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【4/20刊行!】ハヤカワSFコンテスト出身・春暮康一が、国産ハードSF史を更新する傑作中篇集『法治の獣』、表題作冒頭12ページ分を公開!

2022年4月20日、異星生命体SF中篇集、春暮康一『法治の獣』を刊行!
第7回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作『オーラリメイカー』の系譜につながる、超弩級のアイデアが詰まった異星知性体ハードSFを3作収録。

春暮康一『法治の獣』
カバーイラスト:加藤直之
2022年4月20日刊行
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本書刊行を記念し、表題作「法治の獣」の冒頭12ページ分を公開いたします!

法治の獣

                         春暮康一
「おめでとうございます、アリス・クシガタ。あなたが〈ソードII〉の栄光ある七千四百五十一人目の市民です」
 ボーディング・ブリッジから流れてきた声は柔らかく響くアルトで、冴えない数字におよそ不釣り合いな修飾語を添えた。まるでそれが、誰でもたやすく憶(おぼ)えられる記念碑的整数であるかのように。あるいはまるで、〈ソードII〉への所属こそが栄光で、あらゆる数字に付与される属性とでも言いたげに。
 旅行以外で月(ルナ)を離れたことがなかったから、アリスは慣れない微小重力に翻弄され、あちこち体をぶつけながら出口に向かった。やっとの思いで〈ソードII〉のドッキングポートに進入すると、誘導灯に従い、ハブターミナルの到着ロビーまでピンボールのように移動した。
 ロビーでは世話役のラウが、顔をくしゃくしゃにして待ち構えていた。その表情は奇妙だった。顔じゅうの髭をいっぺんに震わせようとしているような、ひどい頭痛を我慢しているような。笑っているのだと気づいたのは、目の前に降り立ち、まじまじと観察した後だった。
「〈ソードII〉へようこそ。ここは気に入ったかな?」
 ラウは愛想よく手を差し伸べる。アリスは緊張しつつその大きな手を握り、曖昧に笑った。気に入ったも何も、いまのところ周囲に〈ソードII〉らしい要素は皆無だ。
「素敵な声でした」
「ああ。このコロニーの声は市民によって声紋パラメータが決定されるんだよ。惑星〈裁剣(ソード)〉の一年に一回、補正アンケートが配信される。だいたいが打ち消し合うから、微妙にしか変わらないがね」
 それは初耳だったし、意外でもあった。なんとなく、ここで無味乾燥な禁欲的生活が待ち受けているものと思っていたのだ。一瞬、声紋アンケートもシエジーからもたらされた可能性を本気で考えたが、そんなことがあるはずもない。もちろん、ここの市民は法に反しない限りは何をしてもいいのだし、娯楽を禁じる法もないのだ。たぶん、いまはまだ。
 ラウはアリスのトランクボールをつかみ取り、無重力工業地帯の案内を申し出たが、返事をするまでの一瞬のためらいを察知してか、すぐに取り下げた。アリスにとって移住とそれにともなう様々なイベントははじめての経験だったし、移住先が人工天体となればなおさらだ。ラウもそのことは心得ていて、好奇心と疲労のどちらが勝っているかを軽く探ったのだろう。
「ともかく、きみの部屋まで案内しよう。最寄りは第四スポークだ」
 指さしたラウの後について壁面を蹴る。九百万トンの〈ソードII〉の質量中心にある球状のハブターミナルからは、六十度おきに六本のスポークエレベーターが延びていて、車輪のリムにあたる直径二キロメートルの円環とハブとを繋いでいる。回転する円環は内壁に疑似重力を生み出し、百五十万平方メートルの居住区を作り出していた。もっともありふれた、〈セレニペディウム〉級トーラス・スペースコロニー。
 ここをありふれていない場所に変えている理由は、それが巡る惑星のほうにあった。
 エレベーターでリムまで降りていくあいだに、あのアルトが〈ソードII〉についての簡単な説明をしてくれた。簡単すぎて、自らの意思でここに来る者にとって耳新しいことがひとつでもあるのかと思うほどだったが、一キロを下る一分弱のあいだに概要を説明しようとすれば、誰がやっても同じようなものになるのかもしれない。やがて疑似重力が三分の一Gに達し、エレベーターの扉が開いた。
 そこはまだ建物の中で、宙港のように殺風景な場所だったが、控えめな観光案内と土産物屋も兼ねていた。アリスはカウンターや店頭にぎっしり並ぶ、白い一角獣の軟らかかったり硬かったりする様々なデフォルメにいちおうは目を通した。
「きみの大学時代の専攻は生物学だったね? ジャーナルを読んだよ」
 外へ向かいながらラウが振り返る。予想外の言葉に、アリスはぎょっとして固まった。ラウは研究所の同僚でも大学の関係者でもない、このコロニーに駐在する月(ルナ)の大使なのだから、アリスの大学時代のことを少しでも知っているというだけで驚くべきことだ。ここより低重力の月(ルナ)からの移住者が、決して多くはないことを差し引いたとしても。
「読んでいただいて光栄です。ティコでは比較遺伝学を学びました」
「生物学者の友人ははじめてだよ。たぶん、研究所には月(ルナ)出身者はいないんじゃないかな。歓迎するよ、ここの人たちの興味の幅はあまり広くないからね。ときには新しい話題がほしくなる」
「ここで行われている実験には興味を持っています。ずっと来たいと思っていたんです。まさかわたしを選んでもらえるとは思っていませんでした」
「ああ、たしかもう一人、月(ルナ)の大学からの就職希望者がいたんだったね。同じ募集を受けていたのかい? 研究所の?」
 アリスはうなずき、その後で自嘲気味の笑顔を作る。
「直接親交はありませんでしたが、ナターリヤはライバルでした。でも正直、彼女のほうが優秀な研究者だったと思います。どうしてわたしが選ばれたのか、いまでも不思議なんです」
「誰も、自分の能力だけは正確に評価できないものさ。選ばれたのはきみなんだから、自信を持っていい」
「ありがとうございます。ここでシエジーの仕事ができることをとても──」
 ドアを開けたラウの後ろについて、光の差す芝生に出ると、アリスは口を「とても」の形にしたまま凍りついた。まるまる三秒のあいだ、サンドバッグになったような気分を味わうと、今度は自分の想像力のなさと事前勉強の手抜かりに呆れてしまった。半径一キロメートルの円環の内側に作られた世界を眺めたら、こんな光景になることはわかりきっていたのに。なぜか彼女は、地平線に少しでも似たものがここでも見られると、無邪気にも思い込んでいたのだった。
 いまアリスは円環の緯線方向、回転する車輪の円周に沿った方向を見ていたが、このコロニーでもっとも曲率の小さい方向にもかかわらず、わずか百メートルほど先が、すでに丘のように盛り上がっていた。そのまま地面は急角度にせり上がり、家々の屋根を挟んで、いまにもこちらに倒れかかってきそうな隣のスポーク全体がはっきり見える。そして、ジオラマの中のミニチュア人形のようなたくさんの市民も。
 さらにその先には、ほとんど真横から生えたビルや栽培地や広葉樹の林があった。いびつな鏡のように垂直に貼りついた湖で、不規則な波を立てるボートまでが見える。チューブの両側面の壁には、円環の六分割されたブロックごとに巨大なスクリーンが貼りついていて、時刻や環境パラメータ、船の発着時刻やらを表示していた。
 そこより上のほうは、円環の天井側の内壁、恒星テミスの光を透過するパネルに遮られていくらか不明瞭になっていたが、ハブの周囲を囲む二次反射鏡によって完全に隠された真上方向以外なら、多かれ少なかれ地表が見えた。アリスは体をひねることも忘れて視線を上げ続け、天頂にさしかかったあたりでよろけた。ラウが背中を支えてくれる。
「おっと、大丈夫かね? 最初のうちはめまいとか、過呼吸を起こす人もいるよ。知っていても実際に見るのとは大きな違いだから」
 その言葉に、あわてて平静を取り繕う。知ってさえいない人はこれまでにいなかったのだろうか? とはいえ、ここでぼろを出さなければとりあえずは、間抜けな世間知らずと思われずに済むだろうと、喉から声を絞り出した。「美しいところですね」
「きっとここを好きになると思うよ。すぐに馴染めるだろう」
 そこから自分の新しい部屋に着くまで十分足らずだったが、そのあいだに五十人以上の新しい隣人とすれ違い、その全員に会釈以上のことはできなかった。コンドミニアムの一階の自室に入ると荷物はすでに届いていて、床面への固定具とともに梱包されていた。ラウは職場まで案内をしてもいいと言ってくれたが、指させばそれとわかる建物だったし、大使をいつまでも振り回すのは気が引けたので遠慮しておいた。
 最後に、とラウは切り出した。
「新しい移住者には、はじめにここの自然法についての講義を受けてもらうのが慣習になっているんだ。ちょうど明日それがあるんだが、もちろん参加が義務づけられているわけじゃない。知ってのとおり、シエジーはわざわざそんな法律を作ろうとしないからね。きみには退屈かもしれないから、無理には──」
「ぜひ参加させてください」
 必死さが出ないように控えめに食い下がる。ラウはアリスのことを、生物学専攻というだけでシエジーの専門家と決めつけているようだったが、実際にはまったくそんなことはなかった。アリスがシエジーについて知っていることといったら、基本的な生態と立法機序の他には、遺伝プロセスの百もの推定くらいだ。それが作った自然法を、さらに模倣した〈ソードII〉の現行法についてとなると、まったく何も知らない。到着して早々、このコロニーでいちばんのうぬぼれた無法者になってしまうのはごめんだった。
 もう一度握手をして大使と別れると、アリスは部屋に引きこもり、荷物の梱包を解く作業に取りかかった。途中、ふと思い出して、部屋でいちばん散らかっていない片隅を選んで声を投げてみた。
「ええと、〈ソードII〉?」
「なんでしょう、アリス・クシガタ」間を置かずアルトが答える。コロニー知性との接続は常に保証されているとラウが言っていたが、そのとおりのようだ。ここでは人とコロニーとの関係は、月(ルナ)でのそれよりはるかに緊密だった。たぶん、声紋アンケートを実施する理由の一部がこれなのだろう。コロニー知性が単なるAIにすぎないという感覚を常に忘れずにいないと、監視されているという感覚に陥ってしまいそうだ。
「法律が変わったときには、あなたが教えてくれるの?」
「あなたがそう望むなら。そのように設定しましょうか?」
 そうして、とアリスは答える。とりあえずそれだけ押さえておけば、ここでの生活に支障はなさそうだった。
「あなたをなんて呼べばいいのかな? コロニー名のままだと紛らわしいんだけど」
「わたしの呼び名をあなたが自由に決めることができます。わたしにも識別できる名前であれば」
「名前はないの?」
「わたしは〈ソードII〉です」
〈ソードII〉がカメラでこちらを見ているのかは知らないが、アリスは肩をすくめてうなずくと、作業に戻った。気が向いたら名づけよう。
 荷ほどきが終わるころ、夜がはじまった。二十秒ほどのチャイムがどこからともなく流れてきて、部屋の外が薄暗くなる。窓から外に目を向けると、・夜・がスポークから水のようににじみ出し、コロニーを満たしていく様子が見てとれた。円環の天井部分に敷き詰められたアクリル樹脂パネルの九十九パーセントが配向を変え、不透明な光電池に変質したのだ。壁の両側の巨大スクリーンも消灯し、代わりに街灯がひとつひとつ灯った。
 アリスは買い出しに行き損ねたことに気づいて毒づくと、床と一体化したベッドに体を投げだした。部屋に据えつけの掛け時計を横目でにらみつける。十八時だった。十二時間ごとに昼と夜が交代する。これもラウが教えてくれたことだった。
 体を起こし、もう一度掛け時計をよく観察する。そこには恐ろしく古風な意匠が施されていて、大理石調の丸瓦と円柱が、そのモチーフとなった古代の文化を体現していた。文字盤の上の狭い張り出しには、高さ二十センチほどのブロンズ像が立っている。顔には目隠しがされ、それ自身の性格を覆い隠しているようだったが、左右の手に携える持物が自らの性質を何よりも語っていた。左手に天秤を高く掲げ、右手に剣を低く構える、亜麻衣(キトン)をまとった女性。
 それがギリシア神話の司法の女神テミスであることは、神話に明るくないアリスにもわかった。恒星テミスにも惑星〈裁剣(ソード)〉にも、法規の象徴物から名づけられた残り九つの惑星にも、かつては別の名前がついていたのだろうが、オリジナルの名がどんなに味気ないものだったとしても、それは不当に忘れ去られていた。
 第二惑星〈裁剣(ソード)〉──と後に改名される星──でその生物が発見されたのは、いまから四十地球(テラ)年ほど前のことだ。大陸塊に囲まれた巨大な内海の、中央に浮かんだ火山島。穏やかに形成された隆起の、広大な裾野部分。そこに広がる平坦なサバンナに、大小の群れを形成する四つ脚の一角獣たちが閉じ込められていた。
 人類の関心事は常にこうだった──その生き物は何を考えているのか? その生き物と会話はできるか? 少なくとも、一角獣を最初に見つけた《ソロモン》の工学者たちはそう考えた。単なる生き物なら、地殻中のチタンくらいの割合で宇宙にありふれている。・高度な感覚器を備えた・とか・社会性を持つ・といった条件がつくとイットリウムあたりまで下がるが、せいぜいそれだけのこと。実際には、異種生物との対話を旨とする文明交流計画《ソロモン》がその発足からこちら、焦がれるように渇望し続けているのは、まばゆく稀有(けう)な金(ゴールド)の輝き、瞳の奥に灯る知性のきらめきだった。
 第二惑星の中にあって、一角獣たちの生物量(バイオマス)は、同じくらいのサイズの陸生動物の中では群を抜いていた。その点が地球(テラ)上でのヒトを思わせたから、当然大きな期待が寄せられた。彼らはもしかしたら、わたしたち人類の話し相手になってくれるのでは?
 当時の調査団がたどった思考と感情を並べると、こんなふうになる──興奮、希望、もどかしさ、欲求不満、疑念、失望、諦め。
 その獣たちは社会性と学習能力を備えていたが、高度な類推や予測といった行動は一向に示さなかった。調査チームはしばらく往生際の悪い観測や、手の込んだ仮説検定を繰り返したすえ、最後には不本意ながらこう認めざるをえなかった。一角獣の知能は本質的に、地球(テラ)の草原を駆けるアンテロープ類と同等。最初の質問に立ち返るなら、獣たちは何も考えてはいないし、人類と会話することもできなかった。
 とはいえ、それがすべてだったら、いまでもこの星系は味気ない元の名前で呼ばれるか、またはなんとも呼ばれていなかっただろう。オラクル・プロジェクトもこのコロニーも、形を成すことはなかった。
 獣たちは何も考えてはいないが、にもかかわらず、自前の天秤と、裁きの剣と、そして法典を持っていた。《ソロモン》はあっさりと手を引いたが、この生き物は別の人びとから、いくらか込み入った興味を集めた。
 それからの二十地球(テラ)年で採掘船が派遣され、惑星〈裁剣(ソード)〉の自然衛星〈ソード・〉から数千万トンの鉱物が吸い上げられると、二つの天体のラグランジュ点にスペースコロニーが造られた。
 そのコロニーは〈ソードII〉と名づけられた。

         (以下、ハヤカワ文庫JA『法治の獣』P100へ続く)

●【4/20刊行!】ハヤカワSFコンテスト出身・春暮康一が、国産ハードSF史を更新する傑作中篇集『法治の獣』、山岸真氏による解説を全文公開!|Hayakawa Books & Magazines(β) @Hayakawashobo #早川書房 #宇宙SF
https://www.hayakawabooks.com/n/naf35f9746151

●【4/20刊行!】加藤直之氏のカバーイラスト完全版公開! ハヤカワSFコンテスト出身・春暮康一が、国産ハードSF史を更新する傑作中篇集『法治の獣』刊行!|Hayakawa Books & Magazines(β) @Hayakawashobo #早川書房 #宇宙SF https://www.hayakawabooks.com/n/n19d81c2e9be9

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