーカスのショーのように華やかだった。

世界のだれよりも鮮やかな女。そう、あらゆる意味において彼女は〝鮮やか〟だった。いつもくしゃくしゃのビロードのガウンを着ていたけれど、何色とも言いあらわしがたい色だった。祖母は世間の人のように、ピンクやバーガンディやブルーといった味気ない呼び方はせず、〝薔薇の灰色〟〝山羊革色〟〝デッラ・ロッビア〟と呼んだ。耳にはいつも ──昔は堅気の女の装身具とは見なされなかった ──ピアス。彼女のビロード張りの宝石箱には、首飾り、耳飾り、腕飾りの安物と高価な物がもつれ合ってはいっていた。午後に郊外まで車を飛ばすときには、ドライブ専用の一式を身につけた。祖母の帽子はどれも特別につば広で、劇場ではいつも特別席が用意された。子猫と遊ぶこと、通信販売で化粧品を買うこと、タブロイド紙が書きたてる殺人事件の記事に戦慄することが大好きだった。恋愛詩をしたためていたとも聞いている。だがなにより、祖母は演劇を愛していた。街にやってくるどんな芝居もショーも見逃さなかった。映画も大好きで、わたしをよくお供にしたのは、わたしたちの趣味が完全に一致していたからだ。(祖母とわたしが魅了されるのは、優美なドレスをまとった純真なる娘が、まがまがしい帽子をかぶった悪漢にさらわれ、誇り高き男前に助け出されるという物語だった。)

言うまでもなく、わたしは祖母を愛していた。

でも、ほかの家族はちがった。祖母はわたし以外のすべての人を困らせた。とくに分別の塊のような義理の娘、つまりわたしの母親を。モリスのお祖母さまと会うとき、母の眉間からしわが消えることはなかった。母は陰で祖母のことを「素敵な永遠の青春ちゃん」と揶揄して呼んだ。

当然ながら、母が恋愛詩を書いたという話は聞いたことがない。

でも、わたしに裁縫を教えてくれたのは、そんな祖母だった。

モリスのお祖母さまは、〝針仕事の達人〟だった。(彼女も彼女の祖母から裁縫を教わった。その人はウェールズからアメリカに渡り、たった一代で、お屋敷の召使いから裕福な女資産家になった。針仕事に秀でていることが出世に大いに役立ったそうだ。)そして祖母もまた、わたしに〝針仕事の達人〟になることを求めた。飴菓子を食べながら映画を観たり、恐ろしい人買い事件の三面記事を読んだりしていないとき、わたしたちはなにかを縫っていた。このときばかりはふたりとも大真面目で、祖母はためらうことなく幼いわたしに完璧を求めた。まず自分で10針縫い、つぎの10針をわたしに託す。もしわたしの縫い目が祖母と同じように精緻でなければ、糸をほどいて、もう一度やり直しになった。レースや薄物のような扱いにくい素材もつぎつぎに課題として与えられるため、そのうちどんなに手ごわい生地にもひるまなくなった。そして縫成! 調整! 仕上げ! 12歳になるころには、身につける人の好みどおりに(鯨骨も使って)コルセットを仕立てられるまでになった。もっとも、1910年からこのかた、鯨骨のコルセットを必要とする人など、モリスのお祖母さま以外にはいなかったけれど。

祖母はミシンの扱いにも厳しかったが、わたしは祖母を恐れなかった。ちくりと批判されても、こたえなかった。服に夢中のあまり縫わずにはいられなかったし、祖母がわたしの素質を伸ばしたくて厳しくしているのだと、よくわかっていた。

めずらしく祖母から褒められると、わたしの指はいっそう奮起して、器用さを増した。

13歳のとき、祖母がわたし専用のミシンを買ってくれた。やがてニューヨークシティ行きの列車にわたしと乗りこむことになるあのミシンだ。つややかな光沢を放つ黒い〈シンガー〉社製201型。恐ろしくパワフルだった。(革だって縫えた。もしかしたら、スポーツカーのシートだって縫えたかもしれない。)生涯でこのミシンほど素晴らしい贈り物をもらったことがない。わたしは寄宿学校にもミシンを持ちこんだ。恵まれた育ちの娘ばかりのコミュニティのなかで、ミシンはわたしに特別な力を授けてくれた。だれもが自分に似合う服を着たいのに、そうできる技術をもつとはかぎらなかったのだ。わたしならなんでも縫えるという噂 ──でも、嘘じゃない ──が広まると、エマ・ウィラード校の女生徒がつぎつぎにわたしの部屋のドアをノックした。ウエストを調整して。ほつれを直して。お姉さまからのおさがりのフォーマルドレスを今年風にして。わたしは射撃手のようにミシンに覆いかぶさって、寄宿学校の数年間を過ごした。そのかいあって、みんなの人気者になれた。寄宿学校で重要なのはそれだけ。いいえ、どこにいたとしても。

祖母がわたしに裁縫を教えたのは、おそらく、わたしの体型が人とちがったせいもあるだろう。幼いころから同じ歳の子より背が高く、瘠せていた。思春期が来ても、背が伸びるばかりで、胸はぺったんこ、腰のくびれもない。腕や脚は小枝のよう。店で売っている服のなかに、わたしの体型に合うものはなかった。だから自分で服をつくるしかなかった。モリスのお祖母さまは ──彼女の魂に祝福あれ ──わたしが竹馬に乗った人に見えないように、長身を生かす装い方を教えてくれた。

こんなふうに言うと、自分の容姿を卑下しているように思われてしまうかもしれない。でも、そんなつもりはない。ただ自分の外見をありのままに伝えているだけだ。わたしは背高のっぽ、それだけだ。だから、これから語ろうとするのは、みにくいアヒルの子が都会でほんとうは美しい自分に気づきました、というお話とはちがう。心配しないで、そんな話にはならないから。

アンジェラ ……わたしはいつもきれいだったの。

いいえ、ただきれいなだけじゃないことを、自分でもよくわかっていた。

エンパイアステート急行の食堂車で麦芽乳を飲み、糖蜜浸けの梨を食べているとき、見栄えのよい男が、わたしのほうを見つめてきた。それだって、わたしがきれいな娘だった証拠だと言える。

しばらくすると、彼はわたしに近づき、あなたの煙草に火を付けさせてもらえないかと尋ねた。わたしがうなずくと、彼はテーブルについて、わたしを口説きはじめた。注目されるのはゾクゾクするけれど、どう返せばいいのかわからなかったから、答えるかわりに、考えこむようなそぶりで窓の景色を眺めていた。ドラマチックに、思い悩むように、眉をわずかにひそめて。でもたぶん、近視で難儀しているようにしか見えなかっただろう。

いや、自分で思っている以上に、かっこわるい場面だったかもしれない。でもすぐにわたしは、窓ガラスに映りこむ自分の顔に夢中になった。(くどくて申し訳ないけれど、鏡に映る自分にうっとりするのも、若くてきれいな娘にはありがちなこと。)結局、わたしは自分の眉の形ほどにも、見知らぬハンサムな男に興味をもてなかった。眉をどう整えるかだけでも一大事なのに、たまたまその夏は、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーみたいに片眉だけ吊りあげる練習に余念がなかった。それがどんなに集中力を要することか、わかってもらえるだろうか。自分の顔に見入っているうちに、時間が飛ぶように過ぎていく。

やっと自分の顔から目を逸らしたときには、列車がグランドセントラル駅にはいろうとしていた。新たな人生の始まりだった。男はとっくにいなくなっていた。

でもがっかりしないで、アンジェラ。ハンサムな男たちがわんさかあらわれるのは、まさにここからなのだから。

ああ、そうだ! モリスのお祖母さまがどうなったかを話しておきましょう。彼女は、わたしが列車でニューヨークに向かうことになる1年前に、この世を去った。1939年8月。ヴァッサー大に入学する数週間前だった。体の衰弱は前からだったので、彼女の死に驚きはしなかった。でも、祖母(わたしの親友、わたしの師、わたしの庇護者)の喪失は、わたしの心の芯を打ち砕いた。

アンジェラ ……あなたはもう気づいていた? 祖母の死が、わたしが大学のしょっぱなから荒れたのと関係があるということに。もしかしたら、ほんとうのわたしは、あそこまでひどくなかったかもしれない。たぶん、わたしは ……悲しかっただけ。

こうしてあなたに語るまでは、気づいていなかった。

なんとまあ。

長い歳月がたたないと、理解できないこともあるものね。


ニューヨークには無事に到着したが、わたしはまだ殻をつけたひよこも同然だった。ペグ叔母さんがグランドセントラル駅に迎えにきてくれる ──それだけを、朝、ユーティカ駅で列車に乗るときに両親から聞かされた。でも、詳しいことはわからない。ペグ叔母さんをどこで待てばいいのか。会えなかったら、どこに電話すればいいのか。電話番号もわからなかった。訪ねていこうにも、住所がわからない。ただ、〝グランドセントラル駅でペグ叔母さんと会う〟ことになっていただけ。

そしてまあ、グランドセントラル駅のなんと巨大なこと。まさに名前のとおり。でも人を見つけるには不向きな場所だった。目的地には到着したけれど、このままペグ叔母さんが見つからない可能性もある。わたしは、プラットフォームに積みあげた旅荷のかたわらで、長いあいだ、人であふれ返る駅を見つめていた。でも、ペグ叔母さんに似た人はいなかった。

ペグの顔を知らないわけではなく、以前にも数回会っていた。ただし、父と叔母は親しくなかった。(これは控えめな言い方かもしれない。父は、妹のペグと、彼の母親以上に反りが合わなかった。夕食の席でペグのことが話題になると、父はフンと鼻を鳴らして言ったものだ。「そりゃ素敵だろうて。世界をほっつき歩いて、お伽の国に暮らして、湯水のごとく金を使うんだからな!」。わたしはそのたびに思った ──ああ、なんて素敵な暮らし ……。)
わたしが幼いころは、家族で過ごすクリスマスにペグが加わる年もあった。でもそんなに多くではない。彼女はたいてい劇団の地方巡業に出ていたからだ。最も記憶に残っているのは、ニューヨークシティに仕事で出かける父にくっついていった日のことだ。わたしは十一歳だった。父が仕事をしているあいだ、ペグ叔母さんがセントラルパークのスケート場で遊んでくれた。そのあとはサンタクロースのいるところへ。(わたしはもうサンタクロースを信じていなかったし、叔母さんもそれはわかっていた。それでも、サンタクロースに会うと思うと胸が高鳴った。)ふたりで北欧料理の店へ行き、セルフサービス方式の昼食を食べた。わたしの人生のなかで、とびきり楽しかった一日のひとつ。父はニューヨークという街をからきし信用していなかったから、一泊もせずに帰った。それでもあれは輝かしき一日。ペグ叔母さんは素晴らしい人だとわたしは思った。わたしを子どもではなく、一人前の人間として扱ってくれた。それが、子どもに見られたくない11歳の子どもの心にどんなに訴えたことか。

最後にペグ叔母さんに会ったのは、モリスのお祖母さまの、つまりペグの母親のお葬式の日だった。ペグは一日だけ、故郷のクリントンに戻ってきた。式のあいだ、彼女はわたしの隣にすわり、握力の強い大きな手で、わたしの手を握りつづけていた。その行為はわたしを慰め、同時に驚かせた。(びっくりするかもしれないけれど、わたしの家族はこういうとき、手を握ったりなどしない。)葬儀のあと、ペグはものすごい力でわたしを抱きしめた。わたしの目からナイアガラの滝のように涙が噴き出し、彼女の腕のなかで壊れそうになった。ラベンダーの石鹸と、煙草と、ジンの匂いがした。わたしは哀れな小さなコアラのようにペグにしがみついた。でも、葬儀のあと、彼女はすぐに町を出ていった。制作を担当するショーがニューヨークの街で待っていたからだ。わたしは、ペグの腕のなかで粉々に砕けてしまいそうになった自分を心のどこかで恥じた。もちろん、彼女が慰めようとしてくれたことはわかっていたけれど。

結局、わたしは彼女のことをろくに知らなかったのだ。

そして、これから語ることが、19歳のわたしがニューヨークに着いた時点で、ペグ叔母さんについて知っていたすべてだ。

わたしが知っていること。ペグは、マンハッタンのミッドタウンに、リリー座という名の一軒の劇場をもっている。

知っていること。もともと演劇の仕事をするつもりではなかったが、巡りめぐっていまに至った。

知っていること。興味深いことに、ペグは赤十字の看護師になる訓練を受け、第一次大戦中はフランスに駐留した。

知っていること。フランスにいるどこかの時点で、自分には傷病兵の看護より、彼らを楽しませるショーを制作するほうが向いていると気づいた。そう、ペグには、野戦病院や兵営で上演する派手で盛りだくさんな娯楽ショーを、安く早くつくりあげる才覚があった。戦争は忌まわしきものだが、あらゆる人になにかを学ばせる。この戦争がペグ叔母さんに教えたのは、ショーの制作だった。

知っていること。戦争が終わると、ペグはかなり長くロンドンにとどまり、当地の劇場で仕事をした。ウェストエンドで歌や踊りが満載のショーをつくって暮らしているとき、将来の夫となるビリー・ビューエルと知り合った。ビリーは、男前で気っ風のよい元米軍将校で、戦争のあと、ペグと同じように演劇の道に進もうとロンドンにとどまっていた。そして彼もペグと同じく〝いいとこ〟の出身だった。モリスのお祖母さまは、ビューエル家のことを〝胸が悪くなるほどの金持ち〟とよく言った。富の信奉者である祖母に〝胸が悪くなるほど〟と言わせるなんて、いったいどれほどすごい金持ちなんだろう?ある日、それを尋ねてみた。祖母はひと言で答えた ──説明はこれで充分だといわんばかりに。「だって、ニューポートよ」。ニューポートの生まれ大富豪の豪邸や別荘が建ち並ぶことで知られるだったとしても、ビリー・ビューエルには、ペグと同様、自分の出身階級の高尚な趣味を遠ざけたがるところがあり、一流カフェに集う人たちの洗練と慎みより、演劇人の見栄と心意気を好んだ。おまけに遊び人でもあった。〝ビリーはお愉たのしみが大好き〟というのは、〝飲んだくれて、博打して、女の尻を追いかける〟を、モリスのお祖母さまなりに上品にまとめた表現だった。

ペグとビリーは結婚し、ビューエル夫妻となってアメリカに戻り、いっしょに旅まわりの劇団をつくった。ふたりは1920年代の大半を旅に明け暮れた。小さな一座を率いて、この国をくまなく巡った。ビリーが芝居の脚本を書き、主役を演じた。ペグは制作兼監督。ふたりには大それた野心などなかった。ただ楽しくやりたい、世間一般のおとなの責任から逃れていたいだけ。ところが、成功しないためにあらゆる努力を尽くしたにもかかわらず、はからずも成功のほうが彼らを追いかけ、つかまえてしまった。

大恐慌に国じゅうが震撼した1930年、ペグとビリーは大ヒットを飛ばした。ビリーが脚本を書いた、おもしろおかしい『愉しきかな情事』が大衆の心をつかんだのだ。『愉しきかな情事』はミュージカル仕立ての笑劇で、英国貴族の女相続人がアメリカ人のプレイボーイ(まさに、ビリーそのもの)と恋に落ちるという筋書きだった。それまでふたりでつくってきた舞台となんら変わるところのない、たわいもない作品だ。しかしそれが大当たりをとった。全米の楽しみに飢えていた労働者たちが、ポケットの小銭をはたいて『愉しきかな情事』を観にいき、この単純で脳天気な芝居を、金のなる木にした。芝居の人気には勢いがつき、行った先々の地方紙に絶賛された。1931年には、とうとうニューヨークに進出。ビリーとペグの芝居は、ブロードウェイの著名な劇場で、1年間のロングランになった。1932年に、MGM社が『愉しきかな情事』を映画化した。ビリーは映画の脚本を書いたが、出演はしなかった。(映画版の主役は、ウィリアム・パウエルが演じた。以来ビリーは、役者よりも作家の人生のほうが楽だと確信したようだ。作家なら時間を自由に使えるし、ファンに追いかけられないし、監督の言いなりにならずにすむ。)『愉しきかな情事』が成功すると、儲かる続篇映画(『愉しきかな離婚』、『愉しきかな赤ちゃん』、『愉しきかなサファリ』 ……)がつぎつぎに生まれた。ハリウッドは数年間、腸詰め製造機から繰り出されるソーセージさながらに続篇をつくりつづけた。〝愉しきかな〟シリーズはビリーとペグにひと財産をもたらした。だがそれがふたりの結婚には危険信号を灯す。ハリウッドと恋に落ちたビリーはそこから戻らなくなった。ペグは旅の一座をたたみ、〝愉しきかな〟シリーズで儲けた金のうち、彼女の取り分の半分を投じて、ニューヨークの街に建つ、古くて大きなおんぼろ劇場を手に入れた。それがリリー座だ。

こういったことが、1935年あたりに起きた。

ビリーとペグは正式には離婚していない。ふたりのあいだに、憎しみやわだかまりはないようだ。それでも1935年以降、ふたりは結婚しているとは言いがたい状態にあった。住まいも仕事も共にせず、ペグの主張によって経済的な関係も断たれた。つまり、ニューポートの一族から生じる輝かしき富は、もはや叔母の手の届かないところにあるということだ。(なぜペグがビリーの財産に背を向けたのかを理解できないモリスのお祖母さまは、あからさまな失望をにじませて彼女の娘についてこう言った ──「ペグはお金にまったく無頓着なの、あいにくながら」。)祖母はあれこれ推測をめぐらした。ペグとビリーが法的な離婚手続きをとらないのは、そんなことにかかずらうには、ふたりとも「自由人すぎる」からだろうか。それとも、ふたりはまだ愛し合っているのだろうか。彼らならずとも、夫婦が大陸の端と端に隔てられているときにこそ、至高の愛が育つのではないだろうか。(「冗談ではなく」と、祖母は切り出した。「多くの結婚はそのほうがうまくいくものなのよ」)

わたしにはっきりと言えるのは、ビリー叔父さんとはわたしの子ども時代から縁がなかったということ。なぜなら最初のころはいつも巡業の旅に出ていたし、その後はカリフォルニアにいついたから。縁がないどころか、ビリー叔父さんには会ったことすらなかった。わたしにとって、ビリー・ビューエルは、記事と写真によって紡がれる神話だった。その物語と写真のなんときらびやかだったこと! モリスのお祖母さまとわたしは、映画雑誌に載ったビリーの写真を眺めたり、ウォルター・ウィンチェルやルエラ・パーソンズがビリーについて書いたゴシップ・コラムを読んだりした。ビリーが、ジャネット・マクドナルドとジーン・レイモンドの結婚式に出席したのを知ったときには、大はしゃぎしたものだ。《ヴァラエティ》誌に掲載されたその結婚披露宴の写真には、ローズピンクのウェディングドレスを着た美貌のジャネット・マクドナルドのすぐ背後に、ビリーが写っていた。ビリーは、ジンジャー・ロジャースと当時の彼女の夫、リュー・エアーズと話していた。祖母は写真のビリーを指差して言った。「ほら、ここにいるわ。あいかわらず快進撃をつづけているようね。ごらんなさい、ジンジャー・ロジャースの彼に向けた満面の笑み! あたくしがリュー・エアーズなら、ぜったいに奥方から目を離さないわ」

わたしは、祖母の宝石付きの拡大鏡を借りて写真を見つめた。タキシードを着た、金髪で端正な顔だちの男が、片手をジンジャー・ロジャースの腕に添えている。そしてほんとうに、彼女の顔には喜びの笑いがはじけていた。ビリーは、まわりにいる本物の映画スターたちよりも映画スター然としていた。

その人物がペグ叔母さんと結婚していることにわたしは驚いた。

ペグは素敵な人だけれど、容姿は十人並みだ。

いったい彼は、ペグのなかになにを見つけたのだろう?

グランドセントラル駅にペグは姿を見せなかった。

ずいぶん時間がたち、こんなに待ったのだから列車を降りたプラットフォームでペグと会うのは無理だと結論した。わたしは荷物を赤帽に託し、グランドセントラル駅の雑踏をさまよった。人の流れのなかで叔母の姿をさがした。ニューヨークの街にたったひとり、なんの計画も付き添いもなく放り出されたのだから、ひどく不安だったろうと思うかもしれないが、そんなことはなかった。わたしは、なんとかなるだろうと思っていた。(おそらく、恵まれて育った人間の特質だ。そこそこに育ちのよい若い娘は、このままだれも自分を助けてくれないだろうとは考えないものなのだ。)

とうとう歩くのをやめて、駅のメインロビー近くの目立つベンチに腰かけ、そこで救出を待つことにした。

するとほら、やっぱり ──わたしをさがしている人が近づいてきた。
 
わたしを助けにきたのは、銀髪のショートカットに灰色の地味なスーツを着た女性で、雪山で遭難者を見つけたセントバーナード犬のように救助への熱意に燃えていた。〝地味な〟という言葉だけでは、彼女の着ていたスーツを説明しきれない。ダブルボタンの上着は、コンクリートなみにかっちりとした仕立て。女にはバストもウエストもヒップもないと世界を欺くためにつくられた服だ。この味気なさ。英国製だろうか。足もとは頑丈そうなローヒールのオックスフォード・シューズ、頭には古風な緑色のフェルト帽。どちらも、慈善活動に熱心な婦人が好んで身につけそうだ。寄宿学校にもよく似た女生徒がいた。健康増進のため夕食時にオバルチンを飲み、塩水でうがいするタイプだ。

頭のてっぺんから爪先まで地味な装いだったが、わざとそうしているのではないかと思える節もあった。

そのお堅いご婦人は使命感をみなぎらせ、眉間にしわを寄せ、写真をおさめたやけに大きな銀の額縁をかかえて近づいてきた。手もとの写真をじっと見つめ、視線をあげてわたしを見る。「ヴィヴィアン・モリスで間違いない?」彼女が訊いた。そのきびきびした口調からすると、英国製は着ているダブルのスーツだけではないようだ。

わたしは、そうですと答えた。

「大きくなったわね」と、彼女。

おやおや、わたし、この人を知ってた? 小さなころに会ってるとか?

わたしの困惑を見てとり、彼女は額縁に入った写真をわたしに見せた。それはなんと、四年ほど前の家族写真だった。母が「一度くらいは記録しておかないと」と言い出し、家族そろって写真館で撮ったものだ。一介の写真屋に撮られる不名誉に耐えている両親。分別くさげに母の肩に手を添えた兄のウォルター。4年前のわたしは、4年分だけ若くてひょろりとして、子どもじみたセーラー服を着ている。

「わたしはオリーヴ・トンプソン」女性は日頃からなにかを宣言するのに慣れていそうな声音で言った。「あなたの叔母さまの秘書よ。劇場で緊急事態が起きて、彼女は来られなくなった。ぼや騒ぎが起きたの。だから、わたしが頼まれて、あなたを迎えにきた。お待たせして悪かったわ。数時間前に着いたのに、あなたを見つけるために、この写真しかないから、こんなに時間がかかってしまった」

わたしは笑いだしそうになった。いまも思い出すだけで笑えてくる。こんなに超然とした女性が、大きな銀製の ──お金持ちの屋敷の壁からくすねてきたような ──額縁入りの写真を手にグランドセントラル駅を歩きまわり、人の顔を見つめては4年前に撮られた少女の顔と見くらべていたなんて……おかしくてたまらなかった。どうして、わたしは彼女を見過ごしてしまったのだろう? もちろん、オリーヴ・トンプソンはおかしいなんてみじんも思っていなかった。

彼女がいつもこんな調子だということを、わたしはすぐに知ることになる。「さあ、荷物をまとめて。リリー座にはタクシーで行きましょう。夜のショーが始まっている。急いで。つべこべ言うのはなし」

わたしはつべこべ言わず、母ガモを追う小ガモのように彼女のあとに従った。

心のなかで、ぼや騒ぎってなんなの? と呟いたが、あえて尋ねる勇気はなかった。


人生で初めてひとりでニューヨークシティに乗りこむなんて、アンジェラ ……これってかなりの大事件なのよ。

ニューヨーク生まれのあなたには、それがどんなに心ときめくことかわからないでしょうね。あなたはたぶん、素晴らしきわれらが街を空気のように受け入れている。もしかしたら、わたしには想像もつかないほど親密に、この街を愛しているのかもしれない。いずれにしても、ニューヨークシティに生まれ育ったことは疑う余地なく幸運だった。でもあなたに、この街に乗りこんでいくことはできない。気の毒に思うわ。あれほどまでに心揺さぶられる人生の経験を逃しているなんて。

1940年のニューヨークシティ!

あんなニューヨークはまたとないだろう。1940年以前のニューヨークを、1940年以降のニューヨークを貶しめるつもりはない。それぞれに意義はある。けれどもこの街は、初めてたどり着く若者たちのまっさらな目のなかで、つねに生まれ変わっていく。だから、あの街は、あの土地は ──わたしの目のなかに立ちあらわれた1940年のニューヨークは、未来にもまたとない。それはガラスのペーパーウェイトに封じこめられた蘭の花のように、わたしの記憶のなかで永遠に咲きつづけ、完璧なニューヨークでありつづける。

あなたにはあなたにとっての完璧なニューヨークがある。だれの心にもそれがある。でもあのときのニューヨークは、永遠に、わたしだけのものだ。

グランドセントラル駅からリリー座までは、タクシーで行くのにそれほど長い距離ではない。ただ街を東から西に進むだけだが、その途中でマンハッタンの中心街を通り抜けた。新参者にはニューヨークの神髄に触れられる最高の道すじだ。わたしはニューヨークにいるだけで心が沸き立ち、あらゆるものを見たくてたまらなかった。それでも最初は社交のマナーどおりに、オリーヴと会話しようと努めた。だがオリーヴは、会話で間をもたせる必要を感じないタイプのようで、彼女のそっけない返事に、わたしがさらに質問を重ねることになった ──彼女にしてみれば進んで答えたくないような質問を。

「いつから叔母の秘書を?」と、わたし。

「モーゼがおむつをしていたときから」

わたしはその意味をしばらく黙って考える。「劇場ではどんな仕事を?」

「落ちるものを受けとめる仕事。落ちて砕ける前にね」

またも沈黙。わたしはこの件についても考えこむ。

そしてまた質問する。「今夜は、劇場でどんな演目を?」

「ミュージカル。『母との暮らし』っていう」

「あ、聞いたことあるわ!」

「いいえ、そんなはずはない。それは『父との暮らし』。去年、ブロードウェイにかかっていた芝居。うちのは『母との暮らし』、ミュージカルよ」

それって、法的にだいじょうぶなんだろうか。ブロードウェイの大ヒット作のタイトルを、ひと文字変えるだけでいただくなんて。(この質問に答えておくと、少なくとも1940年のリリー座ならだいじょうぶ。)

わたしは尋ねる。「でも、チケットをうっかり買っちゃう人がいるのでは? 『父との暮らし』と間違えて」

オリーヴはにべもなく言った。「いるわよ。たいした不運じゃないわ」

ばかでうるさい小娘だと思われないように、わたしは口をつぐんだ。あとはタクシーの窓から外を眺めていた。車窓に流れ過ぎる街の景色だけで、素晴らしいエンターテインメントだった。四方八方の輝きに目を奪われた。マンハッタンのミッドタウン、心地よい夏の宵。これ以上素敵なものはない。雨あがりで、夜空に広がる紫色に胸がときめいた。目の端をかすめる摩天楼の光、ネオンサイン、濡れて輝く路面。歩道には大勢の人がいた。走る人、飛び出す人、ゆうゆうと歩く人、よろめく人 ……。タイムズスクエアでは、白熱した溶岩のように光の山脈から最新ニュースや広告が噴き出していた。つぎつぎにあらわれ、わたしの目を奪うアーケード、タクシー・ダンスホール、映画館、カフェ、劇場 ……。

タクシーが角を曲がり、41丁目に入った。8番街と9番街に挟まれたそのあたりは、当時もいまもきれいな街並みとは言いにくい。あのころは、大きなビルのほとんどが40丁目か42丁目に面していたので、41丁目には複雑に入り組む非常階段が剥き出しになったビルの背面が並んでいた。その冴えない街並みのまんなかにあるのがリリー座、わたしの叔母の劇場だ。『母との暮らし』の看板が煌々と照らし出されていた。

あのときの光景が心の眼に浮かぶ。リリー座は大きなひとつの塊だった。いまならアール・ヌーヴォー様式だとわかるが、当時はただ、なんて使いこまれた頑丈そうな建物なんだろうと思った。そして、ああ、あのロビー。それはあらゆる手を尽くして、そこを訪れる者に、あなたはいま重要な場所にたどり着いたのだと伝えていた。すべてが重厚で濃密 ──贅沢な木工も、彫刻をほどこされた天井も、暗赤色のタイルも、古めかしい〈ティファニー〉の照明も。あらゆる壁に絵が描かれ、煙草のヤニが染みついていた。ある壁画のなかでは、胸をあらわにしたニンフたちがサテュロスの一団とじゃれ合っていた。ニンフのひとりは、気をつけないと、すぐにも妊娠しそうな情況にいる。べつの壁画では、みごとなふくらはぎをもつ筋骨隆々の男たちが、海の怪獣と闘っていた。しかしそれは戦闘というよりエロティックな戯れのようだ。(男たちはこの闘いが永遠につづけばいいと思っているのだろう。)またべつの壁画には、木々を掻き分けるドリュアスと、川で水浴びする乙女たちの姿があった。乙女たちは水しぶきをあげながら、うっとりとした表情で互いの裸体に水を掛け合っている。そして、ロビーの柱という柱に葡萄と藤の蔓(そして、もちろん、百合)が細かく彫りこまれ、蔓が天井まで這いあがっていた。すべてが売春宿のよう ……。なんて素敵。

「このままショーに案内するわ」オリーヴが腕時計をちらりと見て言った。「あらもう、ほとんど終わり」

彼女は、劇場ホールにつづく大きな扉をあけた。残念ながら、オリーヴ・トンプソンが彼女自身の仕事場にはいっていくようすに、ときめきはみじんも感じられなかった。でも、わたしは眩暈がしそうだった。ホールのなかは驚くべきものだった。まるで金色に輝く巨大な年代物の宝石箱。あらゆる情報が一気になだれこんできた。舞台のたわみ、客席からの見えにくさ、重そうな深紅の緞帳、狭いオーケストラ・ピット、過剰なまでに金メッキがほどこされた天井、そして、〝もし、いまあれが落ちてきたら ……?〟と考えずにはいられない、威圧的なシャンデリアの輝き。

なにもかもが御大層で崩れかけていた。ふとモリスのお祖母さまを思い出したのは、彼女がこんな古い装飾過多の劇場を好んでいたからだけでなく、彼女自身がこの劇場に似ていたからだった。古風で、大げさで、尊大で、時代遅れのビロードの服を完璧に着こなしているところが。

わたしとオリーヴはホールの後ろ壁に背をあずけて立った。空席はまだたくさんあった。舞台の演者より観客の数が少ないようにさえ思えた。それに気づいたのはわたしだけではなかった。オリーヴがすばやく観客を数え、ポケットからメモ帳を取り出して数字を書きこみ、ため息をついた。

だが舞台の上はといえば、くらくらするほどの派手な展開になっていた。そう、ショーの終わりにちがいない。いろんなことが同時に起きていた。舞台の後方で十数人のコーラスライン ──女も男もいる ──が耳まで裂けそうな笑顔で、埃っぽい天井に脚を振りあげていた。舞台中央では、美貌の青年と元気いっぱいの娘が力のかぎりタップダンスを踊り、声を張りあげて歌っていた ──ああ、愛しい人よ、これからはすべてがうまくいく、なぜならふたりは恋をしてるから! 舞台の下手からショーガールの一団が、モラルがぎりぎり許す衣裳と振り付けで登場した。でも彼女らがこのショーの物語──それがどんなものだとしても ──に果たす役割ははっきりしなかった。彼女らの仕事は、両腕を広げてゆっくり回転しながら、あらゆる角度から豊満な肢体をさらして観客を愉しませることだった。一方、舞台の上手では、放浪者のようないでたちの軽業師が、ボーリングのピンを宙に放り投げていた。

フィナーレだとしても、この場面は恐ろしく長くつづいた。楽団が音量をあげ、コーラスラインが足で床を打ち鳴らし、息を弾ませた幸福な恋人たちは未来に恐ろしい運命が待ち受けているかもしれないなどとはつゆ疑わず、ショーガールたちは媚態を見せつけ、軽業師は汗をしたたらせてジャグリングをつづけていた。そうしてやっと、すべての楽器が最大音量を響かせ、スポットライトがぐるぐると回転し、出演者たちがななめ上方に腕を振りあげてぴたりと止めた。終わった。

拍手と喝采。

轟いたとは言えない。雷ではなく、小雨ぐらいの拍手。

オリーヴは手を叩かなかった。わたしは礼儀として拍手したが、その音がホールの後方にさびしく響いた。出演者たちが舞台を去るときには、拍手はなかばやんでいた。けっしていいことではないだろう。観客がそそくさとわたしたちの横を通り過ぎて、ホールから出ていく。一日を終えて家路につく労働者みたいに ──いや、みたいにじゃなくて、ほんとうにそうなのだ。

「あの人たち、これが気に入ってるの?」わたしはオリーヴに尋ねた。

「あの人たちって?」

「観客のこと」

「観客?」オリーヴが目をぱちくりさせた。観客がショーをどう思っているかなど考えてみたこともなかったというように。彼女は少し考えてから言った。「言っておくけど、ヴィヴィアン。お客は胸を高鳴らせてリリー座に足を運ぶわけではないし、感動に胸をふくらませて帰るわけでもないわ」

その口ぶりからすれば、彼女はこれで是しと考えているか、少なくともこれを受け入れていた。

「来て。あなたの叔母さまが舞台裏にいるから」

こうして、わたしたちは舞台裏に向かった。芝居が終わるといつも舞台の袖から聞こえてくる、あのせわしなくて浮き立った大騒ぎのなかへ ──。だれもが動き、声を張りあげていた。煙草を吸う人、衣裳を脱ぐ人。お互いの煙草に火を付け合うダンサーたち。頭飾りをはずすショーガールたち。つなぎ姿の男たちが小道具を移動させているが、汗ひとつかいていない。熟した果実がはじけるように、あちこちから笑い声があがる。とくにおもしろいことがなくても、とりあえず笑ってみせるのがショービジネスの流儀だ。

ペグ叔母さんもそのなかにいた。長身でがっしりとした体つき、片手にクリップボードを持っていた。灰色まじりの栗色の髪を無造作に短く切った髪型は、どこかエレノア・ルーズベルトを思わせた。でもペグのほうがあごの形がいい。その装いは、サーモンピンクの綾織りの長いスカートに、男物らしき青のオックスフォード・シャツ。足もとは青の長靴下にベージュのモカシン。ひどい組み合わせだと思うだろうが、まさにそのとおり。ひどかった。当時も野暮だったし、いまも野暮だ。地球の終わりの日まで野暮であることに変わりはない。サーモンピンクの綾織りのスカートに青のオックスフォード・シャツと長靴下とモカシンが似合う人など、いったいどこにいるだろう?

ペグ叔母さんの野暮ったさは、彼女が話しかけている女性ふたりによって、いっそう際だっていた。ふたりとも舞台に立っていた、度肝を抜かれるほど美しいショーガールだった。舞台化粧が彼女らに別世界の人のような魅力を与えていた。頭のてっぺんで巻いてまとめた髪がつややかに光っている。衣裳の上にはピンクの絹の化粧着。こんなに色気にあふれた女性を間近で見るのは人生で初めてだった。ショーガールのひとりは、ほとんどプラチナに近い金髪で、女優のジーン・ハーローさえ嫉妬の歯ぎしりをしそうなほど美しい肢体の持ち主だった。もうひとりは、官能的な濃色の髪。彼女の並外れた美しさには、ホールの後方にいたときから気づいていた。(でもなんの自慢にもならない。彼女の美しさには火星人だって気づく ……たとえ火星から見ていたとしても。)

「ヴィヴィ!」ペグが声をあげた。彼女の笑顔を見たとたん、わたしの世界に光が灯った。「よく来たわね、大事な子(キドゥ)!」

大事な子!

大事な子(キドゥ)などとだれからも呼ばれたことがなく、叔母さんの胸に飛びこんで泣きたくなった。よくド来たと言われたことにも勇気づけられた。まるでよいことをしたみたい! 実際にわたしがしたことといったら、大学を追われ、両親の家から放り出され、グランドセントラル駅で迷子になったくらいのもの。でも、ペグ叔母さんが会えたことを喜んでくれて、ほっとした。歓迎されている。それどころか、求められてさえいるみたい。

「オリーヴと会えたのね。われらが動物園の園長に」ペグが言った。「こちらはグラディス。うちのダンス・キャプテンよ」

プラチナの髪の娘がにやりとし、噛んでいたガムをパチンとはじけさせて言った。「よろしく」

「──そして、こちらがシーリア・レイ。ショーガールのひとり」

シーリアがたおやかな腕を伸ばし、低い声で言った。「お会いできて光栄よ」

ニューヨーカーならではの独特のアクセントがあり、ハスキーで深く響く声は格別だった。シーリアは、マフィアの親玉みたいな声をもつショーガールだ。

「食事はすんだ?」ペグがわたしに訊いた。「お腹ぺこぺこじゃない?」

「いいえ」と、わたし。「ぺこぺこじゃないけど、夕食はまだ」

「じゃ、出かけましょ。お酒も飲んで、積もる話をしましょうよ」

そこにオリーヴが割ってはいった。「ヴィヴィアンの荷物はまだ上に運ばれてもいないのよ。スーツケースがロビーにある。長い一日だったから、旅荷をほどいて、さっぱりしたほうがいい。それに出演者に駄目出ししなければ」

「荷物なら男の子たちが運んでくれるわよ」と、ペグ。「ヴィヴィは、いまだってさっぱりしてるし、駄目出しなんて必要ないわ」

「いいえ、駄目出しはいつも必要」

「明日には、ちゃんと直ってるわよ」ペグの曖昧な答えに、オリーヴは納得していなかった。「いまは仕事の話をしたくない。食事の時間をつぶしちゃうわ。喉がからっからなの。ねえ、出かけちゃ、だめ?」

ペグがオリーヴの許しを求めるような口調になった。

「今夜はだめ」オリーヴがきっぱりと言う。「長すぎる一日だった。若いお嬢さんを休ませてあげなければ。バーナデットが用意してくれたミートローフがあったでしょ。わたしがサンドイッチをつくる」

ペグはしょんぼりしたが、一分とかからず立ち直った。

「じゃあ、二階に行きましょ。ヴィヴィ、来て! 行くわよ!」

おいおいわかってくるのだが、ペグが「行くわよ!」と言ったら、その声が聞こえる範囲にいるすべての人が招待されているのだった。彼女はいつも多くの人に囲まれていたが、まったく人のえり好みをしなかった。

だからその夜、叔母たちの暮らすリリー座の階上の集まりには、彼女と秘書のオリーヴのほかに、ショーガールのグラディスとシーリア、さらには帰ろうとしていたところをペグに引きとめられた風変わりな青年も加わった。その青年はショーに出演するダンサーのひとりだったが、そばで見ると十四歳ぐらいにしか見えず、もっと食べ物が必要であるように思われた。

「ローランド、上でいっしょに食べましょ」ペグが言った。 彼はためらいを見せた。「ううん、だいじょうぶ、ペグ」

「心配しないで。食べ物はどっさりある。バーナデットが大きなミートローフをこしらえてくれたから、みんなの分があるわ」

オリーヴがなにか言いたげだったが、ペグが制した。「ねえ、オリーヴ。うるさいのはごめんよ。あたしの分をローランドと分け合うわ。彼はもっと体重を増やしたほうがいいし、あたしは減らしたほうがいい。どっちにも好都合。どのみち、いまはまだ支払えてるもの。あと何人か養うことぐらいできるわよ」

わたしたちは劇場の奥に向かった。そこにはリリー座の上階に通じる広めの階段があった。階段を昇りながら、わたしの目はふたりのショーガール、シーリアとグラディスに釘付けになった。こんなに美しい人たちには会ったことがない。寄宿学校時代には演劇少女がいたが、このふたりとはぜんぜんちがった。エマ・ウィラード校の演劇少女たちは、髪をめったに洗わず、細身の黒ズボンをはき、どんなときも王女メディアになりきろうとしていた。およそ近づきたくないタイプだった。でも、シーリアとグラディスは、まるで別種の生き物だ。わたしはふたりの粋な魅力に、アクセントに、化粧に、絹の薄物といっしょにスウィングする腰にうっとりした。ローランドの身のこなしも彼女らと同じだった。彼もまた優美にスウィングする生き物なのだ。そしてみんな、なんて早口なんだろう! 彼らの口からこぼれる、ゴシップのかけらのなんて魅力的なこと。色とりどりの紙吹雪のようだ。

「彼女はあの顔でなんとかやってるだけよ」グラディスがここにはいないだれかのことを言った。

「顔だけじゃないでしょ!」と、ローランド。「あの脚!」

「ふふん、でも顔と脚だけじゃあね!」と、グラディス。

「もっても来年までね、おそらくは」と、シーリア。

「あの恋人、なんの役にも立ちゃしないんだから」

「あのクズ野郎め!」

「でもまだあいつ、シャンパンにありつくつもりよ」

「彼女、がつんと言ってやりゃいいんだよ!」

「あの男だったら、屁とも思わない!」

「映画館の案内係でいつまで暮らしていけるのかしら」

「でも彼女、ごついダイヤモンド見せびらかしてた」

「あの娘も割り切って考えればいいのに」

「〝卵とバター男〟を見つけなきゃだめね」

この人たち、なにを話してるの? この会話から垣間見える人生って、いったいなに? 話題にされてるかわいそうな娘はだれ?どうやって彼女は映画館の案内係から先に進むつもりなの?〝割り切った考え〟をもたなきゃ、先には進めないの?彼女はダイヤモンドをだれからもらったの? シャンパンの代金はだれが払ってるの? ああ、気になってしょうがない! ぜんぶ知りたい! だいたい、〝卵とバター男〟ってなんなんだろう?

当時は〝卵とバター男〟が、田舎紳士のパトロンのことだなんて知るはずもなかった。わたしは、この話の結末を知りたくてうずうずした。でもこの物語には筋書きがなく、ただ名前のない登場人物、ドキリとする行為の断片、迫りくる危機の予感があるだけだった。興奮で胸が高鳴った。あなただって、そうなったはず ──19年の人生で一度たりとも真剣に考えたことのない、わたしのような軽はずみな娘だったとしたら。

わたしたちは、ほの暗い階段の上にたどり着いた。ペグがドアを開き、わたしたちをなかに通した。

「ねぐらへようこそ」ペグが言った。

ペグ叔母さんが〝ねぐら〟と呼ぶのは、リリー座の上の3階と4階のことだった。要するに、人が居住するところ。建物の二階は ──あとでわかったが ──事務所になっていた。一階はもちろん劇場で、それについてはすでに説明したとおり。そして三階と四階は、まさしく〝ねぐら〟だった。

ペグにインテリアを調える才能がないことは、見てすぐにわかった。彼女の趣味(それを趣味と呼ぶのにも抵抗がある)は、重くて時代遅れな骨董と、不揃いな椅子のコレクション、収納場所の見つからない品々が生み出す渾沌の渦からできていた。壁にはわたしの実家にあったのと同じような、暗くて陰鬱な絵がかかっていた。たぶん同じ親族から相続したのだろう。どれも色褪せていて、馬と気むずかしげなクエーカー教徒の老人が描かれていた。同じように見慣れた銀器や陶磁器がいたるところにあった。燭台やティーセットなどには高価そうに見えるものもあったが、真偽のほどはわからない。どれも使用されたり愛用されたりしているようには見えなかった。(ただし、あちこちに置かれた灰皿は明らかに使用され、愛用されていた。)この場所をあばら屋とは呼べない。汚れてはいない。ただ手をかけられていないだけ。食事の間 ──というか、以前の住人が食事の間に使っていたはずの部屋 ──をちらりと見たが、卓球台が部屋のどまんなかに置かれている。もっと奇妙なのは、その卓球台の上にシャンデリアが低く吊され、どう考えてもそこで卓球ができないことだった。

わたしたちはかなり大きな居間に落ちついた。大きいばかりにさまざまな家具が詰めこまれ、グランドピアノがぞんざいに壁に押しつけられていた。

「さあ、飲む人はだれ?」ペグがバー・コーナーに近づきながら言った

「マティーニはどう? だれ? 全員?」

「はいっ!」という声がいっせいにあがった。全員から!

いや、ほぼ全員から。オリーヴは飲み物を断り、マティーニをそそぐペグに顔をしかめた。ここで供されるカクテルの経費を一セント単位まで計算しているように見えた。おそらくほんとうにそうしていたのだろう。

叔母は、長年の飲み仲間を相手にするように、さりげなくマティーニを渡してくれた。うれしかった。おとなになった気分だった。WASPである両親は当然ながら飲酒したが、わたしとはけっして飲もうとしなかった。だからいつも隠れて飲んでいたけれど、これからはそうする必要もなさそうだ。

乾杯!

「あなたの部屋に案内するわ」オリーヴが言った。
ペグの秘書はわたしをつれて迷路のような廊下を進み、両開きのドアの前まで来ると、それをあけた。「あなたの叔父さま、ビリーの住まいよ。ペグがここを使ってほしいそうよ、さしあたりは」

びっくりした。「ビリー叔父さんの住まいがあったの?」

オリーヴがため息を洩らした。「あなたの叔母さまの夫への揺るぎない愛の証ね。ふらりと立ち寄っても泊まれるところを用意しておくなんて」

わたしの聞き違いでなければ、オリーヴは〝揺るぎない愛〟を、〝がんこな湿疹〟と言うときと同じように口にした。

それにしても、ペグ叔母さんには感謝しかなかった。ビリーの住居は素晴らしかったから。ほかの部屋のように雑然としていない。まったくちがう。ここにはスタイルがあった。こぢんまりとした居間に暖炉があり、美しい黒塗りの机が置かれ、タイプライターがのっていた。寝室には41丁目に臨む窓と、クローム金具と濃色の木材を組み合わせたみごとなダブルベッド。床には染みひとつない白いラグ。白いラグの上に立つのは初めてだった。寝室からつづくほどよい大きさの化粧部屋には、クロームメッキで縁取られた大きな鏡が壁にかかり、つややかな光沢を放つ衣裳だんすがあったが、なかはからっぽだった。化粧部屋の端に小ぶりの洗面台。非の打ちどころのない空間だった。

「あいにく、専用の浴室がなくてね」とオリーヴが話しだしたとき、つなぎを着た男たちがわたしのスーツケースとミシンを化粧部屋に運び入れた。「廊下を挟んで反対側にある浴室を、シーリアといっしょに使ってもらうわ。彼女もここの住人よ、さしあたりは。そしてハーバート氏とベンジャミン氏が、フロアの反対側に部屋をもっている。彼らはべつの浴室を使っているわ」

ハーバート氏とベンジャミン氏がどういう人かは知らなかったが、そのうちにわかるだろう。

「ねえ、オリーヴ。ビリー叔父さんはここを必要としていないの?」

「どうやら、そのようね」

「ほんとうに? 叔父さんが必要になったら、わたしが出ていけばいいのよね。こんな素敵な部屋、わたしには畏おそれ多くて ……」

いや、それは嘘だった。わたしはここに住みたくてたまらず、心のなかではすでに自分のものだと宣言していた。わたしはこの場所で、いっぱしのおとなになるのだと心に誓った。

「あなたの叔父さまは、もう4年もニューヨークに戻っていないのよ、ヴィヴィアン」オリーヴがわたしをじっと見た。他人の思考がニュース映画のように読みとれるのではないかと思わせる、不穏な眼差しで。「だいじょうぶ。あなたがここで安心して眠れることを保証してあげる」

ああ、なんという幸せ! わたしは心のなかで快哉を叫んだ。

最小限のものだけ荷物から取り出し、顔を洗って、鼻に白粉をはたき、髪をとかし、雑然とした大きな居間に ──新奇なものとおしゃべりがあふれるペグ叔母さんの世界に戻った。

オリーヴがキッチンから小さなミートローフにしなびたレタスを添えたひと皿を運んできた。先刻から彼女が察していたとおり、これでは部屋にいる全員にゆきわたらない。でも彼女はふたたびキッチンに行って、冷製肉の盛り合わせとパンを持ってきた。そのつぎは、どうにか.き集めたと思われる半身のローストチキンと、ピクルス、冷えた紙箱入りの中華料理をいくつか。だれかが窓をあけて、小さな扇風機を回したが、夏のむっとする暑さは少しもましにならなかった。

「さあ、子どもたち、お食べなさい」ペグが言った。「好きなだけとって」
グラディスとローランドが勢いよくミートローフに飛びつき、わたしは中華料理の炒め物に手を出した。シーリアはなにも食べずカウチに静かにすわっていたが、こんなにも悠然とマティーニを飲んで煙草を吹かす人を、わたしは見たことがなかった。

「夜のショーの始まりはどうだった?」オリーヴが訊いた。「わたしは終わりしか見ていない」

「そうね、『リア王』には及ばないわね、あとわずかなところでね」ペグが答える。

オリーヴがぐっと眉根を寄せた。「なに? なにがあったの?」

「まったくなんにも」と、ペグ。「ただのお粗末なショーよ。でも案ずることなかれ。いつものお粗末なショーだから。それでだれかが傷つくわけじゃなし。お客はみんな自分の足で歩いて帰っていったわ。来週からはべつのショーをやるんだもの、なにも問題ないわ」

「売り上げは? 夕方のショーはどうだった?」

「そういうことはいちいち訊かないの」とペグ。

「いくらはいったの、ペグ?」

「答えを知りたくなければ訊かないことね、オリーヴ」

「でも知っておく必要があるのよ。今夜のような頭数じゃ、やっていけない」

「ああ、あなたが頭数って言うのすごく好き! 数えたところ、夕方のショーのほうは47人」

「ペグ! それじゃ足りない!」

「嘆くなかれ、オリーヴ。夏は客足が鈍るものじゃない?これでせいいっぱいよ。もっと頭数を増やしたいなら、芝居じゃなくて野球をやるしかない。あるいは空調設備に投資するか。来週から始まる南洋ものに気持ちを切り替えましょ。明日の午前中に、ダンサーたちに稽古してもらう。火曜日までに仕上げなくちゃ」

「明日の午前中はだめ」オリーヴが言った。「子どもダンス教室にステージを貸しているから」

「さすがね、あなたはやりくり上手。じゃあ、明日の午後に」

「午後もだめ。水泳教室に貸したから」

「水泳? ねえ、オリーヴ、ステージを水浸しにされちゃうわよ」

「ありえない。水にはいらないで教える水泳教室だから」

「つまり、演劇的概念として水泳を教えるわけ?」

「そういうことかも。ただの基礎クラスよ。市がお金を出している」

「オリーヴ、これじゃあどう? あなたが子どもダンス教室にも水なし水泳教室にもステージを貸してないとき、グラディスに南洋ものの稽古を始めてもらう、それでいい?」

「では、月曜日の午後」オリーヴが言った。

「月曜日の午後ですってよ、グラディス!」ペグが、ショーガールのほうを向いた。「聞いた? 月曜の午後に全員集められる?」

「どっちみち午前中の稽古は好きじゃないわ」と、グラディスが言うが、訊かれたことにちゃんと答えていない。

「むずかしいことじゃないわよ、グラディス」と、ペグ。「ちゃちなショーなんだし、あなたの好きにやって」

「南洋もの、やりたあい!」ローランドが言った。

「みんな、南洋が舞台のショーに出たがるのね」と、ペグ。「この子たちは、異国情緒あふれる舞台が大好きなのよ、ヴィヴィ。とくに衣裳がね。今年だけで、インドのショーに中国娘のお話にスペインの踊り子物語。去年は、エスキモーの恋愛ものをやってみたけど、いまひとつだった。衣裳が舞台に映えなくて ──まあ、控えめな言い方をするとね。ほら、毛皮だし重いし、歌もあんまりだった。〝すてき(ナイス)〟と〝氷(アイス)〟の韻ばっかりで、しまいには頭が痛くなってね」「あんたなら、南洋ショーのフラガールをやれるわよ、ローランド!」グラディスがそう言って、高らかに笑った。

「もちろん、かわいくやれるわ!」ローランドがしなをつくって言った

「うん、あんたならやれる」と、グラディス。「小柄だもの。そのうち、どこかへ飛んでいっちゃいそうだね。ステージではいつも、あんたの隣に立たないように気をつけてるわ。あたしがでかい牛みたいに見えちゃうから」

「それは最近、あなたが太ったからじゃない?」オリーヴがグラディスをじろりと見た。「食事制限しないと、衣裳が着られなくなるわよ」

「なにを食べようが、体型には関係ないんですって!」グラディスが言い返し、ミートローフの新たなひと切れに手を出した。「雑誌に書いてあったわ。肝心なのはコーヒーを何杯飲むかだって」

「あなたはお酒の飲み過ぎよ」ローランドが大きな声で言った。「ほどほどにしておけないんだから!」

「たしかに、ほどほどにするのは無理ね!」グラディスがうなずく。「それがあたし。わかってるでしょ。ひとつ教えてあげるけど、お酒をほどほどにしたら、派手な色恋も楽しめなくなるわよ!」

グラディスは、もうひとりのショーガールのほうを向いて言った。「ねえ、シーリア。口紅貸して」シーリアは黙って絹の化粧着のポケットから口紅を取り出し、グラディスに渡した。グラディスは、わたしが見たこともない鮮烈な赤の口紅を自分の唇に塗ると、ローランドにキスをして、両頬に真っ赤な跡を残した。

「ほら、ローランド。これであんたがこの部屋でいちばんかわいい子!」

ローランドはからかわれても気にしていないように見えた。彼の肌はまるで磁器人形で、眉毛を抜いて整えているのが美容に関して目利きのわたしにはわかった。驚いたことに、彼は男性を装おうともしていなかった。しゃべるときには若い娘のように両手をひらひらさせる。頬についた紅をぬぐおうともしない。つまり、女の子に見られたがってるってこと? (わたしの無知を許して、アンジェラ。ゲイについてろくに知らなかった。レズビアンについてなら、ヴァッサー女子大にいたのだから、まるきり知らないわけじゃなかったけれど。)

ペグがわたしを見て訊いた。「さて、ヴィヴィアン・ルイーズ・モリス!あなたは、ニューヨークにいるあいだに、どんなことをしたい?」

どんなことをしたい? もちろん、いまみたいなことをしたい! ショーガールといっしょにマティーニを飲んで、ブロードウェイの仕事の話を聞いて、女の子みたいな男の子からゴシップを仕入れること! 〝派手な色恋〟についてもっと知ること!

でも、そんなことは口に出せず、そつなく答えるつもりで言った。「あちこちを見てまわりたい。いろんなことを吸収したいわ!」

みんなの目がわたしに集まっていた。もしかすると、まだなにか待ってる? まだなにか足りない? 「ええと、ニューヨークの道がわからないのが、まず問題なんだけど ……」。言うそばから、自分がばかみたいに思えた。

わたしのばか娘ぶりを見かねたペグ叔母さんが、テーブルから紙ナプキンを一枚取って、そこにマンハッタンのかんたんな地図を描いてくれた。あの地図をとっておくのだったわ、アンジェラ。あれを超える魅惑的なこの街の地図をわたしは知らない。先が曲がった大きなニンジンみたいなひとつの島。そのまんなかに黒く塗りつぶされた四角形のセントラルパーク。ゆるい波線で描かれたハドソン川とイースト川。島の下方の$マークはウォール街で、島の上方の ♪はハーレム。そして、島のちょうどまんなかに輝く ☆は──そう、ビンゴ! わたしたちのいるところ、タイムズスクエア、世界のどまんなか!

「ほら、これでわかる」と、ペグが言った。「これでもう道に迷わないわよ、大事な子(キドゥ)。街にある標ド識をよく見ること。ぜんぶ数字がしるされているから、かんたんでしょ。いいこと、マンハッタンはひとつの島なの。みんな、それを忘れてる。同じ方向にずっと歩けば、そのうち川にぶつかる。川にぶつかったら、引き返して、べつ方向に進めばいいだけ。すぐに覚えるわよ。あなたより鈍い人だって、この街の地理がわかってるんだから」

「グラディスだってわかってるわ」ローランドが言う。

「あのねえ、あたしはここの生まれなの」と、グラディス。

「ありがとう!」わたしは紙ナプキンの地図をポケットにしまって言った。「もし劇場で仕事の手が必要なら、喜んでお手伝いするわ」

「手伝いたいの?」ペグはわたしの申し出に面食らっていた。どうやら、わたしにはなにも期待していなかったようだ。両親はいったいどんなふうにわたしのことを伝えていたのだろう?「じゃ、オリーヴを手伝ってはどう?あなたさえよければ。そうね、事務仕事っていうか ……」

オリーヴがこの提案に顔を引きつらせた。わたしも自分の顔がそうなっていないか心配した。彼女はわたしを使いたくないだろうが、わたしだって彼女に使われたくはない。「券売所でもいいわね」と、ペグがつづける。「芝居のチケットを売る仕事よ。音楽はできないんでしょ? べつに驚かないわよ。うちの一族に音楽の才能がある人はひとりもいない」

「裁縫ならできるわ」

声が小さかったにちがいない。わたしの発言はだれにも拾われることなく消え去った。

オリーヴが言った。「ペグ、ヴィヴィアンをキャサリン・ギブス・スクールに入学させてはどう? あそこならタイプを学べるわ」

ペグとグラディスとシーリアが、いっせいにうめき声をあげた。

「オリーヴは、若い娘とみると、キャサリン・ギブスに放りこんで、タイプを習わせたがるんだよ」グラディスが説明してくれた。彼女は、タイピストの勉強が戦争捕虜収容所での岩の掘削作業と同類であるかのように、ぶるぶるっと震えてみせた。

「キャサリン・ギブスは職業婦人を大勢送り出している」オリーヴが言った。「これからの若い女性は社会に出て雇用される存在になるべきね」

「あたし、タイプは打てないけど、雇用されてるわ」グラディスが言う。「雇用されてるじゃない、ね、あなたに!」

オリーヴが言った。「ショーガールを職業婦人とは呼べないわね、グラディス。ショーガールは、そうね、そのときどきの仕事に就いているだけ。職業とはべつものよ。安定した働き口とは言いがたい。秘書ならいつでも職を見つけられるけど」

「ただのショーガールじゃないわ」グラディスがむっとして返した。「あたしはダンス・キャプテン。だから、いつだって仕事が見つかる。お金が尽きたら、結婚すればいいのよ」

「タイプを覚えちゃだめよ、大事な子(キドゥ)」ペグがわたしに言う。「たとえ覚えても、タイプが打てるなんて人に教えちゃだめ。タイプを打てるとわかれば、永遠にそればっかりやらされる。速記もだめ、身の破滅よ。女がいったん速記帳を手にしたら、そのまま二度と手から離れなくなると思いなさい」

そのとき突然、この部屋にあがってきてから初めて、部屋の向こう端にいた美しい生き物が口を開いた。「裁縫ができるって言ったわね?」

またも、彼女のハスキーな声にどきりとした。そのうえ彼女の眼差しがわたしに注がれている。ちょっと威嚇的な感じがする目つき。〝くすぶる〟という言葉をそう何度も使いたくないのだが、シーリアについて語るときに、この言葉を使わないわけにはいかない。シーリアには、いつも彼女のなかで小さな火がくすぶっているような印象があった。くすぶるような眼差しに見つめられるのは、落ちつかなかった。だから、うなずいたあとは安全なペグのほうに目を逸らした。「ええ、裁縫ならできるわ。モリスのお祖母さまから教えてもらったから」

「どんなものを縫うの?」シーリアが訊いた。

「そうね、このワンピースとか」

グラディスが甲高い声をあげた。「ええっ、そのワンピース、自分でつくったの?」

グラディスとローランドがわたしにさっと近づいた。わたしの服がお手製だと知ったときにいつも女の子たちがするように。ふたりは、二匹の美しい小猿のように、わたしのワンピースのあちこちを指でつまんで調べはじめた。

「あんたがこれを ……ほんとに?」と、グラディス。

「この縁飾りも?」と、ローランド。

わたしは〝こんなのかんたんよ!〟と答えたかった。一見すると複雑そうだが、このワンピースは自分のつくるもののなかでは間違いなくかんたんな部類だった。それでも自慢たらしく聞こえるのはいやだったので、「自分の着るものはぜんぶ自分でつくるの」と返した。

部屋の向こう端から、シーリアがまた言った。「衣裳もつくれる?」

「つくれる気がする。どんな衣裳かにもよるけど、だいじょうぶだと思うわ」

美しいショーガールは、今度はすっと立ちあがって尋ねた。「こんなのをつくってもらえる?」彼女が化粧着を床に落とすと、その下の衣裳があらわになった。

(こんなふうに書くと、色気たっぷりのしぐさだと思われそうだが、シーリアの脱ぎっぷりはふつうの女とはまるでちがった。ほんとうにストンと、着ているものをただ落とすのだ。)

彼女の肢体は驚嘆に値したが、衣裳はごく基本的な形だった。きらびやかなツーピース ──まあ水着のようなもので、近くで見るより50フィート離れて見た方が映えるようにデザインされている。体に密着したハイウエストのショーツはきらめくスパンコールで覆われ、ブラジャーはビーズと羽根で飾られていた。似合ってはいたが、彼女なら病院の患者着だって似合うだろう。もっとシーリアを引き立てる衣裳がつくれるはずだと思った。まずこれは肩のストラップがぜんぜんだめ。

「つくれるわ」と答えた。「ビーズ刺繍がちょっと手間で、時間がかかる。でもあとは楽々よ」そのとき、夜空をかすめる彗星の光の尾のように、わたしのなかにいい考えがひらめいた。「そうだわ、衣裳監督がいるなら、わたしを使ってもらえない? その人の助手になるから!」

部屋じゅうから笑い声があがった。

「衣裳監督!」グラディスが言った。「ここがパラマウント映画かなんかだと思ってるの? イーディス・ヘッドが地下室に隠れてるとか?」

「ショーガールは自前で衣裳を用意するのよ」ペグが説明してくれた。「うちの衣裳庫に使えるものがなければ ──まあ、ないんだけどね ──私物でやってもらうことになってる。彼女らの負担になるけど、いつもそんなふうにやってきたわ。シーリア、それはどこで手に入れたの?」

「買い取ったのよ。〈エルモロッコ〉のイヴリンを憶えてる? 彼女が結婚してテキサスに移ることになったから、トランクひとつ分の衣裳を安く譲ってもらった。ついてたわ」

「たしかに、ついてたわね」ローランドが鼻を鳴らした。「あいつから変な病気を感染されなくて」

「よしなよ、ローランド」グラディスが言った。「イヴリンはいい娘だよ。彼女がカウボーイと結婚したから妬いてるんじゃないの?」

「ヴィヴィアン、もしあなたが衣裳づくりでこの子たちを助けてくれるなら、みんな間違いなく感謝するわよ」ペグが言った。

「南洋ショーの衣裳もつくってくれる?」グラディスがわたしに尋ねた。「ハワイのフラガールみたいなやつ、できる?」

コック長に粥をつくれと指示するようなものだった。

「もちろん。あしたにだってつくれるわ」

「あたしにもフラガールの衣裳つくってくれる?」ローランドが尋ねる。

「予算がないわ」オリーヴが釘を刺した。「新しい衣裳についてまだ話し合ってもいない」

「よしてよ、オリーヴ」ペグがため息をついた。「あなたって牧師の妻みたい。この子たちを楽しませてあげましょうよ」

わたしは、縫い物の話が始まってからずっと、シーリアに見つめられているのが気になってしかたなかった。彼女に見つめられるのは、怖いけれどゾクゾクした。

「あなた気づいてる?」わたしをひとしきり見つめたあとに、シーリアが言った。「あなたは、きれいよ」

正直に言うと、多くの人はもう少し早くそれに気づいてくれる。

でもシーリアのような美貌の女性なら、わたしになんの関心も示さなかったとしても、不思議ではなかった。

「教えてあげるけど」と、今夜初めて笑みを浮かべて彼女はつづけた。「あなたは、ちょっと、わたしに似てる」

アンジェラ ……はっきり言って、それは、ない。

シーリア・レイは女神、わたしはただの小娘。でも、彼女の言いたいことが、ぼんやりとだが、わかるような気がした。わたしたちはどちらも長身のブルネット、象牙色の肌、茶色の瞳、そして両目のあいだが広い。双子は到底無理だし、姉妹とも言いがたいけれど、いとこと言ったら通るかもしれない。体型はといえば、似たところまるでなし。シーリアが桃なら、わたしは一本のまっすぐな枝。それでも、似ていると言われて、わたしは舞いあがった。ただ、いまでも、シーリア・レイがわたしに目をつけたのは、わたしたちがほんのちょっとだけ似ていたからだと信じている。それが彼女の関心を引いた。自己愛の強い彼女にとって、わたしを見ることは、(とてもぼんやりと、とても遠くにある)鏡を見つめるようなものだったにちがいない。シーリアは、自分が愛せない鏡をけっして見ようとはしなかった。

「お揃いの服を着て、いっしょに街に出かけたいわね」シーリアが低い声で言った。ブロンクス訛リのちょっと音を伸ばすところが、猫が喉を鳴らしているように聞こえた。「素敵なトラブルを巻き起こせるかも」

それについてどう返せばいいのかとまどった。わたしはうぶなエマ・ウィラード校の女生徒よろしく、ただぽかんと口をあけてすわっていた。

わたしの法的庇護者のペグ叔母さんは、姪っ子を不良の道に誘いかねないシーリアの発言を耳にしたはずだが、「あら、おもしろそうね」と言っただけだった。

ペグはふたたびバー・コーナーに近づき、マティーニをまとめてつくろうとしたが、オリーヴがそれをやめさせた。リリー座の強面秘書は立ちあがり、両手をパンと打って宣言した。「おしまい! ペグをこれ以上夜更かしさせると、明日に響くわ」

「なによ、オリーヴ。一発くらわせてやりたい!」ペグが言った。

「さあ寝室へ、ペグ」動じることなく、腰に両手をあてがってオリーヴが返した。「さあ早く」

部屋にいた人たちが、おやすみなさいを言い合って、出て行った。

わたしは自分の部屋(自分の部屋!)に戻って、もう少しだけ旅荷を解こうとした。でも心が喜びに高ぶりすぎて、作業に身がはいらなかった。

服を衣裳だんすに吊しているとき、ペグがようすを見るために立ち寄った。

「ここの居心地はどう?」彼女は、ビリーの整然とした部屋のなかを見まわして尋ねた。

「すごく気に入ったわ。素敵よ」

「そう。ビリーも喜ぶわ」

「ペグ、ひとつだけ尋ねていい?」

「どうぞ」

「火事はどうなったの?」

「どの火事?」

「オリーヴが言ってたわ。きょう、劇場でぼや騒ぎがあったって」

「ああ、あれ! 建物の裏手で古い大道具から火が出たの。消防署に友人がいたから、なんとかうまくおさめられた。いやはや、あれってきょうだったっけ?すっかり忘れてた」ペグはそう言って、目をこすった。「いいこと、大事な子(キドゥ)、リリー座の暮らしはぼや騒ぎの連続。あなたもそのうちわかるわ。さあ、もう寝なさい。オリーヴ警察に踏みこまれない前に」

わたしはベッドにはいった。ニューヨークの街で眠るのも、男性のベッドで眠るのも人生初めてだった(でもこれが最後にはならなかった)。

散らかった居間をだれが片づけるのだろうと、ふと考えた。たぶん、オリーヴなのだろう。

***

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