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時代とともに変わりゆく神事のゆくえ――SF小説「オンライン福男」

柴田勝家氏の短篇集『走馬灯のセトリは考えておいて』から、ポストコロナSF「オンライン福男」を全文掲載いたします。

11月新刊『走馬灯のセトリは考えておいて』

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◆オンライン福男選びって?


  毎年、正月十日に行われるのが十日戎とおかえびすの行事です。

 特に有名なのが兵庫県の西宮にしのみや神社のもので、午前6時の開門と同時に本殿に向けて人々が駆け出す様は恒例となっています。いわば福の神である恵比寿に誰よりも早く詣でることで、その年で一番の福を得るというものですが、これが次第に競い合うようになりレースの形となったのです。

 しかしながら、これも20年代のコロナ禍によって一度は途絶えてしまいました。正門前に多くの人々が密集することを避けざるをえませんでした。もちろん西宮神社のものは今でこそ再開していますが、一方で同様の福男選びの行事を続けていた神社のなかで独自の発展を遂げたものもあります。

 それが大阪府の大津戎神社で行われる、オンライン福男選び神事です。

◆オンライン福男選びのはじまり


  2022年の1月10日に開催されたのが、第1回のオンライン福男選びです。

 この前年、大津戎神社は恒例の福男選び行事の中止を発表するのと同時にオンライン上での初開催を告知しました。当時は今ほどに派手なものではなく、神社側が用意したホームページに誰よりも早くアクセスするという地味な形でした。あくまでもコロナ禍への一時的な対応でしかなく、神社側の善意によって開催されるはずのものでした。

 それでも近隣住民以外も参加できるとあって、また物珍しさからSNS上で話題となり、午前六時のウェブページ公開と同時に数千人規模のアクセスがあったのです。そして当然ながら、神社側のサーバーが耐えられるはずもなく、無数の人々が真っ白なページを何度も読み込むという光景が繰り広げられました。

 行事としては失敗ではありましたが、これがかえって話題となり、大津戎神社のホームページにアクセスしようと奮闘する者、それをSNSで囃す者、あとからウェブ上の記事で顛末を見て初笑いにする者など、多くの人々の目に留まったのです。中でも福男が登場した際は大いに盛り上がりました。

 午前6時8分、ハンドルネーム・五月雨ガエルさんがアップロードした画像には、大きく「1」の文字が表示されたアクセスカウンター(当時でも時代遅れのものでした)が映っていました。ついに登場した福男にSNSは沸き立ち、さらに五月雨ガエルさんが女性であったことでニュースにも取り上げられたのです。福男選び行事はもとから女性も対象ではありましたが、全国においても福女が選ばれるのは初めてのことだったからです。肉体的な競走ではなく、ウェブ上でのアクセスの速さを競ってこその出来事でした。

 また後に大津戎神社のウェブページに掲載された五月雨ガエルさんの言葉も印象的で、早くも第2回以降のオンライン福男選びへの期待が高まることになりました。最後に、ここでも五月雨ガエルさんの言葉を引用します。

「普段から推しが出るライブや舞台とかのチケット戦争に勝っているので自信はありました。嬉しいです」

 ちなみに彼女には、神社から福笹と30キロのお米が贈呈されたとのこと。

◆第2回、進化する競技

 
 オンライン福男選びが大きく変化したのは第2回からでした。

 この年、ウェブ上では福男選び行事がネットミーム化し、様々な場所で似たような競走が行われていました。特に発展したのはVRを使ったバーチャル空間での競走で、実際の大津戎神社のレースを模したチャットスペースを作ったユーザーも現れました。

 ウェブデザイナーの瀬田アツヲ氏もその1人で、自身が作ったレース会場を使って福男選びを定期的に開催していました。そんな彼に声をかけたのが、大津戎神社の氏子総代でもある戎町神明会の会長・斎藤静夫氏で、第2回のオンライン福男選びで瀬田氏のチャットスペースを使いたいという提案をしました。

 瀬田氏はこの申し出を引き受け、9月から第2回大会の準備を神社側と共同で行いました。既存のワールドに大津戎神社を再現し、レース会場にもなっている戎町商店街を作っていきました。開催費用もクラウドファンディングで募り、バーチャル空間に神社が建立された際には、大津戎神社の中沢宮司ぐうじがアバターをまとってバーチャル地鎮祭を執り行ったりと、ウェブ上の盛り上がりと歩調を合わせていきました。

 やがて12月中頃にバーチャル大津戎神社が公開されると、年初の熱狂を覚えていたネットユーザーたちが大挙して押しかけ、さながら福男選び行事の予行演習といった風情になりました。特に瀬田氏の遊び心から生まれたトラップの数々(商店街のあちこちから巨大な玉が転がってくるといったもの)は人気で、ゲーム性もあいまって本番を楽しみにする人々が増えていきました。

 やがて1月10日、先年よりも実際の参加者は減ったものの、より多くの人々が注目するオンライン福男選びが始まりました。バーチャル空間にログインすると同時に、アバターをまとった参加者は封鎖されたスペースに隔離されました。美少女や可愛らしい動物、または全身タイツで奇怪な踊りを披露する者など、見ているだけで楽しげな人々が集まり、ボイスチャットで笑い合っているのです。この模様は映像で配信され、およそ数万人の人々が見守っていました。ある意味では、この瞬間こそがオンライン福男選びの最高潮だったのかもしれません。

 やがて午前6時になると、封鎖されていた部屋が開放され、アバターたちはバーチャル空間を駆け出しました。お互いのアバターの干渉などお構いなしに、テクスチャのモザイクが団子状になって飛び出してきました。

 しかし残念ながら、この瞬間には既に、第2回のオンライン福男選び行事は失敗していたのです。

 参加者の1人が、バーチャル本殿で待つ中沢宮司のアカウントを指名してワープコマンドを実行したのです。商店街で落とし穴にはまっていく参加者を横目に、その人物はゼロコンマで宮司の隣にまで飛んでいきました。

 これはまったくの不手際で、チャットスペース内でワープ機能を切っておくだけで防げた事態でした。しかし、実際に福男選び行事を取り仕切っていた神社側が、こういった使い方を想定していなかったのです。

 それでもまだ、その1人を失格とすればレースとして成り立っていたかもしれません。しかし、中沢宮司がアバター姿であたふたとしている間に、動画配信の視聴者がワープのことを参加者に伝えていたのです。そうなると真剣にレースを続けている方は少数派となり、開始から1分後には約半数の参加者が本殿に集まっていました。

 こうして第2回のオンライン福男選び行事は終了しました。

 もちろんネット上では一部のユーザーの行動が非難され、一方ではそれも使える機能の範囲内ということで擁護されるなど、いわゆる炎上騒動にまで発展しました。

 これに対応したのが前述の氏子総代の斎藤氏で、彼は新年早々のめでたい行事に水を差すのはいかがなものかということで、第2回においては参加者全員を福男とするよう取り決めました。これには世間も「さすが神社、まさしく神対応」などと納得の声が上がり、おまけに数千人分の福笹をアバターのアイテムとして配布することで事なきを得たのです。

 ちなみに、副賞のお米30キロについては希望者がいれば郵送する手はずになったものの、さすがに1人あたり約8グラムでは誰も欲しがらなかったようでした。

◆1つの伝説、純粋性の到達点

 
 第3回大会を語る上で外せないのは、あの伝説的な4連覇を果たした厚木ドラゴン氏の存在です。

 この時期になると、世間ではコロナ禍も落ち着いていて、本来の人間同士が競走する行事に戻すかどうかの議論が過熱しました。実際、福男選びの本家とも言える西宮神社では既に昔の形式で再開されていました。

 しかし、大津戎神社のオンライン福男選びというのは無二のものであり、ここで安易に戻すよりも1つの名物にした方が良いのではないかという意見が大勢を占めていました。

 そうした意見を代表するかのように、年に1度の福男選びを純粋にスポーツとして楽しむような、アスリート精神を持った参加者が現れていました。

「これは可能性の競技だ」

 その書き出しで、Webライターでもあった厚木ドラゴン氏はオンライン福男選びの意義を以下のように語りました。

「とにかく足の速い人間が勝つ。そんな時代は終わったんだ。オンライン福男選びは男女の違いも、若さも関係ない。身体的なハンデもなくはないが、ウェブ上なら補助が利くし、ある程度は同じスタートラインに立てるんだ」

 そのストイックな姿勢はまさにアスリートのものでした。当時はeスポーツの潮流もあり、バーチャル世界での競技についても大きく注目されていました。

 しかし、そんな厚木ドラゴン氏でも第3回大会で起きた悲劇は避けて通れませんでした。それは今では“タイタンの襲撃”として福男選び界隈では有名な事件となっています。

「そう、同じスタートラインには立てる。ただレース中のアレは予想外だったけど」

 厚木ドラゴン氏が見たものは、戎町商店街を歩いてくる巨人でした。それは参加者の1人がアバターの表示サイズを数万単位にしたもので、まさしく空より高い美少女が後ろから迫っていたのです。

「急に画面がカクついて、PCが物凄い唸り声を上げ始めたんだ。背後を見ればテクスチャたっぷりの巨人がいる。やられた、って思った。並のPCを使っている参加者は処理が追いつかずに次々と落ちていく。巨人に踏まれるみたいにさ」

 巨人が画面内に現れるたびに後続参加者のマシンがクラッシュしていきました。阿鼻叫喚の中、それでも厚木ドラゴン氏は本殿へと辿り着き、その年の福男となりました。

「正直、マシンスペックで勝っただけ。これが並のゲーム機なら耐えられなかった」

 コンシューマーゲームを憎んでいるという厚木ドラゴン氏ならではのコメントは、いくらかの反発を生みました。実際、次の大会からはドラゴン潰しとも言える、徹底的なマークが始まっていました。しかし、彼女の知恵と工夫、そしてアスリート的な努力と研鑽がものを言う結果となりました。

「今回の大会で、巨人は滅んだだろう」

 これは第4回大会を制し、見事に連覇を果たした厚木ドラゴン氏のコメントです。

 巨人戦争とも呼ばれる第4回大会では、スタートと同時に無数の参加者がアバターの表示サイズを何万倍にも大きくし、猛然と駆け出しました。もちろん巨大化させた時点で、その参加者が一番福を得られる可能性はほぼゼロになります。彼らは福男を目指すのではなく、この競走そのもの、そして厚木ドラゴン氏を試してきたのです。そのため前年と同様、この時点でマシンスペックの及ばない参加者は脱落していきました。

 しかし、厚木ドラゴン氏はこの事態を予定していました。

「こっちの設定で他の参加者のアバター表示をオフにした。あとは解像度も最低限にすれば、余計なものは見ないで済む」

 彼女の画面には他の参加者はおらず、ただ1人で孤独に書き割りじみたバーチャル商店街を駆けていたのです。一流のアスリートが周囲のノイズを感じなくなるのと同じで、いわば彼女は自らの工夫でゾーンに突入したともいえます。

 この作戦を卑怯だと言う者はいませんでした。何故なら、この戦法を成立させるためには、コースの完全な暗記と、見えづらくなったトラップを回避するための反射神経が必要だからです。厚木ドラゴン氏は圧倒的な練習によって、既にコースを体に覚え込ませていたのです。

 そして純粋に福男を目指す参加者たちは、この厚木ドラゴン氏の戦法を徹底的に研究しました。

 続く第5回、第6回大会では、巨人の生き残りたちが僅かに走っていたものの、ほとんどの参加者が解像度を最低にして孤独なレースを始めたのです。参加者は音も映像もない暗闇を、体に染み込ませた感覚だけで走り切る能力が求められていたのです。それでも、さらに研鑽を積んだ厚木ドラゴン氏に敵う者はなく、この年も彼女が一番福となり、奇跡の四連覇を果たしたのです。

 しかし、次の第7回大会を最後に厚木ドラゴン氏の時代は終わりを迎えます。

 最高のマシンスペック、何もない空間でも自身を見失わない精神力、正確にコースを選び取る判断力、そして人間の持てる限界の反射神経。最速の環境を作り上げるのに必要なもの全てを、厚木ドラゴン氏は有していました。

 ただ1つ、彼女の5連覇を阻んだのは天でした。

「あの時の福男選びは今でも心残り。自分の出自すら恨んだよ」

 その日、厚木ドラゴン氏が暮らしている神奈川県に雪が降りました。翌日には溶けてしまうような雨まじりの雪は、ほんの少し、ただ僅かに回線速度を落としたのです。

「有線にしておけば良かったんだ。でも、今まで雪の中でオンライン福男選びに参加してこなかったから、想定できてなかった」

 既にトップ層の実力は僅差でした。誰かが1つでもミスを犯せば順位が変わってしまうような状況で、それでも完璧に近い挙動でレースを制していた厚木ドラゴン氏は、ただ回線速度によって遅れてしまったのです。

 そこで抜け出したのは前年の二番福だったMot氏で、事前の模擬練習では厚木ドラゴン氏にも何度か勝利している強豪でした。そして彼が判断を誤ることはありませんでした。

「オンライン福男選びは平等なスポーツだって信じてた。でもコンディションなんかは平等になるわけがない。もし全く同じ体型で、全く同じ人生を送ってきた人間が相手だって、一瞬の状態次第で勝敗は変わる。ただ、それだけ」

 Mot氏に破れ、二番福となった厚木ドラゴン氏のこのコメントは物議を醸しました。しかし彼女は敗北の言い訳を述べたわけではなく、そうした不条理へ立ち向かう覚悟の表明、いわば宣戦布告でありました。

 ちなみに、厚木ドラゴン氏はその後、最高の回線環境を求めて1年の内に4度の引っ越しを行ったとのこと。

◆MK時代、拡張される世界 

 
 前回の大会の後、厚木ドラゴン氏は第一線から姿を消しました。厚木ドラゴン氏の存在は伝説となり、代わってオンライン福男選びに新しい時代が訪れました。

 第7回から第12回までのオンライン福男選びでは、新鋭ケリサキ氏と強豪Mot氏が交代で福男となりました。

 両者の実力は拮抗し、後にMK時代と呼ばれる全盛期を作り上げます。一方、第8回の三番福につけた命イッキ氏や、第10回の三番福である赤色ワイ星氏など、その後のレースで福男に選ばれた強豪たちも頭角を現していました。

 ここで特筆すべきは第11回大会で、それまで既存のVRスペースを用いていたものが、新しいプラットフォームに移り変わったことです。

 これまでもコースに多少の変化はありましたが、今回は大津戎神社を宇宙へ飛ばしたことで全く違う世界を表現できました。この時にはVRデザインの第一人者となっていた瀬田アツヲ氏が、今一度、オンライン福男選びのワールドを構築するとあって大いに盛り上がったのです。

 瀬田氏が作り上げた宇宙は太陽系を再現したもので、参加者は光の速さで走ることになりました。朝六時になるのと同時に地球を飛び出した人々は、ほんの1秒程度で月を越え、戎町商店街を模した宇宙の塵を駆け抜けて、約5分後に本殿のある火星へと到達します。相対的な距離は変わらないものの、空間的な広がりは遥かに増大し、この前年には姿を消していた巨人たちが息を吹き返したのも特徴的な光景でした。

 それまでの単調さを払拭した、この劇的な変化に参加者も十分に適応しました。既にオンライン福男選びに参加する人々は自前で高性能のデバイスを用意していましたし、そうでなくともリモート端末は十分に普及していました。

 しかし、ただ1つの誤算は、宇宙を模したVRスペースの広大さによって精神的な脱落者が多く生まれてしまった点でした。

「ちょうど月を越えた瞬間から、スタートラインで並んでいた人たちが散っていったんです。コースの距離自体は例年と変わらないのに、それまで慣れていた道が消えて、宇宙の中を手探りで進むしかありませんでした。それも周囲には誰もいない、星しか見えない暗い世界で。でも大事なことは、どれだけ離れていても皆が近くにいるって気づくことでした」

 そう語るMot氏は、第11回大会の一番福に選ばれましたが、それは彼自身が何もない状態を乗り越えた証拠でもありました。

「ボクが若い頃にコロナがあって、とにかく誰もが離れようって風潮だったんです。今日、1人で暗い宇宙の中を走っていて当時の気持ちを思い出しました。友人とも会えないし、仕事も自分だけで完結してました。だから自分がどこにもいないんじゃないか、って、ずっと不安だった、そんな気持ちです。でもレースの終盤、本殿がある火星が近づくにつれて、周囲に人々の姿が見えたんです。それで気づいたんですね。ボクがオンライン福男選びに命を燃やしてたのは、こんな風に、離れている誰かと同じ場所を一緒に目指していることが嬉しかったからだ、って」

 Mot氏はオンライン福男選びの意義を、他者との繋がりに見出しました。彼は他者と競い合う中で、自分の位置を定めることが福をもたらすと考えたのです。

 一方、翌年の第12回大会で一番福となったケリサキ氏もまた、Mot氏と同じく福男選びの意義を周囲の人との関係性の中に置きました。

「福男選びを続けてると、不思議な連帯感みたいなものが生まれるんですよ。1年に1度しか会わない、まぁ練習とかで顔を合わせることもあるけど、絶対に会える日は1月10日って決まってる。そんなことを繰り返してると、いつしか親戚みたいに思えてくる。遠くにいても近くにいるような存在っていうか」

 まさにコロナ時代の後に生まれた人たちが成人を迎えようとする今、この2人の視点は大事なものと言えるでしょう。今では家族の形も様々で、別々に暮らすことも当たり前、中には全てオンライン上の交流で済ませる人たちもいます。

 オンライン福男選びは、その競技性を増していく中で、まさに現代社会が抱える問題へ一つの答えを出したのかもしれません。

 そんなMK時代でしたが、翌年には終焉を迎えます。

 第13回大会では、オンライン福男選びのコース規模が大きくなり、ゴールであるバーチャル大津戎神社の本殿も銀河系の中心に移動しました。参加者は1月10日の午前6時から、光速の数千倍の速さで駆け出し、ほんの1歩で太陽系を越えて、数秒でプロキシマ・ケンタウリ系にまで到達します。

 しかし、相対的な距離は変わらないものの、バーチャル空間に等倍スケールで再現された銀河系は人間の認知能力を超えてしまっていました。光速の数千倍で移動できるとはいえ、広い銀河系の中にある小さな神社を見つけるということは、広い砂漠の中に落ちた針を探すような行為だったのです。

 なお不運だったのは、神社の座標を決めた宮司の中沢氏がパスワードを書いた紙を誤って無くしてしまったことです。座標入力によるワープを防ぐ目的でしたが、一転して、誰一人として神社の場所がわからないという結果に繋がりました。

 1月15日、レース開始から5日が経った時点で第13回大会の中止が正式に発表されました。既に大半の参加者が諦めていましたが、なおもケリサキ氏が残って銀河系を走り回っていたのです。

「僕はケリサキさんが連覇するのを信じてますよ」

 既に棄権していたMot氏の言葉は、孤独に宇宙を彷徨っているケリサキ氏へのエールでもありました。事実、開催から5年が経とうとしている今でも、彼は大津戎神社の捜索を続けているのです。

 いずれにしても、ケリサキ氏が宇宙へ旅立ったことでMK時代は終わり、次世代へとバトンが受け継がれていきます。

 第14回からは前年の失敗を防ぐべく、コースを再び地球規模にまで戻し、それでいて世界中の都市を巡る形に変更されました。参加者のスタート地点はバラバラで、アマゾンの奥地やサハラ砂漠に送られる者や、南極から走り出す者もいました。もちろん、どの地点から始めても、ゴールである日本の大津戎神社までの相対的な距離は同じです。

 一見するとスケールダウンした第14回大会ですが、何もない宇宙を走るよりも移動の実感が湧いたことで、多くの参加者にとって辛い大会となりました。そうした意味では、後に鉄人の異名で呼ばれた命イッキ氏が福男に選ばれたのも頷ける話です。

 続く第15回、第16回大会では回線の魔術師と呼ばれた赤色ワイ星氏が連続で福男に選ばれたのは記憶にも新しいはずです。さらに今年の1月に行われた第17回大会ではTsTs氏が福男に選ばれました。彼は初の外国人福男でもあり、そのニュースは世界へと発信されたのです。

 一昨年頃には既に、オンライン福男選びは伝統的な競技として世界に紹介され始めていました。TsTs氏の一番福は、外国人参加者の数が増えていた中での快挙でした。これは全世界的な通信網が完成したことの証拠であるとも言え、時差以外での地域差は存在しなくなりました。

「この競技に参加できて光栄に思っている。これまでフクという概念が理解できなかったが、優勝したことで見えたものもあるよ」

 そう切り出したTsTs氏の大会後の言葉は、我々に福男選びの意義を改めて考えさせるきっかけにもなりました。

「フクは単なるラッキーじゃない。目に見えないものを求める、どこか神聖な行いなんだ」

 オンライン福男選びが始まったのは、20年代のコロナ禍によってでした。

 あの時代、人々は目に見えないものに不安を抱き、お互いに離れて生きることを選択しました。今や距離は人間にとって必要なものとなりました。一方、目に見えない福を得たいという願いによって福男選びは継続し、距離を越えて大勢の人々が集まる場となりました。ある意味では、この2つは表裏一体の存在だったのかもしれません。

 そして来る第18回大会では、我々は新しい伝説を目撃できるのかもしれません。

◆終わりに、新しい時代に向けて

 

 今年の8月、驚くべき一報が世間を騒がせました。

「ついに大津戎神社の座標を特定した」

 銀河の中心で姿を消したはずのケリサキ氏から、実に4年半ぶりの報告があったのです。今では銀河系の再現という部分だけが独立し、探査型バーチャル世界として使われていた第13回会場、その中心からのメッセージでもありました。

「来年の1月10日、皆がここに来るのを待っている」

 それはケリサキ氏からの挑戦状でした。この時点で第13回の福男は彼に決定しましたが、同時に第18回大会の一番福を得るための戦いが始まったのです。

 有力参加者は大陸横断福男選びの覇者たる命イッキ氏、リベンジに燃える赤色ワイ星氏、世界大会へ出場を決めたTsTs氏など、まだ姿を見せないダークホースも後ろに控えています。さらにはケリサキ氏のライバルたるMot氏の帰還も期待されています。そして驚くべき情報はもう一つ。あの厚木ドラゴン氏の参戦表明もあったのです。

「結局、大津戎神社の近くに引っ越したんだ」

 もはや回線の安定など無意味になっていましたが、それでも厚木ドラゴン氏は理想の地へ辿り着いていたのです。オンライン福男選びの関係者なら誰もが知る生きる伝説、そんな彼女の一言は、各地の有力参加者を焚きつけることになりました。

「僕らはゼロコンマの世界で生きている。ラグはないと信じているが、全力は尽くしたい」

 こうコメントしたTsTs氏は来日を決定し、同様に命イッキ氏も当日の大阪入りを表明、対する赤色ワイ星氏は既に現地で物件を借りたとのこと。その他、VR機器を持ち出して前夜から神社近くで待機しようとする参加者たちの声もあります。

 この事態について、厚木ドラゴン氏は直前のインタビューでこのように語っています。

「正直、悩む。本末転倒の感がある。ここまで集まってるなら現実で走った方が手っ取り早い」

 ちなみに、当の厚木ドラゴン氏は駅から大津戎神社に向かうまでの現実のコースでは地元の年配者に惨敗したとのことですが、本番では華麗な走りを再び見せてくれるのでしょうか。

 いよいよ第18回オンライン福男選びの開催まで、残すところ1ヶ月となりました。

(了)

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本作「オンライン福男」を含めた小説6篇を収録する、柴田勝家氏の短篇集『走馬灯のセトリは考えておいて』が好評発売中です。

イラスト:mitsume

人が死後に自らのライフログから分身を遺せるようになった未来、“この世”を卒業するバーチャルアイドルのラストライブを舞台裏から描く書下ろし表題作のほか、コロナ禍によりウェブに移行した神事がVR空間上の超巨大競技へ進化していく「オンライン福男」、“信仰が質量を持つ”ことの証明に全生涯を捧げた東洋美術学者をめぐる異常論文「クランツマンの秘仏」など、文化人類学と奇想が響き合う傑作集。解説:届木ウカ


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