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ベストセラー『限界集落株式会社』の著者・黒野伸一が書き下ろす、少し未来の横浜、新しい家族の物語。『AIのある家族計画』冒頭公開!

 テレビのニュース速報で、恐ろしい事件のことをやっていた。
 鶴屋町のマンションで人が殺されたらしい。鶴屋町はわたしたちが住んでいる町から、わずか二駅のところにある。
 被害者は四十代の男性。鈍器のようなもので殴られ、頭蓋が大きく陥没。遺体は見るも無残な状態だったという。室内を物色した形跡がないことから、怨恨による殺人の線で警察は犯人の行方を追っている──。
 毎日テレビを観るけど、事件報道がない日はまれだ。どうして悪いことをする人間が、こんなにたくさんいるんだろう。
 一緒にテレビを観ていたマサさんが「ふん」と大きく鼻を鳴らした。
「うちのすぐ近くじゃないか。いやだね~。どうせ、仲間同士の内輪もめじゃないのかい。殺されたやつもろくでもない人間だったんだろうさ」
 リモコンをかざしてテレビを消すと、マサさんは電動ベッドの上にうつ伏せになった。
「あ~、背中に鉄板が埋め込まれてるみたいだよ、キョウちゃん。ちょっと揉んでおくれ」
 わたしの名前は恵(めぐみ)なのに、マサさんはわたしをキョウちゃんと呼ぶ。最初のうちこそ「恵です」と言い返していたけど、ちっとも直してくれないので、今は放っておいている。何度もキョウちゃんと
呼ばれると、わたしの本当の名前は恵ではなく、実はキョウちゃんだったのではないかと怖くなる。
「痛いよー。もっと優しく」
「すみません」
 肩甲骨の辺りを強く圧迫し過ぎたようだ。指の力を緩めた。
「それはマッサージじゃないよ。背中を擦(こす)ってるだけだろう」
「すみません」
 再び指に力を込めるや否や、マサさんが「痛い!」と身をよじった。仰向けになり、枯れ木のような腕を振りあげる。節くれ立った小さな拳がわたしの膝を叩いた。
「あんた、わざと強くやってるだろう。そんなにあたしが憎いのかい。嫌いなのかい」
 マサさんが、今度はわたしの腕をつねった。
「そんなことは、ありません。ごめんなさい。痛くしてしまったことは謝ります。マッサージ、苦手なんです。でも練習しますから」
 指の力が緩んだ。わたしはゆっくりと、腕を引いた。
「ったく。あんた、力の加減ってものを知らないのかい。そんなんでよくヘルパーが務まるね」
「はい」
「はい、じゃないだろう」
 両腕を掲げたので、マサさんの背中に腕を回し、起床の手助けをした。マサさんは足が不自由だ。
「散歩に行くよ」
「はい。スーツを用意しますか」
「あんなみっともないもの、誰が着るかい」
 スーツというのは、簡易型パワードスーツのことだ。麻痺した左足に装着すれば、健常者と同じように歩行することができる。但し、見た目は凄くごつい。
「あんな一昔前のロボットみたいな格好で、街中を歩けないよ。それにあんなものに頼ってたら、本当に足が動かなくなっちまう」
 健司(けんじ)さんがせっかく母親のために買ってきたのに、マサさんは一度もパワードスーツを身に着けたことがない。健司さんは「元気な証拠だ」と悲しそうに笑っている。
 マサさんはパワードスーツの代わりに、花柄のワンピースをリクエストした。クローゼットからワンピースを取り出し、持っていくと「それじゃない」と怒られた。
「ほら、黄色と緑のやつだよ。昨日も着ただろう」
 昨日着たのは、茶色いベストとベージュのパンツだったけど、あえて指摘はしなかった。
「早くしておくれ」
 マサさんの声を背中で聞きながら、クローゼットの中を物色した。花柄のワンピースは初めてなので、戸惑う。
「どれだけ時間がかかるの」
 気が付くと、四点杖をついたマサさんが傍らに立っていた。
「ホラ、これだよ。ったく、クソの役にも立たないんだから、あんたは」
 マサさんが、春らしい小花が咲いたデザインの服を手に取り、わたしの胸に押し付けた。
「すみません」
 初めてのものにはいつも時間がかかる。一度覚えたものは、絶対に忘れない自信があるのに。
 マサさんの着替えを手伝った。ワンピースに着替えたマサさんは、わたしの肩につかまりながら、ドレッサーの前で横を向いたり、身体をねじったりした。
「まあ、こんなモンだろうね」
 今度は三面鏡の前に座ると、お化粧を始めた。わたしはマサさんの後ろに立って、じっと見守った。正面の鏡には、見る見る華やかになっていくマサさんと、青白い顔のわたしが映っていた。
「キョウちゃんはメイク、しないの?」
「わたしもしたほうがいいですか?」
「そんなの知らないよ。自分で決めなよ」
「はい」
 メイクをしたほうがいいか、考えてみた。お出かけするのだから、したほうがいいかもしれない。でもお散歩するだけで人に会わないのであれば、する必要がないのかも──。
「ま、若い人はすっぴんでもいいのか。肌の張りが違うし──」
 あれこれ考えている隙に、マサさんが結論を下してくれた。
「だけどあんた、よく見るとブスだねー。眠そうな顔してるし、愛想ないし。あたしが若い頃は、もっとキャピキャピだったわよ。いくつになったの?」
「二十歳(はたち)です」
「ウソだろー。年齢、さば読んでないかい?」
「二十歳です」
 わたしはもっと年上に見えるのだろうか。でも、わたしは正真正銘の二十歳だ。
 さあ、行くよ、とマサさんが四点杖をつかんだ。
 季節外れの寒波のせいで、真冬並みの曇天が続いていたけれど、今朝の空は晴れ渡り、気温も高かった。桜が蕾(つぼ)み始めている。スズメが数羽、もくれんの木に止まり、羽繕いをしていた。
 一陣の風が、マサさんの白髪をはためかせる。
「春だねー」
 マサさんが大きく息を吸い込んだ。わたしは、久しぶりに顔を出した太陽を仰いだ。
 歩みはゆっくりでも、しっかりとした足取り。マサさんは、毎日のお散歩を欠かさない。
「増田(ますだ)さんちの沈丁花(じんちょうげ)、満開だね。いい匂い」
 同意を求めるように、マサさんはわたしを振り向いた。さっきわたしをつねったことなど嘘のように思えるくらいに優しい目をしていた。わたしも笑顔を作った。
「いい匂いだろう」
 ご近所の庭先で咲き誇っている沈丁花を見ながら、マサさんが今一度同意を求めた。
「ええ」
 正直、よく分からなかった。鼻が詰まっているのかもしれない。
 わたしたちの横を電動カートに乗ったお年寄りが通り過ぎた。お年寄りはハンドルから手を放して、電子新聞を読んでいた。
「いくら自動運転だからって、ああいうのは危ないよねえ」
 マサさんが離れていくカートに顎をしゃくった。電動カートは交差点を右折し、原付バイクの後ろについた。
「いきなりトラックが突っ込んで来たりしたら、よけきれないだろう。いくら自動運転でもさあ」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫じゃないよ」
 マサさんが、ギロリとわたしを睨む。
「今のAIは、自動運転ネットワークで繋がっていますから。交通のすべてを専門のサーバーで管理しているんです。だから事故も渋滞も起こりません」
「へ~え。あんた、頭いいんだ~」
 マサさんが目を大きく見開き、下唇を突き出した。
「そんなこと、まったく知らなかったよ。科学の進歩は年寄りがついていけないほど速いんだねー。そっか、だから健ちゃんは失業したんだね」
 健司さんは失業者だったのか。そんなことはまったく知らなかった。
「ずっと前の話よ。自動車保険の営業マンだったんだから。事故が起きなきゃ、お払い箱だよねー」
 わははは、とマサさんが笑った。
「あんまりいい大学出てないから。就職では苦労するんじゃないかって、あたしもおとうさんも心配してたけど、運よく大手の損保に決まって、大喜びしてたのに。こんな風になっちゃうなんて、ひどいよねー。こんなことなら、小さくてもいいから、AIの会社とかに就職しておけばよかったのにねー」
 信号が青になったので、わたしたちは横断歩道を渡った。
「あたしがまだほんの小さな子どもだった頃、おじいちゃんから聞いた話だけど、戦後間もない時分は、石炭業界が人気だったんだって。当時のエネルギーの主流は、石炭だったからね。だからよっぽどのエリートじゃない限り、石炭会社には就職できなかった。ところが、すぐに石油が石炭にとって代わってね。石炭は斜陽産業になっちゃった。せっかく花形業界に就職できたのに、エリートたちは再就職で苦労したってさ。まったく、世の中分からないもんだよねー」
 昔のことを語るマサさんは、とても聡明に見える。今朝食べたご飯のおかずさえ思い出せない人のようには見えない。
「あれはダメだね。年寄りこそ身体を鍛えなきゃいけないよ」
 えっ?
 話の脈絡が見えなかったけど、突如話題が石炭から先ほど見た電動カートに乗ったお年寄りに移ったことを、ほどなく理解した。
「楽ばかりしたいと思うから、どんどん身体が動かなくなっちゃうんだよ。年を取ってからこそ運動が大事だね」
 しばらく歩いていくと、ロフトバンクのお店の前で、ホッパーが新製品のビラを配っているところに出くわした。
 三代目ホッパーだ。初代ホッパーはまだ学習途上で、二足歩行ができなかったと聞いた。二代目になると、人間そっくりの容姿に変わったけど、これがなぜか不評で、現在の三代目は、初代と同じ、いかにもマンガに出て来るロボットみたいな外見に戻った。とはいえ、初代と違い二足歩行はもちろん、飛び跳ねたり、サッカーもできる。ダンスもお手の物だ。
 マサさんがビラを受け取ると、ホッパーが胸に手を当て「ありがとうございます」と深々とお辞儀をした。
「ロフトバンクの最新型AIフォン、ミクロイドⅡです。よかったら、お試しになりませんか」
「何だいそりゃ」
「こういうものです。小さくてとても便利なんです」
 ホッパーが細い指でつまんで見せたものは、そら豆のような形状の小さな機械だった。
「それをイヤホンみたいに耳にはめ込んでください」
 マサさんが、AIフォンを耳に詰めた。
「えっ?……あたしの名前? 杉山昌(すぎやままさ)。年齢? んなモン、なんであんたに言う必要がある。……別に怒ってないよ」
 マサさんがAIと会話を始める。ホッパーがわたしを振り返った。挨拶しようと口を開きかけた時、ホッパーはスッと目をそらした。
「……ああ、大丈夫だよ。ご機嫌いいから。えっ? 質問? 何でも答えるって? そう急に言われてもねー……じゃあ、明日の天気は? へえ、春の嵐。また寒くなるって? 嫌だねー、早く春本番にならないかねー。何だか耳がムズムズしてきた……もう、いい」
 マサさんが耳をほじってAIフォンを取り出した。
「特殊相対性理論の説明から、五目炊き込みご飯の作り方まで、ミクロイドⅡは、ユーザーの質問には何でも答えてくれます。もちろん、電話もかけられますよ。届いたメールは読み上げてくれますし、代返もします。ユーザーの代理で熱いラブレターや、お悔やみの言葉なども、テキストまたは音声データで送信が可能です」
「へ~え。便利な世の中になったモンだね。だけどこれ、年寄りにゃ贅沢過ぎるよ」
「もしご興味が湧いたら、いつでもご連絡ください」
 ホッパーがマサさんに名刺を差し出した。受け取った名刺をわたしに預け、マサさんは歩き始めた。
「あんなモンが耳の奥に詰まってたら、人間の脳みそなんていらないじゃないか」
 マサさんが悪態をついた。
 脳みそがいらないというのはオーバーだろう。脳みそを使う必要がない、というのが正しい表現だと思う。分からないことはすべて、耳の奥にいる誰かが答えてくれるのだから。
 ブンブンという音がしたので空を見上げると、ドローンが飛んでいた。今日はいつになくドローンが出ている。ブルドーザーも運べる超大型のものから、目に見えないくらいミクロなものまで大きさは様々だ。
「天気がいいから、巣から出て来たのかねー。相変わらずブンブンうるさいね。何やってるんだろうね、あいつらは」
 マサさんが空を仰いだ。
 配達をする者、撮影をする者、監視をする者、中には暗殺に向かう者もいることだろう。ドローン型AIの用途は様々で、近年ますます需要が伸びている。
「さあ、行くよ」
 マサさんが、わたしの腕を引っ張った。
「今日はお天気がいいから、横浜駅のほうまで歩いてみようよ」
 わたしたちがいる東白楽から、横浜駅まで「東横フラワー緑道」が延びている。高架線を走っていた頃の東横線の廃線跡に沿って整備された遊歩道だ。
 緑道に足をふみ入れると、ベンチに寝そべっていた無精ひげの男が顔を上げ、ジロリとこちらを見た。頭がボサボサで、泥だらけの子どもたちがどこからか現れ、わたしたちにまとわりつこうとする。
「コラ! あっち行け」
 マサさんが杖を振りあげ、威嚇した。不自由な右足を除けば、マサさんは同世代の婦人に比べ、力がある。小さな子どもたちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「しばらく来ないうちに、ホームレスの寝床になっちまったようだね、ここは」
 刀のように振り回していた杖を収め、マサさんが荒く息を吐いた。
「もう帰りますか?」
 マサさんの肩を支え、尋ねた。
「いいや、横浜駅まで歩くんだよ。さあ、行くよ」
 マサさんがわたしのお尻を叩く。
「ここも昔は綺麗でオシャレなところだったのよ。それがいつの間に、こんなになっちゃったのかねー」
 かつては花壇だった場所は荒れ放題。そこかしこにゴミが散乱し、悪臭をまき散らしている。公衆トイレの前では、上半身裸の男性が濡れたシャツを絞っていた。久しぶりの晴天なので、お洗濯をしているのだ。
 かつては東横線が通っていたトンネルを抜けると、道路に規制線が張られていた。いかつい顔をした警官が、ここから先は立ち入り禁止ですよ、と無言の圧力をかけてくる。そういえば、この先で今朝、殺人事件は起きたのだ。
 仕方なく、青木橋まで戻って、横浜駅東口のショッピングモールに向かった。
 東白楽から横浜までの約二キロ、マサさんは途中何度か休憩を挟みながら、歩き切った。カフェで一休みした後、晩のおかずを買って、タクシーで帰路に就いた。窓から見た西の空は、淡いオレンジ色に染まりかけていた。

        *

「困るんだよねー、杉山さん」
 青葉建設の担当者、横山(よこやま)が背もたれに寄りかかり、わざとらしくため息をついた。若いが、現場事務の一切を取り仕切っている、色白で細身の男だ。
「何だか急にフリーズしちゃうんだよねえ。現場のド真ん中でさー。それも一度や二度じゃないんだ」
「どのくらいの間、フリーズするんですか」
「まあ、五、六秒。長くても十秒程度だけどさあ。短い間でも何度も動かなくなると、おそろしく非効率なんだよねー。そう思うだろう」
「はい……」
 杉山健司は固く目をつむり、頷いた。
「だったら、早く何とかしてよー。工期が遅れたら、あんたんところの責任だからね。ペナルティ払ってもらうよ」
「申し訳ありません」
 健司は深々と頭を下げた。一回り以上年下の横山は、いつも横柄な態度で接してくる。青葉建設は重要なクライアントなので、それも仕方ない。
「ちょっと、一緒に来て見てもらえるかな」
 えっ?
 一瞬目元が引きつってしまったのを、見られただろうか。横山は面白がるように目を細め、ヘルメットを被った。
「解体現場に行くから、杉山さんもメット被って」
 作業机の上に転がった泥だらけのヘルメットに顎をしゃくる。ヤツデの葉っぱのロゴが入った青葉建設のヘルメットを被り、健司は横山の後に続いた。二人は仮設のプレハブ小屋から出て、現場に向かった。
 廃屋を撤去している重機の中に、健司が先月青葉建設に貸し出した土木作業用四足歩行ロボット「ビッグフット」がいた。ショベルアームで瓦礫を掻き集め、背中の荷台に積み込むと、のっしのっしとインド象のような足取りで去っていく。見たところ、不具合があるようには思えなかった。
「さっきも言っただろう。フリーズするんだよ。おいっ! そいつを止めてくれ」
 横山が声を上げると、作業員の一人が「ストップ!」と命令した。ビッグフットは一瞬身体をブルッと震わせ、前足を上げた状態のまま静止した。
「ほら、なんかちょっとおかしいだろ。杉山さん、点検してよ」
「はあ……」
 点検などやったことがなかった。この仕事を始めて十ヶ月経ったが、未だに素人に毛の生えたようなものだ。二十数年損保営業一筋で来た健司には、中古ロボットのレンタルはまるで畑違いだった。おまけに極度の機械オンチと来ている。
 静止したビッグフットは、小山のように巨大だ。こんなものを点検しろと言われても、何をどうしていいものやら分からない。下手にどこかのスイッチを押したら、暴走してしまうかもしれない。この大きさで暴れ回られたら、怪我人が出るだけでは済まないだろう。
 片足を持ち上げたままの状態で静止しているビッグフットの前で、健司は額に脂汗を浮かべ、立ちすくんだ。薄ら笑いしながらこちらを見ている横山を、視界の端に捉える。やはりこの男は、こちらが素人であることを見抜いているのだ。
「どうしたんだい、杉山さん。何じ~っと突っ立ってるの?」
「すみません。わたしは営業部隊なので、ハードの不具合は専門外なんです。すぐに技術者を呼びますから」
「そんなの待てないよ。営業マンだって、扱ってる商品の構造くらいは理解してるんでしょう」
 確かにこの仕事に就く際、簡単なブリーフィングを受けた。だが、そんなものはとっくに忘れてしまった。
「ともかく、技術者に連絡します。至急来させます」
  その場で会社に電話をかけた。営業課員の吉田(よしだ)を呼び出し、事情を説明すると「う~ん」と唸る声がスマホの奥から聞こえてきた。
「おれがやっていたのは、車の査定ですからね。ロボットに関しては門外漢ですよ」
「そこをなんとか頼む。きみだけが頼りなんだ」
 小声で懇願した。吉田は健司がサニー損保の社員だった頃からの部下だ。
 自動車保険の大手、サニー損保が業績不振に陥ったのは、言うまでもなく自動運転技術の発達が原因だった。交通事故のなくなった世界にもはや保険は必要ない。
 瀕死の状態のサニー損保の株式を引き受けたのは、今やトヨタ自動車を抜き、日本一の売り上げを誇るJロボテクスである。ロボットの製造販売では国内最大手で、AIの進化と共に、近年飛躍的な成長を遂げた。
 Jロボテクスグループの一員となった旧サニー損保の社員たちは、慣れないロボットレンタル販売の仕事を任された。健司が所属していたサニー損保横浜営業所は、Jロボテクスの販売子会社「ビッグロボット」と社名を変え、営業を開始した。
 操業してからもうすぐ一年になるが、業績は相変わらず上がらない。保険プロパーたちは、ロボットのレンタル販売に未だに戸惑いを見せている。社内にロボット工学の専門家が一人もいないので、高度なニーズには応えられない。親会社のJロボテクスに支援を求めても、木で鼻を括る対応をされるばかりだ。
「……駆動系だけの問題じゃないっすよ。人工知能がイカレたから診てくれといわれても無理です」
 営業所一メカニックに強かった吉田も、電子頭脳が相手では手も足も出ないらしい。
「太田(おおた)所長に言って、Jロボのエンジニアに来てもらってください」
 それが出来たらとっくの昔にやっている。
「すみません、杉山さん。客を待たせてますので、そろそろ切らせてください」
「えっ、ちょっと待って……」
 ブツリと音がして、ツーツーツーというビジートーンが流れた。健司が肩を落とし、スマホを切る。横山が首を振り、集まって来た作業員を振り返った。
「どうやら助っ人も来ないようだね、杉山さん」
「……」
「ダメだね、これじゃ。どうするのよ。このままこいつを使い続けて人身事故でも起こしたら責任取れるの?」
「いや、使い続けることはできないな。おれだって責任取れん」
 太い腕に刺青をした現場監督の男が、健司を睨んだ。
「──だってさ。親方にダメっていわれちゃこいつはお払い箱だ。工期が大幅に遅れるよ。こりゃ損害賠償モンだな」
「待ってください」
 健司が横山に詰め寄った。
「一日だけ待ってください。エンジニアを連れて来ますから」
「何で今できないのよ?」
 時計を見ると、もうすぐ午後五時を回る時刻だった。今からJロボテクスに連絡を入れても、すぐに来てはくれないだろう。子会社のために残業をするような連中ではない。明日には絶対に来させますからと説き伏せ、何とか横山を納得させた。
「明日の朝一にしてよ。こっちだって、急いでるんだから」
 尊大に眉をひそめる横山に平身低頭し、現場を後にした。営業車に飛び乗ると、すぐさまJロボテクスに連絡を入れた。呼び出し音を聞いているうちに、自動でエンジンがかかり、ギヤがドライブに入った。ハンドルを握る必要がない車は工業地帯を出て、第二京浜国道を横浜方面に向かう。これのせいで職を失ったとはいえ、完全自動運転はやはり便利だ。一昔前だったら、運転中に電話などしていれば警察に捕まった。
 Jロボテクスの担当者は「御社には研修を受けた社員がいるでしょう」と不満気に言葉を濁した。研修といっても、たかだか三日しか行われていない。疲れた顔で戻ってきた吉田が、机の上に突っ伏し「AIなんて、わっかんね?」と嘆いていた姿を思い出す。
 そこをなんとかお願いします、とフロントガラスに向かって赤べこのように何度も頭を下げた。正面から来た車に乗っていた子どもが、すれ違いざまに健司を指差し、笑っていた。
「明日の朝? まあ、何とかしてやってもいいけど──その代わり、こういうことはもう最後にしてもらうよ。御社は独立した販売子会社なんだから、いつまでも親会社べったりでは困るよ」
「はい! それはもう、重々心得ております。ありがとうございます!」
 胸を撫で下ろした。
 会社に戻るなり、所長室のドアをノックした。返事がないので「失礼します」と中に入る。ビッグロボット横浜営業所長の太田は、既に帰り支度を整えていた。時刻は五時四十分。終業時間まであと二十分残っている。
「何? 報告? 明日にしてくれないかなあ。これから大事な用があるんだよ」
 大方、昔の同僚と野毛の飲み屋にでも行くのだろう。青葉建設の件を急いで報告すると、太田が興味なさそうに鼻を鳴らした。
「具体的な不具合なんか、ないんだろう。ならないと、はっきり言ってやればいいじゃないか」
 クライアントの前でそんな強い態度には出られない。もし本当に不具合があったら、信用問題に関わる。だからまず、調べることが先決だ。こう説明しても、太田は面倒くさそうな顔をするばかりだ
った。親会社からの出向組には、ともかく尊大な連中が多い。
「当社の技術部門を、早急に増強する必要があります」
「なら提案書を上げてよ。悪いが行かなきゃならないんだ」
 上着を羽織ると、太田は所長室から出て行った。ひとりポツンと残された健司は、大きなため息をついた。Jロボテクスから出向して来た太田の下で働き始めて早十ヶ月。未だに二人の仲は微妙だ。
 面倒なことは副所長の健司に押し付け、調整と称して親会社に入り浸る太田は、部下からまったく信頼されていなかった。それでいて、現場営業もやっている健司の三倍近い給与を貰っている。
 部下たちの報告を聞き、机の上に溜まった書類に目を通した。時刻は既に夜の八時を回っている。
たまらなく飲みに行きたかったが、明日も早いことを思い出し、大人しく家に帰ることにした。血液検査で中性脂肪と、悪玉コレステロール値がレッドゾーンと指摘されたばかりだ。近頃にわかにせり出して来た腹を擦(さす)り、健司は立ち上がった。翌日の朝早く、健司は青葉建設の工事現場にいた。
 約束の時間になってもエンジニアは現れなかった。腕時計を見ながら足踏みしている健司の傍らで、横山が薄笑いを浮かべていた。
「まさかまた裏切られちゃったのかな? 杉山さん」

……続きは本篇で!


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