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【試し読み】小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』第1章 初めての宇宙漁

小川一水氏のガス惑星巨大ロケット漁業百合『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』から、作品冒頭の第1章を無料公開。プロローグからの続きとなりますので、順番に追いたい方はまずこちら(⇓)をどうぞ。

登場人物

テラ

テラ・インターコンチネンタル・エンデヴァ
氏族船「アイダホ」に暮らす24歳。ガス惑星で昏魚を獲る礎柱船(ピラーボート)の1隻を所有する。漁に出れるのは夫婦者と定められた社会で、お見合いに苦戦中のところをダイオードと出逢う。想像力に任せて船を自在に変形させる「デコンパ」。

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ダイオード
身一つでアイダホを訪れた18歳の家出少女。名前は自称で、DIE-Over-Doseの頭を拾ってダイオード。いろいろ正体不明だが、礎柱船を操縦する「ツイスタ」としての腕はピカイチ。テラの漁法に惚れ込んで、氏族社会にとって例外的な女同士の漁を持ちかける。気丈だけどよく泣く。

――――――――――――――――――――――

 ガス惑星の景観は一分ごとに変わる。背の高いまっしろなアンモニア氷雲と、泥海のようにうずまく赤錆色のベルト底雲のあいだに、千変万化のかたちができては消えていく。
 それでも、自然の気まぐれで、ある種の雲が長時間かたちを保つことはままある。
 動物の姿や人の顔、食べ物やドレス。──テラ・テルテはいつも想像をかき立てられる。今日の作り物は、カルガモの親子だった。くちばしみたいな高層雲を突き出した、高さ四万メートルの巨大柱状雲が行儀よく並んでいる。ひときわ大きなお母さんガモと、いち、に、さん、し……一二羽の子ガモたちだ。
 四番目の子ガモの背中に、チカリと昏魚が光った。
 テラは叫ぶ。
「いた! いました昏魚(ベッシュ)! 距離、約三〇〇キロ! ダイオードさん!」
「どこ」
「四女の背中! あそこの! カルガモの!」
「カルガモって何」
「あっカルガモってアンノ・ドミニの、純地球生物の鳥類で、いえ分類はどうでもいいんですけど、大巡鳥(ターシンニャオ)の輸入像に出てくる、あっそうそうちょうど大巡鳥みたいな!」
「わからない、マーカー出してください」
 相棒のそっけない物言いに、テラはがっくりと肩を落とす。またやらかした。他人にはわからないたとえ話をして、相手をいらだたせる。いつものことだが、やっぱりへこむ。
 作り話(テル・テール)のテラという不名誉な呼び名を奉られているのも、このせいだ。
 今回の相手と組むのは初めてだ。それもちょっと普通ではない組み合わせだ。港で出くわした知り合いからは変な目で見られたし──というか遊びで漁に出るなとはっきり言われたし──自分でも間違ったことをしている気がすごくする。
 だからこそ、うまくやってのけたかったのに。
 しょんぼりしながら前方を見つめていると、ふと気になることがあった。柱状雲の形が変に思える。変というか、整い過ぎている。
 柱状雲ってあんなにきっちりしてたっけ……?
 考えていると、いぶかしげな声をかけられた。
「あの、マーカーを。……不調ですか、テラさん?」
 はっと我に返ると、前方一段下の前部ピットにいる、ペアの女が振り向いていた。
 ダイオード、そう呼んでほしいと自分で名乗った。ずいぶん若くて、女というよりも少女の年齢だ。伝統的な漁師が身に着ける正装である、舶用盛装(デッキドレス)は銀と黒。ボディラインの出るスキンスーツ型に作ってきた。薄い胸や尻の線はくっきりと見て取れるし、細い二の腕や白い内腿はあらわになっている。レースのヘッドカバーに包んだ銀髪が肩下まで流れ、ひそめた眉が細くて涼しい。睫毛は日陰ができそうなほどに濃い。
 その姿は飛び抜けて大胆で美しい。今朝、待ち合わせて乗船した瞬間に、自分の平凡なヴィクトリアン型ロングドレスが野暮ったく思えて、テラは気が引けてしまった。
 今も後部ピットで見惚れていたテラは、聞かれてあわてて返事をする。
「あっはいすぐ今! 今出します!」
 長い人差し指で彼方を差す。ガイドレーザーがまっすぐに伸びて目標を示した。
 ちらちらと紺色にきらめいて見える生物の群れ。一頭一頭はまだ解像できないけれど、生き生きと動くものが集まっているのは離れていてもわかる。テラは食い入るようにそれを見つめる。
 昏魚、特異な遊泳生命。CC一八年に当時の船団長C・B・エンデヴァによって発見され、周回者(サークス)の貴重な資源として利用されるようになった。
 その生態は今でも完全に解き明かされたとは言えないが、二八五年たった現代では、昏魚を取り巻く事情は、二つの点で大きく変わっていた。
 その一点は、長年にわたって観測が続けられたおかげで、昏魚の分類と分布についての理解が、広く深く進んだことだ。
 遠方の昏魚を見晴るかしたダイオードが、うなずいた。
「あれか……カタクチかな」
 二つのピットは本当は船の別々の位置にあって、物理的に独立している(片方に何かあっても、もう片方が巻きこまれないようにだ)。しかし、映像的には前後くっついているかのように処理されており、テラが指したものはダイオードにも見える。
 とはいえもちろん、窓はない。何もない。漁船のブリッジとか船倉とか船長室とか士官食堂とか望遠鏡とかの宇宙船内のいろんな箱は、三〇〇年で全部消えてピットだけになった。そこにすべての情報が集約されて、そこからすべての操作が行われる。
 ガス惑星の景色と響きは、外部の本物と変わらない精度でテラを囲んでおり、軌道情報と機体情報と気象情報と船内環境情報のパネルが、視線の邪魔にならない四隅にさりげなく浮かんでいる。それらの一部はジェル内の映像で、一部は脳内に直接流し込まれている映像なのだが、見分ける意味や方法はない。
 周回者はドアノブをひねるのと同じ気安さで目の前に仮想入出力パネルを呼び出す。手つきと目配せで与えられる命令を、船機がドアと同じぐらい忠実にこなす。つまり、適当に軽く押すたびに必要な作業を通過できるわけで、こういう仕組みがあるから二人だけで宇宙船を飛ばせるのだった。
 テラはでかいおっぱいのせいで見づらいVUIパネルを胸の上まで持ち上げて、十指でこちょこちょつつき回し、魚群諸元と彼我運動条件をどうにかこうにか弾き出した。しばらくじっとにらんでから、漁獲戦術計画を二本立て、ファイルを前部ピットへ投げて送る。
「戦術です!」
 腕利きとはとても言えないテラだが、こうしてデコンパとして出てきているからには、仕事の段取りは理解している。
「あの昏魚は、柱状雲上流で高度方向の幟群をやっているので、カタクチに見えると思います。カタクチだったら風上を向いてほとんど動かないので、ビームトロールで下流上方から俯角でかぶせていこう、そういう流れに、普通はなると思います」
「なんですか、その言い方……」ダイオードがアルトの声を不審げに淀ませる。「カタクチ『に見える』って何。あれはカタクチじゃないんですか。私もそう思いましたけど」
「カタクチじゃないです」テラは断言する。「というか、あそこ柱状雲じゃないんです。だから魚も、カタクチじゃない」
「は?」
 ダークブルーの瞳が、初めて驚きに開かれた。
「何ですか。柱状雲じゃない?」
「たまたま真横から見ているから柱に見えるだけなんですよ。位置取りの問題です。あれ接近したら多分こう見えます──」テラは二本目の漁獲戦術計画を開き、側面図をぐりっと回して予測平面図を示す。「鰭状雲です。風上に対して柱じゃなくて板になってますよ、きっと」
「鰭状雲!?」
 ダイオードが声を上げて、戦術計画と前方の実景を何度も見比べた。目を凝らして、うなずく。
「そうだ、あれ、鰭状雲だ……よく気づきましたね」
「はい、なんかリズムが変だったので!」
「リズム」
 ちらりと振り向いたダイオードに、テラはうなずく。
「リズムです。一三本がトントントントン、って並んでる。でも柱状雲はカルマン渦だからタントンタントン、って並ぶはずなんですよね。一個おき。滑らかにならない」
「タントンタン」
 ダイオードが平板な口調で、おうむ返しした。テラはあわてて手を振って話を戻す。
「すみません、いいです。つまり言いたいのは、あれは鰭状雲なんで、昏魚はカタクチじゃなくて、真横から見て立群に見える群れ。つまり長幕群を作るタイプの獲物だってことで──うわわっ!」
 話が終わらないうちに船がグンと加速し始めたので、テラは後ろへのけぞってしまった。あわてて「あの!」と声をかける。
「いいですか!?」
「何が」
「魚種!」
「長幕群なんでしょう」考える必要があるのか、と言わんばかりのそっけなさ。「長幕群って、要するにロープみたいな細長い群れがたまたま上下に扁平になったもの。ロープ状の長平群といったらナミノリクチしかいない」
 テラは黙った。自分の見立てと同じだった。それほど難しい推理ではないが、似た候補は他に三つほどあるはずだった。
「そしてナミノリクチだったら──」ダイオードは続ける。「カタクチと違って高速で回遊している。つまり今あそこで動かないように見えている群れは、こっちへまっすぐ向かっているか、向こうへまっすぐ遠ざかってる」
「後者だと思います! どんどん見えづらくなってるので!」
「それ」
 短いひと言に含まれる、満足げな響きを感じた、と思うか思わないかのうちに鋭い挑戦が来た。
「〝追い網は丸坊主〟。どうしますか」
 魚群を追いかける形での漁は不利、という意味のことわざだ。網は、魚の行く手に打つものだ。現在の位置関係は、端的に言ってものすごく悪い。
「曳いて追うのは論外、でも抜けばバレる」
 船が網を広げると、空気抵抗で速度が落ちるので、群れに逃げられてしまう。かといって、いったん回りこんでから待ち伏せしようにも、追い抜くときに気づかれて、群れがバラバラに散ってしまう可能性が高い。
「トロールで下から刺し上げるしかないかな。一刺しで二杯、なんとか三刺し」
「それでもいいですけど、あの──」ダイオードの言葉を遮り、テラは唇を舐めて言った。「群れのすぐ下をかすめて、全速で直進してもらえますか。巻き網やりたいので」
 ダイオードが目を剥いた。三歳児を見るような目だ。
「巻き網」
「はい」
「回遊魚相手に」
「はい」
「群れ、バレますけど」
「大丈夫です」
「へー、どうぞ」
 アホみたいな提案があっさりと通った。それに力を得て、さらに甘えてみた。
「キューまで透かしでひっぱって、キューで一〇杯負荷入れますけど、いいですかね……」
「バカじゃないですか? 好きにすれば」
 とうとう露骨な罵倒が来た。でも提案はやっぱり通っている。テラは喜びに身を震わせる。
「ふへへ、へ、じゃやります。へへ」 
 まともなところがひとつもない会話だった。通常、ナミノリは刺し網とか流し網で獲るし、寝言以外で負荷一〇杯などと抜かすやつはいない。
 今までのお見合い相手たちだったら呆れ返るに違いない、それどころか他にやってる人間を見たことがないような網打ちを、本当にやることになってしまった。
 大気の薄い成層圏をすっ飛んでいた船が、立ち並ぶ鰭状雲を前方に望みながら、気圧高度五万メートルの圏界面を切り裂いて、対流圏に突入する。
 そう、ここは直径一四万キロのガス惑星ファット・ビーチ・ボールの大気圏内で、宇宙空間とは比べ物にならないほど濃密な気体分子に満ちており、なんなら風も嵐も吹いている。
 無害な水の雲や猛毒のヒドラジンの雲やとにかくザラザラする硫黄と赤燐の雲と、その他の大部分を占める普通に呼吸できない水素とヘリウムの風が、時速四〇〇キロで渦を巻く大魔境だ。ブリキ缶みたいな恒星船や惑星船で何も考えずに降りてきたら、ボロボロにやすり掛けされてインテイクには粉が詰まり、大気の底の超臨界状態水素海にぼてくりこかされて一巻の終わりだ。そこは四〇〇〇気圧の見事な地獄で誰も生きては帰れない。
 そうなるのを恐れた初期の周回者は、一〇〇〇トンもないちっちゃな船に、未熟な技術で可変翼を取り付けて、無難な低速で飛ばしたという。そんなのじゃ生きた心地がしなかっただろう。可哀そうにと言うしかない。
 現代の周回者は、礎柱船(ピラーボート)で空に降りる。
 それが昔と今との最大の違いだ。礎柱船は変形する。宇宙空間で太陽発電している最中は扁平型で、デブリの当たる慣性航行では頭でっかちのキノコ型。そして大気圏突入時には鋭い砲弾型の最適空力形態を取る。全長は二〇〇メートル以上、質量はともすれば二〇万トンを越え、最大推力は五〇万トン近いという大怪獣だ。
 その船体のほとんどは、全質量可換(AMC)粘土でできている。
 AMC粘土が何かは中等科巡航生が知っている。とにかく授業中に居眠りしていなければ、聞いていることになっている。詳細な解説が彼ら彼女らの耳から耳へと抜けていくとしても、ひとつの印象的な事実だけは必ず彼らの脳みそに残る。
 それは、デコンパが、粘土をこねるということ。
 魚群までの距離が五〇キロを割った。テラは目を閉じ、深呼吸する。ろくろを回す人のように、胸の前で両手を構え、力を抜いて体液性ジェルの中に浮かぶ。
 精神脱圧(デコンプレッション)。想像を大きく、くっきりと描く。自分の体を包む船体を、広げて、伸ばして、編み上げて、まるで自分の手足のように、自在に揺らし綾なしていく。
「到達一〇秒前」
 ダイオードが言った。後頭部一次視覚野への刺激投射ですべてが見える。全周三六〇度の光学と、そのほか多周波を重複させた映像だ。すでに魚群が解像できる。
 昏魚の姿は紡錘形、剣型、鳥型、ロープ型、袋型、網型などさまざまだ。こいつらは──バターナイフみたいな銀色の剣型。確かにナミノリクチだ。こちらに尾を向けて一散に逃げていく。
 その数はわからない、横断面で二〇〇匹はいそうだけれど。奥行きは一〇〇〇、二〇〇〇かも。
「五、四、三、二、一、リーチ」
 ごうっ、と群れに追いついた。前髪を剃り上げそうな近さで魚群が頭上をかっ飛び去る。それはもちろん錯覚で、一〇〇メートルはマージンを取っているはずだが、でも、ほんとにそうか? 礎柱船、背中で群れを削ってないか?
 そんな刺激に揺らがされることなく、テラは仕事を始めている。
 船体の右と左から抵抗板を一枚ずつ分離。超音速の航行風に叩かれてあっという間に遠ざかる。そいつに強靭な呼び綱をつないである。ボードに曳かせて、網を編み出す。
 そう、デコンパは網を編む──格納してあるものを引き出すのではなく、船体粘土を材料にして、そのとき行う漁に合わせて、その場で網を形成するのだ。目にもとまらぬ紡織速度。
 ピンク色の礎柱船の後ろ半分が、真っ白なレース布のように細かくほどけて広がっていく。
 頭上に翼のような波しぶき。長幕群を形成する昏魚が、駆け抜ける礎柱船に驚いて左右へ跳ねていく。銀の帯を刃物で切り裂いていくような光景だ。あるいはジッパーを一気に開いていくような。
 深い脱圧状態の中で、爽快な光景ににやにやと微笑むテラの耳に、ペアの独り言が届く。
「舵が軽い……まだ刺してないのか」
 その通り、まだ魚を獲っていない。透かしている、網をひろびろと展開しているだけだ。普通の曳航漁業で用いるトロール網ではない。テラがこの場に即して考えだした、前例のない巻き網だ。
 それも、もうすぐ出来上がる。
「展網完了します、キューで昇りインメルマンよろしく、一〇、九、八」
「なるほどね」
 今度は、ダイオードが舌なめずりする気配がした。
 舵取り(ツイスタ)の仕事の時間だった。
「三、二、一、キュー」
「んふ!」
 ズシン、と衝撃が襲いかかった。ダイオードが鼻を鳴らす。デコンパによる漁網形成展張が終了し、牽引が始まったのだ。ツイスタが全制御をハンドル開始。
 礎柱船は上昇しながら旋転し、元来た方角へ戻り始めた。──その尻から、強靭な主綱を引いている。
 四角い広場のように展開した網の上で、バラバラに逃げ散ったナミノリのほとんどが深みへ逃げようとしている。つまり、網全体に、まんべんなく、自分から頭を突っこんでいる。
 その四隅に結びつけられたオッターボードが主綱に巻き上げられていく。
 全質量が礎柱船にかかる。船尾の熱核エンジンが爆光を放つ。テラはデコンプから浮かび上がりながら、負荷の巨大さに気が気でない。
「だ、だいじょぶですか、重さ……」
「一〇杯支えるつもりですよ。それだけ獲るって聞きましたから」
 船の下では、パンパンに膨らんだ網の中で、昏魚の魚体がざわざわと蠢いている。後方にごうごうと噴射を続けるエンジンの光で、雲海がはるかかなたまで赤金色に照り輝いている。構造/燃料共用のAMC粘土が、とてつもない勢いで減っていく。どうも見たことのない光景だと思ったら、このツイスタはノズルを一八個も出していた。一杯、二杯というのは漁獲の単位で、一〇杯といったら百パーセントを意味するから、つまりは本船質量に等しい漁獲を本気で支えるつもりだったらしい。この高度での惑星重力は二Gを越えるので、静止するだけで三五万トン重を噴射する計算だ。
 船底と船尾に生成した一八個のノズルに推力を配分するためには、連立方程式の解きまくりが欠かせないはずだ。網の中の昏魚は風に揺さぶられながら自励振動するせいで、半流体として渦を巻き、高サイクルの制御を要求している。きっとダイオードのコックピットと頭の中は、数字と数字がぶつかり合う計算的大戦争の真っ最中だろう。それはひたすら形象的思惟ばかりが得意なテラにとっては、およそ苦手な分野の仕事だった。いや、テラでなくても、それを簡単だという周回者は少ない。男であってもそうだろうし、ましてや女では稀有──。
 自席を囲んだ扇型の仮想スロットル群を、ダイオードは十指でツイ・ツイとはじき回している。ハイヒールのかかとでコツコツとリズム。ポルカをやるピアノ弾きのように軽やかで楽しげだ。
 テラも、仲間も、誰も見たことのない「女ツイスタ」の、それが姿だった。
 それでも確かに、一ミリの押し引きで一万トン重の推力を加減しているという緊張は、小さな頬の引きつった口の端に窺えた。
 その横顔から、耳を疑うような言葉が流れて来た。
「自重で一〇ギガニュートン食われてる。テラさん、自分が何やったかわかってますか」
「え?」
「何杯獲ったかっつってんですよ」
 計算しなくてもわかった。テラの広げた網は、期待をはるかに超える大量の獲物を抱えこんでしまった。
「一一とか一二とか──」「一八杯ですよ、テラ・テルテさん」
 振り向いたダイオードの瞳は、油膜が張ったようにぎらぎらと潤んでいた。
「あなた、最高です」
 言うと同時に親指を立て、ギッと首を掻き切る仕草をした。
 
「なんでーーーーーーーーーーっ!?」

 載荷投棄のコマンドを受けて、主綱は切断、網が落ちる。
 反動で礎柱船はパーンと吹っ飛んでいき、テラの悲鳴をくるくるとまき散らす。


 ──三〇三年前に、汎銀河往来圏(ギャラクティブ・インタラクティブ)から惑星ファット・ビーチ・ボールへと移住した人々は、まだ生きていた。
 当初二四あったと伝えられる氏族のうち、アクシス、ベイジン、コネクティ・カット、フリック、モシ、シリウス、ウラル、ズールーの各氏族は、衰退して他に吸収された。残っているのはドローン&ドングル、エンデヴァ、ゲンドー、ヘブリュー、アイタル、ジャコボール・トレイズ、キールン、リリシア、ヌエル、オバノン、ポルックス、QOT、ラデンヴィジャーヤ、テグ、ヴァーチュ、シンチンの十六氏族である。それぞれの氏族が拠点となる巨大な氏族船を一隻ずつ建造して、惑星FBBの高軌道六〇〇〇キロを、別々に周回している。
 周回者暦三〇三年、星十二指腸暦八八二九年。残存総人口は三〇万四九〇〇名である。
 船団の初期に決定されたという、各氏族の頭文字を並べると、アルファベットのAからZが、二文字を抜かしてきれいに並ぶ。そうなっている理由は不明だし、名前と氏族のアイデンティティのつながりも今ではもう薄れてしまったが、それでもこの氏族制が、周回者の多様性を保つのに一役買ってきたのは確かだった。平均人口二万人の氏族船が、一六隻。戒律のヘブリューや生物保護のポルックス、議論好きのQOTのように、個性の粒立った氏族もあれば、アイタルやエンデヴァやJTのように、出入り自由でゆるゆるのところもある。
 滅亡を惜しまれている氏族もあれば、よそ様をおおいに困らせた氏族もあった。幸いなことに全船団を二つに割るような大騒乱は、三〇〇年間、一度も起こっていない。だが逆に、人々に繁栄と発展をもたらす大事件も起こっていなかった。船団の最大最後の発明は、AMC粘土を使った礎柱船の建造で、それによる産業体系が完成して以来、周回者はゆるやかな縮小再生産の坂を下りつつあった。
 星系恒星マザー・ビーチ・ボールの活動は安定しており、今も昔も六億八〇〇〇万キロの彼方から控えめな日光を常に送り届けてくれている。今と昔だけではなく、歴史の初めから終わりまで光っているに決まっていた。船団もその薄明かりの中で、今も昔も変わらぬように、白と褐色の大きなボールのまわりを、ぐるぐると回り続けていた。
 しかしそこにいる人々が、みんないつまでも回りたがっているとは限らなかった。
 なぜ回っているのか、わかっているとも限らないのだった。


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続きは発売中の書籍でお楽しみください。
(電子書籍版も同時配信中)

ツインスター・サイクロン・ランナウェイ_帯

『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』
著:小川一水
イラスト:望月けい

人類が宇宙へ広がってから6000年。辺境の巨大ガス惑星では、都市型宇宙船に住む周回者(サークス)たちが、大気を泳ぐ昏魚(ベッシュ)を捕えて暮らしていた。男女の夫婦者が漁をすると定められた社会で振られてばかりだった漁師のテラは、謎の家出少女ダイオードと出逢い、異例の女性ペアで強力な礎柱船(ピラーボート)に乗り組む。体格も性格も正反対のふたりは、誰も予想しなかった漁獲をあげることに――。日本SF大賞『天冥の標』作者が贈る、新たな宇宙の物語!

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