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オバマ前大統領が任期中に楽しんだ話題の本。『七人のイヴ』試し読み

アメリカ・エンターテインメント界を代表する作家ニール・スティーヴンスンによる、人類の未来を俯瞰する破滅パニック大作『七人のイヴ』は、任期中のオバマ前大統領が公表した読書リストに挙げられていたことでも話題となった作品です。ここではその一部をご紹介しましょう。

※画像はAmazonにリンクしています。

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〈スカウト〉たち

 「われわれは今、何が起きたのかと問うのをやめ、これから何が起きるのかを議論する必要があります」ドゥーブが話しかけているのは、アメリカ合衆国大統領と、彼女の科学顧問、統合参謀本部議長、そして内閣の約半数の閣僚たちだ。

 彼には、大統領がこの話を気に入らないことがわかっていた。ジュリア・ブリス・フラハティ大統領。その任期の1年目が、もうすぐ終わろうとしている。

 統合参謀本部議長がうなずくと、大統領はそれを横目でにらみつけた。キャンプ・デイヴィッドの空から窓に差し込む明るい光のせいではない。議長の言葉には含むところがある、と彼女は思っていた。責任を転嫁しようとしているのか。何か新しい計画のたぐいを押しつけようとしているのか。「続けて」と言ってから、マナーを思い出した。「ハリス博士」

「四日前、私は〈キドニー・ビーン〉が2つに割れるのを目撃しました。〈セブン・シスターズ〉が8つになったわけです。その後、〈ミスター・スピニー〉がもう少しで砕けるようなニアミスもありました」

「そのおかしな名前を聞かずにすむと、うれしいんだけれど」と大統領。

「そうなるでしょう。問題は、〈ミスター・スピニー〉がいつまでそのままでいるか、そこにはどんな意味があるかということです」ドゥーブは手にした小型リモコンのスイッチを入れ、大型スクリーンにスライドを映し出した。一同の頭がそちらをいっせいに向き、それ以上大統領ににらまれないとわかると、彼の気持ちは穏やかになった。スライドは丘を転がり落ちる雪玉と、シャーレの中で増殖する不鮮明な微生物、キノコ雲、そのほか無関係に思える現象の写真を合成したものだった。「これらすべてに共通することは、何でしょう? 指数関数的な存在だということです。何かが急速に増加するという意味をもたせたいとき、よく使われる言葉ですね。しかしこれには、特定の数学的な意味合いがあります。あることがより多く起きると、さらにもっと多く起きるというプロセスを意味しています。人口の爆発しかり。核の連鎖反応しかり。丘を転がり落ちる雪玉が増大する速度は、それまでどのくらい増大したかという量に連動しています」ドゥーブはリモコンのボタンを押して、指数曲線のグラフを描いたスライドを見せたあと、月の8つのかけらの写真を映し出した。「月がひとつのかたまりだったとき、衝突の確率はゼロでした」

「ほかに衝突する相手がいなかったからだ」口を開いたのは、大統領の科学顧問、ピート・スターリングだった。その説明に大統領がうなずいた。

「ありがとう、スターリング博士。かたまりが2つになると、当然ながら、衝突することができるようになります。かたまりが増えれば、そのうちのどれか2つがぶつかる確率は高くなります。しかし、衝突すると何が起きるのでしょう?」彼はまたリモコンのボタンをカチリと押して、〈キドニー・ビーン〉が割れたときの動画を映した。「そう、必ずとは言えませんが、半分に割れます。これは、かたまりが増えることを意味します。7つでなく、8つ。8つでなく9つに。そしてかたまりの数の増加は、さらなる衝突が起きる確率の増大を意味します」

「それが指数関数的だと」議長が口をはさんだ。

「確かに指数関数的なプロセスの特徴をすべて備えていると気づいたのが、今から4日前でした」ドゥーブは認めた。「今は、これがどういうことになるのかわかっています」

 それまでドゥーブを熱心に見つめていた大統領の目が、ピート・スターリングのほうにさっと向けられた。科学顧問は片手を上げ、ホッケー・スティックの輪郭をなぞるような急上昇のカーブを描いてみせた。

「指数関数的な増加のグラフがホッケー・スティックの曲がり目に来ると」ドゥーブは説明を続けた。「デトネーション[音速以上の速さで伝わる燃焼、爆発]と区別がつきません。あるいは緩やかな、安定した増加に見えることもあります。すべては時定数、つまり指数関数的現象が起きる固有の速度によります。さらには、われわれ人類がそれをどう知覚するかにもよります」

「つまり、何でもないかもしれないと?」議長がまた口をはさんだ。

「8つのかたまりから9つになるのは、100年後かもしれません」ドゥーブは議長に向かってうなずいた。

「しかし、4日前私は、これはより爆発らしく見える現象かもしれないと、気になりはじめました。そこで、院生たちと一緒にちょっとした計算をしてみました。時間の変化とともに動きを理解できるような、このプロセスの数理モデルをつくってみたのです」

「それで結果は? ハリス博士。何かわかったんだろうね。でなければ、ここにはいないと思う」

「いい知らせとしては、地球がいつの日か、土星のような美しい環をもつようになるということがあります。悪い知らせは、かなりめんどうな事態になるということです」

「言い換えるなら」とピート・スターリング。「月のかけらがいつまでも衝突を続け、より小さなかけらになっていき、広がって環をつくるということです。しかしかけらの中には、地表に落ちて問題を起こすものもあるでしょう」

「それでハリス博士、いつ、どれくらいの時間でそれが起きるか、わかるの?」と大統領。

「まだ数理モデルのパラメーターを変えて、データを集めている段階です。ですから、私の予測値より実際には2分の1から3分の1だったということも、ありえます。指数関数的なものは注意を要するわけですが、私としてはこう考えています」

 ドゥーブは新たなグラフを映し出した。青い曲線が、時間とともに緩やかに、安定した変化で上昇している。「グラフの下の部分の時間尺度(タイムスケール)は、1年から3年ほどです。この間、衝突の回数と新しいかけらの数はじわじわと増えていきます」

「BFRというのは?」とピート・スターリング。グラフの垂直軸にそう書かれてあるのだ。

「火球分裂比率(ボライド・フラグメンテーシヨン・レート)。新たな破片がつくられる割合です」

「一般的な用語なのかね?」ピートの声は、反感を抱いているというほどではないが、いらつきが感じられた。

「いえ、私がつくりました。きのう。飛行機の中で」ドゥーブは『私は造語を許されていますから』というたぐいのことを付け加えたい衝動にかられたが、会議のしょっぱなから険悪な雰囲気にはしたくないと思っていた。

 一瞬にせよピートが黙ったのを見とどけて、ドゥーブは話のリズムを取り戻そうとした。「われわれには、隕石の衝突数が増大することがわかっています。ものによっては甚大な被害をおよぼすでしょうが、全体的に見れば、人類の生活が大きく変わるほどではありません。しかし──」彼がまたリモコンをクリックすると、グラフの線が上に向かって急激に曲がり、白くなった。「──その後私たちは、〈ホワイト・スカイ〉と私が呼んでいる現象を目撃することになります。それは何時間か、あるいは何日かかけて、起こるでしょう。今頭上に見えているばらばらの小惑星群が、互いにすり砕かれ、さらに小さな無数の破片となります。それは白い雲に変わり、空に広がっていきます」

 カチリ。グラフの線は急上昇を続け、新たな領域に入って赤くなった。

「〈ホワイト・スカイ〉現象の1日か2日後、私が〈ハード・レイン〉と呼ぶものが始まります。無数の破片全部が空にとどまってはいられないからです。一部は地球の大気圏に落ちてくるでしょう」

 ドゥーブはプロジェクターのスイッチを切った。ふだんはやらない行為だが、パワーポイントによる催眠状態から全員を解放し、自分のほうに注意を向けさせることができる。部屋のうしろにいる補佐官たちはまだ親指でスマートフォンをいじっているが、彼らは重要ではない。

「『一部』というのは」とドゥーブ。「何兆かの、という意味です」

 部屋は静まりかえっている。

「それは太陽系が形成された原始時代以降に地球が経験したことのない、無数の隕石による爆撃です。隕石が落ちてきて、その燃えさかる尾が見えたことがありますね? ああいうものが無数にあり、合体して火の玉になっては、ほかのものすべてを燃やしていくのです。地球上のすべてが不毛の地となります。氷河も煮え立つでしょう。生き残る唯一の方法は、大気圏から逃げ出すしかありません。地下にもぐるか、宇宙に出るか」

「もし本当だとすれば、最悪の知らせだわね」大統領が口を開いた。

 一同は席についたまま、1分とも5分ともつかぬあいだ考えこんでいた。

「両方をやるべきだわ」と大統領。「宇宙と地下の両方へ行く。もちろん、地下のほうが行きやすいけれど」

「ええ」

「地下のシェルターは……」大統領は差別的な表現をしようとして踏みとどまった。「……避難する人たちのためにつくることになる」

 ドゥーブは何も言わなかった。

 統合参謀本部議長が口を開いた。「ハリス博士、私はずっと兵站をやってきた男でね。つまり、物資を扱ってきた。地下にもぐるなら、どのくらいの量の物資が必要かが問題となる。ひとりの居住者につき、ジャガイモは何袋、トイレットペーパーは何ロール必要になるのか。要するに私が聞きたいのは、その〈ハード・レイン〉が終わるまでにどのくらいの時間がかかるかだ」

「私の計算したところでは、今から5000年後から1万年後のあいだのどこかです」

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七人のイヴⅠ
ニール・スティーヴンスン   日暮雅通 訳
新☆ハヤカワ・SF・シリーズ  1700円(税別)
2018年6月19日発売  装幀:川名潤 解説:牧眞司
電子書籍版:6月末日配信予定


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