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SFM特集:コロナ禍のいま③ 北野勇作 「よく見ておこう」

新型コロナウイルスが感染を拡大している情勢を鑑み、史上初めて、刊行を延期したSFマガジン6月号。同号に掲載予定だった、SF作家によるエッセイ特集「コロナ禍のいま」をnoteにて先行公開いたします。本日は北野勇作さん、高山羽根子さんのエッセイを公開。2名ずつ、毎日更新です。
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 フィクションではお馴染みと言ってもいい状況ではあるが、こんなことになるのか、というのが正直なところで、何にいちばん驚いたのかと言えば、こうなれば演劇も音楽も、観客を必要とするあらゆるライブというものはやれなくなるのか、ということ。
 この非常時に何を呑気な、と言われるかも知れない。まあ言われるだろう。それは仕方がない。そもそも呑気なことばかりやっている身なのだ。小説も含めて。で、そんな小説と同じくらい長く演劇をやっているのだが、やっている側から言えば、「公演中止」というのは、とんでもない出来事である。もしそんなことが起きたら後々まで語り草になるくらいの大事件であって、劇団ならそれによって存続が危うくなるようなことなのだ。
 それが今回、軒並みの中止である。それどころか、この先やれそうな様子もない。いつになればこれが終わるのか。先がまったく見えない、何もわからないままなのだ。
 世間から見れば取るに足らないこと、というか、そんなものの存在すら知られていないようなことだ。まず金になんかならない。ただ好きでやってるだけ。ますます世間的にはどうでもいいだろう。
 しかしまあそんなことは関係なく、何ヶ月も稽古して大勢で作り上げてきたものだ。もともと形はない。本番が終わったらもう跡形もなくなる。それがいい、などと言われるくらいである。だがこれで本番すらなくなると、本当になんにもなくなる。
 ツイッターなどで、知り合いが稽古をしている様子を見て、いい感じだなあ、これは観よう、と予定を確かめたりしていたのが、自粛の一言で吹き飛ぶ。他人事であるこちらが呆然とするくらいだから、当事者ともなれば何が起きたのかすらわからないのではないか。何ヶ月かの間、虚構の中に積み上げてきた「生」が、消えてしまうのだ。もちろん金銭の問題もある。劇場やライブハウス、音響や照明のスタッフもそう。もともとぎりぎりでやっている。満杯にすればどうにか、くらいの収支でやっているのが、まるまる赤字だ。次にいつやれるかなどわからないし次どころではない。そのあたりがどうなったのか。知り合いに詳細を尋ねるのも恐ろしい。こんな状況、想像すらしていなかった。だがこうなってみると、想像していて当然だろうとも思う。芝居の主役がインフルエンザになって、あわてて代役を立てて、みたいな話だってあったのだから、こんなことだって想定していておかしくはない。しかし、よく知っているつもりのことですら、人間が想像できる範囲はじつに狭い。そのことを痛感する。まして人類のことなどわからない。世界のこともわからない。
 だからせめて世間的にはどうでもいいであろうそんなちまちましたあれこれをよく見ておこうと思う。実際、私にできることなんて、それくらいなのだ。

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北野勇作(きたの・ゆうさく)
1962年、兵庫県生まれ。甲南大学理学部卒。92年、『昔、火星のあった場所』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞し、デビュー。2001年、『かめくん』で日本SF大賞を受賞。

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