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2084年の老人ホーム、92歳の大脱走劇! SF小説「見守りカメラ is watching you」

新刊アンソロジー『2084年のSF』から、竹田人造さんの短篇「見守りカメラ is watching you」を公開します。主人公は92歳、心温まる抵抗の物語。

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1


 走れ。足を止めるな。耳をふさいで前に進め。佐助は一心に念じ続ける。
 背後からドローンが追ってくる。ドラム缶に二本の腕を生やしたフォルムで、上部の球形のディスプレイに妖精のCGキャラクターが踊っている。
 間抜けな見た目に騙されるな。奴らは巧妙だ。話術と笑顔で懐柔し、俺達の現実をすげ替えていく。決して機械共の声に耳を貸してはならない。佐助は自分に言い聞かせた。
『どうしました? 困りごとなら、何でもこのリコリスにお任せください。佐助お爺ちゃん』
「お爺ちゃんじゃねぇ。俺はまだ九十二だ!」
 今日こそ、この〝有料老人ホームやすらぎの語り〟を抜け出すのだ。
 佐助の脱走劇を目の当たりにし、他の入居者が騒ぎ出す。やれ恒例イベントだ、やれ今日は玄関までだと囃し立てる。
 アンクル・トム共が、と佐助は吐き捨てた。自分は連中とは違う。特に要介護の奴とは違う。自分は要支援2だ。
 外野の野次を無視して歩く佐助を、介護ドローンのリコリスが呼び止める。
『お手洗いはあちらですよ』
「トイレじゃねぇ。家に、帰るんだ。娘を、カオルを助けに行くんだ」
『お帰りですか。ではついてきてください』
 リコリスは佐助を明るい方へ誘導しようとする。その先はベランダだ。もう騙されるものか。並走する自走杖にも手をかけず、佐助は室内履きで外へ出る。
 施設の庭は広大だった。ここがゴルフ場の跡地だと否でも応でも感じさせるサイズだ。施設長の趣味で作られたという色とりどりの花畑は、佐助には薄ら寒いユートピアの演出にしか見えなかった。目指すは花畑の先。花のアーチの向こう側だ。
 生け垣に肩を擦り付け、息を切らせて歩いていく。すると、佐助の前に新たな刺客が立ち塞がった。無骨な黒い直方体に、四本の足と二本の腕を生やした、アメンボのようなフォルムの機械だ。それは赤いライトを点滅させ、佐助を威嚇した。
『入居者へ警告します。直ちに施設に戻りなさい。さもなくば、強制的に連れ戻します』
 警備ドローンである。機械共がとうとう本性を現したのだ。
「やってみろ。俺は元柔道部だぞ」
 佐助はアメンボに掴みかかった。傍目にはほぼ寄りかかった形だが、佐助の中では掴んだことになっていた。いざ、得意技を決めてやる。さて、何が得意だっただろう。
 記憶の糸を必死でたぐり、ついに佐助は思い至った。部活違ったかも知れないと。
 アメンボに押される。凄まじい馬力だ。佐助は腰を抜かしそうになるが、何とかこらえた。この際何部でもいい。俺はカオルの元に帰るのだ。佐助は渾身の力でアメンボに頭突きを決めた。すると、アメンボは甲高く間抜けな効果音を鳴らして、その場に崩れ落ちた。
 やった。やってやった。佐助は息を切らしてアメンボを見下ろした。さて、次はどうするんだったか。
『ありがとうございます! 佐助さん! お陰で助かりました!』
 背後から感謝の声が飛んできた。介護ドローンとそのディスプレイに棲むリコリスだ。
「……助かった?」佐助はぽかんと口を開け、リコリスと足元のアメンボを見比べる。
『そうですよ。施設の皆さんを救うため、暴走した警備ドローンを退治してくださったのではありませんか。お見事でしたよ』
 佐助は照れくさくなって鼻をこすった。
「まあ、昔とった杵柄だな。学生時代、なんかの部だったからな。なんかの」
『けれど、こんな無茶な真似はもう控えてくださいね。カオルさんが心配されますから』
 そして、佐助は電動車椅子に乗せられ、施設へと勝利の凱旋をするのだった。
 佐助が施設に戻ると、アメンボは通常業務を再開した。

2

佐助が言うところの奴隷達……入居者のスケジュールは徹底的に管理されている。起床、食事、入浴、検診、就寝。それ以外の時間は、もっぱらレクリエーションと言う名のボケ防止活動だ。
 その日、佐助達は大ホールに集められた。小学校の体育館のようなそこで、大型スクリーンの横に(相対的に)若い男が立っていた。
 施設長だ。施設唯一の人間の職員である。柔和な笑みを崩さない白髭の壮年男性で、穏やかな物腰から入居者に好かれていた。だが佐助に言わせれば、機械共の親玉だ。
「本日は皆さんお楽しみ、映画鑑賞会ですよ」
 施設長の言葉に、佐助は「またか」とぼやいた。映画は嫌いじゃないが、この施設の鑑賞会は最悪だ。シーンごとに一時停止して、個人の端末に向かって内容を説明させられるのだ。最後に説明の出来栄えが集計されるので、手を抜くことも出来ない。
 今日の演目は20年代に大ヒットしたアニメ映画だった。もう十回は見ているので、佐助はすぐに音声認識で端末に内容を説明した。しかし、要介護連中含め、八割が入力を終わるまで次のシーンに進めない。佐助はこの待ち時間も嫌いだった。こうも暇だと、どうも良くないことが頭をよぎる……。
 ──カオル! この男は何だ!──
 ──さっさと出てきて説明しろ! 俺はこんな奴認めないぞ──
 ──黙れ! お前に父親呼ばわりされる筋合いは……な、お前何を──
「何回やれば懲りるんですか。佐助さん」
 隣の痩せた老人に声をかけられ、佐助は我に返った。老人の名はグエン。声優を目指して日本にやってきたベトナム人である。八十三とまだ若いこともあり、佐助はグエンを可愛い弟分だと思っていた。グエンは佐助を愉快なお爺さんだと思っていた。
「懲りる? 何の話だ」
「脱走しようとしたでしょ? 昨日」
 佐助はあっと声を出した。そうだ。脱走だ。道中うっかり暴走ドローンを倒して、施設の窮地を救ってしまったのだ。そうなると、昼食のシチューは要介護の誰かとすり替えなければ。脱走を試みた翌日の食事には、〝穏やかになる薬〟が混ざっている。
「どうして、無理に出て行こうとするんです? やっぱり娘さんが来てくれないのが原因ですか? ええと、名前……」
「カオルだ」
 カオルは佐助自慢の娘だった。早逝した妻に似て賢く、AIエンジニアとして大企業に勤めていた。佐助の失業で散々苦労をかけたにも拘らず、文句一つ言わない孝行娘だった。
 浮いた話こそなかったが、佐助は縁談を急かさなかった。孫の顔が見たいのは事実だが、今の世の中、若返り以外大抵のことは再生医療で叶うのだ。髪の毛一本からでも子供は作れる。焦ることはない。それに、カオルが伴侶を連れてきたら、どういった反応をすればいいのか、佐助にはわからなかった。
 佐助はしばしば娘の偉業を周囲に語ったが、聞いた側の反応は鈍かった。誰もが知っているからだ。その自慢の娘は、一度も親の顔を見に来ていない。
「佐助さん。カオルさんに会いたいなら、ワタシからリコリスに頼んであげましょうか。ワタシ、施設に貸しありますから」
「貸し?」佐助が首を傾げると、グエンは唾を飛ばしてまくし立てた。
「もう忘れちゃったんですか? カムロですよ。ワタシ。超人気VTuberの。癒やしの脳トレボイスの。『こんちゃっちゃ、カムロでーす!』の。施設にも沢山ファンいます」
 佐助はそのファンとやらに全くお目にかかったことがなかったが、グエンは適切な距離をとっているだけと言い張っていた。
「ワタシ、ウィンク一つで五万稼いだ売れっ子でした。けれど、とても、とても小さなスキャンダルで、事務所にお金を奪われたんです。とても苦労しました」
 事務所の圧力がなければ今頃億万長者だったと、事あるごとにグエンは語った。
「事務所と施設は経営母体が一緒なんです。貸しがあるんです。ワタシがリコリスに頼むと、息子はいつも飛んできてくれます。ですから、カオルさんも」
「いいか、カオルはな。ただ無精で来ないんじゃない。来たいのに来られないんだ」
「会ってないのに、そんなことわかるんです?」
「……俺は、タクシーの運転手だったんだ」
 やや伏し目がちで語り出す佐助に、グエンは長話の予感を覚えた。
「知っての通り、俺達の業界は自動運転に食われてな。会社もドライバーをお荷物扱いして、乗車効率だの、バッテリーだの、何をとってもAIと比べられた。ある日、いつものようにYouTube流しながら、終電逃した客を捕まえにいこうとしたらよ、急にでっかい声で過払い金のCMが流れてな。あっと驚く間に電信柱に激突。会社はホクホク顔でクビを言い渡してきやがった」
「……はぁ、過払い金の」
「俺はよ、情けないし悔しいしで、半泣きになりながらカオルに打ち明けたのよ。そしたら、あの子なんて言ったと思う?」
「さぁ」
「『YouTubeプレミアム入ろっか』と来たもんだ。わかるだろ? あんな器の大きくて優しい子が面会に来ないわけがないってことだよ。AIの大先生だしな。母さんを散骨した時も、最後まで……」
 このままでは本題を忘れてしまう、そう察したグエンは、強引に話題を引き戻すことにした。
「で、その優しいカオルさんが来られない事情ってなんです?」
 すると佐助は周囲の様子を窺い、声を潜めて言った。
「あの子はな、気付いちまったんだよ。やすらぎの語りは老人ホームじゃない。もっと恐ろしい、ええと、あれだ。強制……強制労働施設だ」
 グエンは垂れ下がった瞼をこすった。
「佐助さん、要介護いくつですっけ」
「要支援だ!」
 佐助はつい声を荒らげてしまったが、特段周囲の耳目を集めることはなかった。このホームでは絶叫と泣き声以外は奇声とみなされなかった。
「グエン。お前、東棟の噂知ってるか」
「東棟って、要介護3超えた人が引っ越すトコですよね」
「そうだ。俺はここに入ってもう長いが、東棟から生きて帰ってきた奴を知らん。きっとあそこでは世にもおぞましい事が行われているんだ。そうに違いない」
 寿命だろとグエンが反論してこないのをいいことに、佐助は言いたい放題続けた。施設のドア付きバスタブは某国で拷問に使われていたものだ。リコリスは五年前からずっと今年がVR元年だと言っている。時間を止めて給料が出ないようにしている。エトセトラ。グエンはひたすらに頷いた。理解したのではなく、理解するまで考えるのが面倒になった時の頷きだった。
「カオルはきっと、施設の真実に気付いたんだ。機械共は俺達を閉じ込めて働かせ、使えなくなったら東棟送りにして──……」
「おや、映画そっちのけで怪談話ですか?」
 佐助の声のトーンが上がり始めたところで、(相対的に)若い男が会話に割って入った。
「僕も混ぜてもらえませんか」
 まだ若い男、施設長は佐助達の席の前にしゃがみ、視線を合わせてきた。佐助はこの男がどうも気に食わなかった。細っちょろい顔にこれ見よがしな髭が、生理的に受け付けなかった。
「どっか行け。どうせまともに話す気もないだろ」
「心外だな。どうしてそんな事言うんです?」
「お前はいつも半笑いで、ガキに向ける口調でバカ向けの簡単なことだけ話すだろ。年上をナメてやがる」
「ふむ、そういったご不満があるのでしたら……。先に僕からお話しさせていただきましょう」
 施設長は髭を撫でながら話し始めた。
「この仕事をしていると、常々思うのです。コミュニケーションとは物語の探索だと」
「物語の……探索?」
「ええ。ありのままの現実を直接摂取出来る人はそういません。夢の実現、恋の成就、子供の成長。人は誰しもが希望の物語を持ち、その中を生きています。コミュニケーションとは、断片的な情報から相手の物語を察して、自分の物語との接合点を探すこと。それを見つけて初めて、僕達はお互いを認められる。そこに年齢は関係ないと、僕は考えます」
 想像より複雑な話に佐助は面食らったが、啖呵を切った手前、真面目に聞くことにした。グエンは完全に飽きて、お笑いは第七世代で終わったと熱く語る老婆の方を眺めていた。施設長は続ける。
「しかし、加齢は人から記憶の連続性を奪い、その物語を奔放にします。刻一刻と変形する物語は、他者のそれを置き去りにしてしまう。絆を断ち切り、身近な人を苦しめてしまう」
 施設長はやや視線を落とし、話し続ける。
「僕の仕事は、その千切れてしまった物語達の接着剤になることです。入居者に穏やかな物語を楽しんでいただき、ご家族にはわだかまりと罪悪感を解消する物語を提供する。昔に比べれば肉体的な負担は減りましたが、楽な仕事じゃありません。あまり悪く言われると、傷つきますね」
 施設長の目は「どうです? バカ向けの話じゃないでしょう」と言っているようで、それが佐助の癇に障った。
「ふん、なにが傷つくだ。結局、お前の目的は俺達を働かせることで……」
 施設長はやや困った風に頬をかいた。
「でも佐助さん。あなた働いていませんよ?」
「……あ」
「皆さんを働かせないと、あなたの言う強制労働施設にならないでしょう。ね?」
 ぐうの音も出ない。佐助の一日の三分の一はレクリエーションで、残りは食事と風呂と睡眠だ。確かに、働いていなければ強制労働にはならない。むしろ金ばかりかかっている。
 佐助が黙り込んだのを確認し、施設長は微笑んで立ち上がり、喧嘩する老人達の仲裁に向かった。
 佐助は手元の端末に視線を落とし、解答欄がまだ空白だったことに気付いた。今、何のシーンを流していたんだろうか。すっかり頭から抜けてしまった……。
 その時、隣でグエンが呟いた。
「……佐助さん。働いてます。ワタシ達」
「何? いつ働いたんだ」
「今ですよ。思い出しました。事務所をクビになったあと、色々なバイトをしました。これと似た仕事も経験あります。教示といいます。AIの教示データを作る仕事」
「教示……」
 佐助の脳裏に、カオルの言葉が浮かんだ。
 ──落ち込まないで。時代の流れなの、お父さん。そのうち、機械に代替出来る仕事は全部とって代わられてしまうの。残るのは、責任と教示だけ──
 責任とは、施設長のような管理者の仕事であり、教示とはAIの学習データを作る仕事だ。不確実なアノテーションでも数が揃えば価値がある。映像の説明なんて金にならないというのは、佐助が若い頃の考え方だ。これが2084年の強制労働なのだ。
「施設長、嘘ついてます。施設は、事務所は、ワタシ達を利用してる」 
 グエンは断言した。

3

 脱走仲間にグエンが加わった。自分を搾取し続ける事務所に一矢報いるためなら、なんだってやると、グエンは息巻いていた。
 施設から貸与された端末は監視されているので、佐助が入居時に持ち込んだ古めかしいノートパソコンで計画を立案した。しかしこのパソコンがポンコツで、しばしばフリーズしてロールバックした。二人の記憶もしばしばロールバックした。後者の方が多かった。
「問題は、〝読み聞かせ〟と〝膝〟だな」
 佐助は言った。〝読み聞かせ〟とは、リコリスが作る物語を指す、秘密のコードネームだ。介護ドローンや警備ドローンは暴力を使わない。代わりに巧みに入居者の気をそらし、別の物語を植え付けて施設に戻るよう誘導する。入居者達のバイタルデータとカメラとマイクを用いたマルチモーダルな認識で、確実に意識の隙をついてくる。いわば機械が仕掛けるミスディレクションだ。これを突破しないことには、自由は得られない。
〝膝〟とは、二人の膝の調子のことだ。
「補聴器切って耳栓して頑張って走る。これでどうだ」
 そう佐助が言うと、グエンは首を振った。
「それ、佐助さん前にやってましたよ」
「ほんとか!? 成功したか」
「呼び止められて、補聴器探してる間に捕まえられてました」
 二人は唸った。物語に対抗するには、より強い物語で上書きするしかない。それが佐助の実感だった。けれど、『カオルの危機を救う』以上に強い物語など、あるのだろうか。
「……待てよ。ある、かも知れません」
「何だと? 本当か、グエン?」
「はい。うまくいけば、〝読み聞かせ〟と〝膝〟、両方解決出来るかも。でも一つ、確認が必要です」
 グエンは垂れ下がった瞼を指で支えて、真っ直ぐ佐助の目を見つめた。
「佐助さん。運転、まだ出来ますか」

4

 決行は散歩の日だった。入居者達が八名のグループになり、リコリスに先導されながら元ゴルフ場の花畑を歩いていく。佐助とグエン達のグループには、三台の介護ドローンが随伴していた。新しい花に差し掛かるたび、リコリスは休憩をいれ、入居者達に花の説明と感想を求めた。牧歌的な風景だが、佐助とグエンは知っている。これも労働の一環だ。
 休憩を挟みながら十五分ほど歩き、ラベンダー畑に差し掛かった頃、グエンは言った。
「リコリス。ワタシ、お花摘み行きたいです」
『良いですね。では、皆さんでフラワーアレンジメントを』
「トイレです」
 リコリスの返事も待たず、グエンは生い茂るラベンダーの合間を歩いていく。
 佐助は「膀胱が小さい奴は大変だな」と呑気に眺めていたが、グエンが振り返って睨んで来たので、思い出した。これは作戦だ。
「お、俺もだ。連れションだ!」と、佐助もグエンのあとに続く。
 入居者が急に催すのは珍しいことではない。むしろ催していると自覚出来るなら立派な方だ。老化とトイレ問題は切っても切れない。当然、介護ドローンにはその対策が備わっている。ドラム缶状の機体の下半分がせり出して、即席の便座に変形する。要支援レベルの入居者達の間には、この機能の世話になるのは恥だと言う空気があり、佐助もグエンもドローントイレを忌み嫌っていた。
 しかし、今回ばかりは事情が違う。便座になるということは、老人一人で介護ドローン一台を拘束出来るということだ。グエンが介護ドローンで用を足すフリをしている間に、佐助が目当てのものを手に入れる。
 ラベンダー畑の先、辛うじて雨風を防げる物置小屋の中に、切り札があるのだ。
 佐助はラベンダーを踏みつけつつ、さあ来いと意気込んだ。ドローン三台で入居者八名の面倒を見ているのだから、来ても一台だろう。まぁ、来ないなら来ないでいいが。
『おじいちゃん達。もう少し我慢して進めませんか? あと少し歩けば、道の横にちゃんとしたお外のトイレがありますよ』
 リコリスの呼びかけに、「それもそうだな、ドローントイレは恥ずかしいし……」と一瞬考えてから、佐助は首を振った。
「我慢出来ないんだ」
『そうですか、でも……』
 リコリスはいつもの調子で言った。
『体のお熱が言ってますよ。おしっこ、まだまだ平気だって』
「……走れ!」佐助は叫んだ。二人にとって走るとは、三秒に一歩踏み出すことだった。
『お爺ちゃん。皆待ってますよ。ほら……』
 リコリスが、二台の介護ドローンが追ってくる。佐助もグエンも必死に足を動かすが、ラベンダーを踏みつけるだけでひと苦労だ。まずい。逃げられない。佐助が諦めかけた、その時だった。
「あれー!」「助けてぇ!」
 自走杖や車椅子の老婆達が、一斉に前のめりにつんのめった。介護ドローン三台が戻って彼女達の体を支えようとするが、まさしく手が足りていない。
 予定外の援軍に、グエンは目をしばたたかせた。
「どうして、あなた達……」
 グエンの問いかけに、老婆の一人が口の端をひん曲げた。
「カムラー最後の推し活です」
 佐助は「ほんとに居たのかグエンのファン」という驚きと「カムラーってなんだよ」という疑問の間を行ったり来たりした。
「行ってください、カムロ様! カムラーは見返りを求めず。ただ貢ぐのみ」
 グエンは咳払いし、礼代わりに一言残す。
「『こんちゃっちゃ、カムロでーす!』」
 その声だけは二十代だった。
 老婆達の格闘を背に、二人は物置小屋まで走っていく。
「本当に、あるんだろうな、カムロ様!」
「グエンでいいですよ。ほら、これです!」
 そこに切り札は鎮座していた。電動ゴルフカーだ。自動運転未搭載で公道では走れない骨董品だ。施設長が趣味で施設内を乗り回しているもので、整備も充電も充分だ。キーも物置の壁にかけっぱなしだ。
 最高時速四十五キロ。AIの縛りから解き放たれた自由な足。施設長嫌いの佐助だけが知らなかった、施設脱出の秘密兵器である。
 窓もなく、屋根も薄い。車と言っても、昔の相棒とは程遠い。佐助はそう思いながら、シートに座り、シートベルトを締め、キーを捻り、ハンドルを握る。すると。
「お客さん、どちらまで」
 佐助の口が自然と動いていた。
「ワタシ達の家まで。飛ばしてくれますか」
 助手席のグエンが答える。後部座席がないのが残念だ。
「シートベルトを。少し揺れますよ」
 施設中から集まりつつあるアメンボの影を睨み、佐助はアクセルを踏み込んだ。
 加速が体を背もたれに吸い付ける。ゴルフカーが小屋を飛び出す。老人二人を乗せた車が、色とりどりの花の間を走り抜ける。
『危ないですよー!! 止まってくださーい!』
 リコリスの呼びかけと共に、右の花畑からアメンボ二台が現れる。佐助は巧みなハンドル捌きで難なく躱(かわ)す。大きく振れたカートの尻がコスモス畑をかすめ、ピンクの花を舞い上げる。ドリフト走行だ。
 シナプスが歓喜する。二人乗りにしてはやや鈍重な車体が、逆に佐助に往年の感覚を取り戻させた。神経が腕を抜け出して、車と繋がる感覚だ。
 四十キロを超えると、アメンボも衝突を恐れて直接的なアプローチを避けるようになり、追うのが精一杯になった。
 前方で、アメンボがプロジェクターで道に線を引いている。一体何だ? 通過すると、施設のスピーカーからリコリスが称賛の声をあげた。
『ゴール! 佐助さん、グエンさん、おめでとうございます。第一回やすらぎ杯、優勝です! お二人には豪華な賞品を……』
 佐助は鼻で笑った。俺は客を乗せてるんだ。受け取るのは運賃だけだ。
 最も強力な物語、それは経験だ。体が覚えた物語に比べれば、リコリスの仕掛けなど薄っぺらだ。佐助には「優勝……」とつぶやくグエンに肘鉄をかましながら急カーブする余裕すらあった。
 我に返ったグエンが、興奮して手を叩く。
「すごい。佐助さん、ほんとにタクシー運転手だったんです? 走り屋か何かじゃ?」
「馬鹿野郎、お客さん。俺は三十年ゴールド免許だ」
 こんな危険運転、現役の頃は決してしなかった。現役時代の頭にあったのは、信号機の切り替わりのタイミングと、バッテリーを使わない緩やかな加減速と、客のあしらい方、カオルのことや自動運転のこと。しかし、「あの車を追ってください」とか「私を連れて逃げてください」といったシチュエーションに憧れがなかったかといえば嘘になる。今、佐助は人生で一番自由に走っていた。
 アメンボの追走を振り切り、花のアーチが見えてくる。あれを抜ければ、自由だ。
 しかしその時、佐助は見つけてしまった。五十メートル先、道の脇に佇む老婆を。呆けた顔で、介護ドローンにもたれ掛かかって手を挙げている。
『十七号車へ連絡。四十メートル先に高齢女性。ピック願います』
 どこかから、無線の音がする。客が待っている。停まらなくては。
「……佐助さん? 佐助さん! ちょっと、聞こえてますか、佐助さん!」
 ブレーキは緩やかに。ちょうど客前で停まるように。AIとバッテリー消費を比べられて、また上司に嫌味を言われる。人生計画なんてあったものじゃないが、カオルの重荷にだけはなりたくない。俺は真っ当な父親でいないといけないんだ。おっと、余計なことは考えるな。あの婆さんを拾って……。
「『二十分で過払い金!!』」
 佐助の手が震えた。
「『キャッシングの経験があるあなた! 利息を払い過ぎているかも知れませんよ! スピード手続きで今すぐお金が戻ってきます!』」
 ブレーキに触れていた右足を切り替え、アクセルを思い切り踏み込む。棒立ちの老婆を無視し、ラストスパートを走る。
「あのCM、お前だったのかよ。グエン」
「言ったでしょ? 色々バイトしたって」
 往生際を知らないリコリスは、まだ読み聞かせを続けていた。しかし、笑い声にかき消されて、二人の耳には届かなかった。

5

 困ったことになったぞ、と佐助は首をひねった。佐助主観で十年ぶりの公道は、それなりに変化していたが、迷うほどではなかった。
 人通りも車通りもほぼなく、マニュアル運転で走っているのに警察も追いかけてこない。
 問題はバッテリーだ。派手なカーチェイスを演じたせいで、ゴルフカーのバッテリー消費が激しい。佐助かグエン、どちらかの家にはつくが、両方向かうのは不可能だ。
「グエン。充電出来るところ、知らないか」
 助手席のグエンに呼びかけるが、答えが返ってこない。
「…………グエン? どうした。寿命か?」
「停めてもらえますか。運転手さん。そこのバス停横で」
 佐助がゴルフカーを停車させると、グエンは半ば転びながらベンチに腰を下ろした。
「おい、休んでる場合か」
「行ってください。充電してたら、捕まります。ワタシはここでホームの迎えを待ちます」
「は?」佐助は補聴器の不調を疑った。
「気にしないで。急に怖くなっただけです。外で家族に会うのが」
「怖いって、何がだ? マメで気の利く息子なんだろ? 散々面会自慢してきたじゃないか」
「ワタシを施設に入れたの、その息子ですよ」
 グエンは言ってしまった、という顔をした。自分の意志で施設に入る者は滅多に居ない。大抵の入居者は家族のプレッシャーに負け、理解のおぼつかない契約書にサインする。
「……あの日、息子から、久しぶりの家族旅行だと聞かされました」
 グエンは堰を切ったように話し始めた。
「トイレを汚して怒られてばかりだったから、とても嬉しかった。施設は綺麗でしたし、ベッドも寝心地がよかった。でも一人部屋が寂しくて、リコリスに息子の部屋を尋ねました。そうしたら、家族はもう帰ったと言われました。ワタシは慌てて、みんな探しているだろうから、家に電話してくれとお願いしました。でも番号がわかりませんでした。メールもSNSも、ネットが繋がらなくてだめでした。何日も過ごして、ようやく気付きました。ワタシは……」
 そこでようやく言葉を切って、グエンは少し黙った。その先は禁句だった。
「騙された事、まだ覚えてます。怒りもあります。でも、面会では忘れたことにします。きっと悪いのはワタシ。息子はワタシを嫌いにならないために、距離をとってくれた。家族もワタシに怒りがあると思います。でも面会では笑顔です。それがいいんです」
 グエンはシワだらけの手を握った。
「思いやりがほつれたら、終わってしまう。皆が終わりを避けてくれるのが、ワタシは嬉しい。目を逸らしあう優しさを、壊したくない」
 グエンを意気地なしだと批判することは、佐助には出来なかった。カオルは自分をどう思っていたのだろう。それを考えるのが恐ろしくなった。
「もういいのか。事務所への復讐は」
「十分、やり返しました。それにワタシにも、ちょっと悪いトコはありました」
 グエンは昔を懐かしむように、自らの喉を撫でた。
「五股かけた女の子の一人が、社長の娘さんでした」
 じゃあ「ワタシにも」じゃないだろ。一方的にお前だけが悪いだろ。と佐助は思ったが、教わったばかりの優しさを発揮した。
「佐助さん。自由を手にして、カオルさんを助けに……謝りに行くのですよね」
 そうだ、と頷いてから、佐助は自分は謝りに行くのかと納得した。何をどう謝るのかはわからないが、謝らなければいけないという気持ちがあった。
「さ、行って。とても楽しかったです」
「ああ、またな」
 軽くなったゴルフカーは、少し運転しにくかった。

6

気付くと、佐助は懐かしの我が家に到着していた。妻の両親から受け継いだ赤い屋根の庭付き一軒家だ。その維持費は家計の負担になったが、カオルの母親が育った家を、佐助は売り払うことが出来なかった。
 ──カオル! この男は何だ!──
 ゴルフカーを下りて、庭に入る。佐助が住む前から植えられていたはずの梅の木は、綺麗に切られていた。この梅で作った梅酒をカオルと一緒に呑むのが夢だったが、実際に呑み交わしたのかは、思い出せなかった。
 ──カオル! さっさと出てきて説明しろ! 俺はこんな奴認めないぞ──
 雑草を踏むたび、脳の深いところから物語が掘り出されている。そんな感覚があったが、すぐにその客観視もどこかへ飛んだ。
 ──黙れ! お前に父親呼ばわりされる筋合いは……な、お前何を──
 佐助が震える手でインターホンを押すと、少しして、ドアが開いた。
「おかえりなさい。父さん」
 そう言ったのは、細っちょろい顔にこれ見よがしに髭を蓄えた男だった。佐助は答えた。
「ただいま、施設長。……いや、カオル」
 今の世の中、若返り以外大抵のことは再生医療で叶うのだ。体の性を変えることも、出来て当たり前だ。
 佐助は施設長の手を借りて、居間へと歩いていった。カルキ臭い施設と違い、久々の我が家はややカビ臭かった。
 温かい梅昆布茶で一息ついてようやく、佐助は胸に溜まったものを吐き出せた。
「俺は、受け止めてやれなかったんだな。カオルの、その……」
「ううん。父さんは受け入れてくれたよ。男としての僕を」
 カオルは窓の外、梅の木が植えてあったあたりを見ながら言う。
「でも、八十五を過ぎたあたりから、娘のカオルを探すようになった。僕がカオルだって何回教えてあげてもすぐに忘れて、やがて信じてもくれなくなった。それで気付いたんだ。僕は父さんの物語を壊してしまったんだって」
 ほっそりとした手の甲に、小さく筋が立つ。
「僕はこう思った。『これはこれでいいじゃないか』とね。見方を変えれば、父さんの病気も悪いことばかりじゃない。病気のお陰でこんな髭面の男じゃない、理想で自慢の一人娘を覚えていて貰える。幸せな物語をプレゼント出来る。だから、僕は」
「……違う。それは、違うんだ。カオル」
 佐助には息子がいる。会いに来てくれない娘ではない。いつでも目をかけてくれる息子がいる。二度と忘れてたまるものかという想いがあった。しかし、その想いに何の保証もないこともわかっていた。未来の自分がどんな物語を生きているかわからない。十分先すら見えていない。
 それでも。佐助は息子の手を掴んだ。
「頼む。今を本当にしてくれ。一人息子を誇る俺を本物にしてくれ。明日の俺が別人でも、今の俺を覚えていてくれ」
 自分を貫く物語が変わるというのは、自分が変わるということ。もう佐助自身には、本物の自分を決められない。けれど、佐助には託す相手がいる。 
 カオルはほっそりとした手で、佐助の手を包み返した。皮膚の硬い、働き者の手だった。

「なぁ、カオル。久々に二人で外に出たんだ。せっかくだから……」
「うん、大好きなラーメンでも食べに行こうか? 栄養管理AIに叱られるけど、まぁたまにはいいよね」
「母さんの墓参りに、寄れないか」
「え……──」
 佐助は横目でカオルの表情を窺おうとした。
 しかし、夕日が眩しいのでやめておいた。
「……なんでもない。そう言えば、散骨だったな」
 佐助は小さく笑って首を振った。

(終)
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