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SFM特集:コロナ禍のいま⑨ 藤井太洋「やってきていた未来と見逃した明日」

新型コロナウイルスが感染を拡大している情勢を鑑み、史上初めて、刊行を延期したSFマガジン6月号。同号に掲載予定だった、SF作家によるエッセイ特集「コロナ禍のいま」をnoteにて先行公開いたします。最終日の本日は、藤井太洋さん、津原泰水さんのエッセイを公開します。

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 一月の十八日、私はリヨン図書館の司書室にいた。隣には夏笳(シアジア)が座り、テーブルの向こうからは、ロデリック・レーウェンハルトがSFを通して私たちの生きる時代を浮かび上がらせる素晴らしい質問を、私たち二人に投げかけていた。
 ウィルスの話題がどう始まったのかは覚えていない。部屋に来ていた誰かが夏笳に「故郷が心配ですね」と声をかけ、彼女が家は湖北省から離れているから、今は心配はしてないと答えていた。
 そのあと私たちは、政府はいつだって悪いことを隠したがるとか、ワクチンがない病気は怖いね、というような他愛もないことを話した。私と、確かロデリックが、武漢でアウトブレイクしたウィルスにヒト?ヒト感染の証拠はないという記事を見せあったのが最も〝情報量〟のある会話だった。
 ロデリックとはその日の夕方、夏笳とは翌朝のリヨン駅で軽い抱擁を交わして別れた。
 夏笳を見送って空港に向かうTGVに乗った私は、iPadを開いて異変に気付いた。武漢に住む友人の作家が、オンライン授業を行うためのWebカメラとマイクを買い、自宅に閉じこもる準備を始めていたのだ。
 慌ててウィルス関係の記事をかき集めた私は、まるで科学小説のようなウィルスハンティングの記事を機内で読み耽った。
 杭州の遺伝子技術企業がわずか三日でDNAの全配列を調べあげたかと思えば、三週間の情報統制が明けた時には新型の検出キットが出回っている。数百もの論文で共有された塩基配列を元に、ヒト?ヒト感染が始まったタイミングを週単位で突き止めようとしている研究者もいたし、ウィルスの三次元的モデルに対して遺伝的アルゴリズムで有効な既存薬を探すものもいる。これがわずか一ヶ月の出来事だというのだから驚かされる。
 エコノミー席の肘掛から伸びたアームの上では、3Dで描かれたフライトマップに「東京」が現れていた。
 この時すでに、私を自宅へと運ぶ航空機網は、南極とオーストラリアを除く世界のすべての大陸にウィルスを運び終えていた。
 だが、私はそこまで考えを進められなかった。閉鎖しようとしている武漢の話を聞きながら、多くの国がその門戸を閉じようとするなんて想像もしていなかった。
 来年か再来年、私は世界のどこかでロデリックや夏笳と会い、どんなふうに困難な時期を過ごしたのかを語り合うだろう。その時に交わすのがハグか、握手か、それとも抱拳礼になるのかわからないが、一つだけ言えることがある。
 社会的な距離をとり始めてから、ロデリックと交わしたメールは増えた。夏笳とも、他の国外の作家たちとも、今までよりずっと頻繁にメッセージを交わすようになっている。
 実質的(バーチャル)な繋がりの意味はきっと変わる。その変化は、今度こそ見逃したくない。

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藤井太洋(ふじい・たいよう)
971年生まれ。国際基督教大学を中途退学。2012年にスマートフォンで執筆した小説「Gene Mapper」を電子書籍として販売、当年のKindle本で最も販売数の多い小説となり、作家へと転身する。
2013年、宇宙開発をWebエンジニアリングの視点で描いたテクノスリラー『オービタル・クラウド』を執筆。本作で第35回日本SF大賞と第46回星雲賞日本長編部門を受賞。2019年にはインターネットの自由をテーマにした作品集『ハロー・ワールド』で第40回の吉川英治文学新人賞を受賞する。日本SF作家クラブの第18代会長(2015年~2018年)を務め、現在はアジアSF協会の立ち上げに奔走している。
最新刊は核テロを描いた『ワン・モア・ヌーク』を新潮文庫から2020年2月に刊行している。



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