手を伸ばせ_そしてコマンドを入力しろ_帯

伝説のネットゲーマーによる驚異の自伝的青春小説。藤田祥平『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』冒頭公開

 私がはじめて電子的なメッセージを受けたのは、五歳のときだ。通信手段は電話。時間は一九九六年の夏。場所は、私たち家族が二十年間をともに暮らしたベッドタウンの一軒家である。電話が鳴ったとき、両親はおそらく出かけており、家のなかは静まりかえっていた。
 飼っていた猫が死んだばかりだった。つねづね思うのだが、まともな人間に育てたいなら、犬を飼うべきだったのだ。犬は子供の友となり、彼に仕(つか)え、そしてたいていの場合、彼よりも先に死ぬ。そこから子供はなにかを学ぶことができるだろう。しかし猫の場合、そうはならない。猫はただ彼の近くにいて、たまに顔を出すだけだ。そして家猫でもないかぎり、飼い主のもとから離れて死ぬ。子供はなにも学ばない。ただ、なんの役にも立たない、チェシャ猫の笑みの記憶だけが残る。
 だから私がソファに寝転がって『ポケットモンスター』をプレイしていたのは、べつに猫がいなくなった悲しみを紛らわすためではなく、単純にそのゲームをプレイしたかったから、だったのだろう。
 いや、本当のところはどうだったか。私は悲しかったのかもしれないし、素直にゲームを楽しんでいたのかもしれない。五歳のころのことなど、じつはほとんど覚えていないから、わからないというのが正しい。たぶん感情の話はせずに、ただゲームをプレイしていた、というのが正しいのだ。なぜならいま語られたことは、ついたり消えたりする幼少期の私の記憶のフィラメントが点灯した瞬間の状況から、現在の私が勝手に推理し、創造したことなのだから。

 では、なぜフィラメントが点灯したのか。ここで話は冒頭に戻る。電話の音だ。そう、はっきりと覚えているのはこの瞬間だ。私はゲームボーイを置いて、しぶしぶソファから立ち、電話に出た。男のひとの声がして、私に聞いた。
「あー、なんだ、その」なんだか慌てたような感じだった。「モンスターボールがないときは、どうすればいいんだったかな?」
 私はどうすればいいか知っていたので、とても得意になって言った。
「ポケモンの話? モンスターボールがないと、捕まえられないよ。どこかで買ってこないと」
「どこで売ってるんだった?」
「ボール屋さん」
「あー、ボール屋さんが近くにないんだ」
「ええ? いまどのあたりにいるの?」
「ええと。マサラタウンに。最初の町にいる」
 ここで私は大笑いした。どうしてなのかは、いまとなってはわからない。
「いや、つまり」彼はものすごく慌てていた。「冗談じゃないんだ。目の前にいるんだ」
 私はなんとなく彼のことを知っていたので、ちょっと意地悪をしてやろうと思った。
「ゲームのやりすぎは身体によくないよ。おかあさんが言ってた」
 そして私は電話を切った。
 そう、正確に覚えているのはこの会話だけだ。
 誰がなんと言おうと、この会話は現実に起きたことである。

 あのすばらしいビデオゲーム、『ポケットモンスター』の冒頭は、自分の部屋でゲームをプレイしている少年の絵からはじまる。驚くべきことに、プレイヤーはキイを押し込むと、絵のなかの少年を自由に動かすことができる。その瞬間、少年が自分自身の写し身であることを、すべてのプレイヤーが悟る。世界を区切るゲームシステムの壁が阻(はば)むまで、プレイヤーは上下左右の四方向のいずれかへと、彼自身を導く。
 電子的現象としてサーキット・ボード上に発現したこの制限のなかにおいて、彼は自由だ。どれくらい自由であるか? 自室にあるコンピュータを、調べても調べなくてもいいくらいに自由だ。そこにはデータ化された「きずぐすり」が入っている。どこかで役に立つので、引き出しておくほうがいいだろう。
『ポケットモンスター』の筋書きはこうだ──小さな画面のなかで、主人公が故郷の小さな町を出て、いろいろなところを旅する。途中、空想上の生き物である「ポケモン」をつかまえる。ポケモンは主人公によく仕え、野生のポケモンや、ほかの使い手が使役するポケモンと戦う。
 そうしようと思うなら、存在が確認されているすべての野生のポケモンをつかまえて、「ポケモンずかん」をコンプリートしてもいいし、世界中のポケモンの使い手たちに勝利して、「ポケモンマスター」になってもいい。いずれにせよ、そうなるまでには、長い道のりを行くことになるだろう。
 とはいえ、ゲームをはじめた時点では何者でもない主人公は、自宅の二階にいて、ファミリーコンピュータに向かっている。
 いつまでもゲームをプレイしているわけにもいかないので、プレイヤーは主人公をあやつって、階下に降ろすことができる。そこにはキッチンがあり、テーブルがあり、主人公の少年の母親が、コーヒーかなにかを飲みながら、テレビをじっと見ている。テレビのなかで、四人の男の子が、線路の上を歩いている。
 プレイヤーは、あるいは主人公は、彼女に話しかける。
 すると彼女は言う。

  そうね おとこのこは いつか たびにでるものなのよ
  うん…… テレビの はなしよ!

 そして少年は、ふしぎな生き物、ポケットモンスターをつかまえるために家を出ていく。

 ところで、私のふたりの従兄弟は、私とおなじようにゲームに夢中になっている。伯母はずいぶん困っているようだが、伯父は止めるそぶりもない。彼らはどこにでもいるような、幸せな男の子ふたりだ。
 運転免許を取ったばかりのころ、私は祖父母を車に乗せて、田舎に連れていった。そこで伯父の一家と会い、墓参りをした。夏で、とても暑かった。
 そのあとで、祖父のお兄さんにみんなで挨拶をし、大人たちだけが家に残って、私は従兄弟ふたりと近所にある公園──と呼んでいいものかわからないほど小さく、寂れていて、どれだけ待っても子供はひとりもこない、というかそのあたりにはだれひとり通行人もなかった──のブランコに腰かけた。山が公園のすぐ背後にあり、ブランコのあたりは影になっていて、そこだけは少し涼しかった。
 兄弟の兄のほうが、ここまで静かなところははじめてだ、散歩をしてくると言い残して公園を出て行き、あとには彼の弟と私だけが残された。弟はたしかそのとき、九つか十だったはずだ。私は彼にいろんなことを聞いてみた。いずれも反応はかんばしくなかったが、ゲームについて水を向けたところ、とたんに笑顔になり、堰(せき)を切ったように話し始めた。彼がやっているゲームは、折しも私の弟がはまっているもので、それについていくらか話ができそうだった。
 話を聞いていると、彼はなかなかの腕前のようだった。
 空は青く、稜線のむこうに巨大な入道雲が出ていた。蝉の鳴き声がずっと聞こえていた。それぞれの畑に囲まれた家々はとても古く、私たちが座っているブランコの鎖はすっかり錆びついていた。ゲームについての話がひとしきり済んだあと、将来はなにをやりたいんだ、と聞いてみた。
 すると彼はこう答えた。
「ゲームを作りたい」
 それはすごくいいことだから、そのことをしっかりお父さんとお母さんに説明して、どんどんゲームをやらせてもらうといい、と私は言った。もしコンピュータが家にあるなら、インターネットを調べて、いまからすこしずつ自分で作りはじめてもいい。
 そうするよ、と彼は答えた。
 それから、彼はしばらく何かを考えるようにじっと地面を見つめていたが、ふいに私に向かって聞いた。
「祥平くんは何になりたいの?」
 そのとき、私はまだ何者でもなかったのである。
 私は笑ったが、しかしはっきりとこう答えた。
「小説を書くんだ」
「ふうん。どうして小説を書くの?」
「おしゃべりが好きなんだ。でもいつもうまく話せない。漫才師になろうかとも思ったんだが、やっぱりうまくできないんだ。だから、あとからいくらでもお話を作りかえられる小説のほうが、いいなと思った」
「それはいいね。じゃあ、いつか小説家になってね、祥平くん」
「まかせろ」
 そのあたりで、兄弟の兄が散歩から帰ってきた。彼は汗をかいていた。
「おかえり」と私たちは言った。
「ただいま」と兄弟の兄は答え、さらにこんなことを言った。「だめだぞ、ふたりとも。このあたりの人類はもう絶滅しちゃってる」
「それはたいへんだ!」

 この小説は、基本的に、電気信号についてのお話である。
 量子力学において、あるひとつの量子が右に行くか、左に行くかは、観測するまで確定できない。であるから、私たちの肉体を構成する要素に電子が含まれる限り、私たちの人生は、完全に予想することはできない。箱を開けたときに猫が死んでいるかどうかは、開けてみるまでわからない。
 私は幼いころ、人間は、彼自身の運命を完全にコントロールできるものだと信じていた。あらゆる出来事が彼の意のままになるのだと信じていた。たぶん、ビデオゲームと小説の影響だったのだろう。
 虚構の世界においては、べつに誰も死ななくてもかまわないし、全員が死んでもかまわない。重要なのは、それが完結することだ。そうすれば、私たちは運命に落とし前をつけられる。さまざまなことに意味があり、この生は無駄ではなかったと感じられる。これこそが、フィクションの魔法だ。
 そして、私たちの生もそういうものだろうと、私はずっと信じていたのだ。
 これをあなたにどうやって説明したものか。
 望むなら、あなたは誰だって蘇らせることができる。蘇生することができる。誰かが傷ついたら、しかるべき処置をとって、治してやればいい。誰かが死んだなら、すばらしい奇跡をこしらえて、生き返らせてやればいい。そうすれば、その人は永遠に、いつまでも、虚構の世界のなかで幸せに笑っているだろう。
 私は、できることなら、この小説をそういう話にしたかった。誰も傷つかず、誰も死なない、そういう世界を作ってみたかった。しかし、そうはならなかった。私の技術が不足していたのかもしれないし、変えてはならないことや、決して変えられないことを、いろいろと悟ったからなのかもしれない。
 仕方がない。そういうものだ。また機会はあるだろう。
 そろそろ、私の運命に落とし前をつけさせてもらおう。小説を始めよう。

(この続きは書籍版でお楽しみください)

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【著者・藤田祥平氏コメント】
 ゲームは、数学的な秩序をもつ、システムの芸術です。ですから、ひとりの青年がゲームに対し、よりよい結果をもとめて入力をつづけていくと、彼のうちにはシステムに相対するための技術と、批評眼とが育つ。そしてその成果が、ゲームだけでなく、私たちが生きるこの世界というシステムそのものに向けられたとき——彼はいったい、どのような答えを得るのか? 
 書き終えて見直すと、そんな小説になっていました。ご笑覧ください。
 ……自作のことを喋るのって、なかなか照れくさいものですね。

【担当編集・塩澤快浩コメント】
 おそらく「伊藤計劃以後」とは関係ありませんが(いや、以後は以後か)、昨年が小川哲『ゲームの王国』だったとすれば、今年は藤田祥平『手を伸ばせ、コマンドを入力しろ』で行きたいかと。久々に編集をやりきった感のあるデビュー作です。ある意味、リアル・フィクションの完成形。どうぞよろしく。

藤田祥平『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』

母がリビングで首を吊ったとき、僕は自室で宇宙艦隊を率いていた——『Wolfenstein』などのネットゲームにはまって高校を中退、母親の自殺、自身の欝を乗り越え、大学で創作を学びながら、星系間戦争ゲーム『Eve Online』で海外列強企業と対峙した日々。無数の文学とゲームに彩られた半生を描く、伝説のネットゲーマーにして最注目のライターによる自伝的青春小説。

●藤田祥平(ふじた・しょうへい)
1991年、大阪府生まれ。京都造形芸術大学文芸表現学科クリエイティブ・ライティングコース卒。〈現代ビジネス〉〈ユリイカ〉などでライターとして活躍。著書に、〈IGN JAPAN〉の好評連載をまとめたゲームコラム集『電遊奇譚』(筑摩書房)がある。本書『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』が長篇デビュー作となる。

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