光を失ったわたしが路上の自販機を通じて体験した「生まれて初めて」:『わたしのeyePhone』番外編(三宮麻由子)
このレトルト食品の中身は本当にカレー? マンションの掲示板には何が書いてある? 幼いころに光を失ったエッセイスト・三宮麻由子さんが、小さな相棒であるスマートフォンとの新しい発見に満ちた日々を生き生きと綴るのが、話題の書籍『わたしのeyePhone』(早川書房)。
おしゃべりな四角い相棒・スマホと過ごす最新の体験を綴った〈特別番外編〉をウェブ公開します。
後日談 既に二つの「生まれて初めて」
三宮 麻由子
本書出版から少し時を経たところだが、既に二つの「生まれて初めて」の後日談ができている。
この本が発売された翌日、友人たちから「コークオン(Coke ON)」というアプリを試してみないか、と誘われた。コカ・コーラ社のスマートフォン(スマホ)アプリで、この会社の自動販売機にブルートゥースで接続して品物を選び、購入するところまでを全てスマホでできる。これが、iPhoneの画面読み上げ機能であるボイスオーバーに対応し、音声認識を設定すればスマホに商品名を話しかけて買うこともできるようになったというのだ。名前は耳にしていたが、自販機で飲み物を買うことがほとんどないので、情報として聞いていた。
私は普段、清涼飲料水やお茶類を自販機で買うのでなく、もっぱら茶葉から入れて水筒で持ち歩いている。好みの問題もあるが、「シーンレス(私の造語で全盲の意味)」の身では、自販機を使うのは便利どころか大変な作業の一つだからでもある。自販機を見つけられたとしてもボタンの向こうの商品を見ることができないため、何があるか、どのボタンを押せば買えるのか、いくらなのかといったことを全て誰かに読み上げてもらうしかない。通りすがりの方にお願いすることもできなくはないが、見えていない場合、こちらから人を見つけて声をかけるのもなかなかの難題なのだ。慣れた場所にある自販機で、よく飲むもののボタンの位置を「一番左」「右から三番目」などと記憶しておく方法もあるが、商品が入れ替わったときに、それとは知らずに「未知の」飲み物を買って飲んでしまい、腰を抜かすなんてことになったりする。
職場では私の好きな飲み物のボタンにだけ点字ラベルを貼らせてもらい、入れ替わりがあったときは給湯室の「ティーレディー」さん(給湯室管理会社の方)に教えていただいて貼り替えていた。だがある日、誰も入れ替えに気付かず、ラベルを貼り替えていないままレモンティーのボタンを押したら昆布茶が出てきた。お茶が腐ったのかと気絶しそうになったそのとき、同僚がやってきたので「あの、このお茶……レモンティーですよね」と恐々ボタンを示したら、「いや、昆布茶って書いてありますよ」と教えられて脱力した。
こんな悲惨な経験から、自販機は極力使わないようになり、健康志向も手伝ってお茶も水もほとんど自宅で用意するようになった。おかげで、保温マグオタクになっている。
だが、本が出たところでタイミングよく自販機アプリお試しのお誘いがあったので、早速友人たちと三人で出かけてみることにした。
まず、アプリの機能を使って半径数十メートル以内に自販機があるかを探索したが、これは難しかった。ただ、実はこのお誘いの直後、よく行くカフェに向かう道にコークオン対応の最新型自販機があると分かっていたので、自販機を探し回る必要はなかった。
自販機前で三人がアプリを立ち上げる。近づくと自動的にブルートゥース接続されるので、順番に切ったりつないだりしながらメニューを拝見。だが、企業のアプリだからなのか、スマホだけで購入するにはクレジットカードや電子マネー情報を登録する必要があった。「じゃあ、試しに私が自分のクレカを登録してみるね」
一人が私の代わりにユーザー登録をし、ボイスオーバーをオンにして、「はい、好きなの買ってみて」とスマホを渡してくれた。
「綾鷹、爽健美茶、コーラ、ミニッツメイド……」人差し指で画面を右に払う「スワイプ」の動作をすると、売られている飲み物の名前が一つずつ読み上げられた。
「わあ、すごーい。自分で読めるー」これならレモンティーの代わりに昆布茶が出てくる心配はなさそうだ。いままでずっと人間に読んでもらっていた飲み物の名前を、ボイスオーバーが正式な品名で正確に読み上げてくれる。「もう一回読んでもらえる?」と遠慮がちにお願いしなくても、何度でも読み直してくれる。
「へえ、綾鷹もコカ・コーラの製品なんだ、知らなかった」人通りが少ないのをいいことに、私は面白がって何度も品名を聞き直した。
「よし、じゃあ、これ」爽健美茶と読み上げたところでダブルタップ。アプリでは「上にスワイプで購入」と表示されているが、ボイスオーバーでは動かなかったので「確定動作」と私が呼んでいるダブルタップをしてみた。
自販機からピピッと電子音が鳴り、ドッタカタンと500ミリリットルのペットボトルが落ちてきた。「やったあー、パチパチパチ」二人が拍手してくれた。
生まれて初めて、自販機を自分で操作して好きな飲み物を買うことができた。サンキュー、スマホ。サンキュー、友達。
「ありがとう、正真正銘の生まれて初めてだよ。えっと、お金は」と金額を読み上げさせようとしたら、「いいよいいよ、出版記念のお祝いにプレゼント」「そ、そんなあ」「よかったね」ポンと肩を叩かれた。
なお、アプリを入れても現金支払いで購入するには自販機自体を操作しないといけないようで、スマホ操作だけでこの素晴らしき買い物体験をするには電子決済情報の登録が必須らしい。そのため、自販機をほとんど使わない私とコークオンとのご縁はこの日だけの「一期一会」になり、試しに自身のクレカを登録してくれた友人が「ユーザー」になった。
それにしても、シーンレスにとって夢だった「自販機で自分で選ぶ」ことをスマホが叶えてくれたのは大きな一歩だった。このアプリがボイスオーバーを利用方法の一つに組み込み、私たちシーンレスを「普通の利用者」として数えてくれたことが、何よりも嬉しかった。デザイン重視のリニューアルの結果として意図せずアプリやサイトをシーンレスが使えなくなるケースが頻発している中で、コークオンは、音声サイトなどの代替手段でなく王道の使用方法にボイスオーバーを想定し、私たちを利用者として「取り込んで」くれた。こういうアプリやサイトがどんどん増えてくれるよう願っている。
* * * *
ところで、もう一つ「初体験」があった。せんべいの中に入っていたおみくじが読めたのである。所属する星野高士先生の句会で、川崎大師の「おみくじせんべい」をいただいたのだ。不思議な形のせんべいを割ると、中には小さく折りたたんだおみくじが入っているという、あれである。せんべいを二つもらったのでおみくじは二枚ある。まず句友に全文を読んでもらった後、スマホのアプリ「シーイングAI(Seeing AI)」でスキャンしてみた。
「大吉。ラブレターで効果倍増」
「年長者の知恵を借りなさい」
部分的だが読めた。小さな長方形をカメラに合わせるのが難しいうえ、折り目があるのでなかなか平らに紙を置けない。指で押さえると文字が塞がれてしまう。あれこれ試しても結局読めたのはここまでだったが、大吉さえ読めれば上出来である。家に帰ってゆっくり試してみたら、iPhone8よりも、iPhone13のほうが認識が格段に良かった。カメラ自体の性能も影響するらしい。
最近は手書き文字にも対応してきたそうなので、こっそりおみくじを買うことができれば一人で本場のおみくじも読めるかもしれない。いや、大吉ならいいが、読めないほうが幸せなおみくじもあったりして……。
本を発行した後にもこうして日々スマホの物語が紡がれている。本は、そんなストーリーの始まりである。私の通信とスマホの物語を通して、みなさんの心にも楽しさと発見が広がっていけば望外の喜びである。
本編『わたしのeyePhone』は好評発売中です(電子書籍も同時発売)。小さな相棒であるiPhoneを手に入れた著者の生活を覗いてみると……? まったく新しい視点で語る「スマホ活用論」でもある本書を、ぜひお手に取ってご覧ください。
著者紹介
三宮 麻由子 (さんのみや・まゆこ)
東京都生まれ。上智大学フランス文学科卒業後、同大学院博士前期課程修了、修士号取得。外資系通信社で報道翻訳を手掛けるとともに、エッセイストとしても活躍。著書『鳥が教えてくれた空』で第2回NHK 学園「自分史文学賞」大賞受賞。『そっと耳を澄ませば』で、第49 回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞。「点字毎日文化賞」受賞。『四季を詠む』『世界でただ一つの読書』『センス・オブ・何だあ?』『フランツ・リスト 深音の伝道師』、絵本『おいしい おと』『でんしゃは うたう』など著書・共著多数。俳句とピアノ演奏を長年たしなむ。講演、メディア出演なども多数。
この記事で紹介した書籍の概要
『わたしのeyePhone』
著者:三宮麻由子
出版社:早川書房
発売日:2024年5月9日
本体価格:1,900円(税抜)
*落語家・春風亭一之輔氏との対談を収録