秋元松代1

【三好十郎と秋元松代編】ハヤカワ演劇文庫50冊を一挙紹介!~本を読んだら劇場へ、舞台を観たら本を手に。~

早川書房は演劇青年だった創業者・早川清の「自由に本が読みたい」という決意のもと、1945年8月15日に設立された出版社です。その創業の志をつなぐ演劇専門レーベル「ハヤカワ演劇文庫」は2006年に創刊。15年にわたり国内外の優れた戯曲をご紹介してきました。そしてハヤカワ文庫50周年にあたる今年、50冊目の演劇文庫「ピーター・シェーファーⅠ」を刊行いたします。この節目に、ハヤカワ演劇文庫の既刊をご紹介!今回は戦後を代表する二人の劇作家、三好十郎と秋元松代編です。息を詰めて緊密なドラマの展開を追うもよし、詩情あふれる台詞に陶酔するもよし。あなただけの戯曲の楽しみ方を探してみてください。

三好十郎1


1.「三好十郎Ⅰ 炎の人」

ヴィン「……ゴーガンは天才だ。しかし、意地が悪い。あの男の気持は僕にはわからない。しかし見ていると、あの力強い不愛想さに僕は引きつけられる。それでいて時時腹の底から憎くなる。……尊敬している。しかし先刻みたいな事をされると、畜生! と思う。……あれは小父さん、気ちがいだ。」

その正義感ゆえに炭鉱町の宣教師職を追われ、絵画の道に救いを見出した男ゴッホ。弟テオの献身的な支援のもと、パリでロートレックやベルナールらに触発され画家修行に勤しむが、世界と己の溝は深まるばかり。敬愛するゴーガンとの共同生活の果てに彼が辿りついた境地とは……。孤高の天才画家が駆けぬけた炎のごとき生涯を、圧倒的な筆致で描き出す、日本演劇史に燦然と輝く巨星の代表作。読売文学賞受賞。

解説/三好まり 本体800円。


2.「三好十郎Ⅱ 浮漂」

五郎「今日又、スツカリ塗り直しちやつたよ。メチエが弱い。……もう油絵具なんかをどんなに盛上げて見ても俺達の描きたいものにピタツとしないや。美し過ぎる。弱いんだ。コンクリートの粉を塗つたり、牛の生皮を叩きつけたりしたくなるんだ。絵具は弱い。」

戦時下の夏の終わり、千葉市郊外の海辺の家で、洋画家久我五郎は肺を患う妻の美緒を看病している。美緒を実の子のように世話をする小母さん、戦地へ向かう五郎の親友の源一郎、不動産相続に気を揉む実母など、病床の美緒のまわりをさまざまなひとが行きかうなか、美緒の病状も一向に快方にむかわず……。作者自身が「血みどろになってのたうちまわっている」作品と評し、生きることをみつめた私戯曲。

演出ノート/長塚圭史 本体820円。


3.「三好十郎Ⅲ 冒した者」

須永「妙なことは起きてしまったんです。人間はもう死んでいるのに、死んでいる事に気が附かないで、気が附かないままで生と死の境目の敷居を踏み越えてノコノコ歩いて行ってる。……」

一九五二年に書かれた三好十郎の長篇戯曲。ときは朝鮮戦争の只中、東京郊外の高い台地に建つ三階建ての家。焼夷弾が落ち、荒れるにまかせ、なかば崩れかけている。現在使える部屋は七つ八つ。そこにこの劇の語り手で先生と呼ばれる「私」をふくめて9人が暮している。「私」を訪ねたのは〈創造としての芝居を生きてみよう〉として果たせなかった須永。「冒した者」という〈創造としての芝居〉を通じて戦後日本人の心の荒廃と絶望、そしてかすかな希望をみつけようとする。

演出ノート/長塚圭史 本体860円。


4.「秋元松代Ⅰ 常陸坊海尊/近松心中物語/元禄港歌」

おばば「ミイラ行はのう、なんも苦すいことはねえのす。ものを食わねばええのじゃ。わすが手伝うてやるすけえ、今から始めろや。」(常陸坊海尊)

海尊と名乗る法師の民間伝承を背景に描かれる、孤児となった少年の懺悔と救済の生涯『常陸坊海尊』。近松門左衛門の世話物三篇を脚色し男女二組の逃避行を描いた『近松心中物語』。元禄時代、播州の港町で大店の人々と盲目の女芸人たちの運命が絡み合う『元禄港歌』。方言を駆使し、古典と現代を融合させた戦後を代表する劇作家の傑作三篇を収録。

解説/山本健一 本体1500円。


三好十郎 1902年、佐賀市生まれ。劇作家・詩人。複雑な家庭事情により孤児として少年期を過ごし、苦学して佐賀中学校を卒業。その後上京し、早稲田大学文学部に進学。在学中の24年、≪早稲田文學≫に『雨夜三曲』など詩5篇を発表、詩人としてデビュー。卒業後、28年≪左翼藝術≫に処女戯曲『首を切るのは誰だ』を発表。続けて同年、『疵だらけのお秋』を全日本無産者芸術連盟(ナップ)の機関紙≪戦旗≫に連載、プロレタリア劇作家として脚光を浴びるが、マルクシズムに疑問を抱き、34年の『斬られの仙太』で転向問題を提起。その後PCL(現・東宝)文芸部に4年間在職、映画シナリオ執筆に携わる。戦時中も劇作を発表し続け、終戦までに『浮漂』『獅子』などを発表。戦後の『廃墟』『猿の図』『その人を知らず』『胎内』は〈戦後4部作〉と称される。『炎の人』は51年中の初演・再演併せて演劇史上空前の観客動員数10万人を記録した。翌年『炎の人』その他で第3回読売文学賞を受賞。58年死去。


秋元松代 1911年、横浜生まれ。劇作家。三好十郎主宰の戯曲研究会に入り、処女作『軽塵』(47年)をはじめ『芦の花』『礼服』などを著し、脚光を浴びる。その後『日々の敵』『婚期』が俳優座で上演され、注目される。ラジオドラマ『蝶の夢』(51年)を執筆し、この分野の先駆者的役割も果たした。初期作品は女性を主人公にした家庭ものであったが、60年の『村岡伊平治伝』(芸術祭奨励賞)頃から社会性を帯び、『常陸坊海尊』(64年/田村俊子賞)『かさぶた式部考』(68年/毎日芸術賞)『アディオス号の歌』(75年/紀伊國屋演劇賞)『七人みさき』(75年/読売文学賞)などを書き上げる。79年より蜷川幸雄とコンビを組んで『近松心中物語』(菊田一夫演劇賞)『元禄港歌』(80年)『南北恋物語』(82年)を上演。またディレクター和田勉とのコンビで『心中宵庚申』(84年)『おさんの恋』(85年)『田島屋のお夏』(86年)と、太地喜和子主演のテレビドラマを年一作のペースで発表した。86年を最後に創作活動は絶ったが、以降も多くの作品が上演され続け、2001年4月『近松心中物語』が千回公演を迎えた同月24日、90歳で没。


>第一回【アメリカ現代演劇編】

>第二回【渡辺えり編】

>第三回【フランス近代演劇編】


今後も【イギリス現代演劇】【ハロルド・ピンター】【アーサー・ミラー】【岸田國士】など、随時アップしていきます。

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