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「鳥の言葉がわかる」鈴木俊貴さんが読む、人が鳥に言葉を教えた日々。『アレックスと私』解説

鳥たちが自ら発する「言葉」と、私たちの言語にはどのような違いがあるのか? ヒトとそれ以外の動物の持つコミュニケーションツールの間にある違いについて、世界中で研究が進んでいます。

その中でも、アレックスというヨウム(インコ)にヒトの音声言語を教えて交流したペパーバーグ教授の研究は、「動物の言葉」への考え方に大きな影響を与えたもののひとつでした。世界中のメディアから「天才」と呼ばれたアレックスと教授の日々が、『アレックスと私』(ハヤカワNF文庫)に綴られています。

今回は、5月23日のNHK「ダーウィンが来た!」にもご出演の京都大学白眉センター特定助教で、鳥類のもつ言葉についてフィールド研究をされている鈴木俊貴さんによる、温かくも厳密な『アレックスと私』解説を公開します。


アレックスは「天才」だったのか  

鈴木俊貴(京都大学白眉センター特定助教)

子供の頃、セキセイインコを飼っていたことがある。ほかのオウム類と同様に、モノマネ上手な飼い鳥として人気が高く、繰り返し話しかけると人間の言葉も覚えてくれる。我が家のセキセイインコも、機嫌が良いと、鏡に映った自分の姿に「オハヨウ、オハヨウ」と喋りかけていたものだ。

なかには歌や昔話など少し長めのフレーズを上手に覚える個体もいる。数年前、迷子になったセキセイインコが、自宅の住所を自ら喋り、無事に飼い主の元に戻れたというニュースをみた。「迷ったから住所を知らせよう」などという意図がインコにあったわけではないだろうが、それにしてもすごい話だ。

本書の主役、アレックスと名付けられたヨウムの場合、いわゆる「オウム返し」とは訳が違う。飼い主の声をただ真似るだけではなく、何を話しているのかまで理解し、人間相手に対話するのだ。本書は、「天才ヨウム」として世界中に名を馳せたアレックスとその飼い主である著者のおよそ30年の物語である。

著者がアレックスの研究を始めたのは1977年。ちょうどチンパンジーの手話研究が最盛期を迎えた頃だ。研究者たちは、言語能力や知性の起源を探るため、チンパンジーに何ができて、何ができないのかを必死になって調べていた。もちろんその根底にあるのは「人間が一番賢く、類人猿がその次」という常識だ。

そのような潮流のなか、著者はペットショップで1羽のヨウムを購入し、アレックスと名付けて研究を開始する。人間の言葉を教え込み、認知や思考の仕方を調べようというのである。当時の研究者からすると完全に飛躍したアイデアにみえただろうが、理論化学で博士号を取得し、その後、動物研究へと転向した一風変わった経歴が、この奇抜なプロジェクトに導いたのかもしれない。

著者の研究のユニークな点は、言葉の教え方にある。たとえば、鍵を意味する「キー(key)」という英単語を教える場合、アレックスに実際の鍵を見せ、正しく「キー」と答えられれば、ご褒美としてそれを渡すようにトレーニングしていった。また、質問にどのように答えればその物体が手に入るのか教えるために、アレックスの目の前で、著者と第三者との対話をみせるなどの工夫もした。まるで人間の幼児を育てるかのように、アレックスに言葉を教えていったのだ。

これは、当時の動物心理学で主流だった「オペラント条件づけ」という手法とはまったく異なるものだった。この手法では、動物を極限まで空腹な状態にし、オペラント箱と呼ばれる閉鎖空間に入れた上で、餌を得るために必要な様々な課題をなかば強引に学習させる。著者は、この方法では言葉の意味や対話の仕方を教えることはできないと考え、別の方法をとったのだ。

こうして、著者はアレックスに個ほどの物体の名前、7つの色、5つの形、8までの数字を教えることに成功した。アレックスがこれほど多くの言葉を覚えることができた背景には、著者とアレックスのあいだの大きな信頼関係と、想像もできないような努力があったに違いない。

著者は物や数の名称だけではなく、概念を教えることにも成功した。たとえば、「3」の概念を教える際には、3つの鍵をみせて「スリー、キー」と教える。アレックスが「スリー」と答えれば、それをすべて報酬として与えてやる。同じように、3つの木片をみせて、「スリー、ウッド」と教える。すると、その共通点から3とは何を示すのか、アレックスは理解した。まさに人間が「概念」を形成するのと同様の過程をヨウムにおいて再現できたのだ。

それだけではない。アレックスは、まったく新しい質問に対しても正しく答えることができたのだ。たとえば、緑色の鍵を2本、青色の鍵を4本、そして赤色の鍵を6本載せたトレーをアレックスに見せ、「4つは何色?」と聞くときちんと「ブルー(青色)」と答えることができたという。つまり、頭のなかの知識を論理的に組み立てて、新しい課題を解決したのだ。驚きである。

「アレックスは特別に賢いヨウムだったのか」というのは一読者として気になるところだ。偶然にも天才のヨウムを購入し、言葉を覚えさせることに成功したのか、それとも実はどのヨウムにも同様の能力が潜んでいるのかという疑問である。厳密に言うと、これらを区別するには、もっと多くの数のヨウムを飼育し、同様の訓練や実験をおこなう必要がある。ただし、アレックスが特別に賢いのか、ヨウムすべてが賢いのかにかかわらず、著者の研究から確実に言えることは、私たちが会話のなかで使っている認知能力は、人間や類人猿に限られたものではないということだ。

本書を読んでいて、アレックスの能力にはただただ感心してしまうのだが、「そうか、ヨウムって5歳児並みの知能があるんだな」などと安直に結論づけてはいけないと私は思う。ヨウムはもともとアフリカの森林に棲む野鳥であり、自然界では人間とかかわりすらない動物だ。そもそも鳥と人間とでは身体的特徴が全く異なるし、物の知覚や認識の仕方にも違いがある。

そんなヨウムを人間の世界に連れてきて、人間の言葉とその意味を教え込んだ結果、人間の考案した課題を5歳児レベルでこなせるようになったというのが、研究の正しい解釈である。この限られた実験からヨウムの認知能力のすべてを知ることはできないはずだ。ひょっとしたら、研究者が思いついていないだけで、ヨウムにできて人間にはできないような課題もたくさん存在するのかもしれない。

アレックスにみつかった音声の模倣や意味の学習、概念形成といった能力は、どれも人間の言語の発達に必須であるが、その進化の道筋は未だに明らかでない。ひょっとすると、これらの認知能力は、生物進化のなかで複数回、独立の系統に現れたものかもしれないし、もっと原始的なところに共通の起源があるのかもしれない。

この問いに答えるためには、今後、より多様な動物を対象として、思考や言語に関する比較研究を進めていく必要があるだろう。そして、その理解を深めることは、動物たちの認知世界を解き明かすだけでなく、私たちの「心」の起源を探る上でも重要なヒントを与えてくれるに違いない。


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