ツイッタラーは自由の防波堤⁉ 橘玲驚愕&超訳『不道徳な経済学』より「ツイッタラー」試し読み
「あなたはもしかしたら、本書を劇薬だと嫌うかもしれない。だが残念なことに、この劇薬はじつによく効くのだ」
――フリードリッヒ・フォン・ハイエク(ノーベル経済学賞受賞者)
ツイッタラー
「ツイッタラー」は自由の防波堤
相手と意見が一致している場合、言論の自由を熱烈に支持するのはたやすいことだ。しかしその支持が本物かどうかは、卑劣で不愉快でとうてい許しがたいと感じる類の言論を使った「極限性能試験」によってのみ検証することができる。
SNSに書き込まれる名誉毀損や誹謗中傷の数々ほど、おぞましく卑劣なものはこの世にないと多くの人が思っている。このことから、次のような非常に明快な結論が導き出される。
われわれは、ネット上で匿名の誹謗中傷を行う人々の言論の自由をこそ、熱烈に支持しなければならない。
もし彼らの権利が守られるのであれば、ほかの多くの人たち──ずっと温和で常識的な人たち──の自由はより確実に保障されることになる。逆に、誹謗中傷を行う人々の言論の自由が制限されるのであれば、わたしたちの自由もそれほど安全ではなくなってしまう。
リベラリストたちが、名誉毀損の権利を守ることに腰が引けている理由は明白である。誹謗中傷は信用を毀損するからだ。根拠のない噂を流されて仕事を失ったり、友人が離れていった、などというヒドい話はいくらでもある。そのためリベラリストは、誹謗中傷者の言論の自由を守ろうとしないばかりか、それによって失われた名声や評判の回復を要求しさえしている。まるで名誉毀損が許しがたい罪であるかのように。
だが、ある人の評判を守ることが絶対的な価値を持つものでないことは明白である。もしも「名声」が神聖にして侵すべからざるものならば、それを傷つける恐れのあるすべての言論は、たとえ真実であっても禁じられることになるだろう。映画、演劇、音楽、小説などの作品を馬鹿にしたり、からかったり、批判的に批評することは許されなくなる。個人や会社の評判を落とすどのような行為もすべて禁止されるにちがいない。
もちろんリベラリストたちは、誹謗中傷に反対するからといって、言論の自由の全面的な制限を認めるわけではないと主張するにちがいない。彼らは、個人の名声が常に守られるわけではなく、ときには犠牲にされねばならないことも認めるだろう。だがそれにつづけて、「だからといって誹謗中傷を免罪するわけではない。名声や評判は軽々しく扱うべきではないし、十分な理由なしに傷つけることも許されない」と言うに決まっている。
誹謗中傷こそ名声や評判を安全にする
しかし、そもそも「評判」とはなんだろうか。「軽々しく扱ってはいけないもの」っていったいなんだ?
評判は、明らかに彼の所有物──たとえば洋服のような──ではない。実際、人は自分の評判を「所有」することはできない。評判とは、だれかほかの人が彼について考えたこと、つまりはだれかの頭のなかにあるものだからである。
人がもし他人の脳味噌を所有できないとしたら、人は自分の名声を所有することもできない。だれかの脳味噌を盗むことができないとしたら、他人の名声を盗むこともできはしない。たとえ名声が「奪われた」と感じたとしても──それが公正な方法であれ卑劣な手段であれ、真実であろうと嘘であろうと──そもそもそんなものは所有していないのだから、その回復を法に期待するなど無理に決まっているのである。
それでは、誹謗中傷を否定したり、禁じたりする場合、わたしたちはいったいなにをしているのだろうか。それは、ある人が別の人に自分の考えを伝えたり(「あいつはゲス野郎だ」)、影響を及ぼそうと試みたり(「あんな奴とつきあうとヒドい目にあうぞ」)することを禁じようとしているのである。だが、もしも自分の考えをだれかに伝えたり、影響を及ぼそうと試みたりすることを否定するとしたら、言論の自由とは、いったいなにを意味するのだろうか。好むと好まざるとにかかわらず、誹謗中傷もまた言論の自由の一部なのである。
最後に、逆説的に言うならば、わたしたちの名声や評判は誹謗中傷を禁じる法律がないほうが安全なのである。
現在の法律は虚偽に基づく名誉毀損を禁じているが、そのことによって、だまされやすい大衆はゴシップ雑誌に書いてあることをすべて信じてしまうし、SNSにしても、規制が厳しくなればなるほど投稿の信用度は上がっていく。
「だって、ホントのことじゃなかったら書かないんでしょ」
もしも誹謗中傷が合法化されれば、大衆はそう簡単に信じなくなるだろう。名声や評判を傷つける記事が洪水のように垂れ流されれば、どれが本当でどれがデタラメかわからなくなり、消費者団体や信用格付け会社のような民間組織が記事や投稿の信用度を調査するために設立されるかもしれない。
このようにして、人々はすぐに誹謗中傷を話半分に聞く術を身につけるだろう。もしも誹謗中傷が自由化されたなら、「ツイッタラー」はもはや人々の名声や評判を片っ端から叩き壊すような力を持ちはしないのである。
*原書で擁護されているのは、Slanderer(中傷者)とLibeler(誹謗者)。職場や近所で悪ロを言いふらす人間を念頭において書かれており、当然、インターネットを使った大規模な名誉毀損は想定されていない。だが著者が原理主義的リバタリアンである以上、誹謗中傷の規模や影響力によって結論が変わることはないはずだ。なお、タイトルの「ツイッタラー」は人気SNS「ツイッター」の利用者のこと。もちろん、実際の投稿のすべてが誹謗中傷ということではない。(訳者註)
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