図書館の過去・現在・未来を想うノンフィクション。『炎の中の図書館 110万冊を焼いた大火』
1986年にロサンゼルスで発生し、110万冊が焼失・損傷した全米最大の図書館火災の顛末を軸に、図書館の歴史、公共空間としての図書館の役割、そして図書館という存在の未来への展望までをつづった、『炎の中の図書館 110万冊を焼いた大火』。著者は、映画「アダプテーション」原案の『蘭に魅せられた男―驚くべき蘭コレクターの世界』の著者でもある、スーザン・オーリアン。図書館に親しんで育った彼女ならではの、図書館と本へのラブレターのようなノンフィクションです。
翻訳者の羽田詩津子さんによるあとがきで、本作の魅力にぜひ触れてみてください。
訳者あとがき
薄曇りの五月、わたしはロサンゼルスのダウンタウンのホテルを出ると、中央図書館めざしてフィゲロア通りを歩きはじめた。人気(ひとけ)がない街のところどころに驚くほど超高層の近未来的なビルがそびえていて、しばし足を止めて仰ぎ見る。そのとき、右手に美しいモザイク造りの塔が忽然と現れた。異国情緒が漂う豊かな色彩をまとったその塔は息を呑むほど美しい。周囲に建ち並ぶ、無機質でどこか荒涼とした感じのする超高層ビルの谷間で、そこだけゆったりした暖かい空気が流れているようにすら感じられた。それがめざすロサンゼルス中央図書館だった。
ロサンゼルス中央図書館は1926年、当時の人気建築家バートラム・グッドヒューの設計によって建てられた。しかし、1986年4月29日の火事で焼け、修復と増築をほどこされて再び開館したのは1993年10月だった。本書『炎の中の図書館』は、その火事の謎と、容疑者として逮捕されたものの釈放され、結局、不起訴になったハリー・ピークという青年の人物像を軸に、ロサンゼルス公共図書館の歴史を遡り、そこに生きた人々の姿を描きだした。さらに現在の図書館のあり方を考察する本にもなっている。
(右が中央図書館。左はビルトモア・タワー)
ロサンゼルスで初めて設立された公共図書館は、1844年、〈アミーゴ・デル・パイス〉というソーシャルクラブがダンスホールに開いた読書室だった。その後、1873年に個人所有のスペースを提供してもらって図書館が開館した。ただし当時は平均的労働者の数日分の賃金に相当する会費をとっていたので、裕福な人々しか図書館に登録できなかった。1889年に進歩的な女性テッサ・ケルソが図書館統括長に就任してから、会費は廃止され、登録者は2万人に激増し、もっと広いスペースのある市庁舎に移転した。
1905年、女性図書館統括長のメアリ・ジョーンズが追いだされるような形で新しい図書館統括長の地位についたのは、ジャーナリストで詩人で編集者で歴史家で冒険家として有名だったチャールズ・ラミスだった。ラミスはしきたりに縛られず自由奔放に生きる型破りな男だったが、ロサンゼルス図書館統括長の仕事には熱心に取り組み、現代の図書館の枠組みを築いた。ラミスの奇人変人ぶり、数奇な人生について、作者のスーザン・オーリアンはかなりの紙数を割いて綿密に描写している。これまでのオーリアンの著書『蘭に魅せられた男』と『リンチンチン物語──映画スターになった犬』(ともに早川書房刊)に登場した主人公たちも、個性的で、破綻した人生を送った変わり者だった。本書に登場するラミスも、前二作の主人公と同じく、信念を曲げず、自分の情熱のために我が道を突き進んでいく。全員に共通するのは、とことん変わり者だが、抗えない魅力の持ち主であることだ。本書を訳しながら、誰が何と言おうとも信じる道を邁進していく強烈な個性の持ち主にオーリアンは惹かれるのだ、ということを改めて強く感じた。
そして、本書の本来の主人公であるハリー・ピークもまた、ラミスとはちがった意味で個性的な人間だ。小さな町で生まれ育ち、学校の人気者だったイケメンの若者。俳優になろうとしてあこがれのハリウッドに引っ越すものの、鳴かず飛ばず。得意なのはほら話や些細な嘘。それでもハリーはみんなに愛された。そんなハリーが当時、何を考え、何をめざし、いかに生きていたかを、オーリアンはハリーの足跡をたどりながら探っていく。そして、本当にハリーは図書館に火をつけたのか、つけたとしたら動機は何なのかを突き止めようとする。しかし、ハリーが犯人か否か、結論は出ていない。判断は読者に委ねられているのだ。
前2作と同じく、本書も丹念な取材により、登場人物が生き生きと描かれ、火事の顛末(てんまつ)はもちろん、ラミスをはじめその他の登場人物のエピソードが抜群におもしろい。図書館を舞台にした刺激的で知的な世界を存分に堪能していただきたい。
オーリアンが本書を書こうと思い立ったのは、息子の学校の課題につきあい、近所の図書館に行ったことがきっかけだった。「わたしは図書館で大きくなった」と言うオーリアンは「図書館への訪問はうっとりするような心安らぐ幕間劇(まくあいげき)で、いつも到着したときよりも気持ちが豊かになって帰っていく気がした」と語っている。帰りの車内ではやはり本好きの母親とどの本から読むかについて相談し、わくわくするひとときを過ごした。何十年か後、息子といっしょに図書館を訪問したことによって、子供時代に母親といっしょに図書館を訪れた記憶が呼び起こされ、「幼い日に図書館がわたしにかけた魔法が甦った」そんなとき、たまたま図書館財団の人と知り合い、ロサンゼルス中央図書館を案内してもらった折に、1986年の火事のことを知り、興味を惹かれ、本を書こうという意欲がわいてきたのだった。
いくつもの偶然が重なって、オーリアンはロサンゼルス図書館の火事と、図書館の歴史、図書館の人々の世界にのめりこんでいく。そこにはもうひとつプライベートな理由もあった。子供時代に図書館という魅力的な世界への扉を開いてくれた母親の存在だ。オーリアンの母親はこの頃、認知症によってすべての記憶を失いかけていた。「母を訪ねるたびに、母の記憶は少しずつ消えていった。そして周囲から孤立して自分の物思いにぼんやりと浸っているか、記憶が欠けた部分に広がるやわらかな暗闇で過ごすようになった。だから、わたしは二人分の思い出を抱えているのだった」そして母と過ごした「いくつもの午後を必死に保存しようとして」本書を書いたのだと言う。「ページに書きつければ記憶を時の腐食作用から守れる」と自分に信じこませようとオーリアンは必死にあがくのだ。
書かれた文字、そして本には、その人の人生が保存され、それによって過去から未来へと続いていく歴史の一部になれるとオーリアンは言う。「わたしたちの精神と魂は、経験と感情によって刻まれた本を内包している」から、人の意識は「人生の個人的な図書館」なのだと。セネガルでは人が亡くなったときに「図書館が燃えた」と表現するというが、実にうまい言い回しだ。「図書館では時間がせき止められている。ただ止まっているのではなく、蓄えられている。図書館は物語と、それを探しに来る人々の貯蔵庫なのだ。そこでは永遠を垣間見られる。だから図書館では永遠に生きることができるのだ」というフレーズに、オーリアンの図書館についての考えが凝縮していると思う。
永遠を垣間見られるという本書の図書館を自分の目で確かめ、歩いてみようと、翻訳にとりかかる前に、冒頭のようにわたしはロサンゼルスに行き、中央図書館を訪れた。火事で焼けたという壁画は見事に修復され、アメリカの歴史が描かれたその壁画に囲まれた美しい大広間では、まさに時が停止しているかのような感覚を味わえた。かたや増築された新しいトム・ブラッドリー棟は四階分の大胆な吹き抜けによって、のびやかな空間が広がっていた。天井からぶらさがる自然、科学、芸術を表現するポップな巨大シャンデリアには目を奪われた。また、たくさんのホームレスの人々とすれちがった。掲載した写真のうち一枚はホームレスの人々がひとつのテーブルにすわっている光景だ。何をするでもなく静かに過ごしていて、周囲に迷惑をかけているわけでもなかったが、そこだけ空気が重苦しくなっている気がするのは否めなかった。本書でたびたび記されているように、図書館はホームレス問題を避けては通れなくなっている。日本でも、いずれそうなるかもしれない。
(後方にすわっているのがおそらくホームレスの人々)
実は本書にとりかかるまで、本を書くのはもうたくさん、と感じ、執筆の気力を失っていたというオーリアンだが、こうして読者を魅了する本を世に送りだしてくれた。本書をきっかけに、またいいテーマに巡り会い、取材を重ね、今後もすばらしい本を書いてくれることを期待したい。
羽田 詩津子