死後結婚用マッチングアプリで、推しのリア垢を見つけてしまった女の話。「魂婚心中」(芦沢央)試し読み
芦沢央さんの作品集『魂婚心中』が6月19日に発売となりました。表題作は「もしも死後結婚用のマッチングアプリがあったら?」という発想から推し文化を描き情緒を狂わせる物語。発売を記念して試し読みを掲載します!
魂婚心中
どんな願いのためならばゴキブリを食べられるか、という問いを投げかけられたことがある。
小学生の頃、教室にゴキブリが出て大騒ぎになった直後の給食の時間だった。
百万円、と誰かが言い、えー一億もらっても無理、と誰かが言った。そのせいでなんとなく欲しいものを言っていくような流れになり、みんなは次々に高額のゲーム機やレアなトレーディングカードについて口にしていった。
流れを変えたのは、一人の女子の「食べなきゃお母さんが死ぬって言われたら」という言葉だ。今度は誰のためならゴキブリを食べられるかという話になり、お父さんならどうか、おじいちゃんおばあちゃんなら、兄弟姉妹なら、友達なら、と互いに確認し合っていった。誰のためでもゴキブリは食べられないと半べそをかき始めた子もいれば、俺はおまえたちのためなら食うよ、と答えて喝采を浴びた子もいた。
私は黙々と春雨サラダを口に運びながら、自分ならどうだろうと考えていた。
ゴキブリを食べてまで欲しいものなんて、特に思いつかなかった。食べなきゃ誰かが死ぬという状況もイメージしづらい。答えが出せずにいるうちに、りっちゃんはどんな状況なら食べるの、と矛先を向けられ、私は咄嗟に浮かんだ答えを口にした。
「給食に出たら」
どっと笑い声が上がった。やだあ、りっちゃんなに言ってんの。なんで給食にゴキブリが出るんだよ。異物混入じゃん。てか食事中にこの話題やめない? ほんとだよ、なんか気持ち悪くなってきた。
唐突に始まった話題は唐突に終わった。私は腑に落ちない思いで、再び春雨サラダを箸でつまみ上げた。むにゅむにゅした食感が気持ち悪いから、噛まずに喉に流し込んでいく。
なぜ自分が笑われたのかわからなかった。
給食は残してはいけないというのは、みんなも知っているルールだ。給食に出たものならば、嫌いでも食べなければならない。食べたくないものを食べさせられるシチュエーションとして、こんなに想像しやすいものもないはずだ。なのになぜ、みんなはゴキブリを食べなきゃ誰かが死ぬなんてよくわからない状況の方をすんなり受け入れるのだろう?
思えば、自分にとっては当然である論理が理解されないことに気づき始めたのは、あの頃からだったような気がする。
りっちゃんってちょっとズレてるよねと言われたから、そうか自分はズレているんだと認識した。けれど早い段階で自覚できたのは幸いだった。ズレていることがわかっているのならば、調整すればいい。
私は周囲の人たちを注意深く観察するようになり、みんなに溶け込んでいるように見える人を模倣するようになった。みんなが笑っていたら、なにが面白いのかわからなくてもとりあえず笑ってみせる。意見を聞かれたら、自分の前に発言して受け入れられた人の言い回しを真似する。それだけで「なんか変」と言われる回数は有意に減った。
中学、高校、大学、社会人と進むにつれ、徐々に私の擬態は上手くなっていった。子どもの頃はただただ理解できなかったみんなの思考や感情も、経験と分析を重ねることである程度は把握できるようになった。
それでも未だに私は、お手本のない状態で意見を聞かれるのは苦手だ。
本当のことを答えた場合、相手がどんな反応をするのか予想がつかない。このくらいなら無難だろうと判断して言っても、気味悪がられたり怒らせてしまったりする。
最初から相手の中に納得できる答えというものが存在して、それ以外は許されないのならば、先にその答えを教えてほしかった。だが、前にそう頼んで怒らせてしまったことがあるから、答えを尋ねるのが間違いらしいことはわかっていた。
「どうしてこんなことしたの」
だから私は今も、泣き崩れながら同じ質問ばかり執拗に繰り返している母の白髪交じりのつむじを、なにも言えずに見下ろしている。
母が望んでいる答えはなんだろう。
なにをどこから説明すればいいんだろう。
私の血まみれの手をタオルで包み込んでいる母の手は、目で見てわかるほどに大きく震えていた。赤く腫れた母の目は、座り込んだ私の横に落ちている包丁の上で泳いでいる。
泣かないでほしかった。母が納得できる答えをあげたかった。
だけどお手本がない以上、答えるとしたら本当のことを言うしかない。
「浅葱ちゃんに死んでほしいと思ってしまったから」
一番重要だと思われる答えを口にすると、母の全身が弾かれたように跳ねた。
見開かれた目が、私を向く。
そこに浮かんでいる感情は、十歳でズレを認識してからの十九年間、人間を観察し続けてきた経験からすれば、恐怖に似ているように思われた。
どうやら、私の答えは間違いだったらしい。
この場での正解がなんだったのかはわからなかった。
わかったのは──私がやったのは、みんなからすればおかしいことだったのだろうということだけだ。
*
きっかけは、配信の切り忘れだった。
浅葱ちゃんが『おやすみー』と完璧な笑顔で手を振ってから、配信終了ボタンがクリックできていないことに気づくまでのたった十四秒間。
暴言を吐いたわけでも煙草を吸い始めたわけでもオナニーする姿が流れてしまったわけでもなく、特に放送事故として話題になるようなこともなかったが、その十四秒間には、たしかに素の浅葱ちゃんが映っていた。
浅葱ちゃんは、ただパソコンの前でじっとしていた。それまでハイテンションでしゃべり続けていたのが嘘のように、虚ろな目と半開きになった唇を二万六千人の同接視聴者たちに晒していた。
浅葱ちゃんは即座にSNSで〈座ったまま寝てた〉とごまかし、ファンも〈寝顔かわいい〉〈ラグったのかと思ったw〉と返して、受け流す空気になった。
けれど私は、アーカイブでは削られてしまったその十四秒間がどうしても忘れられなかった。本来なら、一生見ることはできなかっただろう推しの素顔。それは、これまでに目に焼きつけてきた浅葱ちゃんのどんな表情よりも美しく、繊細で、神々しいものに見えた。
もっと見たい、と思ってしまうまでに時間はかからなかった。もっと浅葱ちゃんの素顔が知りたい。カメラを意識していない、私たちのために作られていない浅葱ちゃんの姿が欲しい。
私は浅葱ちゃんのアーカイブ動画やSNSの投稿をくまなく見直し、浅葱ちゃんの所属グループである純情エデンの公式配信や他のメンバーのSNSも遡っていった。
自撮り画像は瞳に映り込みがないかを拡大してチェックし、配信動画は電車の走行音や救急車・消防車のサイレン音、落雷音などが入っていないかを音量を最大にして確認した。
ご飯の写真がアップされていたら、メニューやおしぼりの文字、店内のテーブルの配置や壁紙の色から店を特定し、配信中に学生時代の部活や委員会の話が出たら、出身校を絞り込んでその学校の卒業生のSNSを徹底的に漁った。
浅葱ちゃんは映り込みには気を遣っているようだったが、雑談では詰めが甘かった。
今日は寝坊してゴミを出し忘れた、いきなり雨が降ってきて洗濯物がびしょ濡れになった、運動会の練習が聞こえてきて懐かしくなった、中学も高校もブレザーだったからセーラー服に憧れる、中学の頃はバスケ部だったけど強豪校だったから卒業までレギュラーになれなかった、坂道だらけの学校の周りをよくランニングさせられた──どれも自宅の住所や出身校を自ら告げているようなものだ。
私は浅葱ちゃんの行きつけのスーパーやコンビニを把握し、自宅の住所を突き止めた。地元の友人だという人のSNSから浅葱ちゃんの高校時代の写真を入手し、浅葱ちゃんの本名が神田朝子であることを知った。
毎日少しずつ、浅葱ちゃんについての情報が増えていくのは幸せだった。まるで浅葱ちゃんが、私のためにクイズを出題してくれているような気さえした。クイズを解けば、浅葱ちゃんがこの世界に実在している痕跡を感じ取ることができる。
恋人も友達もいなくても、浅葱ちゃんの配信を聴いていれば少しもさみしくなかった。
親に将来が心配だと嘆かれて落ち込んでも、浅葱ちゃんのイベントの予定が一つでも入れば、未来は瞬時に薔薇色になった。
職場で上司に怒られても、無茶な仕事を振られて週末が仕事で潰れても、浅葱ちゃんの夢を支える資金を稼ぐためだと思えば頑張れた。
見返りなんて、なにもいらなかった。
私は、推しにガチ恋するファンを軽蔑していた。
推しを恋人のように考え、推しと繋がりたいと願い、ファンレターに自分のプリクラを貼ったりLINEのIDを書き込んだりするファンの話を聞くたびに、なんておこがましい人たちなのだろうと憤りを覚えた。
推しは神だ。
浅葱ちゃんがこの世に存在するというだけで、神宮寺浅葱という名前を構成する漢字の一文字一文字が回復呪文の効果を持ち、浅葱色を含むすべての物体がラッキーアイテムになる。五センチヒールを履いて浅葱ちゃんと同じ一六七センチになれば、不気味で空虚な街中を歩くことが浅葱ちゃん目線の視界を体感できるイベントに変わる。浅葱ちゃんのライブや配信予定が発表された途端、生きていてもいなくても同じような毎日が待降節になる。浅葱ちゃんに投げ銭すればするほど血行がよくなり、純情エデンのグッズが増えれば増えるほど部屋の空気が清浄になって寿命が延びる。つまり寿命が実質タダ。そんなことができる存在が、神でなくてなんだというのか。
推しと結婚したいなんて、神を自分と同じ下界にまで引きずり下ろすことだ。そんなことを望むこと自体が不敬罪。万死に値する。
だから私は浅葱ちゃんが住んでいるマンションを突き止めてからも、決して近くをうろつくようなことはしなかった。浅葱ちゃんの行きつけの店はむしろ避け、浅葱ちゃんが一回は行ったもののもう二度と行きそうにもない店だけを訪れた。
もし浅葱ちゃんと遭遇するようなことになったりしたら、自分という不純物が尊い空間を台なしにしてしまうからだ。
私にとって、浅葱ちゃんが実在した場所はパワースポットであり、そこを訪れるのは聖地巡礼だった。
浅葱ちゃんがたらこクリームパスタを食べたイタリアンで同じメニューを食べたときには、神話に登場する食べものが実在したことへの興奮と、味覚という扉を通して禁足地に足を踏み入れてしまった背徳感を覚えた。
純情エデンの生ライブのチケットが取れて、歌って踊って他のメンバーたちとじゃれ合う浅葱ちゃんの姿を直に目にしたときには、脳の血管が切れて死ぬかと思った。
むしろ、その場で死にたかった。死んで、浅葱ちゃんの周りの空気に生まれ変わりたかった。空間を汚すことなく浅葱ちゃんを一番近くで見守れて、浅葱ちゃんの生命維持に直接役立てる空気に。
浅葱ちゃんに望むのは、ただ健やかに生きていてほしいということだけだった。この世に生きてくれていることがなによりのファンサで、それ以上に願うことなんてなかった。
けれど今思えば、浅葱ちゃんの素顔をもっと知りたいと思ってしまったときから、私は間違い始めていたのだろう。
間違い、間違い、間違い続けた私が知ってしまったのは、浅葱ちゃんのKonKon──死後結婚用マッチングアプリのリア垢だった。
私が幼かった頃は、死後結婚は親の思い出話に出てくる風習でしかなかった。
そもそも身近な人が死ぬこと自体が稀だったし、死後結婚とは、未婚のまま死んだ人の来世での幸せを願うための形式的な儀式でしかなかったからだ。
私が最初に死後結婚式に出席したのは、大学生のときだった。
同じゼミの先輩が自殺し、合同告別式に続いて行われた死後結婚式に新婦側の友人として招かれた。当時はまだ、死後結婚式は故人の意思によるものというより、習慣上行われる儀式の意味合いが強かったから、ごくシンプルで短い式だったように思う。参列者の拍手の中で二つの棺を合体させ、間の仕切りを外すセレモニーは感動的と言えなくもなかったけれど、式終了後の見送り時、告別式においては「ご愁傷様です」と告げたばかりの新婦の母親に、今度は「おめでとうございます」と言うのには違和感があった。先輩の死が自殺によるものだったからかもしれないが、どれだけ華やかな雰囲気が作られようと、若い人が亡くなる不幸という陰鬱さを拭うことはできなかった。
だが、ここ数年で死後結婚のイメージは大きく変わった。
魂婚、冥婚、ムカサリ絵馬など、地方によって異なる名称で呼ばれ、儀式の内容にもばらつきがあったのが、KonKonがメジャーなアプリとして広がったことで一つの潮流が生まれ、社会における死後結婚の意味合い自体が変化したのだ。
KonKonは元々、葬儀屋に情報・仲介料を払って死後結婚の相手を探さなければならなかった遺族の負担を減らすために開発されたマッチングアプリだったという。
だが、マッチング相手を選べるとなれば、できるだけ好みの相手と結ばれたいと考えるのが人情らしい。死者本人が生前にアプリに登録してマッチング相手を探すようになると、終活の一種としての位置づけが強くなり、できるだけ故人の希望を反映できるようなシステムへと変更されていった。
ニーズがシステムを作り、システムがニーズを生む。
年齢、セクシュアリティ、外見、信仰、魂婚式や埋葬法のイメージなどで魂婚相手を絞り込みたいという要望から、フォローの有無、いいね数、閲覧履歴などによってマッチング相手が優先表示され、条件検索もできるようになった。
死亡時刻に応じて新着情報が表示されるから、リアルタイム性が重視されるようになり、健康管理アプリと連携できるシステムにアップデートされた。
愛は死を超えて。
魂が結ぶ、永遠の絆。
運命はもう隠れていない──
様々なキャッチフレーズが唱えられ、主に若者の間から登録者数が増えていった。そうなれば、魂婚相手の見つかりやすさに差が生まれるのは必然的な流れだ。
本来はマッチング相手を探しやすくするためのシステムだったはずなのに、かえって魂婚できない人が出てくるという現象が起こった。フォロワー数が多い人は死後すぐに相手が見つかるが、フォロワーが少ない人や遺体の損傷が激しい人はいつまでも死亡情報一覧に残り続け、行き遅れれば行き遅れるほど相手が見つかりにくくなる。
次第に、魂婚ができない人間はみじめでかわいそうな人だとされ、フォロワー数が多い人は、それだけの人数に死後に添い遂げたいと思ってもらえるような魅力がある人間だと見なされるようになっていった。
KonKonのフォロワー数はステータスの一つになり、有名人の間でもフォロワー数を競う流れが生まれた。芸名でアカウントを作って公開し、ファンのフォローを促すタレントやアイドルや俳優が出てきたのだ。
彼らは瞬く間に一般人とは桁の違う数のフォロワーを獲得し、それが話題になることでアカウント公開に踏み切る有名人は増えていった。KonKonをやっていれば若者への認知度も上がる。魂婚を匂わせれば、ファンを増やすこともできる。
推しに対して「結婚して」というファンサうちわを掲げるのは、もはや単なるネタではなくなった。推しと普通に結婚するのは現実味がなくても、同じタイミングで死ぬだけで少なくとも候補には入れる魂婚なら可能性があるからだ。
ただしフォロワーが数万人以上いるような有名人の場合、一ファンにできることと言えば、推しが死んだら一縷の可能性に賭けて後を追うことくらいだった。たとえ推しが健康維持アプリと連携していて死亡情報がリアルタイムでわかり、即座に後を追えたとしても、そんな人間がたくさんいればその中で選ばれる保証はない。
第一、 推しが本気でアプリを使っているとも限らないのだ。
実際、多くの有名人は単なる宣伝媒体としてしかアプリを使っていないようだった。ほとんどのアカウントが魂婚相手のセクシュアリティを指定するなどの絞り込み機能は使わず、相手は誰でもいいような空気を作っていた。それはつまり、本当は誰のことも選ぶ気はないということだ。
けれど──私が浅葱ちゃんの高校時代の同級生のSNSを辿り、彼ら彼女らのKonKonのフォロワーをしらみつぶしにチェックしていくことで見つけたアカウントは、純情エデンの神宮寺浅葱のものではなく、神田朝子のものだった。
私は、そのアカウントが本当に浅葱ちゃんのリア垢であることを確信するまでに半月かけた。
特定するための情報が不足していたわけではない。
むしろ、情報が多すぎたからだ。
さすがに神宮寺浅葱としてのSNSと同じ写真が使われていることはなかったが、フローリングの木目、ドアノブの形、ラグの色や毛の長さ、テーブルに微かに残る傷、コンセントの位置、物を撮るときの影の入り方などを見れば、同じ部屋であることは一目瞭然だった。
さらに、見覚えのあるマグカップやマウスが写り込み、最近プレイしたゲームまでが一致するとなれば、もはや疑いようもなかった。
だが、だからこそ私は、それが本当に浅葱ちゃんのアカウントであることがなかなか信じられなかった。
これは何者かによる陰謀なのではないかと考えもした。誰かが浅葱ちゃんを陥れるために、わざと浅葱ちゃんのリア垢に見えるようなアカウントを作成したのではないか、と。そうでなければ、自分のような一般人がこんなに簡単に辿り着けてしまうはずがない。
けれど私は、同時にわかってもいた。こういう無防備さこそが、浅葱ちゃんの魅力の構成要素の一つでもあるのだ。
疑問を抱くとすれば、なぜアカウントを公開してフォロワー数を増やそうとしないのかということくらいだったが、これはプロフィールを読むだけで解決してしまった。
浅葱ちゃんは魂婚相手の性別を女性に限定し、遺体の損傷状況でフィルターをかけていたのだ。
セクシュアリティにかかわらず、魂婚相手に同性を望む女性は多いが、浅葱ちゃんのファンの大多数が男性であることを考えると、たしかに女性に限定していることを知られるのは得策ではないだろう。
遺体の損傷状況フィルターは、元は電車への飛び込みや高所からの転落死など、状態が良くないとされる遺体を候補に出さないようにしてほしいという要望から生まれた機能で、これをオンにしている一般人は少なくなかった。けれど、フィルター機能は身体障害者への差別であるという抗議は機能搭載時から上がっており、公開アカウントでフィルター機能を使用した有名人は大抵炎上していた。
だから浅葱ちゃんは、アカウントを公開しない道を選んだ──それはすなわち、浅葱ちゃんは死んだら本当にアプリを使ってマッチングしようとしているということだ。
死後のことなんて考えず、ただ、今ファンを増やすことだけを優先するのならば、余計な絞り込みをしないプロフィールにして公開すればいいのだから。
私は、自分がどういう感情を抱けばいいのかもわからないまま、浅葱ちゃんの日々のつぶやきを遡っていった。浅葱ちゃんのKonKonの投稿には、これまでのどの配信やSNSにも出てこなかった情報が溢れていた。
本当は甘いものがあまり好きではないこと、チャームポイントの泣きぼくろはアートメイクで入れていること、毛が生えた男性の手を見ると鳥肌が立つこと──浅葱ちゃんの実年齢が二十六歳なのは地元の同級生のSNSでわかっていたことではあったが、浅葱ちゃん自身が干支や中学時代に流行っていた歌について偽らずに言及している場所は他になかった。
私は、浅葱ちゃんが墓石にターコイズを埋め込んでほしいと願い、魂婚相手と棺の中で小指を絡ませて火葬されたいと夢見ていることを知り、感動を通り越してパニックになった。
──私は今、浅葱ちゃんの遺書を読んでいる。禁断のアカシックレコードにアクセスしている!
ターコイズのピンキーリングを買い、左手の小指にはめた。途端に人体の一部という認識が急速にゲシュタルト崩壊していくのを感じ、慌ててリングを外して配信を聴くためのタブレットの横に飾った。
二日後、私はごく普通のゲーム好き女子らしいアカウントを作り、ダミーとして似たようなアカウントを数人フォローしてから、神田朝子のアカウントをフォローした。
フォローバックが来たのは、さらにその二日後。
神田朝子の相互フォロー人数は、私を含めて百五十九人だった。
私は、その一人ひとりのプロフィールを読んでいきながら、考えてはならない、と自分に言い聞かせ続けた。私は十分幸せだ。見返りがほしくて浅葱ちゃんを推してきたわけじゃない。これ以上を望んだら天罰が下る──
けれど、意識を遠ざけようとすればするほど、思考は吸い寄せられていった。
ライバルは、百五十八人しかいない。
つまり、浅葱ちゃんが死んだ後すぐに後を追えば──浅葱ちゃんと結婚できる可能性は、十分にある。
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続きは書籍版でお楽しみください。
この世では味わえない、極上のどんでん返しがここにある。
ここ数年で死後結婚のイメージは大きく変わった。KonKonというマッチングアプリが社会に広まり、若者たちの間で登録者が激増したのだ。そして、私の推しである神宮寺浅葱がKonKonのリア垢を持っていることを、私だけが知ってしまった。このままでは私は、死ねば推しとマッチングして結婚できてしまうかもしれない──。表題作のほか、未来のゲームRTA大会を描く「ゲーマーのGlitch」、地獄行きの回避を専門とする企業小説「閻魔帳SEO」など、異常すぎる状況に情緒を狂わされる極上のミステリ人間模様、全6篇!