_炎と怒り_新バナー縁なし

当確の瞬間、トランプは「幽霊を見たような顔をしていた」――衝撃のベストセラー『炎と怒り』より、第1章を先行公開〔後半〕

*マイケル・ウォルフ『炎と怒り――トランプ政権の内幕』(関根光宏・藤田美菜子・他訳、本体1,800円+税、2月23日(金)刊行予定)より抜粋。

1 大統領選当日

(前半はこちら

メラニア・トランプも、ビリー・ブッシュ事件では屈辱を味わった。だが、せめてもの慰めは、これで夫が大統領になる目はまったくなくなったということだった。

ドナルド・トランプの結婚生活は、周囲の誰にとっても謎に満ちていた。少なくとも、プライベートジェットやあちこちの土地に家を持っているような人種以外には理解不能だった。トランプとメラニアが一緒にいることはほとんどない。何日も連絡を取り合わないことすらある。2人がトランプ・タワーにいるときも、それは変わらなかった。トランプがどこにいるのかメラニアが知らないのはいつものことで、それを彼女が気にしているそぶりもない。トランプは、部屋から部屋へ移動するような感覚であちこちの邸宅を行き来していた。そしてメラニアは、夫の居場所だけでなく、夫のビジネスについてもほとんど何も知らなかった。せいぜいが「少しは関心を抱いていた」といったところだろう。年長の4人の子どもたちにとって、トランプは留守がちな父親だった。さらに、5人目のバロン、つまりメラニアの息子にとって、父親はいるかいないかもわからないような存在であった。トランプは、3度の結婚を通じてついに結婚生活の極意を体得した、と友人たちに語っている。他人は他人、自分は自分。「好きなように生きよ」というわけだ。

トランプの女好きは有名だが、とりわけ選挙中は世界で最も名の知れたプレイボーイとなった。神経細やかなどとはいいがたいものの、トランプは女性とうまくやっていくための独自の方法論を数多く身につけている。その1つとして、友人たちにこんな持論を披露していた──年配の男と若い女が生活をともにする期間が長いほど、男が浮気をしても女は気にしなくなる。

とはいえ、2人の結婚生活が名ばかりだという世間のイメージもまた、事実とは違う。トランプはメラニアがいない場所でしょっちゅう彼女の話をしていた。メラニアは気まずい思いだったが、トランプは誰はばかることなく彼女の容姿を絶賛し、皮肉でもなんでもなく、メラニアは〝美人妻【トロフィーワイフ】〟であると吹聴していた。トランプは、自分の人生をメラニアと分かち合うことはなかったかもしれないが、人生から得たものは彼女と喜んで分かち合っていた。「妻がハッピーなら、人生はハッピーだ」という、おなじみの金持ち哲学にも大いに賛同していた。

一方で、トランプは自分自身をメラニアに認めてもらいたがっていた(そもそも、何かにつけて周囲の女性たちが自分の意見に同調することを望んでいた。ただし相手の女性がそれだけの賢さを持っていればの話だが)。トランプが大統領選に出ることを本気で考えはじめた2014年当時、メラニアは彼が勝てると考えていた数少ない人間の一人だった。用心深く選挙から距離を置いていた娘のイヴァンカは、このことをよく笑い話にしていた。継母への反感を隠そうともせず、友人たちに言ったものだ。「メラニアったらパパが勝つと信じてるの。つまり、そういう人なのよ」

もっとも、夫が実際に大統領になることは、メラニア自身にとっては恐怖でしかなかった。トランプが大統領になったら、周到に守り抜いてきた静かな生活が脅かされることになる。というのも、彼女はこれまで、世間ばかりでなくトランプ一族からも距離を置いて暮らしてきた。メラニアは幼い息子にしか関心がないからだ。

ニュースでしきりに取り上げられ、毎日選挙に駆けずり回りながらも脳天気な夫は、そんな先のことを心配しても仕方がない、と妻を一笑する。だが、メラニアの恐怖心と苦悩は増すばかりだった。

そのころ、マンハッタンではメラニアに対する中傷作戦が進行していた。残酷な噂がおもしろおかしくささやかれていることを、彼女は友人を通して知る。モデル時代の生活が徹底的にほじくり返された。メラニアが育ったスロヴェニアでは、ゴシップ誌スージーが、トランプの大統領候補指名後に彼女の〝前歴〟にまつわる噂を書きたて、さらにデイリー・メール紙は、悪趣味にも世界に向けてこのネタをぶちまけた。

一方、ニューヨーク・ポスト紙は、メラニアがモデル時代の初期に撮影した未公開のヌード写真を手に入れていた。メラニア以外の誰もが、写真をリークしたのはトランプ本人ではないか、と考えた。

打ちのめされたメラニアは夫に訴える。これが私たちの未来なの? そうなら、とても耐えられそうにない。

それを聞いたトランプは、訴訟を起こしてやるという剣幕でメラニアのために弁護団を手配した。いかにも彼らしいやり方だ。とはいえ、こんな事態になっていることに、トランプはいつになく後悔していた。あと少しだ、とトランプは妻に言い聞かせた。11月になれば何もかも終わる。どうせ勝てっこないのだから──そう厳粛に請け合った。トランプはいつだって不誠実な夫だったが(本人は「病気なんだ」と弁明するだろうが)、この約束ばかりはさすがに守られるだろうと思われた。

***

トランプの選挙活動が、メル・ブルックスの映画『プロデューサーズ』の筋書きさながらに進行していったのは、ただの偶然ではないのかもしれない。この名作では、間抜けな小悪党のマックス・ビアリストックとレオ・ブルームが、自らが手がけるブロードウェイ・ミュージカルへの出資金を過大に募るという詐欺に手を染める。彼らの計画の大前提はショーが失敗することだった。万一ヒットすれば詐欺行為が露見してしまう。だが結果的に、あまりにも馬鹿げた作品だったせいでショーはヒットしてしまい、主人公たちは窮地に陥る。

これまでに勝利を収めてきた大統領候補たちの多くは、その動機が思い上がりであれ、自己愛であれ、並外れた使命感であれ、ティーンエイジャーのころからとはいわないまでも、人生の大半を大統領という役割に備えるために費やしてきた。議員の階段をのぼりながら、公人としての顔をつくりあげていく。何より、人脈を築くことに腐心する。政治の世界で成功を収めるには、誰とつながるかがほぼすべてだからだ。彼らは、とにかく詰め込み勉強をする(やる気のなさで知られたあのジョージ・W・ブッシュですら、父親の取り巻きに代わりに詰め込み勉強をさせていたというではないか)。そして、過去の不始末の痕跡を消し去ろうとする。少なくとも、それを隠蔽するために多大な労力を払う。そうやって、選挙に勝利して指導者となるための入念な準備をするのである。

だがトランプは、そういう連中とは明らかに違う思惑を持っていた。トランプと側近がもくろんでいたのは、自分たち自身は何一つ変わることなく、ただトランプが大統領になりかけたという事実からできるだけ利益を得ることだった。生き方を改める必要もなければ、考え方を変える必要もない。自分たちはありのままでいい。なぜなら自分たちが勝つわけがないのだから。

過去の大統領選ではワシントンの部外者が勝ったケースが多い。それはたしかに事実だが、実際には、上院議員より州知事のほうが有利というだけの話だった。真剣な候補者であれば、内心ではどれだけワシントンを馬鹿にしていようが、中央政界【ベルトウェイ】の人間に助言や支援を求めるものだ。だが、トランプに関していえば、彼にかしずく人間は誰一人として国政レベルの政治に携わったことはなかった。最も近しい相談役は、政治のど素人ばかりだったのだ。トランプは、それまでの人生でも親友と呼べる相手はほとんどいなかったが、大統領選に出馬した当時、政界における友人は皆無といってよかった。トランプの近くにいる人間で実際に政治家だったのは、ルディ・ジュリアーニとクリス・クリスティの二人だけ。しかも、彼らは彼らでそれぞれ、我が道を行く一匹狼だった。トランプは、大統領という職務に関するごく基本的な知識すらまったく、本当に何一つ身につけてはいなかった。笑い話ではなく、これでも控えめな表現である。それこそ『プロデューサーズ』のような話だが、サム・ナンバーグは選挙運動の初期に、合衆国憲法をレクチャーするためにトランプ候補のもとに行かされたときのことをこう述懐する。「どうにかこうにか修正第4条まではたどりつきました。そのあとすぐに、トランプは下唇に指をあてながら白目をむきはじめましたけどね」

さらに、トランプのチームのほぼ全員がトラブルの種を抱えていた。それはやがて大統領とそのスタッフに痛手を与えることになる。のちに国家安全保障問題担当大統領補佐官となるマイク・フリンは、選挙集会ではよくトランプの前座を務めた。トランプはフリンからCIAの悪口やスパイの不幸話を聞かされるのが大好きだった。フリンの友人たちは、ロシア人から4万5000ドルの講演料を受け取ったりするのは絶対にやめたほうがいい、と忠告していた。それに対してフリンは自信たっぷりにこう答えたという。「まあ、彼が勝たなければ問題になんてならないさ」だから何も問題は起きない、とフリンは信じ込んでいたのである。

国際ロビイストで政治コンサルタントのポール・マナフォートは、ルワンドウスキがクビになった後、トランプに請われて選対本部長を務めた(彼はこの仕事を無給で引き受けていたようだが、見返りはいったいなんだったのだろうという疑問が膨らむ)。マナフォートは、それまで30年間にわたって海外の絶対権力者や腐敗した独裁者の代理人を務めることで何百万ドルもの私財を貯め込み、捜査当局に目を付けられていた人物だ。しかも、トランプ陣営に加わった当時は、ロシアの大富豪【オリガルヒ】、オレグ・デリパスカに追われ、あらゆる金の動きを証拠として押さえられていた。デリパスカは不動産投資詐欺によって1700万ドルをマナフォートにだまし取られたと主張し、血の復讐を誓っていたのだ。

そもそも不動産業界出身の大統領などトランプ以前には一人もいなかった。政治家でさえほとんどいない。それには明らかな理由がある。不動産市場は規制が緩く、多額の債務と激しい相場の変動に耐えなくてはならない。そのため、政府の庇護を受けることも多く、また怪しい金を換金するのに好んで用いられる。要するにマネーロンダリングだ。トランプの娘婿ジャレッド・クシュナー、ジャレッドの父チャーリー、トランプの息子ドナルド・ジュニアとエリック、娘のイヴァンカ──その全員が、不動産事業を支えるために、世界を股にかけたフリーキャッシュフローと不正資金の狭間(はざま)にあるグレーゾーンに多かれ少なかれ関わっている。もちろん、トランプ本人もだ。チャーリー・クシュナーには前科まである。脱税、証人買収、違法献金などの罪で服役していたのだ。そのビジネスには息子のジャレッドも全面的に携わっていた。

現代の政治家とその側近は普通、自分たち自身を身辺調査の最も重要な対象としてきた。トランプ陣営も自らの候補をまともに調査していれば、倫理観が少しでも取り沙汰されたが最後、自分たちがたちまち窮地に陥ることになるだろうと想像できたはずだ。だが、トランプは身辺調査などさせようとはしなかった。長年、トランプの政治顧問を務めてきたロジャー・ストーンがスティーヴ・バノンに語ったところによると、トランプの精神構造上、自分自身を仔細に検討することなどとうてい無理だという。同時に、他人に自分のことを洗いざらい知られることにも彼は耐えられない。弱みを握られるのが嫌なのだ。いずれにしても、大統領選に勝つ見込みもないのに、危険性のある身辺調査など行なって、いったいどんな得があるというのだろう。 

自らのビジネスや不動産事業がはらむ数々の火種を無視するばかりでなく、トランプは大胆にも納税記録の公表まで拒否した。勝つはずもないのに、なぜそんなことまでしなくてはならないのか、というわけだ。

さらにいえば、トランプは、大統領に選ばれたあかつきには避けて通れない、政権移行にまつわるあれこれを考えることすら嫌がった。「運が逃げる」というのが彼の言い分だったが、本音では時間の無駄だと信じ込んでいた。自分のビジネスと大統領職とは利益相反を起こすということについてなど、思いをめぐらせたこともなかっただろう。

トランプは勝つはずではなかった。というより、敗北こそが勝利だった。

負けても、トランプは世界一有名な男になるだろう──〝いんちきヒラリー〟に迫害された殉教者として。

娘のイヴァンカと娘婿のジャレッドは、富豪の無名の子どもという立場から、世界で活躍するセレブリティ、トランプ・ブランドの顔へと華麗なる変身を遂げるだろう。

スティーヴ・バノンは、ティーパーティー運動の事実上のリーダーになるだろう。

ケリーアン・コンウェイはケーブルニュース界のスターになるだろう。

ラインス・プリーバスとケイティ・ウォルシュは、かつてのような共和党を取り戻せるだろう。

メラニア・トランプは、世間の目から逃れて穏やかに暮らす元の生活に戻れるだろう。

以上が、2016年11月8日当日に関係者一同が思い描いていた〝八方丸く収まる〟ともいうべき結末である。敗北は彼ら全員の利益になるはずだった。

だが、その晩の8時過ぎ、予想もしていなかった結果が確定的になった。本当にトランプが勝つかもしれない。トランプ・ジュニアが友人に語ったところでは、DJT(ジュニアは父親をそう呼んでいた)は幽霊を見たような顔をしていたという。トランプから敗北を固く約束されていたメラニアは涙していた──もちろん、うれし涙などではなかった。

勝利が確定するまでの一時間あまり、スティーヴ・バノンは少なからず愉快な気持ちで、トランプの様子が七変化するのを観察していた。混乱したトランプから呆然としたトランプへ、さらに恐怖にかられたトランプへ。そして最後にもう一度、変化が待ち受けていた。突如としてドナルド・トランプは、自分は合衆国大統領にふさわしい器でその任務を完璧に遂行しうる能力の持ち主だ、と信じるようになったのである。

(第1章、了)

(書影はAmazonにリンクしています)

マイケル・ウォルフ『炎と怒り――トランプ政権の内幕』(関根光宏・藤田美菜子・他訳、本体1,800円+税)は、早川書房より2月23日(金)に発売予定です。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!