1から学ぶ

足し算、掛け算だけで微分積分が分かる?『1から学ぶ大人の数学教室』の訳者あとがき

むかし苦手だった数学が仕事で必要になったり、興味をもちはじめた社会人や、学校の数学につまずいている学生・生徒のみなさんに、数学を学び直すきっかけをあたえてくれるジェイソン・ウィルクス/冨永星訳『1から学ぶ大人の数学教室』(早川書房)が2018年2月20日に発売されました。その型破りな数学導入法はどのようなものなのかを紹介する、訳者あとがきの抜粋を以下に掲載します。

 これは、Jason Wilkes 著Burn Math Class: And Reinvent Mathematics for Yourself(数学教室を燃やしてしまえ。そして自分たちの数学を再発明しよう)の全訳である。
 序文および序序文によると、著者はこの作品を「旧来の数学の授業を焼き払い、新たな数学を発明する」ためにまとめた。ちなみに日本の高校でも、指数・対数と三角法を学んだ後に微分積分学を学ぶという(著者曰く)カリキュラム上の逆行があり、生徒たちが暗記とはもっとも縁遠い数学を最強の暗記科目と認識していること(「だって、公式を暗記して、それに当てはめればいいんでしょ?」)を考えると、著者の主張は決して他人事ではない。
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 著者はこの本で、足し算とかけ算になじみがありさえすれば(といっても、実際の値は計算しなくてよい)、分数の値の計算や実際の割り算なんか絶対にしない! という人にも無理なく納得できる形で、微分積分を紹介している。しかも、絶対に暗記を強制したりはしない! というのだから、これはもう不可能に思える。ところが実は「自力で数学を作っていく」という奥の手があった。それを実践したのが、この本なのだ。そのため第1章は、面積や傾きなどについての日常の感覚を数を使って表す、というもっとも基本的なところから始まる。しかしこれは、実は「質に関する日常の言葉から量を用いた分析的な数理科学の言葉への移行」という数理科学の誕生のエッセンスでもある。さらにそこから記号(この本では略号と呼ぶ)を使ったいわゆる「公式」を自力で作るわけだが、その際にも候補を1つずつ確認し、「なぜそうなるのか」を徹底的に追求する。だから読者は、「ええっ? だって今の話だと、これかそれか、ひとつには決められないんじゃないの?」というもやもやした気持ちを抱えずにすむ。しかもそれによって、数学が実は理屈だけで構成された超越的なものではなく、それに取り組む人々の価値判断、歴史も加わったある意味で人間くさいものであるということが浮き彫りになる。では泥くさいだけかというと決してそうではなく、この本でも、高校で学ぶ微分積分学を無事発明し、残り4分の1あたりでそれを多変数、無限次元に拡張する(のだ、呆れたことに!)段になると、記号の読み替えによって、高校段階ではまったくの別物としか思えない「ベクトル」と「関数」を同一視しはじめ、無限次元の微分積分学へと飛び立つ。これは、概念を形式化して抽象化することによって具体の縛りを抜けて飛翔する、という現代数学の性質の端的な表れといえる。著者は、あくまでも数学の本質に則って、読者とともに「数学」を作っているのだ。本書は「自力での数学作り」としても楽しめるし、その後ろに潜む著者の数学観、数学教育を楽しむこともできる、いわば二度おいしい作品なのである。
 
 さて、各章で数学の展開のエッセンスを提示するだけでなく、幕間では数学史上の著名人(コンピュータの父といわれているアラン・チューリングや数理論理学の新たな分野を開拓したスティーヴン・クリーネ)が登場し、果ては数学そのもののメタな構造がそのまま作品に闖入してくるのだから、数学の専門家でない読者はいささかあっけにとられる。数学がしゃべったり、シルだのメタ数学だのという訳のわからないものが登場したり、果ては「1階層上がる」などと言い出してみたり、いったいこれは何じゃいな? だがこれもまた、著者の数学への思い入れの発露なのだろう。あるいは著者の遊び心……極めつけのサービス精神。これはあくまで訳者の推測だが、著者は「ただでさえもったいぶった教え方をされている数学について、改革のためとはいえしゃっちょこばったマニフェストを掲げるだけでは人々をますます数学から遠ざけることになってしまう。それよりも、自分たちの数学を作るなかで読者にも数学のエッセンスを発見、実感してもらいながら、自分が感じている数学のエッセンスを、おかしなやつだなあと笑ってもらえるような形で提示したほうが得策だ」と考えたのではなかったか。「数学を作る」だけなら、(世間的には無名な?)数学界の著名人を出したり、「メタ」云々といったことを持ち込まなくとも事足りる。でもそれでは「華」がない。「自分たちの数学」を作るなかでこの分野の最先端における数学者の経験(の縮小版)を実感してもらうだけでなく、数学独特の感触を物語の骨格に反映させて、その感触を味わってもらえたら、と思ったのだろう。
 2016年にこの本が刊行されたときのレビューでは、たとえばサイエンティフィック・アメリカン誌が、「いかにも厚かましい題名だが、数学の美しさを再発見するのに役立つ形で、基本的な数学概念を形式張らずに紹介している作品」とし、「数学好きの人々は、その肩肘張らないアプローチと、なんとしても数学人気を後押ししようとする決意に魅了されるだろう」と結んでいる。天童といわれたアメリカの数論幾何学者で自身も活発に数学啓蒙活動を行なっているジョーダン・エレンバーグが、「これは、数学を愛してやまず、高等学校が大嫌いな人物が再設計した高校数学である」と述べているかと思えば、「これは、教養があるふりをしたい人のための卓上大型豪華本ではなく、本気で教養をつけたいと思っている人、数学を骨身に染みいらせたいと考えている人のための本だ」という評もある。
 そのような作品を上梓した著者のこれまでについても、やはり序文で述べられているが、現在は、進化心理学のパイオニアであるレダ・コスミデスの下で、演繹と帰納による推論の心理学、不確実な条件下における解釈と決定、スカラー量の神経表現についての研究を続けている。それにしても、数学の学士号をとりつつ物理学と哲学を学び、数理物理学の修士課程に進んでひも理論などの量子重力理論を研究するなかで、今度は進化心理学に興味を持つようになり、数カ月間自学自習した後に公式の心理学の教育を受けずにカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の心理学および脳科学専攻の博士課程に進学したというのだから、著者はかなりの力量の持ち主なのだろう。ちなみに、一般向けの数学啓蒙書の著者の年齢は概して高めだが、原著者はきわめて若く、この作品にも若さゆえの勢いがある。これは、つい最近数学からの疎外とそこへの帰還を強烈な形で経験して数学愛に目覚めた人物が、まだその記憶が新しいうちに提示した、数学教育改革のマニフェストなのだ。
 
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 この本は、数学への愛を多くの人と共有したいという著者の願いから生まれた本である。そのためにさまざまな工夫が凝らされており、数学が好きでも嫌いでも、「できて」も「できなく」ても、数学って何だ? と感じたことがある人であればきっとおもしろく読めると思う。ここでさらにひとつだけ訳者の私見をいわせていただくと、現在進行形で旧来の数学教育の被害を受けている学生たちと被害を受けてきた人々に向けた著者の謝罪文であるこの作品を、どうか現在日本で数学教育を行なっている方々にも読んでいただきたいと思う。
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 読者の皆さんには、さまざまな工夫が満載で独特の勢いのあるこの作品を、そしてそこに示された数学の営みを、どうか存分に楽しまれますように。
 2018 年1 月 冨永 星

1から学ぶ大人の数学教室(ジェイソン・ウィルクス、冨永星訳、A5判並製)は早川書房より発売中。
http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013811/


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