2001-_キューブリック_クラーク

『2001年宇宙の旅』製作ドキュメンタリー・ブック決定版、 『2001:キューブリック、クラーク』監修者・添野知生氏のあとがき公開

『2001年宇宙の旅』公開50周年記念作品『2001:キューブリック、クラーク』が12月27日に刊行されます。本作は伝説的傑作『2001年宇宙の旅』を作り上げた二人の天才──スタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークにスポットを当てたノンフィクションで、クラークをはじめ、当時の関係者に徹底取材を行った製作ドキュメンタリー・ブックの決定版です。本欄では、映画評論家で本作の監修者である添野知生氏のあとがきを特別公開します。(編集部)

監修者あとがき
添野知生(映画評論家)

 本書は Michael Benson, Space Odyssey: Stanley Kubrick, Arthur C. Clarke, and the Making of a Masterpiece(2018)の全訳である。映画『2001年宇宙の旅』の歴史的な一般公開日からぴったり50年後の2018年4月3日に、米サイモン&シュスター社から発売され、書評、読者評ともに、きわめて高い評価を得た。
「強烈で忘れがたい共同作業についての、詳細で、しばしばスリル満点の報告書。途方もない映画についての途方もない分析だ」(ワシントン・ポスト)
「『2001年』のメイキング本は何冊もあったが、ベンソンの本はこれまでの本すべてを合わせたよりも先に突き進んでいる」(ニューヨーク・ジャーナル・オブ・ブックス)
「☆4.7つ」(amazon.com 118人のカスタマーレビューの平均点)

 50周年記念ということで、2018年は日本でも『2001年宇宙の旅』をめぐる大きなイベントが相次いだ。5月のカンヌ国際映画祭で、映画監督クリストファー・ノーランの監修による70ミリ・ニュープリント版のプレミア上映が行われ、世界を巡回するこのプリントが、10月には日本にやってきた。国内で唯一、70ミリ・フィルムをかけられる映写機のある施設として東京の国立映画アーカイブ(旧フィルムセンター)が手をあげ、「70mm版特別上映」として全12回の上映を決定。チケットは瞬時に完売した。
「オリジナル・カメラネガからデジタル処理を介さずにフォトケミカル工程だけで作成された70mmニュープリント」で、DTS方式で再生される音声は「公開当時と同じ6チャンネル」というこれは、時代に逆行するように「アンレストア版」とも呼ばれ、50年前のシネラマ上映が持っていた可能性と情報量を徹底的に引き出そうという試み。日本では通常スクリーンでの上映ながら、なるほどフィルムの粒状性と発色の優位を強く印象づけるものになった。
 続いて10月の後半には、全国のIMAXデジタルシアターで『2001年宇宙の旅(IMAX上映)』が二週間限定で公開された。こちらはこちらで、高精細で明るいデジタル上映によって、かつての大画面映画を現代の大型スクリーンで見る楽しさを知らしめた。
 さらに12月1日には、この日から始まったBS8K放送の目玉として、NHKの新チャンネルが『8K完全版2001年宇宙の旅』を放送。ワーナー・ブラザースのレストア部門によるオリジナルネガからの8Kスキャン工程を紹介する特別番組も放送された。
 そして12月には、4KウルトラHDを含むリマスター版ブルーレイの発売も予定されている。

 そんな一年間の締めくくりとして出るのが本書だが、内容的にはこれほどふさわしいものはない。
 本書では、これまで明かされてこなかった、あるいは見過ごされてきた重大な疑問に、はっきりとした答えが示されている。例えば、

 ・『2001年宇宙の旅』に脚本はあったのか?
 ・骨を投げ上げる動作は、誰が思いついたのか?
 ・ディスカバリー号は、誰がデザインしたのか?
 ・スター・ゲート映像の原点となった、ある映画のオープニングタイトルとは?
 ・アーサー・C・クラークはどこで『2001年』を書いたのか?

 いずれも従来の著作やドキュメンタリー映像では、語られてこなかったり、推測するしかなかった疑問であり、50年目にして謎が解かれ、そこから新たなテーマが開けてくる奥の深さに、改めて強い感動を覚える。
『2001年宇宙の旅』に絞って製作の舞台裏を明かした著作としては、ジェローム・アジェル『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』、アーサー・C・クラーク『失われた宇宙の旅2001』、ピアース・ビゾニー『未来映画術2001年宇宙の旅』があり、さらに未訳だが、本書にも登場するダン・リクター、アンソニー・フリューインの著書があるし、ハリー・ラングのデザインを集めた美術書も出ている。
 半世紀の節目に登場した本書は、そうした従来の著作を参照・統合したうえでさらに取材を重ねた『2001年』をめぐるノンフィクションの決定版であり、製作に直接携わった人々がすでに70~80代の高齢であることを考えると、今後もこれを超える本はなかなか出てこないだろう。
 何よりも驚くべきは、一次資料の調査の徹底ぶりで、クラークとキューブリックが遺した資料を所蔵するそれぞれのアーカイヴにあたり、書き込みのある原稿、契約書の下書き、撮影日報の写しに至るまで、調べ上げ、比較し、その意味を考えている。さらに前出のアジェルなど過去の取材者からテープや記録を提供してもらい、当時は使われなかった部分まで掘り起こしている。
 そのうえで、ていねいで言葉をつくした分析、偏りのない評価を展開し、著者自身の言葉で語る抑制的な語り口も好ましい。それによって立ち上がってくるのは、キューブリックとクラークの邂逅の場面の瑞々しさであり、撮影に入ってからの職人気質のイギリス人スタッフのかっこよさ、一ミリでも作品をよくするためには自分の身も他人の身も顧みないキューブリックの徹底した姿勢、“映画屋”的と言いたくなる、今では許されない乱暴で痛快なエピソードの数々などである。
 また、感動のあまりページを繰る手が止まることもたびたびで、ゲイリー・ロックウッドがキューブリックと対決したときの話、ジェフリー・アンスワースの監督への賛辞、妻クリスティアーヌだけが知っていた監督の逡巡と重圧など、涙なしには読めないエピソードも多い。
 キューブリックの美点の一つとして、年齢や社会階級による分け隔てをせず、見どころがあると思えば誰でも起用し、どんどん仕事をさせたということがある。なかでも、ティーボーイ(撮影所のお茶汲み係)だったアンドリュー・バーキンの体験は、まるでそれ自体がフィールディングの『トム・ジョーンズ』のような成長小説を思わせる冒険談で、最高のサイドストーリーになっている。
 そして、SFファンの多くが長年おそらくそうであろうと思っていた、アーサー・C・クラークのセクシャリティについて、ここで明確に書かれたことも大きい。アラン・チューリングの死が、クラークがセイロンへの移住を考えるきっかけになったという証言は重く、クラークの楽天性を支えたものが何だったのか、もう一度考えたくなる。
 スタンリー・キューブリックもまた『2001年』のあと、生まれ育ったニューヨーク市と永遠に訣別してイギリスに移住した。本書を読むと、それは『2001年』のプレミア上映でニューヨークが彼にした仕打ちと無関係ではないように思える。クラークとキューブリックの物語は、やはり二人の国外移住者の物語だったのかもしれない。

 著者のマイケル・ベンソンについては、よくぞこんな人がいてくれた、という感謝の念しかない。初公開時に六歳ながら『2001年宇宙の旅』を見ており、長じてアーサー・C・クラーク、クリスティアーヌ・キューブリックの両者に直接会いに行って親交を結んだことが、本書のような難しい企画を可能にした(同じ1962年生まれとしては、その行動力にただただ敬服するほかない)。
 ベンソンはジャーナリスト、写真家、映画作家であり、その業績は驚くほど幅広い。80年代後半には、ソ連崩壊前後のロシアのロックを追いかけて、〈ローリングストーン〉誌に連載を持ち、MTVで番組を構成した。NY大学で映画を学ぶと、今度は当時のユーゴスラビアに引っ越して、同地のバンド、ライバッハを中心にした芸術活動についてのドキュメンタリー映画を監督。これはバンクーバー国際映画祭で長篇ドキュメンタリーの最優秀賞を受賞している。
 16年に及ぶスロヴェニア生活を切り上げてアメリカに帰国したあとは、天文学と宇宙開発についての記事を多数の媒体に発表。写真制作の技術を活かした大判の天文写真集を出版し、そのうち『ビヨンド 惑星探査機が見た太陽系』『ファー・アウト 銀河系から130億光年のかなたへ』の二冊は日本でも刊行された。
 活動領域を完全に天文学に移したのかと思いきや、一方でブライアン・イーノのアンビエント新曲を用いた作品を発表したり、前衛ギタリスト、エリオット・シャープのビデオを制作したりしているので、芸術と科学の二足のわらじを脱ぐつもりはないらしい。また、専門知識を必要とされて、テレンス・マリック監督の『ツリー・オブ・ライフ』、パトリシオ・グスマン監督の『光のノスタルジア』という二本の重要な映画にもスタッフとして参加している。

 最後に、本書に登場する何人かの忘れがたい人々について、その後の歩みを記しておこう。
 キア・デュリアは、その後、ダグラス・トランブル制作のテレビシリーズ「スターロスト宇宙船アーク」に参加。『2010年』でもういちどボーマンを演じた。82歳の今も現役で、今年は『華氏451』のリメイク映画に出演したほか、スペインで制作された『2001年』へのオマージュ短篇で、なんとキューブリックの声を演じたという。
 ゲイリー・ロックウッドも81歳で健在。彼はじつは『2001年』以前にテレビシリーズ「宇宙大作戦」のパイロット版の一本(第3話として放送された「光るめだま」)でカーク船長の友人ミッチェル少佐を演じており、ファン制作の映画に同じ役で出演する予定があるという。
 ダン・リクターはその後、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻との交流から、72年のテレビ用長篇「イマジン」で撮影を担当し、出演もしている。これは現在ではブルーレイ『イマジン/ギミ・サム・トゥルース』で見ることができる。その後、ロサンゼルス近郊のシエラマドレに定住し、ロッククライミングと山岳ガイドの指導に力を入れている。
 ダグラス・レインは、2018年11月11日に亡くなった。90歳だった。ウディ・アレンのSF映画『スリーパー』でコンピュータ音声を演じ、『2010年』で再びHAL9000を演じた。
 イギリス映画界が誇る撮影監督ジェフリー・アンスワースが『2001年』の現場を途中で抜けたのは、次の『心を繋ぐ6ペンス』のためと思われる。その後も数々の名作で“戦前紗幕”を使った柔らかな映像を手がけたが、78年『テス』の撮影中に急死。まだ64歳だった。
 アンスワースが抜けたあと撮影監督に昇格したジョン・オルコットは、キューブリック組に定着。とりわけ『バリー・リンドン』の低照度撮影で名声を築いた。彼も86年に55歳で急死している。
 ダグラス・トランブルは七十六歳で健在。その後は『アンドロメダ…』『未知との遭遇』『スター・トレック』『ブレードランナー』で視覚効果を監修。『サイレント・ランニング』『ブレインストーム』という二本の忘れがたいSF映画で監督を務めた。
 コン・ペダーソンは、宇宙開発の歴史を描いた大作ミニシリーズ「フロム・ジ・アース 人類、月に立つ」で視覚効果を監修した。
 トニー・マスターズはその後、デヴィッド・リンチの『砂の惑星』などに参加。90年に71歳で亡くなった。多くがファミリービジネスであるイギリス映画のスタッフらしく、3人の息子全員が映画の美術部門で活躍している。
 ドイツ出身のハリー・ラングは『2001年』が転機となって結局、後半生をイギリスで過ごした。『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』でアートディレクター、セットデコレーター、『ダーククリスタル』『モンティ・パイソン/人生狂騒曲』でプロダクションデザイナーという輝かしい経歴のあと、オックスフォードに引退してときどき個展を開き、08年に77歳で亡くなった。
 ブライアン・ジョンソンはテレビシリーズ「スペース1999」の特撮監督を経て、『エイリアン』『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』『ドラゴンスレイヤー』『スペース・トラッカー』の特殊効果を支えた。
 スチュアート・フリーボーンは、キューブリックの厳しい求めに応じて完成させた技法で、その後、世界でもっとも有名な猿人キャラクター、チューバッカを生み出した。「スター・ウォーズ」は旧三部作すべてに参加。ヨーダの制作も手がけた。2013年に98歳で亡くなり、世界中のファンに惜しまれた。
 コロンビア映画のパブリシストからキューブリックの会社に移ったロジャー・キャラスは、その後、動物写真家、動物保護運動家として名をあげ、多数の著作、テレビ出演で知られる。
 広報部の助手で、冷凍睡眠中のカミンスキー博士として出演もしているアイヴァー・パウエルは、その後、リドリー・スコットと組んで『エイリアン』『ブレードランナー』のプロデューサーとして活躍した。
 アンドリュー・バーキンは脚本家になり、『薔薇の名前』『パフューム ある人殺しの物語』などを手がけた。妹のジェーン・バーキンとともに出演した『ラ・ピラート』には「とびきりのハンサム」の面影がある。
 アンソニー(トニー)・フリューインは、その後もアシスタントとしてキューブリックを支え、遺作『アイズ ワイド シャット』まで行動を共にした。

 本書の翻訳は、第1~5章、口絵、謝辞を中村融、第6~8章を内田昌之、第9~12章を小野田和子の各氏が行い、全体の監修を添野が担当した。映画製作の訳文・訳語について至らぬ点は多々あると思われるが、すべて添野の責任である。また、引用元の資料などについてまとめた「原注」については、あまりにも大部にわたるため(原書で31ページ)、早川書房の公式サイトで公開される。

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『2001:キューブリック、クラーク』
マイケル・ベンソン◎著/中村融・内田昌之・小野田和子◎訳/添野知生◎監修
A5版上製/608ページ
2018年12月27日発売

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