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【本日発売!】劉慈欣《三体》の知られざるエピソード0『三体0 球状閃電』訳者・大森望あとがき

いよいよ本日発売となった劉慈欣『三体0 球状閃電』。すでに読了されたかたもおられるようで(!)、ありがとうございます!

本日は翻訳者・大森望さんのあとがきを抜粋掲載いたします!(本書のネタバレにあたる部分をカットしてお送りします)

訳者あとがき
大森 望 

 
 お待たせしました。世界的ベストセラー『三体』の前日譚となる『三体0(ゼロ) 球状閃電(きゅうじょうせんでん)』の全訳をお届けする。著者の劉慈欣にとっては、『超新星纪元』(未訳)に続く二冊目のSF長篇にあたる。題名の・球状閃電・(球状闪电)とは、日本語で言えば球電、英語で言えば ball lightning(ボール・ライトニング)。読んで字のごとく、球形の雷、ふわふわ宙に浮かんで発光する稲妻ボールですね。

 名前はけっこうよく知られてて、トレーディングカードゲーム「マジック:ザ・ギャザリング」に特攻クリーチャーとして採用されているくらいですが、現象としては非常に珍しく、実物を見た人はめったにいない。そのため、UFOとかの親類みたいに思われて、実在を疑われていた時期もあるらしい。

 中国の研究者が球電の動画撮影に成功したことを紹介した科学技術振興機構(JST)運営の「サイエンスポータルチャイナ」2014年1月29日付け記事によると、

「球電はドアや窓の隙間を通過し部屋に入り、時には爆発して建築物を破壊し、人や家畜を傷つけることもある。球電は移動の際に、どのような障害物に遭遇しても通過できるが、周囲の可燃物を燃やすことはない。一つの球電が爆発した際に放出されるエネルギーは、10キロ分のダイナマイトに相当し、焦げ跡や硫黄臭・オゾン臭を残すことが多い」というから、まあ、超自然現象と思われるのも無理はない。

 本書『球状閃電』は、この奇妙な自然現象の謎に正面から挑み、驚天動地の "真実" に到達する。

 主人公の "ぼく" こと陳(チェン)は、少年時代、球電と遭遇したことで人生が一変し、それ以降、ひたすら球電の真実を追い求める(著者あとがきの記述によると、小説冒頭に描かれた陳の体験には、劉慈欣自身の記憶が反映されているらしい)。

 その探求の過程で主人公が出会う運命の女性が林雲(リン・ユン)。軍の高官を父に持ち、雷兵器の研究基地に勤める女性将校。兵器を愛してやまない彼女がこの小説の焦点になる。

『三体』読者なら、同書の結末近く(第34章「虫けら」)で汪淼(ワン・ミャオ)と天才的理論物理学者・丁儀(ディン・イー)が交わす意味ありげなやりとりと、丁儀のデスクに置かれた写真立ての集合写真をご記憶かもしれない。あの写真の中央に映っていた女性がこの林雲。邦訳の順番が逆になったため、『三体』で丁儀が彼女について語っていた謎めいた言葉の意味がいまようやく明らかになった格好だ。英訳ではカットされている部分だが、日本語版ではこの日のために(?)そのまま残してあるので、本書を読んだあと、ぜひそちら(『三体』425~427ページ)を参照していただきたい。

『球状閃電』の後半には、その丁儀が名探偵みたいな役どころで颯爽と登場し、八面六臂の活躍を見せる。球電の研究から丁儀が導き出した驚くべき理論は、物理学の常識を根底から覆し、《三体》三部作(および『三体X』)を支えるバックボーンのひとつにもなっている。本書は、そうしたクラシックなハードSFの要素とともに、新兵器開発をめぐる戦争SFの要素も兼ね備え、三部作とはまた違ったテイストで楽しませてくれる。

 

 さて、あらためて本書の来歴をふりかえると、劉慈欣が『球状閃電』の第一稿を書き上げたのは2000年12月16日。その後、2004年4月29日に第二稿が完成し、同年6月に科幻世界雑誌社出版の《科幻世界 星雲Ⅱ》に一挙掲載された。《星雲》は、中国の月刊SF誌《科幻世界》の別冊のような媒体。長篇を一挙掲載する不定期刊のムックで、内容的には書籍に近い。そして、《星雲Ⅱ》掲載から一年後の2005年6月、四川科学技術出版社からあらためて単行本『球状閃電』が刊行された。

 それから一年も経たずに《科幻世界》で連載が始まったのが、ご存じ『三体』(2006年5月号~12月号)。ストーリー的に直接つながっているわけではないが、丁儀に着目すれば、『三体』は『球状閃電』の続篇と言えなくもない。実際、本書の結末近くには、『三体』へのつながりをほのめかす(ように見える)記述もある。本書の第二稿を仕上げた時点で、劉慈欣の頭の中に『三体』の構想があったことはまちがいない。著者インタビューによると、ゆるやかなシリーズのように考えていたらしい。

 実際、『三体Ⅱ 黒暗森林』の訳者あとがきでも触れたとおり、同書の中国版初刊本では、本書に登場するマクロ原子核融合が、面壁者フレデリック・タイラーの戦略計画において重要な役割を果たしている。

 つまり、元バージョンの『黒暗森林』では、邦訳バージョン以上に『球状閃電』が大きな意味を持ち、"《三体》三部作の前日譚" という性格が強かったことになる。とはいえ、もし仮に『三体』の汪淼パートが『球状閃電』の数年後の話だとすると、本書で描かれる・戦争・の影響がほとんど見えないなど、それはそれで不自然な点がいくつもある(一方、宝樹[バオシュー]『三体X』には、空母チョモランマの一件など、戦争に直接言及する箇所があり、『球状閃電』を積極的にシリーズに組み込んでいる)。

 したがって、"《三体》三部作の前日譚的な要素のある単発長篇" とか、 "部分的プリクエル" と呼ぶのが順当かもしれない。とはいえ、劉慈欣ではない著者(宝樹)が書いた『三体X』が三部作の番外篇的な位置づけでシリーズに組み込まれている(ように見えるかたちで出版されている)のなら、劉慈欣自身が書いた部分的前日譚もシリーズに組み込んでしかるべきではないか。"エピソード0" 的な意味で『三体0』と銘打てば、『三体X』とのバランスもとれるし──と半分冗談のつもりで口にしたところ、早川書房編集部がたちどころに著者側と交渉。意外にもすんなりOKが出て、こうして『三体0 球状閃電』なる邦訳書が誕生することになった。

 この訳題がSNSで紹介されたとき、中国の《三体》ファンはどう思うんだろうとびくびくしながら微博を覗いてみたところ、「さすが日本はマーケティングがわかってるね」とか「これには作者も納得」とか「まあ前日譚には違いないしね」とか、思いのほか好意的な反応が多くてほっとした。まあ、もともと中国でも "三体前传(前日譚)" と宣伝されてきた長篇だし、中国語の『球状閃電』オーディオブック版のタイトルページは「三体前传」のほうがはるかに大きな字でデザインされていたりするから、『三体0』と銘打つことにそれほど違和感はないかもしれない。

 それはともかく、本書が刊行されたことで、『三体0 球状閃電』、『三体』、『三体Ⅱ 黒暗森林』(上下)、『三体Ⅲ 死神永生(ししんえいせい)』(上下)、『三体X 観想之宙(かんそうのそら)』(宝樹)と、五作七冊の邦訳が書店に並ぶことになった。《三体》を未読の方は、中国の熱心なSF読者と同じように、原書刊行順に、本書からシリーズを読みはじめるのもいいかもしれない。

 

 ここで、本書と《三体》三部作をつなぐキーパーソン丁儀についてもうすこし補足しておくと、『三体』では、〈球電の研究過程でマクロ原子を発見し、その名を世界に轟かせた〉理論物理学者として登場。葉文潔(イエ・ウェンジエ)の娘・楊冬(ヤン・ドン)の元恋人と紹介されたあと、第5章「科学を殺す」では、自宅を訪ねてきた汪淼を相手に、ビリヤード台を使いながら、楊冬が残した言葉の意味を説明する。

『黒暗森林』では、上巻の終わりのほうで章北海(ジャン・ベイハイ)と対話したあと、人工冬眠を経て、八十三歳の高齢で三体文明の探査機〈水滴〉の調査ミッションにみずから志願する。三部作の中では、これが丁儀の最大の見せ場かもしれない。

『三体・ 死神永生』では、白艾思(バイ・アイスー)(白Ice)の元指導教官として、白の回想シーンに登場する(下巻262~265ページ)。

 丁儀が出てくる作品は、本書および《三体》三部作だけではない。短篇では、「宇宙タン(土へんに丹)缩」「微观尽头」「朝闻道」「时间移民」に登場している(いずれも未訳)。パイプ煙草が手放せない天才肌の理論物理学者というキャラクターは共通だが、「朝闻道」では妻と娘(十歳)がいるなど、必ずしも同一世界の人物というわけではなさそうだ(そもそも、丁儀が出てくる短篇の中には、宇宙ごと滅びたり時間逆行したりするものもある)。これらの作品を含め、いつか劉慈欣のすべての短篇が邦訳される日が来ることを楽しみに待ちたい。

 

 本書の翻訳については、『三体』『三体X』と同様、光吉さくら、ワン・チャイ両氏の訳稿をもとに、大森がフィニッシュワークを担当した。科学的な記述については例によって林哲矢氏にチェックしていただいたが、もちろん、誤りがあれば、最終原稿をつくった大森の責任である。また、刊行にあたっては、いつものように、早川書房編集部の清水直樹氏と梅田麻莉絵氏、そして校正担当の永尾郁代氏にお世話になった。カバーは、おなじみの富安健一郎氏に "球状閃電" をビジュアライズしたすばらしい新作を描き下ろしていただいた。みなさんに感謝する。

 劉慈欣の残る未訳長篇は、2003年に出版された第一長篇『超新星纪元』(作家出版社)のみ。1999年末、ぎょしゃ座の「1999A」の超新星爆発によって発生した放射線バーストが地球に降り注ぎ、人類に壊滅的な被害を与える。さいわい十二歳以下の子どもたちにはほとんど症状が出なかったが、一年後、大人たちのほとんどは死亡。“超新星紀元”の地球は、十三歳以下の子どもたちが管理する世界となっていた……。

 この『超新星纪元』は、早川書房から2023年の夏ごろ邦訳刊行予定。お楽しみに。

 2022年11月


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