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【重版決定】「腑に落ちる感覚」が味わえる入門書!『〔エッセンシャル版〕行動経済学』訳者あとがき【ウェブ限定公開】

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ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』、リチャード・セイラー『行動経済学の逆襲』……行動経済学の名著の数々を日本に紹介してきた早川書房が贈る入門書の新定番、ミシェル・バデリー『〔エッセンシャル版〕行動経済学』。本記事では、訳者の土方奈美さんに読みどころをご解説いただきます。元日経新聞記者にして、『知ってるつもり』『How Google Works』など話題作の翻訳を手がけてきた土方さんが語る、本作の魅力とは? 書籍未収録、ここでしか読めない特別寄稿です。

本書『〔エッセンシャル版〕行動経済学』は、現在までに500タイトル以上が刊行され、45カ国語以上の言語に翻訳されている世界的な入門書シリーズ「Very Short Introductions」の一冊だ。「Very Short」と言うだけあって、本文はわずか160ページあまり(原書はなんと130ページ足らず)。ただ、その軽量級の外見ゆえに軽く見るのは禁物だ。難解なテーマを限られたページ数でわかりやすく簡潔に、過不足なく紹介するのは、膨大な紙幅を費やして説明するより、ある意味難しい。その条件を見事にクリアし、ノーベル経済学賞の相次ぐ受賞などで脚光を浴びる行動経済学を最速で学べるテキストをまとめたのは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン名誉教授で、現在は南オーストラリア大学教授のミシェル・バデリーだ。


■「おカネがすべて」なわけじゃない

本書の第1章と第2章では、まず伝統的な経済学と行動経済学との違いが説明される。そして第3章以降は、行動経済学における重要な概念(ヒューリスティクス、時間不整合性など)、重要な研究やその手法(医学研究の手法を応用した無作為化比較試験、脳波など神経科学データの活用)、代表的理論(プロスペクト理論、二重システム理論など)が紹介される。

「伝統的な経済学者が合理性の限界を認めようとしないのに対し、行動経済学者は人間をとことん合理的な生き物とは考えない。むしろ合理的意思決定の限界に注目する」と著者は説明する。つまり伝統的な経済学は、私たちは基本的におカネで動くと考える。それに対して行動経済学は、いやいやおカネだけじゃない、他人の存在とか、自分のプライドや気分の良し悪しといった心理的要因なども無視できませんよ、という前提に立っている。

私たちの日常的な経験に照らしても、行動経済学のモノの考え方のほうが現実に即しているのは明らかだ。株式投資をしていて、損切り(ロスカット)の難しさを痛感する方は多いだろう。かつて経済新聞の記者として、「損を早めに処分することが投資の鉄則」と書いていた私も、いまだに2011年の原子力発電所事故で暴落した電力会社の株を持っていたりする。明らかに経済合理性のない行動ではあるが、これは私たちのなかに行動経済学で「損失回避性」と呼ばれる、利益を得る喜びより損失を被る痛みを強く感じる性質があるためだ。

この「腑に落ちる感覚」が行動経済学の大きな魅力だ。その反面、従来の経済学と比べて「余計なもの」を考察の対象として取り込んだために、データを集め、理論を構築するプロセスが複雑かつ困難になったことも、本書を読むとよくわかる。


■認知科学者、グーグル、伝説の投資家までが取り入れる行動経済学的発想

「人間の経済行動は合理的である」から「合理的ではないこともある」に前提が変われば、当然、経済問題に対する処方箋も変わってくる。本書の最終章では行動経済学という新たな経済学の出現によって公共政策に生まれた変化、具体的には「ナッジ」の事例を紹介している。ナッジとは「そっと押す」「誘導する」の意味で、私たちが後になって後悔することのないように、合理的な望ましい意思決定に誘導するような政策を指す。

たとえば今の生活を優先し、老後のために十分な蓄えをしない人は多い。この問題を解決するため、給料の増加分を自動的に企業年金の積立金にまわすことを「デフォルト・オプション」に設定するというのがナッジだ。多くの人はデフォルト・オプション、すなわち与えられた選択肢をそのまま受け入れるという行動バイアスを踏まえた政策で、すでに有効性が実証されている。

今年4月に出版された拙訳『知ってるつもり』(早川書房刊)は、私たちが個人としては信じられないほど無知であり、しかも自らの無知に無自覚であることがさまざまな問題を引き起こしていることを指摘し、おかげさまで好評を得ている。認知科学者であるこの本の著者らが、私たちが無知を乗り越え、賢明な選択をできるようにする手段として期待を寄せているのもナッジだ。

行動経済学が恩恵をもたらすのは、もちろん公共政策の分野だけではない。本書のなかでは触れられていないが、先端的な企業はさまざまな面でその知見を取り入れようとしている。グーグルは社員に健康的な食習慣を身に着けさせるため、エール大学経営大学院と組み、社員食堂でのメニューの提供方法を行動学的に最適化しようとした。また私は最近、グーグルやアマゾンにいち早く投資をしたことで知られる伝説のベンチャー・キャピタリスト、ジョン・ドーアの経営書を翻訳する機会があったが、そこにも行動経済学的な発想がうかがえた。象徴的なのが次の一文である。「金銭的インセンティブより、やりがいのある仕事や成長機会など内発的モチベーションを与えよう。後者のほうがずっと強力だ」(『Measure What Matters』、日本では10月初旬刊行予定)。


■まずは本書から!

行動経済学が個人として、市民として、ビジネスパーソンとしてより賢く生きるうえで多くの気づきを与えてくれる学問であることは間違いない。この分野の大御所ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』や、昨年のノーベル経済学賞の受賞で注目されるリチャード・セイラーの『行動経済学の逆襲』(ともに早川書房刊)に興味はあるが、敷居が高そうだと感じている方には、ぜひ本書をお薦めしたい。この興味の尽きない学問分野に足を踏み入れるためのウォームアップに最適であり、その意欲を掻き立ててくれる作品だ。



土方奈美(ひじかた・なみ)
翻訳家。日本経済新聞記者を経て独立。主な訳書に、スローマン&ファーンバック『知ってるつもり』、テトロック&ガードナー『超予測力』(以上早川書房刊)、シュミットほか『How Google Works』などがある。

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ミシェル・バデリー『〔エッセンシャル版〕行動経済学』(土方奈美訳、本体1,600円+税、四六判並製)は早川書房より好評発売中です。

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