見出し画像

熱い冒険ノワール『熊の皮』訳者あとがき公開!

 本年度アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞――つまり、今年のミステリのなかで、もっとも注目されたミステリの処女長篇のひとつ――に輝いた、厳しくも雄大なアパラチアの自然を舞台にした冒険ノワール『熊の皮』。その翻訳者である青木千鶴さんによるあとがきを公開します。読みどころや著者ジェイムズ・A・マクラフリンのちょっと珍しい経歴などがたちまちわかる仕様です。ぜひ次の読書のご参考にしてください!

熊の皮_帯

熊の皮
ジェイムズ・A・マクラフリン
青木千鶴[訳]
ハヤカワ・ミステリ
本体価格1900円(税抜)
ISBN978-4-15-001949-5

訳者あとがき


 アパラチア山脈の一角に位置する自然保護区にて管理人の職を得たライス・ムーアは、人里離れた山奥でひとりきり、まるで世捨て人のような日々を送っていた。野生の動植物を観察しては記録するという、孤独な作業に明け暮れる毎日。だが、思いかえすことすらためらわれるほどの過去から逃れるため、名前を捨て、他者との関わりをすべて絶ち切ると決意していたライスにとって、このターク山は恰好の隠れ処となるはずだった。
 そんなある日、手足と胆嚢を切りとられ、全身の皮を剥がれた熊の死骸が、禁猟区であるはずの山中で発見される。調べてみると、熊の手足や胆嚢は、ブラックマーケットにて高額で取引されているという。かつて生物学者を志していたライスは、極悪非道なる密猟犯を捕らえるべく、危険を承知で調査に乗りだす。荒くれ揃いの猟師たちから向けられるあからさまな敵意。不法行為を繰りかえすバイカーギャングとの対立。ついには、遙か西部の国境の街に置き去りにしてきたはずの過去の因縁が、ライスの背後に迫りくる。
 ライスの過去に、いったい何があったのか。巧妙な罠を仕掛けて熊を狩る、卑劣な密猟犯を捕らえることはできるのか。先任の管理人が保護区を去らざるをえなくなった原因とはなんなのか。神出鬼没の森の住人──片腕のない男──の正体とは。幾重にも絡みあった謎が、しだいに解きほぐされていく。

 最後のページをめくり終えたときの感覚を、どうお伝えすればいいだろう。深い森からようやく抜けだしてきたような、それでいてもう一度あの場所へ戻りたくなるような、なんとも名状しがたい不思議な余韻。物語の舞台となるターク山は、チェロキー族に言い伝えられるところの〝ひとならぬもの〟がさまよう山──あまたの異様(ことざま)の山──と呼ばれている。鬱蒼と木々が生い茂る森の内奥で、ライスは密猟犯を追いつめるべく森に溶けこみ、同一化していく。読み手もまたその目を通して、森のなかをさまよい歩くこととなる。大自然のなかで生まれ育ってきたという著者だからこそ表現できたのであろう、真に迫りながらもどこか詩的で濃密な情景描写が、読む者の五感を刺激する。大地の香りや、朽ちゆく肉の腐敗臭、野生動物の体毛の感触、東部山岳地帯に特有の湿気や熱気、ひんやりと肌を撫でるそよ風、かすかな木漏れ日、夜の闇、虫の音や鳥のさえずりまでもが、じかに感じとれそうなほどだ。自然を愛する著者の森に対する畏怖と敬意とが、ありありと伝わってくることだろう。
 それと対比するかのように、ライスが過去に暮らしていたアリゾナの風景──メキシコとの国境地帯に広がる砂漠の乾いた風景──には、荒涼たる趣がある。主人公の背後に迫りくる追っ手の不気味さが、その情景を通じて、否応なく増幅されていくはずだ。

 本書『熊の皮』は本国アメリカにて二〇一八年六月に上梓され、二〇一九年のエドガー賞最優秀新人賞を獲得している。また、出版後まもないうちに、ニューヨーク・タイムズ紙が選ぶ〝この夏注目の四人の作家”や、パブリッシャーズ・ウィークリー誌が選ぶ〝この夏の推薦書”、アマゾンの〝ベスト・ミステリズ・アンド・スリラーズ”などに挙げられたほか、翌年には、アンソニー賞最優秀新人賞やバリー賞最優秀新人賞を筆頭とする数々の賞にもノミネートされている。
 著者であるジェイムズ・A・マクラフリンは、ヴァージニア州の山地にて生まれ育ち、ヴァージニア大学で法学士および美術学修士の学位を取得した。長篇デビュー作となる本書を世に送りだす以前には、エッセイや短篇小説、風景や野生動物を写した写真などが数多くの雑誌に掲載されており、本書の下敷きとなったという短篇“Bearskin”もまた、二〇〇九年にウィリアム・ピーデン賞を受賞している。現在はユタ州ソルトレイクシティの東に位置するワサッチ山脈に暮らしながら、本書と関連のある二篇の小説を執筆中であるという。

 二〇一九年十月

プロフィール
青木千鶴
(あおき・ちづる)
白百合女子大学文学部卒,英米文学翻訳家
訳書
エレベーター』ジェイソン・レナルズ
二流小説家』『ミステリガール』『雪山の白い虎』『用心棒』デイヴィッド・ゴードン
三人目のわたし』ティナ・セスキス
(以上、早川書房)他多数

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!