量子魔術師

新作宇宙冒険SF『量子魔術師』試し読み

11月20日発売のデレク・クンスケン『量子魔術師』『三体』の著者の劉慈欣も推薦コメントを寄せた、ミリタリーSF版『オーシャンズ11』とでもいえる傑作宇宙SFです。著者の第一長篇ながら、ローカス賞第一長篇部門のほか、カナダのSF賞オーロラ賞長篇部門や中国の星雲賞翻訳部門にノミネートされた話題作です。

あらすじ
詐欺師の“魔術師”ベリサリウスは、遺伝子操作により驚異の量子解析力をもつホモ・クアントゥスの一人。その彼が依頼されたのは厳重に警備された“世界軸”ワームホール・ネットに宇宙船、それも艦隊まるごとをひそかに通すことだった! ベリサリウスは一癖も二癖もある仲間を集めて、手始めに陽動作戦を展開。量子もつれを用いて世界軸を支配する巨大国家を煙に巻く世紀のコンゲームに挑むが……

この『量子魔術師』の一部を抜粋してご紹介いたします。17章の、主人公ベリサリウス(ベル)が、集まった仲間たちに、依頼された仕事と報酬を説明する場面です。ベリサリウスの昔の恋人でホモ・クアントゥス仲間だったカサンドラの視点で語られています。

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デレク・クンスケン『量子魔術師』

17(承前)

「今回のこの仕事は、難しく、危険で、こみ入っている」とベルがはじめた。「だが、これをうまくやってのけたなら、数百万コングリゲート・フランが手に入ることになるだろう。しかも、各自それぞれに」
「あんたのクライアントは、それほど大量のキャッシュを単にバケツに入れて差しだしたってのか?」とスティルスが訊いた。カサンドラはまだ彼の声に慣れていなかった。声は彼の鋼鉄の部屋に内蔵されたスピーカーから響いている。彼の電気的な抑揚をとらえて自然な声に翻訳するソフトウェアも可能なはずだが、感情のない、低く単調で不快な声をスティルスはあえて選んでいた。
「イエカンジカ少佐?」とベルが説明を求めた。
 サブ゠サハラ同盟士官が手の甲につけたパッチに触れた。奇妙なシャトルのホログラム画像が黄色と緑の線で浮かびあがった。中が空洞になったチューブが、船の長軸を貫いている。
「これは何かね?」とデル・カサルが尋ねる。
「あなたたちへの支払いよ」とイエカンジカ。「高速のシャトルで、全長53メートル、進歩したドライヴ機構を搭載している」
「いったいどんなくそったれドライヴ機構だってんだ?」スティルスの加圧室のスピーカーがフランス語で問いただした。
「これまでに開発されたなかで最速の亜光速推進システムで、20Gから50Gの持続的加速が可能なの」
「50G?」スティルスがほかの者のつぶやきよりも大声で問いただした。彼の翻訳プログラムはこの問いかけを、魂のこもっていない無情なトーンに屈曲させているらしい。「ばかいえ。それだけの燃料を積む場所もないだろうが」
「燃料はない」とイエカンジカがいった。「風変わりな物理学を使っているから」
「でたらめもいい加減にしやがれ」とスティルスがいった。
「おれはシャトルを入念に調べてみて、実際に動かし、記録も取っておいた」とベルがいった。「ファイルの不正な変更がないか自分で確認したいなら、ここにコピーがある」
 まわりの全員が興奮しているというのに、ベルはまったく落ちついているようだった。カサンドラは恥ずかしさに隠れてしまいたいくらいだった。
「このくそったれな便所のラバーカップ野郎が嘘ついてるんじゃないなら、こいつは各人に数百万以上の価値があるぜ」とスティルスがいった。
「数百万フランというのは支払いの最低ラインだ」とベルがいった。「イスラム共同体や中華王国、さらにはアングロ゠スパニッシュでも、このドライヴ機構を分解工学(リヴァース・エンジニアリング)するためなら大金を積むだろう。きわめて質のいい高級品をオークションに出せるブローカーをすでに手配しておいた」
「それこそは、パペットの連中があんたらから欲しがるような代物だろうに」とウィリアムがイエカンジカにいった。
「われわれもパペットにこれを提案してはみた」と少佐がいった。「けれど、彼らはトイレの仕組みをリヴァース・エンジニアリングする科学的ノウハウさえももちあわせていない。彼らはわれわれの戦闘艦を数隻欲しがってる」
「戦闘艦を数隻?」とデル・カサルがいった。「このドライヴ機構を搭載した戦闘艦が数隻あれば、少なからぬ国との力関係を一変させることができるぞ」
「なんてこった」とウィリアムが楽しんでいるようにいった。
「サブ゠サハラ同盟がこのドライヴ機構を手にしてることを、パペット以外はまだ誰も知らない」とベルがいった。「そして彼らは、そのことを誰にも話すつもりがない。連中はサブ゠サハラ同盟の艦隊を罠にかけて、戦闘艦をすべて自分たちのものにしたいと考えてるからだ」
 テーブル上のホログラムが光をはなち、オラーの凍った表面から地中に浸食したアリ塚の内部のようなパペット・フリーシティの横断面図を映しだした。そして深い縦坑の底、パペット・フリーシティのまさしく中心に、光輝く赤い円盤が見える。これがワームホールの出入口だ。カサンドラはこの略図を何度も目にしたことがあった。パペット軸や、どこの軸でもいいからすぐそばで観測してみたい、と彼女はつねに願ってきた。この横断面図の隣には、ワームホールの反対側の端が図式化されて浮かんでいる。緑色で示されているこれがポート・スタッブス側の出入口だ。それは宇宙空間に自立して浮かんでいる。そのまわりには宇宙コロニーや工業ステーションが建設されていた。ベルはポート・スタッブスの画像からズームアウトし、画面を広げてスタッブス星系のパルサーやいくつかの破砕された惑星、オールトの雲を表示した。オールトの雲の内側のふちに、小さなピンクの点がいくつかかたまって存在している。
「これがサブ゠サハラ同盟の第六遠征部隊だ」と彼はいった。「遠征部隊の12隻の戦闘艦は、パペット軸をくぐってインディアン座イプシロン星系に入りこみたがっている。パペットは喜んで通してくれるだろうが、その代償として要求されたのはこれらの艦隊の半分だ。パペットは強力な防御態勢を敷いているが、本当の意味での攻撃能力はない。そして彼らには交渉する理由がほとんどない。彼らの軸を通ることが唯一の選択肢だからだ」
「そして、やつらはイカレてる」とスティルスがいった。「ここにいるやつも含めてな」
 ゲイツ゠15が挑むように、顎を少しだけつんとそらした。
「一方で、遠征部隊は急いでいる」とベルがつづけた。「1日待たされるごとに、それだけコングリゲートに彼らの部隊を発見される危険が高まるからだ。そこで、われわれはパペットの意向に関係なく、サブ゠サハラ同盟の艦隊をワームホールにくぐらせることにした」
「あんたは救いようのない阿呆(ブロ)か、でなけりゃ特大の睾丸(コホネス)をぶら下げてるかだな」スティルスが低く単調な声でいった。
「ポート・スタッブスに近づくのは危険がともなう」とベルがスティルスを無視していった。
「あそこの防御システムはふたつの小惑星からなっている。ヒンクリーとロジャースといい、それぞれの直径は23キロと18キロだ。どちらもミサイルやレーザー砲、粒子兵器で要塞化している。片方はパルサーから等距離の軌道をめぐり、ポート・スタッブスの10万キロ前方にある。もう片方は9万キロ後方をめぐっている。2人ひと組の大柄なボディーガードみたいなもんだな。ヒンクリーとロジャースは敵にたっぷりと集中砲火を浴びせることができるから、そう考えるとパペットに艦隊の半分をくれてやるというのも悪くない取引のように見えてくる」
 マリーが眉をひそめ、何かいいたそうに見えたが、傍観することに決めたようだった。
「この強力な防御システムのなかをサブ゠サハラ同盟の艦隊を通らせてうまくワームホールに入りこんだとしても、まだ反対側の心配が残ってる。金星の地下にあるワームホールを別にすれば、パペット・フリーシティの軸は文明世界にあってもっともアクセスしにくいワームホールだ。
 パペット軸の出口は準惑星オラーの地下2キロのところにある。パペット軸に通じている縦坑は、連続した4つの装甲化された貨物区画用の門扉で遮断されて、それぞれの扉が兵器に囲まれている。ひとつずつ見れば、そこの兵器は博物館に飾るにふさわしいような代物だが、船をあやつるスペースのない標的にすべての兵器が狙いを定めるとしたら、命取りになる。そして地表の要塞は1度に1隻以上がオラーには絶対に近づけないようにしている。彼らの防御システムは、パペット軸の出口からあらわれでた未確認の船にもはたらくようにできている」
 スティルスの翻訳された声が交易アラビア語で毒づいた。
「報酬は心地よく聞こえるものだ、支払いの日がそもそもくるのだろうかといぶかしみはじめるまでは」とゲイツ゠15がいった。
「うまく成功する詐欺計画は、相手の注意をそらしているあいだに別のことをやってのける」とベルがいった。「われわれはパペットの注意をそらし、そのあいだに積み荷をくぐらせる」
 彼はパペット・フリーシティにズームインしていき、ついには個々の建物がかたまりあった肺胞のようにくっきりと見えるようになった。氷の中のひとつの空間が、赤い光の輪で囲まれている。「これが“禁じられた街”だ。ここはパペットがヌーメンを捕らえている場所として名高い。そこはまた、パペットがフリーシティの要塞の制御システムを置いているところでもある」
「われわれはここを爆破して入りこまないといけない、と彼がいってくれるのを期待してるんだけど」とマリーがみんなに聞こえるほどの大声で、デル・カサルにぼそりと語りかけた。
「マンフレッド・ゲイツ゠15助教、すなわちわれわれの潜入スパイが、“禁じられた街”に入りこみ、パペットの制御システムにコンピュータ・ウイルスを侵入させる。彼がポート・スタッブスでも同じことをする。ウイルスは同時に作動し、要塞の防御システムを数時間は機能不全にする。もう少し長い時間が必要かもしれないな、遠征部隊が軸を移動するためには。パペットがシステムを復旧させるころには、遠征部隊はオラーを遠く離れている」
「あほらしい」とスティルスがもらした。「軸の出入口に無理やり押し入るなんてできるわけないだろうが。コングリゲートでさえもな」
「きっと、誰もを驚かすことになるだろうな」ベルがいった。
「あの要塞は、コングリゲートとアングロ゠スパニッシュ銀行によって2度、強襲されたことがある」とスティルスがいった。「それに、相手の気をそらすのは、所詮(しょせん)は気をそらすだけにすぎない。たいていは、それでもまだ誰かのタマを蹴らなきゃいけないことになる」
「気をそらすというのは、どんなものなんだ?」ウィリアムがあきらめとともに尋ねた。
「オラーの地底海でも機能するくらい強力な爆発物をマリーが設計する」とベルがいった。
「スティルス、すなわちわれわれの深海ダイヴァーが、フリーシティの周辺に爆薬を仕掛ける。ブラックモア湾自体の四つの突出部に」
「くそっ(コニョ)」とデル・カサルがいった。「どれくらい深くまで?」
「彼にはオラーの地下23キロのところからはじめてもらわないといけない」ベルがいった。「1100気圧ある。爆薬はもっと上のほうに設置しないといけない。地下15キロのところに」
 この場の全員が、800気圧に加圧された、小さな窓のある大きな鋼鉄の箱をちらっと見た。「わたしはホモ・エリダヌスの専門家ではないが」とデル・カサルがいった。「彼らの特別に遺伝子操作されたタンパク質であっても、そのような気圧下では構造変化を起こすに違いない」
「おれはそこにくそったれな保養をしにいくつもりじゃないんだぜ、脳たりんめ」とスティルスの偽りの声がいった。
「そのような深海で活動できるマシンをつくったとしても、パペットに察知される。核爆弾も同様だ。スティルスの身体はソナーを反射しないし、彼ならおれの体内の電函と同じようなのを使ってオラーの磁場をナヴィゲートしながら泳いでいける。そして旧来の爆発物なら、パペットの放射能警報に引っかからない」
 マリーが身を乗りだして、ブラックモア湾周辺の気圧の細かい数値を確認しはじめた。
「気圧ってのは、爆発物におかしな効果をもたらすもんなんだよ。準備ができてないときに、ドカンと爆発しちゃうとか」
「そこで、きみのために実験室を用意した」とベルがいうと、彼女はにんまりした。「こちらのマリーはさまざまな環境条件で爆発物を順応させてきた。ブラックモア湾の海底ほど極限の状態はまだ試したことがないとしても」
「喜んで手伝わせてもらうよ」とマリーがいった。みんなの顔を見て、指をぴくぴくと動かす。「こいつは指3つ(スリー・フインガー)か指4つ(フオー・フインガー)の仕事になるだろうね」
 ゲイツ゠15が彼女に眉をひそめる。「スリー・フィンガーの仕事?」
「正しい成分の爆発物をつくるまでに、それくらいの指がなくなるってことだよ。作業をみんなで手分けすれば、ずっと簡単にいくだろうね。たくさんの指があれば、それだけ仕事が楽になるから」彼女が楽しげにいった。カサンドラはぶるっと身震いしそうになって、必死にあらがった。
「マリーの爆発物をブラックモア湾の4つの突出部で爆発させたら」とベルがいった。「それが副次的システムを妨害して、パペット軍のほとんどは都市の地下に注意を奪われ、捜索、追跡、補修に追われることになるだろう」
「おれはまだウイルスのことが気になってるんだが」とスティルスがいった。「現代のシステムにおいては、コンピュータ・ウイルスってやつは長く残存するもんじゃない」
 ベルはサーヴィス・バンドといっしょにセント・マシューの投影された頭部の絵をテーブルから取り上げた。「セント・マシューのウイルスは、パペットが使ってるようなお下がりのシステムならどんなものでも迂回できる」
「うまくいくかもしれんが、いかないかもな」スティルスが反論をつづけた。「身の丈半分のちび助はどうやってそこに入りこむんだ? そいつはネジがひとつ足りてないせいで、仲間から追放されてるんだろ、ほら?」
 ゲイツ゠15は唇を引き結んだが、スティルスの言葉は無視した。
「ドクター・デル・カサルがゲイツ゠15助教に生物工学的に修正をほどこすから、彼のDNAはクレストンに実在するパペットの医療記録と一致する。その男は頻繁にトルヒーリョに旅してる。セント・マシューがすでにその記録をデータに植えつけた」
「パペットは誰でも“禁じられた街”に入っていけるもんなの?」とマリーが訊いた。
「連盟内の主要な都市国家であるために、フリーシティはすべてのパペットの巡礼者を“禁じられた街”に迎え入れることを許可しなくてはならない。ゲイツ゠15 が正確にいつそのアクセス許可を得られるかまではわれわれにも制御できない。そのためのもっともらしい理由を彼に与えないかぎりは。もっともらしい理由というのは、たとえばパペットが新たに捕獲したヌーメンを連れてきたときだ」
 マリーが驚いて、くわえていた葉巻を落とした。「どこでそいつを見つけてきたんだい? それに、どこの頭の狂ったヌーメンが、隠れ場所からのこのこ姿をあらわして、自分から正体を明かして、フリーシティに入ろうとするっていうんだい?」
 ややあって、ウィリアムが力なく手を挙げた。彼はいまにも吐きそうな顔をしている。カサンドラも吐き気を感じた。
「あんた、ヌーメンだったのかい?」マリーがのろのろといった。
「彼がヌーメンなわけがない」ゲイツ゠15が不愉快そうにいった。
「なんであんたにわかるわけ? あんたは機能がイカレてるってのに」とマリー。
「ゲイツ゠15助教はヌーメンに宗教的影響を受けない。そのために彼はとても危険なパペットになりうる」とベルがいった。「だから追放されたんだ。そしてそれゆえに、彼はこの仕事のためにとても役に立つ」
「けど、ウィリアムがヌーメンじゃないなら」とマリーがいう。「あんたの計画にでっかい穴が生じるんじゃないの、でしょ? あたしが計画立案の担当を引き継ごうか?」
「ドクター・デル・カサルがウィリアムの身体を修正して、彼の肉体がフェロモン的な信号を偽造できるようにする。パペットは彼をヌーメンだと思いこむ。少なくとも、しばらくのあいだは」とベルがいった。
「けど、それだともっとひどいことになるじゃんか」とマリーがいった。誰にでも明らかなことを、抜け作に指摘してやるかのように。「パペットが彼をヌーメンだと思いこむなら、連中は彼をそのように扱うことになるだろ!」
「そのくそったれに楽しい状況を見物できるなら、大金を積んでもいいな」とスティルスの電気的な声がいった。
「あんたらが何を知ってるというんだ?」とゲイツ゠15が問いただし、ぽんと椅子を降りてマリーの前に立った。「パペットがどんなふうか、なぜわかる?」
 マリーが彼に中指を突き立てて応じた。
「マリー」とベルがたしなめた。「もしすべてが計画どおりに運んだとしたら、パペットはウィリアムを神なる存在とみなすだろう。それはウィリアムにとって、けっして快い経験ではない。その点について、彼自身もなんの幻想にもとらわれていない。そして、いったん遠征部隊がパペット軸をくぐり抜け、彼がだましていたことにパペットが気づいたなら、事態はさらに悪化することも彼はわかってる。この80年間にパペットのもとに連れ戻されたヌーメンはわずか5人だ。パペットは多くの出来事に精神的な意味を見いだす。そしてこれは、とてもとても大きな出来事だ」
 マリーが愕然としてウィリアムを見た。ゲイツ゠15は不愉快そうに床を見つめている。デル・カサルでさえも、陰気に考えこんでいるように見えた。これは狂気の沙汰だ。なぜ誰も、これが狂気の沙汰だと口に出していわないのだろうか? カサンドラは口を開きかけた。誰であってもヌーメンをよそおってフリーシティに入っていくべきではない。
「かまわんさ」とウィリアムがいった。「おれはトレンホルム・ウイルスに身体を侵されてる。どのみち、あと3、4カ月の命だ」誰も何もいわなかった。「つまり、さっさとこの仕事を片づけてしまおうじゃないか」
「ウィリアムの偽装は、死ぬ前にポート・スタッブスを見てみたいというものだ。彼の祖先が入植者として暮らした土地を」とベルがいった。「運がよければ、ウィリアムはゲイツ゠15とともにあそこに連れていかれる。そうでなければ、ゲイツ゠15が単独でポート・スタッブスに向かう」
「わたしにはまだ、なぜホモ・クアントゥスがこれをやろうとしているのかがわからないんだが」とゲイツ゠15がいった。「あんたらは金や政治のことなど気にかけていないはずだ」
「あんたの情報は正しくないな」とベルがいった。「おれは金が大好きなんだ」
「だったら、彼女はどうして?」ゲイツ゠15がカサンドラにぐいっと親指を突きつけて示した。いきなりみんなの顔が彼女のほうを見たために、カサンドラは頬が熱くなった。「彼女もあんた同様に、金に興味があるのかね?」
「わたし……わたしは、分け前をもらうつもりもない」と彼女はいった。
「この新たなタイプの船の、ほんの一部も欲しくないというのかね?」ゲイツ゠15がカサンドラに尋ねた。彼の顔は紅潮している。
「わたしはパペット軸の近くに行ってみたいの」と彼女はいった。「わたしたち研究者は、一度も世界軸に近づく機会がなかったから」
「おれとは違って」とベルがあとを継いだ。「カサンドラはこれまでに生まれてきたホモ・クアントゥスのなかでもっとも技量のすぐれた一人だ。彼女はパペット・ワームホールの内部を詳細に計測し、遠征部隊が航行できるようにする。部隊はすばやく駆け抜けることになり、しかも世界軸の内部の位相幾何学(トポロジー)は複雑なものにもなりうる」
 ゲイツ゠15があきれて首を左右に振った。「あんたは研究プロジェクトのために自分の命を危険にさらすというのか?」
 カサンドラは最初にベルを見て、次にパペットを驚いて見た。「お金のためにやるよりもましでしょ」
「わたしは金のためにやるんじゃない」とゲイツ゠15。「故郷に戻るためだ」
「それなら、わたしたちは同じ理由のためにこれをやるのね」とカサンドラはいった。
 事前会議(ブリーフイング)はじきにお開きとなり、カサンドラはベルと目をあわすことなく部屋を出ていった。彼のことがわからなかった。彼は……世慣れた、不正直で、大金を追いかけている男だ。そうでなければ、彼は嘘をついている。自分も彼女と同じくらい強く、データが欲しいと願っていると彼はいった。かつて誰も試みたことさえないようなことを彼らはやろうとしている。彼らはどのホモ・クアントゥスもやったことのないやり方で世界軸の内側に触れようとしている。ベルは誰に真実を話しているのだろうか? もしかすると、誰にも真実を話していないのかもしれなかった。

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デレク・クンスケン『量子魔術師』金子 司 訳(ハヤカワ文庫SF)
カバーイラスト:Shinnichi Chiba
カバーデザイン:日高祐也

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