ポスト『ハーモニー』時代の医療ディストピアSF――韓松『無限病院』書評先行掲載(評者・鯨井久志)
なんだかよくわからないけどとにかくすごい、圧倒される、高熱が出たときの悪夢みたい、病院に対して「イヤだな」と思うことの全部載せ――など、たいへんご好評をいただいております、韓松『無限病院』。
本欄では、現役医師でもある翻訳家・鯨井久志氏による書評を掲載いたします。SFマガジン2025年2月号(12月25日発売号)の「SFブックレビュー」先行掲載となります。
ポスト『ハーモニー』時代の医療ディストピアSF
鯨井久志
医学の進歩はめざましい。いまや各種検査によって病気の早期発見が可能となり、手遅れになるまえに医療が介入するようになった。「予防医学」という概念も打ち出されている。だが一方で、医学の父権主義が問題となる。医療の専門家たる医者と患者のあいだには、どうしても知識の差が生まれてしまう。それゆえ、患者の意思や決定権はないがしろにされがちになる。
韓松が本作で描く未来世界は、そのパターナリズムが極限まで拡大された医療ディストピアだ。主人公である楊偉は、ある日ミネラルウォーターを飲んだあとで胃に違和感を覚え、意識を失ってしまう。そして、気がつけば病院のなかで、患者として扱われるようになる。各種検査をたらい回しにされるも、結局治療は始まらず、自分の病気が何なのかさえはっきりとは知らされない。こうした不条理に見舞われるなかで描かれるのは、この作中世界における価値観だ。「生命」が最重要視され、各種グローバル企業と医療が手を結び、市全体が病院と化してしまった世界。そこにおいては、生命の管理者たる医師が絶対的な存在として君臨し、その「死」について話すことすらタブーとされる。そして、個人のアイデンティティは病気であることと結びつく。つまり、あらゆる人間は病んでおり、治療の対象であり、よって世界は文字通り、それ自体が巨大な病院と化している。
WHOは健康を「肉体的、精神的、社会的に満たされた状態」と定義しているが、健康でない状態、すなわち「病気」であるとは、誰が判断するのか。それは国家であり権力である、とフーコーは説いた。実際に、「正常」と「異常」の境界線は、時代や社会の変動とともに揺れ動いてきた。同性愛がその好例だ。医療は善意の顔をして、的確なアドバイスをわれわれにもたらしてくる。根底にあるのは、患者を幸福にする、不可避な死から遠ざける、という崇高な理念にほかならない。だが、そこに共同体の意図──可能なかぎり長生きして、〝生産性〟を保つべし──がまとわりついてはいないだろうか。その一方、より恐ろしいのは、それを内面化してしまうわれわれの価値観の方だ。「あすけん」の女に従ってはいないか。『もちづきさん』のドカ食いを、みんなでよってたかって心配するのはなぜか。本作は、資本主義と結びついた強大な医療複合体を描くなかで、そうした既存の価値観へ揺さぶりを掛ける。そして、「家族」の枠組みさえ解消されてしまうような、社会全体に起こる価値観の変容を描く。さらには、自律した病院組織は医療の芽をあらゆるところに播種し、宇宙全体をも病院に変えてしまう。仏教や医療の矛盾を扱いつつ、価値観を転倒させ、最終的には宇宙規模のスケールにまで話を展開させていく思弁的な語りの途方もなさには、もはや脱帽するほかない。
かつて伊藤計劃は『ハーモニー』で、「真綿で首を絞められる」ような優しさに満ちた医療ディストピアを描いた。韓松が描く世界は、より現実的で、だからこそ悪夢めいている。ネオリベラリズムと福祉の衝突が避けられないこの現代において、あたかも予言めいた読み心地を残す本作は、まさにポスト『ハーモニー』時代の医療ディストピアSFとして、広く読まれるべき作品と言えるであろう。《医院》三部作の第一作目であることもあり、今後の展開にも期待したい。
平凡なビジネスマン・楊偉(ヤン・ウェイ)は、ある日、仕事の出張先であるC市のホテルでミネラルウォーターを飲んだところ、腹痛で倒れてしまう。ホテルの従業員の女性たちに巨大な病院へ連れ込まれるが、外来には大量の患者が詰めかけており、なかなか検査の順番が回ってこない。楊偉は痛みに苦しみながら待つが、やがて病院内ではおそろしいほどに混沌とした状況が広がっていることがわかる。院内で商売をしはじめる者あり、遊ぶ者あり、苦しむ者あり、診断を求めて窓口に殺到している者あり……。楊偉はさまざまな検査を受けるが、なぜか治療はしてもらえない。逃げ出そうとするも、エントランスの外には病院に入ろうとする膨大な人の海が広がっていた。いまや《医療の時代》、すべての人が病んでいる社会だったのだ!
中国SF四天王の一角、韓松が放つ、ダークで不条理なSFエンタテインメント〈医院〉三部作、開幕篇。
本書評はSFマガジン2025年2月号に掲載予定です。
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