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【『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ/冒険・スパイ小説の時代】蜜月の果て、次へ(川出正樹)

冒険アクション大作『レッド・メタル作戦発動』(マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世、伏見威蕃訳)刊行を記念し、1970~80年代の冒険・スパイ小説ブームについて作家・書評家・翻訳家が語る連続エッセイ企画を行います。
第9回は書評家・川出正樹さんです

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 初めて読んだ大人向けの冒険小説は、父親の書棚にあったルシアン・ネイハムの航空誘拐サスペンス『シャドー81』(新潮文庫→ハヤカワ文庫NV)だ。1978年、ミステリと言えば所謂本格ものばかり読んでいた中学3年生が、なぜ畑違いの本を手に取ったかというと、父が購読していた《PLAYBOY 日本版》で天藤真の『大誘拐』(カイガイ出版部→創元推理文庫)と並んで、身代金額といい犯行手段といい前代未聞の誘拐小説の大傑作と紹介されていたためだ。一読驚嘆。あまりの面白さに似たような本を求めて父の書斎に忍び込み、こっそりバックナンバーを広げてみると、“BOOKS”というコーナーで内藤陳という耳慣れぬ本好きなおじさん――コメディアンと知ったのは後のことだ――が、冒険小説という未知のジャンルの魅力を熱く語り、ススメ倒していた。
 この連載コラムの第1回で、新鋭ジャック・ヒギンズの『脱出航路』(早川書房→ハヤカワ文庫NV)とともに激賞されていたのがクライブ・カッスラーの海洋謀略エンターテインメント『タイタニックを引き揚げろ』(パシフィカ→新潮文庫)で、地元の小さな本屋で同じ版元から出た2作目の訳書『氷山を狙え』とともに棚に刺さっていたのを発見。悩んだ末に2冊まとめてレジに行き、お小遣いをはたく。これが人生初の新刊書店での冒険小説購入体験となった。
 以後、毎月親の目を盗んで同誌のページを繰った。そして、ハリセンを叩いて煽りたてる内藤陳の名調子に乗せてオススメされている面白本に、ざわざわと心をかき立てられることになる。ラッセル・ブラッドンの息詰まるタイムリミット型青春友情スポーツ・サスペンス『ウィンブルドン』(新潮社→創元推理文庫)、トム・マクナブによるアメリカ大陸横断ウルトラマラソン大河小説『遙かなるセントラルパーク』(文藝春秋→文春文庫)、A・J・クィネルが紡ぎ出す、息子を捜すために大海原へと乗り出す母と3人の同行者による胸熱冒険譚『血の絆』(新潮文庫)等々。この頃、北上次郎氏が《小説推理》誌上で連載していた月評「ミステリー・レーダー」とも出会い、新刊では入手できない作品を求めて古書店を渉猟するようになる。ちなみに初めて古本で買った冒険小説は、この月評で知ったクレイグ・トーマスの『狼殺し』(パシフィカ→河出文庫)だ。第二次世界大戦中の特殊作戦執行部(SOE)による秘密工作により人生を狂わされ、組織の論理に翻弄されてきた男が、過去を清算し自己を取り戻すために闘う。この骨太な物語を前面に押し出し活写する一方で、組織の中の裏切り者を狩り出す虚々実々の諜報戦を背面でしっかりと描く。血湧き肉躍る復讐譚であるとともに、精緻に組み上げられたエスピオナージュでもある。冒険小説というジャンルの本道を踏みしめて突き進む〈潜入・遂行・脱出〉型冒険小説の金字塔『ファイアフォックス』『ファイアフォックス・ダウン』(早川書房→ハヤカワ文庫NV)の二部作も『闇の奥へ』(扶桑社ミステリー)も好きだけれども、クレイグ・トーマスで1作となると迷わず本書を選ぶ。
 かくして金田一耕助とコロンボ警部がヒーローだった少年は、ミステリには名探偵が快刀乱麻を断つ本格ものとはまるで異なるジャンルがあることを知る。そして、日本中を席巻した横溝正史ブームが下火となり、〈刑事コロンボ〉もシーズンを終了し、雑誌《幻影城》が終刊した70年代末から80年代初にかけて入れ替わるかのように台頭してきた冒険小説の魅力に目覚め、海外はもとより谷恒生、船戸与一、逢坂剛、志水辰夫といった国内新人作家の新作を追いかけるようになる。
 こうして始まった私と冒険小説との蜜月は、10年間ほど続いた後、終わりを迎える。ブームの終焉と時を同じくしたのは必然でもあり偶然でもある。数を読むうちに大掛かりな物語への興味が失せてしまい、80年代半ばから流行し始めた複雑な国際謀略や最新のテクノロジーと情報を多分に盛り込んだ小説を楽しむことができなかったのだ。それだけならば過去の名作が列なる未読の山を崩していれば良かったのだけれど、そうもいかなかった。というのも冒険小説に大なり小なり含まれる男性優位主義(マチズモ)に対する違和感が押さえられなくなり、情熱が冷めてしまったのだ。
 もともと男のロマンティシズムやダンディズム、男の誇りや騎士道精神といった“男らしさ”を核とする話には、まるで思い入れがなかった。にもかかわらず冒険小説を読んでいたのは、教養小説やサスペンス小説としての側面に魅せられていたということに気づいてしまったのだ。中学3年生までに愛読していた本格ミステリからは得られなかった読書の喜びを、一部の冒険小説の中に見出していたのだと悟ったとき、自然とこのジャンルから離れ、以後、小粒なれどサスペンスフルな物語や個人の成長譚が犯罪と不可分のミステリを好んで読んでいくようになる。
 そんな私だが、最近再び冒険物語を楽しみ始めている。エリザベス・ウェインが、第二次世界大戦という空前の災禍の中で互いを信じ闘う女性同士の紐帯を描いた『コードネーム・ヴェリティ』『ローズ・アンダーファイア』(創元推理文庫)、知性と魂を押し込められた少女がアイデンティティを獲得すべく枷だらけの世界に抗うフランシス・ハーディングによる成長小説『カッコーの歌』(東京創元社)、きらきらと輝く少年時代の冒険譚であると同時に秘密と謀計を探索する青年の成長譚でもあるマイケル・オンダーチェの『戦下の淡き光』(作品社)。これらは皆、小さき者や弱き者が芯に秘めた強さを失わず、苛酷な状況に抗い奮闘する冒険成長譚だ。その瑞々しさに魅せられるのだ。
(川出正樹)

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2020年、早川書房では、セシル・スコット・フォレスター『駆逐艦キーリング〔新訳版〕』、夏に巨匠ジョン・ル・カレの最新作『Agent Running in the Field(原題)』、潜水艦の乗組員の闘いを描く人気作『ハンターキラー』の前日譚『Final Bearing(原題)』、冬には『暗殺者グレイマン』シリーズ新作など、優れた冒険小説・スパイ小説の刊行を予定しています。どうぞお楽しみに。

レッド・メタル作戦発動(上下)』
マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世
伏見威蕃訳
ハヤカワ文庫NVより4月16日発売
本体価格各980円

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『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ 一覧

【第1回】「あのころは愉しかった・80年代回顧」(北上次郎)

【第2回】「回顧と展望、そして我が情熱」(荒山徹)

【第3回】「冒険小説ブームとわたし」(香山二三郎)

【第4回】「冒険・スパイ小説とともに50年」(伏見威蕃)

【第5回】「冒険小説、この不滅のエクスペリエンス」(霜月蒼)

【第6回】「燃える男の時代」(月村了衛)

【第7回】「宴の後に来た男」(古山裕樹)

【第8回】「冒険小説は人生の指南書です」(福田和代)

【第9回】「蜜月の果て、次へ」(川出正樹)

【第10回】「人生最良の1990年」(塩澤快浩)

【第11回】「気品あふれるロマンティシズム」(池上冬樹)


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