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北極圏の洋上都市にやってきた、獣を連れた女の目的は? 米SF最注目の作家・ミラーの『黒魚都市』を読みのがすな!

アメリカSF最注目の作家、サム・J・ミラーの本邦初の長篇となる『黒魚都市』が新☆ハヤカワ・SF・シリーズより刊行されました。本作はすぐれた英語で書かれたSFを対象としたジョン・W・キャンベル記念賞受賞作品です。本頁では、SF翻訳業山岸真氏による解説を再録いたします。
 
解説
SF翻訳業  山岸 真 

 
 本書の作者サム・J・ミラーは、2010年代に頭角をあらわしたアメリカのSF作家の中でも最注目のひとり。2018年発表の本書 Blackfish City(米Ecco/英Orbit)は、ジョン・W・キャンベル記念賞を受賞、ネビュラ賞候補・ローカス賞SF長篇部門5位となった。
 舞台となるのは、地球温暖化による海面上昇が進んだ、数十年から百年ほどのちと思われる未来。陸地の水没や、内戦による国家の崩壊(アメリカ合衆国を含む)で、大量の難民が発生している。(なおこの時代までに、インターネットはウイルスで壊滅した)
 難民の移住先となるのが、格子都市(グリッド・シティ)と呼ばれる洋上巨大建造物。北極圏(グリーンランドの東、アイスランドの北)にある人口約百万のクアナークもそのひとつで、本書の物語はここで展開される。
 クアナークは深海熱水噴出孔の上に位置し、地熱が街の熱と電力の大半を担う。都市は噴出孔直上のハブを中心に、長さ1キロの8本の腕(アーム)が結合した構造だが、巨大船舶がアームに接続されて街の一部同然になっていたり、輸送用コンテナを積み重ねて集合住宅にしていたりする。
 都市は高度なAI群に統治されている(人間の政治家も数人いるがほぼ名目上の存在)が、それはおもてむきで、大富豪たち(株主)が自らの利益のためにプログラムを牛耳っているのが実態。同時に、争いあう犯罪組織が社会に大きな影響力を持っている。
 このように本書の未来世界は非常に作りこまれていて、クアナークのインフラの描写や街頭風景(屋台の麺類へのこだわりが印象的)、〈水没世界〉と化した地域の点描だけでもSFとして魅力的だが、ここで書いておくべき、物語上で重要な設定がほかにもある。
 まず、十数年前から流行しているブレイクスという死にいたる感染症。症状は心因性で、不随意なテレパシーのように他人の記憶や思考が流れこんでくるというもの。感染は性行為経由といわれているが確定ではなく、原因も治療法も解明されていない。
 もうひとつは、ナナイトというたぶん一種のナノマシンを血中に入れることで、動物と〝絆〟を結ぶナノ精神結合(ボンディング)というテクノロジー。これは過去の製薬会社の違法な人体実験の産物らしく、それを忌避する人々(あるいは企業の陰謀)によって〝ナノボンダー〟は根絶されてしまった。
 だが、その生き残りとおぼしき謎の女性が、シャチ(オルカ)とホッキョクグマを伴ってクアナークへやって来たという噂が広まり、物語はここから幕をあける。
 物語は60以上の細かい章からなり、各章はおもに4人の人物の視点から語られる。
 そのひとり、フィルはこの街を牛耳る大富豪マーティン・ポドロヴの孫息子。25歳の独身のゲイで、奔放なセックスを楽しんでいたが、突然ブレイクスを発症してしまう。
 アンキットは、アーム管理官(政治家)のもとで働き、住民たちの暮らしをつぶさに目にしている。その中で彼女は、〈療養所〉という警護厳重な精神科センターで実質監禁状態にある母親の救出へと心が動いていく。
 三十三歳のカエフは、梁上の格闘(ビーム・ファイト)という人気スポーツのファイターだが、八百長試合で連戦連敗を演じている。彼の試合の胴元は、街でいちばん権勢を誇る犯罪ボスでタイ゠マレーシア系二世のゴー。カエフの元カノでもある。
 孤児あがりのソクは、「服を着るようにジェンダーをまとう」若者。アームの中心に据えられた磁気浮上式走路(マグレヴ・トラック)を利用するスライドウェイ・メッセンジャーとして、クアナークを軽やかに飛びまわっているが、この街に憎悪の念をいだいている。やがてソクはゴーに命じられて、謎の女・オルカ使い(マンサー)について調べていくことになる。
(なお、原文でソクの代名詞には「三人称単数の they」が使われているが、訳者によると、原文を一読したときに they の従来の用法=三人称複数の代名詞と混乱する部分があり、それを訳文に反映するために訳語として「彼ら」を選んだとのこと)
 この四人の視点で語られる章とは別に、「地図のない街」という章がある。読者にとっては世界設定や状況説明に相当するが、作中でクアナークの住民たちがじっさいに接しているメディア的ななにからしい。この章がいったいなんなのか、だれが語り手なのかも、物語の重要な要素となる。
 これに加えて物語には、血なまぐさいもの、スリリングなものなど、さまざまなアクションシーンも詰めこまれている。さらに、いくつもの陰謀が絡みあい、次々と意外な人間関係を明らかにしながら、ストーリーは〈療養所〉襲撃=アンキットの母親救出を軸にいったん収束していくが、その先にまた新たな未来が広がっていく。
 そしてもうひとつ、数多くの要素を満載した本書の核にあるのが、じつは家族の物語であることも書いておこう。
 
 サム・J・ミラーは1979年2月7日、ニューヨーク生まれ。謝辞の最後にあるように男性のパートナー(大学時代に知り合った)と暮らしていて、作品の多くでもゲイが主人公ないし主要人物となっている。
 ニューヨークのホームレスが創立・運営する組織でのコミュニティ・オーガナイザー(警察暴力や権利侵害などへの抗議活動を組織する)が、20年近くの本業。ミラー自身はホームレスだったことはないが、抗議活動によって警察に拘留されたこともあるという。
 ミラー作品にはニューヨークを舞台にしたものが多く、そこには街の現実が投影されるとともに、生まれ育った街への思いが感じられる。本書でのクアナークのスラムの描写や、住民たちが抱える社会問題にも、作者の知るニューヨークの実像が反映されているのだろう。
 本書では富裕層、とくに不動産業者が繰りかえし悪者として糾弾されている。そのあくどい手口にクアナークの貧困層が苦しんでいる構図は、現代のニューヨーク(に限らないが)で起きていることそのまま。短篇でもこうした問題を扱った作品がある。本書ではさらに、不動産業者の強欲がとんでもない人災を引きおこす様が描かれている。
 だが作者は、決して小説でのうっぷん晴らしで満足しているわけではない。本書終盤で、「物語は悪玉探しにはうってつけです。なぜなら、悪玉に罰をあたえられるからです。悪玉は阻止できるからです。/でも、悪玉は単純化がすぎるのです」と書く冷静な視点も持っている。
 作家としては、2000年代から小説を発表していたが、作家活動が本格化するのは、2012年に伝統あるSF&ファンタジイ創作講座のクラリオン・ワークショップに参加してから。それ以降は、まさにクラリオンで作家開眼したというべき活躍ぶりで、2013年発表の “57 Reasons for the Slate Quarry Suicides” で早くもシャーリイ・ジャクスン賞短篇部門を受賞、その後も同賞やネビュラ賞、シオドア・スタージョン記念賞で何回も候補になり、年刊傑作選収録の常連でもある。
 現在までに発表された短篇は約30あるが、その代表作のひとつが、2016年発表の「鬚を生やした物体X」茂木健訳(〈SFマガジン〉2019年6月号訳載)。1982年のジョン・カーペンター監督の映画『遊星からの物体X』が実話だったという設定で、その翌年、事件の生存者二名がアメリカに帰還したのちを描く。1980年代初頭に初の症例報告がされたAIDSや、人種差別問題を重ねあわせた傑作だ。本書ではブレイクスにもAIDSが投影されている面がある。
 短篇では、謝辞にもあるように本書と同じくクアナークを舞台にした「分離」“Calved” も評価が高い(内容的なつながりはない)。主人公は自分の境遇を不当だと感じているニューヨークからの難民男性。彼が自分の独善性や価値観の古さを、残酷なかたちで突きつけられるまでの物語だ。
 数作の長篇が没になったのち、第一長篇として出版されたヤング・アダルト(YA)の The Art of Starving(2017)で、実質的にネビュラ賞YA部門にあたるアンドレ・ノートン賞を受賞。YAを書いたのは、クラリオンでこのジャンルは自由度が高いと聞かされたからだというが、この長篇はゲイの少年の摂食障害と、超能力願望を重ねあわせた意欲的な作品だ。
 第二長篇が本書で、最初に書いたように各賞で注目された。
 第三長篇 Destroy All Monsters (2019)はふたたびYA。幼なじみの十代の男女を交互に語り手にして、ふたつの異なる現実(あるいは片方は妄想世界)を描いた、ちょっとフィリップ・K・ディック風の力作である(なお、タイトルは東宝映画『怪獣総進撃』の英題と同じだが、内容に関連はない。ただし恐竜は出てくる)。
 ほかの著書に共編著のノンフィクション Horror after 9/11: World of Fear, Cinema of Terror(2011)がある。今年2020年末にホラー長篇 The Blade Betweenが刊行予定。
 影響を受けた作家を聞かれたとき、いつもまずあげるのがオクテイヴィア・バトラー。またテッド・チャン、とくに「あなたの人生の物語」にもしばしば触れていて、クラリオンに申しこんだのはその年の講師にチャンがいたからだという。


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