スターダスト

【第3シーズン7/18刊行開始記念】《ローダンNEO》おさらいその1:第1巻『スターダスト』の前半分第9章までを連続掲載(第8章)

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 ゲートの上には「ベア・クリークにようこそ!」と書かれた看板がかかっていた。その下に、小さな文字で「ゲーテッド・コミュニティ」とある。ジョン・マーシャルにとって、その言葉は「監獄」と同義だった。凝り固まった恐怖によって築かれた監獄である。
 この高級住宅地は、高さ四メートルの二重の塀に囲まれていた。塀を覆うように常緑の生け垣と木々が並んでいるが、防犯カメラが常に辺りを監視し、鳥型の自動無人ドローンが群れをなして上空を旋回していた。中南米の犯罪都市さながらに厳重な警備だった。
 マーシャルは自転車のペダルをさらに強く踏みこみ、ゲートに続く上り坂に挑んだ。もう一五キロ近く自転車を走らせている。道のり自体は起伏も少なく、日頃から鍛えている彼にとってはそう苦にならなかった。とはいえ季節は六月の終わり、しかも時刻は昼どきである。テキサスでは、よっぽどの理由がないかぎり指一本動かしたくない時間帯だった。ただし、今の彼にはその「よっぽどの理由」があった。
 マーシャルが進入路の遮断バーの前で自転車を止めると、道路の真ん中に設けられた警備ボックスから守衛が出てきた。冷房が入っていないのだろう、制服のわきの下には汗染みができている。
 見覚えのない守衛だった。このゲートの守衛はしょっちゅう替わるのだが、それはベア・クリークの住人たちが用心深いためである。いつも同じ人間では、そのうち慣れが生まれる。慣れは親しみに、親しみはちょっとした便宜に、便宜は買収につながり、そうして砦にほころびが生じるというわけだ。外の世界のトラブルをベア・クリークのゲートの内側に入れるなど、あってはならないのだ。
 守衛はマーシャルの前につっ立ったまま、こう言った。
「何か?」
 これ以上なく無愛想だが、それも無理はからぬことだった。汗びっしょりで自転車にまたがって高級住宅地のメインゲート前をうろつく男が不審でないはずがない。
「ジョン・マーシャルといいます。一四時からシャロン・ティアニーさんと約束が」
 守衛は手首にはめたリストバンド型〈ポッド〉に目をやった。
「すでに一四時三八分ですが」
「ええ、知ってます。だけど、今日は暑かったもので」
 守衛は無言でじろじろと彼を見つめた。しかし、最終的には同情の気持ちが勝ったらしい。なにしろ日がな一日、金属製のボックスのなかで蒸し焼きになっているのだ。暑さなら嫌というほど身に染みているだろう。
「お待ちください」
 守衛はそう言うと、プラスチック製のカードを取ってきてマーシャルに手渡した。
「面会時間は九〇分です。延長は六〇分まで可能ですので、カードの電話番号までお電話を。時間は厳守願います」
 そして遮断バーが上がった。
 ベア・クリークは数年前まで市営の公園だった。しかし、あの二〇二八年のハリケーン被害のあと、嵐に蹂躙された跡地は合弁企業に買収された。市には公園を再建するだけの資金がなかったのだ。
 ベア・クリークの景観は今も公園さながらだった。散水システムの整った広々とした芝地に、生け垣に囲まれた住宅が点在している。だが、見渡すかぎり人影はない。花壇の手入れをする庭師も、ゴミ──芝生にはゴミひとつ落ちていない──を収集する掃除人も、ベンチにペンキを塗る職人の姿もなかった。
 マーシャルは自転車で敷地内の小道を走る。道には細かな玉砂利が敷き詰められ、日に何度も掃き清められている様子だった。道行く住人が走り過ぎる彼に手を振った。マーシャルのことを自分たちの「仲間」、あるいは郵便配達人か何かだと思っているのだろう。
 シャロンは自宅のバンガローで彼を待っていた。
「ジョン! よかったわ、急いで時間をつくってくれて。さあ、入って」
 彼女はマーシャルに手を差し出し、握手を交わす。今日の訪問が純粋にビジネス絡みだと、はっきりわからせる仕草だった。
 シャロンは先に立って書斎に向かう。マーシャルは後に続きながら、その姿につい見とれていた。シャロンは素晴らしく美しかった。非の打ちどころのない美貌は、人生のあらゆる苦難にもくすむことがないかに見える。そして、ある意味では事実そのとおりだった。
 シャロンは両親とともに創設間もないベア・クリークにやってきた。しかし数年前、両親はベア・クリークの外で事故に遭い他界している。そして彼女には、この高級住宅地で一生暮らせるだけの遺産が残されたのだ。この数年、彼女はベア・クリークを一歩も出ていないようにさえ思われた。
「座って」シャロンは来訪者用のソファをすすめた。「飲み物を用意するわ」
「ありがとう。水で結構だ。ああ、ふつうの水で頼むよ」
 シャロンは上飾り風の浄水フィルターがついた水差しを手に取り、彼のグラスに水を注いだ。自分のグラスにはドリンクサーバーから特製の水を注ぐ。それは、この世の万物がもつ生命力を充填したとかいう「健康水」だ。マーシャルからすれば、馬鹿げたインチキ以外の何ものでもなかった。
 彼とシャロンは長いディナーの席で──シャロンにとって、ディナーは恋人との夕べに欠かせないのだ──しょっちゅう、この件で口論になっていた。ドリンクサーバーは毎月カートリッジを交換する必要がある。そのカートリッジ一個分だけでも、マーシャルが子供一人を一カ月間じゅうぶん養えるだけの金がかかっていた。
 だが彼は、もうこの件で彼女と争うのはやめていた。そして、二人がうまく折り合える分野でのみつきあいを続けている。すなわち、セックスと金の二分野である。とはいえ、けんかをするほど恋の炎が燃え上がることは、彼自身も自覚していた。
 シャロンはマーシャルにグラスを手渡し、デスクの前に座る。彼女自身と同じくらい非の打ちどころなく滑らかなデスクだ。その上には驚くほど華奢な半透明のスタンドに支えられたディスプレイと、紙のように薄いキーボードが置かれている。
「単刀直入に言うわ」シャロンが口を開く。「もう終わりよ」
「何がだ?」
「あなたの運営する、ヒューマンヘルス基金のこと。基金は支払い不能に陥ったわ」
 マーシャルはあやうくグラスの水をこぼしそうになった。
「まさか! あり得ない……想定されるあらゆるリスクに対応できるよう、完璧に資金を分散したはずだ!」
「ええ。あなたの構成したポートフォリオは完璧だった。恐ろしいほどにね。私がこれまで見たなかでも最高の出来だわ。まるで、第六感でもあるみたい。でもね、たとえあなたが魔術師だとしても、もはや打つ手はない。市場全体が暴落しているの」
「そんなはずが……!」
 マーシャルはシャロンの表情を読もうとした。これは冗談だ、そうに違いない。たちの悪い、悪趣味なジョークだ。それとも、いつかの口論の仕返しなのか?
 表情からは何もうかがえなかった。シャロンの顔は仮面のように整っており、それはベッドにいるとき以外に見せる、いつもの彼女だった。
「本当のことよ。これを見て」
 シャロンは指をパチンと鳴らした。ディスプレイがスリープモードから復帰する。彼女の指が──正確には、ネイルを施された長い爪先が、キーボードを叩いた。株式とインデックス、それに投資ファンドの相場がディスプレイに表示される。どの相場も例外なく下落していた。シャロンの言葉は真実だったのだ。
「でも、そんなはずはない!」
 マーシャルは事実を認めようとはしなかった。
「いったい何が起きたんだ?」
「ニュースを追っていないの?」
「ああ。きみも知っているだろう。そんなことは無意味だ」
 マーシャルは投資銀行を辞めて以来、ニュースの濁流から解放されていた。
「ニュースは世界そのものよ。たまには庭の垣根から外を見るのもいいんじゃなくて?」
 シャロンが目をしばたたかせる。
「ねえ、世界は崩壊しつつあるわ。メッキが剥がれ落ちはじめたの」
 マーシャルは声もなくシャロンを見つめた。いったい、彼女に世界の何がわかるというのだ?
「ジョン。今の世界はどこかおかしいのよ」
「そんなことは、きみに言われなくてもわかっている!」
「子供みたいな八つ当たりはやめて。私のせいじゃないでしょ? 私はただ、悪いニュースを届けようとしているだけ」
「で、その悪いニュースというのは?」
「世界は枯渇しつつあるわ。現実的にも、精神的にも。二〇三六年は厄年になるでしょうね。北半球の主要農業は軒並み不作。石油、天然ガス、石炭採掘量もだいぶ前から壊滅的で、深刻な供給不足が続いてる。膨れ上がった負債は、もはや支えきれないところまで来ているわ」
「そんなことは今に始まったことじゃないだろう? 私がニューヨークで最後にチェックした情報と何も変わらない。あれはたしか、二〇三〇年の七月だったか……」
「ええ。だけどね、今回は違う。人は予想外の出来事には耐えられても、絶望には耐えられないわ。世界は今、臨界点を迎えてる。多くの権力者が、自国の惨めな現状を打開するには起死回生の一撃を放つしかないと考えているのよ。戦争が始まるわ、ジョン。奇跡でも起こらない限り、私たちに未来はない」
「きみも知っているはずだ。私は奇跡など信じない。確定利付債はどうなってる?」
「とっくの昔に消し飛んだわよ。三年前、あなたの施設の工房で火事が起きたときにね。火災保険は支払われなかった。なぜって? 火をつけたのはあなたの大事な子供の一人だったんですもの。基金だけでは修理費用をまかなえなかった。覚えているでしょ? あのとき言ったはずよ、分不相応な出費だって。もうこれ以上の余裕はないとも言ったわ」
 マーシャルは彼女の言葉を聞き流した。少なくとも、表面上は。だが実のところ、その言葉は彼の心に突き刺さっていた。
 たしかに、彼は無理を承知で工房を改修した。しかし、ほかにどうしろというのだ。子供たちには何か作業が必要だ。さもないと一週間もたたずに、今度は施設の母屋が炎に包まれるだろう。
「いくら足りない?」彼は尋ねた。
「二万二一九二ドル七三セント。投資家への次回の償還分よ」
「支払日は?」
「九日後」
「短期借入でどうにかならないか? 相場が持ち直すまで暫定的に……」
 シャロンは首を振る。
「打てる手はすべて打ったわ。といっても、そう多くはないけれど。基金には、これといって担保もない。施設の建物は担保価値ゼロ。まともな思考の人間なら、シュガーランドに不動産を買おうなんて考えないもの」
 シャロンの表情は仮面のように動かないが、心なしか瞳がうるんでいるように見えた。
「気持ちはわかるわ、ジョン。あなたがどんなに施設を大切に思っているのか、知っているつもりよ」
 マーシャルはシャロンの肩越しに外の庭を見る。シャロンはランの花を育てていた。彼女の生きがいであり、最近では収入を得られる副業にもなっている。彼女は常に自分が選んだ道で優れた才能を見せていた。庭は美しかった。非現実的なまでに美しい。マーシャルは急に寒気を覚えた。
 シャロンは立ち上がって歩み寄り、彼の手を取った。
「ジョン、これで何もかも終わりだと思ってるかもしれないけど、それは間違いよ。終わりはいつだって新しい始まりなの。あなたには新しい人生がある。このベア・クリークでね。隣のバンガローが売りに出ているわ。ご夫婦が会員料を払えなくなって手放したの。今なら、うまくやれば基金が完全に破綻する前に残った資金を回収できる。ここに越してくるには十分な額よ。ね、考えてみて。この世のしがらみをすべて捨てて──」
「その『この世』が、今にも終わりを迎えつつあるのにか? きみが言ったんじゃないか」
「未来がどうなるかなんて、誰にもわからないわ。私にわかるのは、誰だって人生はたった一度きりということ。そして人は、何よりもまず自分を大切にすべきだってことよ。あなたはもうじゅうぶん他人のために時間を費やしたわ。もういいかげん、そんな生き方はやめて」
 マーシャルは彼女の手から自分の手を引き抜いた。そして「考えさせてくれ」とつぶやいて、その場を後にした。
 帰り道は三〇分もかからなかった。

 ノックの音がした。遠慮がちなノックだった。廊下の古びた階段がきしんだのかと思うほど、ささやかな音である。
 マーシャルはあえて聞こえないふりをした。ドアを開けに行くのが嫌だったのだ。このままディスプレイに向かって作業を続けたかった。次から次へとグラフをチェックし、相場を追い、分析し、口座と預金の状況を書きとめる。もっと、もっとよく調べなくては。
 彼は、シャロンが何か見落としているのではないかという淡い期待に必死にすがっていた。基金があと一カ月でも持ちこたえられるだけの、かすかな可能性を求めて。
「ジョン?」
 ノックと同じくらい遠慮がちな小さな声がした。シドだ。マーシャルは深く息をついた。
「どうした?」
「入っていい?」
・だめだ! 今は忙しい!・と答えたかったが、思いとどまった。
 こんなことを続けても無意味なのだ。もう何時間も、かすかな希望の光を求めてディスプレイに向かっていた。だが、そんなものは見つからなかった。シャロンの分析は、彼女自身と同じくらい完璧だった。
 基金は破綻する。ペイン・シェルターも、彼自身も、子供たちも……シドも。みんな終わりなのだ。
「お願いだよ!」シドが懇願する。「そんなに時間はとらないから。約束する」
「入りなさい」
 ドアが開くと、シドはさっと部屋のなかに体をすべりこませた。そして後ろ手にドアを閉めると、マーシャルのベッドに腰をおろす。部屋には来客用の椅子を置くスペースもなく、ベッドの上が唯一座れる場所なのだ。
 シドの髪は濡れていた。シャワーを浴びてきたのだろうが、それは珍しいことだった。一カ月に一度あるかないかのことで、それも食事当番一週間の罰をちらつかせてやっとである。
「じゃまだった?」
 シドはマーシャルから目をそらしながら尋ねる。
「いいや。そんなことはないさ」
 そう言ってからディスプレイを消し忘れたことに気づき、彼は画面上のグラフを閉じた。
「ちょっと帳簿をつけていただけだよ。どうした、シド?」
「眠れないんだ」
「そうか。だが、なぜ私のところに?」
 シドは少し肩をすくめ、すとんと落とした。
「さっきシャワーを浴びたんだ。ジョンはいつも、温かいお湯を浴びると眠くなるって言ってたし。それで部屋に戻る途中、ここの明かりがついてるのが見えたから……」
 シドは視線を上げた。
「ねえ、聞いた? 《スターダスト》からの通信が途絶えたこと。月の軌道にアプローチした直後に、消息不明になったって」
「いや、知らなかった。それは心配だな」
 彼は答える。だが、本心ではこう言いたいのをぐっとこらえていた。・ローダンも他の宇宙飛行士たちもりっぱな大人だ、自分の意志で月に向かったんじゃないか・と。
 もちろん、無事であればいいとは思う。だが、彼らは地球の抱える問題に背を向けたのだ。そんな人間がどうなろうと、自分には関係のないことだ。
「何がおきたんだ? 事故かい?」マーシャルは尋ねる。
「たぶん。詳しいことはわからないけど……ローダンたちは死んじゃったって、みんな言ってる。でも、そんなの信じられないよ。ローダンとブルはすごく頭がいいんだ、こんな簡単に死ぬもんか」
・ああ、そうだろうさ!・マーシャルは心の中でそう言いながら、同時に気づいた。シドの《スターダスト》への思いは、自分が今の財政状態に抱いている思いと同じものだと。シドも自分も、そんなはずはないと現実を認められずにいるのだ。
「さあ、この話はやめだ!」マーシャルは話題を変えた。
「《スターダスト》のことを話すために、こんな真夜中に私の部屋にきたわけじゃないんだろう?」
 シドはうなずいた。
「うん。ぼく……もう一回ちゃんと謝りたくて。ネバダ宇宙基地でのこと、ぼく、本当に馬鹿だった。自分のことしか考えないで、施設をつぶしかけた。そんなつもりじゃなかったのに……」
 少年は許しを請うように手のひらを差し出した。その手の皮膚は色白を通り越してひどく青白く、まるで火傷をした後に新しい皮膚が再生したかのように見えた。
「あまり考えすぎるな。悪気があったわけじゃないんだから」
「でも、ぼく、ひどいことをした」
「いいや。おまえは自分の行動がまわりにどんな影響をおよぼすか、よく考えていなかっただけだ。人間、誰だってそういうことはある。でも、こうして自分の間違いに気づいて、ちゃんと学んだじゃないか。おまえは、もう二度と同じ過ちはくり返さないはずだよ。大事なのは、そこなんだ」
 それはたしかにマーシャルの本心だったが、同時にシドを部屋から帰したいという思いがあったのも事実である。彼は疲れていて、自分のなかの不安に押しつぶされそうだったのだ。一週間後には、施設はもう存在しないかもしれない。だが、もう一度すべての投資をくまなくチェックすれば、あるいはどこかに見落としが──。
「自分でも、何が起きたかわからないんだ」
 シドは話を続けている。
「ただ《スターダスト》の近くに行きたかった。そしたら──」
「気持ちはよくわかるよ。ローダンとブル、それにクルーたちは、おまえのヒーローだものな」
 いつかシドが話してくれたことがある。シドがヒューストンにやって来たのは、ジョンソン宇宙センターがあったからだと。少年は、宇宙センターがまだ現役で稼働していると勘違いしていたのだ。
 だが実際のところ、ジョンソン宇宙センターは二〇二八年にこの地を襲ったハリケーンによって壊滅状態に陥った。被災地から大量の人や企業が流出するなか、NASAもまたこの地域から撤退していたのだ。そして、ハリケーンの急増する沿岸地域を避け、ネバダに新施設を建設したのだった。
「うん。ローダンといっしょに宇宙を旅できたらって思ったよ。でも、ジョン……ぼく、ときどき自分が怖いんだ。自分のなかの何かが怖いんだ……」
「怖がることはない。それは若者が自分の殻を破るための準備みたいなものさ」
「そうかもしれないけど、でも、ぼくのこれは違うんだ。ぼく……」
「大丈夫、ふつうのことだよ。おまえくらいの年の子供は、みんなそう思うんだ。自分は他人と違うってね」
 マーシャルは立ち上がり、ドアに向かった。いつものように、低いななめの天井にぶつからないよう頭をかがめながら、ドアノブに手をかける。
「さ、話はそれだけかい? 実を言うと、私も少し疲れているんだ」
 シドは立ち上がりかけて動きを止めると、再びどさっとベッドに腰を落とした。彼はきっとして顔を上げると、マーシャルの目を見返す。その手は震えていた。全力で自分を抑えているのだ。
「ジョン、ぼくの話をちゃんと聞いてよ! ぼくのこと、じゃまなの?」
「なんでそんなことを言うんだ? ただ、ちょっと疲れているだけだ。ここしばらく、おまえが心配でろくに寝ていなかったから……」
「……ごめんなさい! でも、国土安全保障省の人はすべて解決したって言ってたよ。そうじゃないの?」
「いや、もちろんそうさ」
「なのに、ジョンはまだ悩んでるみたいだ。ぼくのことなら心配しないで」
「違うんだ、シド。おまえのことじゃないよ。まあその、少なくともふだん以上に心配ってわけじゃない」
「それじゃ、タイラーとデイモンのこと? けんかしたって聞いた」
「ああ、そうだ。これで納得してくれたかい?」
 シドは少し考えてから首を振った。
「ううん、それだけじゃない。あれと関係あることでしょう?」
 シドはディスプレイを指さした。
「ジョンはふだんネットなんか見ないもん」
「言っただろう。帳簿をつけていただけだ」
「それに、シャロンのところに行ってた。シャロンと別れたの?」
「なぜ私とシャロンのことを?」
 思った以上に大声が出た。マーシャルは思わずドアノブを強くつかむ。シドは再び体を縮こまらせた。
「ごめんなさい。ぼくが知ってるって、ジョンは当然知ってると思ってた。施設の子はみんな知ってるよ」
「……驚いたな」
 そうだ、たしかに当然知っていると考えるべきだったのだ。路上生活は子供の心にトラウマを植えつける。だが同時に、鋭い勘も養うのだ。彼らの目は鋭い。
「わかった。それじゃ、この場ではっきり宣言しておくが、彼女とは別れていない。それとだ、シャロンと私の間柄はおまえたちには関係のないことだ。わかったね?」
「うん、わかった。でも、じゃあジョンはお金の心配をしてるの?」
「なんだって!?」
 マーシャルは驚きのあまり、あやうくドアノブをもぎ取りかけた。
「なぜ、どうしてそう思うんだ?」
「だって、シャロンは施設のお金の管理をしてるって、スーが言ってた。それに、さっきジョンのディスプレイにたくさん数字やドルマークが見えたから、それで……」
 マーシャルは沈黙した。そして、考えた。今ここで何を言おうが、あるいは言うまいが、その内容は明日には施設じゅうに知れ渡っているだろうと。
 シドは今、かなり真実に近いところにいる。何かもっともらしい、それでいてあまり大きな混乱を招かないような説明をしなくてはならない。
「わかったよ。本当のことを言おう」マーシャルは言った。
「シャロンのところに行ったのは、お金の話をするためだ。基金のために投資していたファンドのひとつが危うい状態でね」
「施設がなくなっちゃうの?」
「いいや、そんなことはないさ。ただ、次からはもっと慎重に投資しないといけない。それだけの話だ。だから、こうして夜中までいろいろ考えていたんだよ。わかったかい?」
「ぼくに何か手伝えることない?」
「そうだな。それじゃ、もう寝てくれないか。そして、ほかの子たちにくだらない話をしないこと。いいな?」
 マーシャルはドアノブを回し、ドアを開けた。シドはしぶしぶ廊下に出た。
「おやすみ、ジョン」
「おやすみ、シド」
【第9章へ】(7/15以降公開)

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