韓国ファンタジイ話題作、イ・ヨンド『涙を呑む鳥1 ナガの心臓』試し読み公開
韓国ファンタジイ界の巨匠イ・ヨンドが贈る、〈涙を呑む鳥〉シリーズ第1作『涙を呑む鳥1 ナガの心臓』(上・下)、好評発売中です。『ドラゴンラージャ』著者としてで日本でも名を知られる著者のもう一つの話題作。「人間」のほか、「トッケビ」(火を自在に操る。陽気でいたずら好き)、「レコン」(鶏冠と嘴を持つ、羽毛に覆われた巨大な力持ち)、「ナガ」(全身を鱗に覆われ、宣りで会話する。南部に暮らす)の四種族が住まう大陸で、どんな物語がはじまるのか。
この記事では、冒頭部分を一部公開します。ぜひお楽しみください。
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本作品には「宣り」という表現が出てきます。本作にはナガという種族が出てきますが、彼らは口から出てくる言葉は使わず、精神的にコミュニケーションを取ります。それが「宣り」です。
他の種族の「話す」と同じ意味を持ち、鍵括弧(「 」)ではなく山括弧(〈 〉)に入っているのが宣りによる会話です。「話す」が「話し」、「話して」、「話せば」と活用するように、「宣り」、「宣うて」、「宣れば」というように活用します。
空を焼き尽くした龍の怒りも忘れられ、
王子たちの石碑も砂土の中に埋もれてしまった、
そして、そんなことどもを誰も気にしない、
生存が、薄っぺらい冗談となり果てた時代に
ひとりの男が砂漠を歩いていた。
第1章 救出隊
三が一に対向する。
──古い金言
それよりもふさわしい名がないという理由で〝最後の酒場〟と呼ばれるそこをめがけて男がやって来たのは、プンテン砂漠の旅人たちが寝場所を求める明け方だった。
それに気づいた酒場のあるじが男を見守り始めたのは、彼が店に到着する1時間前のことだった。いつもならもっと早く気づいたはずだ。広大なプンテン砂漠には視野を遮るものがあまりないから。砂丘がいくつかあるにはあるが、それらもあるじの視野を遮ることはない。なぜなら、〝最後の酒場〟は高さ30メートルの岩塊の上にあったからだ。直径40メートルほどもあるその岩の上の部分は、最後の酒場に完全に占領されていた。そんな風変わりな位置にあるので、あるじはふつう酒場に向かって来る旅人に何時間も前に気づいた。旅人たちはたいがい東か西、または北から来て最後の酒場に泊まり、また東か西、または北へ旅立っていく。
ところが、男は南の方角からこちらへ向かってきていたのだ。あるじがほとんど目を向けない方向だ。それで、酒場まであと1時間の地点まで男に気づかなかったのだ。
ははあ、方角を誤ったな。酒場のあるじはそう睨んだ。方向を誤り、酒場を行き過ぎそうになったのだ。それを、危ういところで店の明かりを目にして方向転換し、こちらに向かっているんだろう──。そうひとり納得し、酒場までの距離をゆっくりと、しかし確実に狭めてくる男のようすをあるじは見守った。時おり飽きて目をよそへ向けたが、他に旅人の姿は見当たらなかった。
黒い固体を連想させる砂漠の空に、少しずつ水色が染み込み始めた。男の姿は今やはっきり見えていた。10分もすれば到着か。そう判断し、あるじは立ち上がった。やかんと茶碗を出しておくか……。
ところが、そのとき何やら妙なものが目に留まった。顔をしかめ、男のほうに目を戻したあるじは気づいた。何が自分の注意を引いたのか。
男の後を黒い線が追いかけている。明るくなった空の下、その黒い線は地平線まで点々と続いていた。あるじは首をひねった。何か重いものでも引きずっているのだろうか。風はたいして吹いていない。よって、男が何か重たいものを引きずっているならば、それがつけた跡に影ができることもあり得るだろう。陽が強く射し始めている時間でもあるし。ラクダが死んじまって、やむなく大切な荷物を引きずって歩いてるのか……? あるじは男の背後を窺おうとした。が、男は膝まである身幅の広い防寒着を身に着けていたので、後ろのほうはよく見えなかった。
ところが、周囲がもっと明るくなったとき、あるじは悟った。自分がどれほど呑気な想像をしていたのか。驚いた彼は、立ち上がった。
男の足の後ろに続く黒い線は、何かの液体が砂に染み込んだ跡だった。しかし、旅人というものはふつう、水をおいそれとこぼしたりはしない。乾いた砂漠の砂さえも吸い込みきれず、赤黒い跡として残っているそれは、血だった。
「ちょっと、あんた……大丈夫なのかい?」
やって来る男は声をかけられて顔をあげた。大きな布で頭と口のまわりを覆っている。小さな砂丘の上に立っている酒場のあるじを見つけた男の手が、肩のほうへと向かう。
「誰だ?」
「あそこの酒場のあるじでさあ。うちに来るところじゃなかったのかい?」
あるじがそう身分を明かしても、男の手は依然、首の後ろに回されたままだ。
「近寄るな。妙な真似をしたら抜く」
「おいおい、やめてくれよ。見ての通り丸腰だよ。盗賊だったら、武装してラクダに乗ってるもんだろ? 俺はあの酒場のあるじだってば。手を貸したほうがよさそうだと思って来ただけさ」
「手を貸す? いったい何をだ? まさか、酒場まで案内してくれるっていうんじゃなかろう?」
何かおかしいと思ったあるじは、また男の後ろを盗み見た。しかし、例の跡が血だということが近くで見た分はっきりしただけだった。あるじの視線を辿って振り返った男は、首を横に振った。
「ああ、あれのことか。気にしなくていい」
「何だって? 気にするな? あんだけ血を流してるのにかい?」
「ああ、俺の血じゃない」
えっ……? あるじが驚いて男の背後に回る。じろじろ眺めまわされても、男はまるで気にも留めない。
男が引きずっていたのは大きな袋のようなものだった。赤黒く染まっているそれが血の道を作り出していたというわけだ。あるじはぶるっと身を震わせると、男の首のあたりに目をやった。防寒服の襟越しに、大きな剣の柄が突き出ている。それを見て取ったあるじは頭をかきむしりたくなった。ああ、なんてこった。この男……巨大な剣を背負い、血が染み出る袋を引きずっている。
「袋の中に入ってるのは何だい?」
「さっきも言ったが、気にしなくていい」
「だって、そいつは血だろう!」
「人間のじゃない」
男はそう言い捨て、あるじには構わずまた歩き出す。そのようすからあるじは見て取った。袋は思った以上に重いらしい。人がふたりは入れそうなその袋は、砂の上にくっきりと跡を残して引きずられていく。険しい目で男の背中を睨みつけていたあるじも、やがて歩き出した。追い越しざまに言う。
「先に行って、準備をしておきますよ」
男は答えなかった。あるじは酒場に向かって駆け出した。もちろん、今言ったことを実行する
ためではない。あるじが考えていたのは、自分の剣をどこにしまっておいたのかということだった。ところが、思い出せない。最後にいつ使ったのかさえも、まったく。どうせ一振りの剣で男に立ち向かう気もなかったあるじは酒場に帰りつくと、階段を上りきったところで声を張り上げ、寝ている家族を呼んだ。
わけがわからないまま駆け付けてきた妻は、剣をどこにしまってあったかと尋ねられ、当惑した。少し遅れて出てきた年若い息子が運よく剣の在り処を知っていた。おお、剣の出番が来たらしい……! 彼は興奮し、勇んで剣を取りに駆けていった。説明を迫る妻を台所に押し込むと、あるじはやかんと茶碗をテーブルの上に出した。
そのとき、男が岩を上りきり、酒場の中に入ってきた。
男は店の中を一度ぐるりと見まわしてから、やかんが置かれたテーブルのほうへ足を向けた。男の後ろには相変わらず例の物騒な袋があり、床に血の跡を残し続けている。あるじはそれを見て眉をひそめた。テーブルに着いた男は防風服を脱いで椅子にかけてから、背嚢を下ろした。そして、手をうなじのほうへ伸ばした。
次の瞬間、あるじの頭から血が滲みだす袋などは吹き飛んだ。
生まれてこのかた見たこともないような剣だった。30センチほどの鍔がついている。鍔が長い理由は明らかだった。長さが120センチはありそうな巨大な刃がふたつ並んでいるからだ。足がくっついて生まれた双生児のような格好の剣だった。
その奇怪な双身剣は、身に着けるやり方も独特だった。男は鉄の輪っかとそれをつなぐ革ひもでできた複雑な装身具を胸の上のほうで締めていた。その左肩のほうには丸っこい肩当てがついており、背中側──うなじから少し下のあたりに鉤型をした金属がついている。男の双身剣は、その鉤にかけるようになっていた。鞘などはなかった。
双身剣をテーブルの上に置くと、男は椅子に座った。そして、頭と口のまわりを覆っていた布をほどき始める。
そのとき、あるじの息子が剣をもって戻ってきた。うまいことに、|目
端《めはし》の利く息子は剣を背後に隠してやって来た。あるじは息子に目配せをし、暗い隅っこのほうに行かせておいて、男に歩み寄った。
「袋に入ってるのが何なのか、教えてもらえるかね」
布をほどき終わった男は、それをテーブルに置いた。汗と砂にまみれ、かっちりと束になって固まった黒い髪がドサリと肩にかかる。何日も剃られていない髭が口のまわりを黒く覆っていた。その見苦しい顔をあるじのほうへ向けた男は、唐突に言った。
「ここが〝最後の酒場〟かな?」
「まあ、そう呼ばれてるね。この先、南の方角にゃ、もう酒場はないからさ」
「ああ、そうだったな」
何気なく聞き流そうとして、男が今言ったことの意味にハッと気づいたあるじは、目を見開いた。
「何をおかしなことを……。南からいらしたってことかい?」
「ああ、そっちから来た」
いっそ、空から降りてきたと言われたほうが信じられる。
「えい、南には何もありゃせんでしょうが」
「キーボレンがある」
「へっ? キーボレン? そりゃあるさ、そいつは。木もうんとこさあるし、獣だってクソ多い。それから、ナガどももいるが……それはつまり、何にもねえってことでしょうが」
嘲るような笑みを浮かべるあるじをしげしげと眺めていた男は、また唐突に言った。
「手紙をくれ」
「へ?」
「ここが最後の酒場なら、ケイガン・ドラッカー宛ての手紙があるはずだが」
あるじは再び目を大きく見開いた。確かにそういう手紙があった。数十日ほど前のことだったか、今にも死にそうにな態で北の方角から歩いてきた大寺院の僧侶から手紙を一通託されていた。ケイガン・ドラッカーに渡してほしいと。オレノールという名のその僧侶は、ここで何日も体を休めてやっとのことで動けるようになり、北へ戻っていった。何気なくうなずこうとして、あるじはハッと我に返った。
「先にこちらの問いに答えてくれないかね。袋に入ってるものは何なんです? あと、南から来たっていうのは、そいつはどういうことなんだい?」
ケイガン・ドラッカーという名の男はやかんを手に取った。あるじがすかさず言う。
「1杯2ニプだよ。このあたりじゃ水は高いんだ。この酒場だって、水が出るからやってられるようなもんでね」
答えもせず、ケイガンは茶碗に水を注ぐ。そして、ようやくあるじの問いに答えた。
「南から来たわけは、プンテン砂漠を横切る距離を少なくするためだ。出発地はカラボラだった。そこから南に進んでキーボレンに入った。それからずっと西に向かい、その後また北に向きを変えて、この酒場に来たというわけだ」
ハッ! あるじは鼻で笑った。ケイガンが何も、いい加減なことを言っているわけではない。プンテン砂漠の東の果てに当たるカラボラは、酒場から200キロ以上離れている。よって、200キロに及ぶ砂漠の旅を避けたければ、彼が言ったように南にぐるりと迂回したほうがいい。プンテン砂漠の南の果てから酒場まではわずか50キロの距離だ。
しかし、それは逆に言えば、キーボレンの密林を200キロほども歩かねばならないということだ。ナガどもがうようよいるキーボレンの密林を突っ切る200キロの旅。同じ距離の海上を歩くほうがはるかに安全と言えるだろう。あるじがそれを指摘しようとしたとき、ケイガンが袋を指さした。
「袋の中身はその旅の、いわば収穫だ。何なら開けてみるがいい。そうすれば、南から来たというのを信じられるはずだ」
あるじは疑わしそうな目をいちど袋に向けてから、またケイガン・ドラッカーを見つめた。しかし、ケイガンは銅片2ニプ分と引き換えに手に入れた水で喉を湿しているだけだった。あるじは注意深く袋を開けてみた。
しばらく後、台所にいたあるじの妻は、身の毛のよだつ悲鳴を耳にし、その場にしゃがみこんでしまった。
*
どんなに空高く飛べる巨大魚ハヌルチも、ここでは地面を見下ろすことは不可能だ。東西南北のすべての地平線まで広がるキーボレンでは。
熱気を含んで重たげにかかっている黒雲は、森のてっぺんにほとんど触れそうだ。斧の刃などいっさい味わったことのないキーボレンの年経た木々は巨大で腹黒い。長いこと無秩序に育った枝々は絡み合ってもはや収拾がつかず、虚空で手をつないだ枝々は、積もり積もった枯葉の重みに耐えかねて撓んでいる。そこへ強風でも吹こうものなら、キーボレンの森の頭の部分から木の葉が空へ噴き上がる。
巨大な木々は、枯れて倒れることもあるが、今少し小さい木々になると枯れてからも絡み合った枝のせいで倒れることもできず、自らの墓標さながら立ち尽くす羽目になる。中には、まわりの兄弟たちに寄りかかって枯れている木々も多く、従って、緑の海を連想させるキーボレンの下の部分には、無秩序に伸びる垂直線と斜線、そして水平線が絡み合い、鳥さえも道に迷いそうな迷路が作り上げられていた。そして、その病んだ精神の生み出す妄想さながらの迷路は育ち、撓み、腐敗しつつ生きているふりをし、時として〝バキバキ〟という音とともに崩れ、砕けた木の皮と葉を四方に舞い散らせる。とはいえ、キーボレンはその日々のほとんどを沈黙の中で送る。その緑のベールの下に暗黒を閉じ込めて。
そこに、冷酷の都市があった。
その名を口にするときは、超人的なレコンも嫌な気分になるところ、快活なトッケビも浮かない顔になるところ、そして、捏造に長けた人間は自らが付けた〝沈黙の都市〟という名で呼びたがるところ。しかし、そこは冷酷の都市であり、自らを証明する根拠として他人の称揚や呪詛を要しない偉大な業績のうちでも最も偉大なもののひとつだ。
ハテングラジュ。
無限に広がるキーボレンの緑の密林の中、ハテングラジュは寂しげな白い島のように見える。しかし、その白い島は、中央に聳える高さ200メートルの心臓塔がさほど高く感じられないほど広大な大都市だ。まっすぐに伸びた大通りの左右には荘厳な建物が威容を誇り、建物よりもしばしば目につく広場はナガが奪取した戦利品で飾られている。限界線以南にあるナガの他の都市にもここと同様、高い心臓塔が聳え、美しい建築物が立ち並んでいる。が、本質的にこの偉大な都市ハテングラジュを模したものに過ぎない。
この美しい都市──その他の模造都市もそうだが──は、ふたつの点で他種族の都市と大きく異なる。まず、ここには音というものがない。それから、夜を退ける光も。ナガたちはいっさい音をたてず、幽霊のごとく行き来する。白い列柱の間を縫い、回廊を通り、広場を横切り──。声も歌も、どこからも聞こえてこない。
それで、リュン・ペイが口を開いたとき、ファリト・マッケローは強い衝撃を受けざるを得なかった。
「どんな気分なんだろうな。心臓を抜かずに生きるっていうのは」
トッケビの一個軍隊が背後を行進していても気づかないナガの聴力だが、ハテングラジュの尋常でない静けさのおかげでファリトは友の言葉を聞き取った。ファリトは戸惑い、友の無礼を詰ることも思いつかなかった。
〈心臓を持ったままで生きる? それは、毎日毎日死を怖れて生きるってことさ〉
リュン・ペイはファリトの宣りがひどく混乱しているのを感じ取った。それで、リュンは口を噤んで宣うた。友をこれ以上困らせたくなくて。
〈毎日、自分が生きてるって実感できる。そういうことにもなるよね〉
そう宣ると、リュンは右手を胸に当ててみせた。同じようにすれば、ファリトにも感じられたはずだ。自分の胸で脈打っている心臓の鼓動が。けれど、ファリトはそんなことはしなかった。この上なく恥ずべき行為だからだ。
〈リュン、まさかそんなことしないよね? 他の人の前で〉
〈そんなことって?〉
〈胸を触ったりさ。ダメだよ、そんなことしちゃ。無礼な振る舞いだ〉
言い方が少しきつすぎたか。そう思い、ファリトは付け加えた。
〈まあ、十日後にはもう……しなくなるだろうけどさ〉
リュンは右手をおろすと体の向きを変え、ハテングラジュの中心部に目をやった。そこには心臓塔が、ハテングラジュのいちばん高い建物の数十倍の高さを誇っていた。それを眺めるリュンの瞳に嫌悪と恐怖の色が混ざり合う。露台の手すりをつかんだ彼の手は、かすかに震えてさえいた。
ペイ家の邸の露台に立つリュン・ペイと彼の友人ファリト・マッケローは同い年だ。22歳という彼らの年齢は、ナガの社会ではまだ大人ではない。でも、10日後──シャナガ星が月の後ろに隠れるその日に彼らは心臓塔に呼ばれる。
そこで彼らは胸を切り開かれ、心臓を取り出されるのだ。
〈嫌だな……。ねえ、ファリト〉
〈大丈夫だって。いいかい、リュン。摘出式の最中に死んだナガはいない。ただのひとりもだ。事故が起きるとか、毎年ひとりかふたりは入ったきり出てこないなんていうのはみんな、子どもを怖がらせるための作り話さ〉
ファリトの宣りには思いやりがこもっていた。しかし、リュンの顔は暗い。
〈事故が起きるんじゃないかって怖がってるんじゃないよ。僕はね、心臓を取り出すってこと自体に抵抗があるんだよ〉
ファリトは驚いた。
〈なんでだい、リュン。不死になるのが嫌だって言うのかい?〉
〈不死じゃないだろ〉
〈じゃあ、半不死って言っとこうか。ともかく、それがたいしたことじゃないって宣るのかい? どんな敵の攻撃だって怖れる必要がなくなるんだよ。それは大変なことだろ?〉
〈敵? ナガの敵がどこにいる? 限界線の南にナガの敵はもう存在しないよ。それに、僕らは限界線を越えて北上することもないし。いったいナガを脅かす敵がどこにいるって宣るんだい?〉
リュンの宣りは激しかった。ファリトは冷静に説明することにした。
〈もちろん、僕らは限界線の北の、あの寒い土地に行ったりはしない。でも、彼ら──熱い血の流れる不信者どもは、限界線を越えて南下してくるかもしれないだろ。彼らは穀物を食べる。だから、怖ろしく数が多い。けど、僕らは彼らみたいに数を増やすことができないからさ、不死の体は不信者どもから僕ら自身を守るナガの武器なんだ〉
「彼らが南下してくる!?」
リュンは叫んだ。また肉声で。
「どうやって! 人間の馬は、僕らの森じゃ一歩も進めない。あの巨大なレコンだって、思い通りに動けもしない。だいたい、彼らはみんな熱を視ることができないじゃないか。夜が訪れないようにする能力でもあるならともかく、あの不信者どもがどうやって僕らの森に入り込むっていうんだ!」
リュンは、怒ったハヌルチのように叫んだ。まるで不信者でもあるかのように言われて不本意だったが、ファリトはぐっと堪えて穏やかに宣うた。
〈じゃあ、トッケビはどうかな?〉
ナガの不倶戴天の敵を持ち出され、リュンは押し黙った。馬に乗り、穀物を食べる人間も、岩を砕き、空を飛ぶレコンもナガは怖れない。だが、トッケビの場合は少し違う。ファリトは、ナガならば知らない者のない事実を冷静に宣うた。
〈ナガの大敵はトッケビ。そういう言葉があるだろ。僕らはトッケビも、あの忌まわしいトッケビの火も視分けられない。そりゃ、彼らは熱を視る能力はないよ。けど、僕らだって、彼らを視ることはできないんだ。それに、トッケビの火。あれはナガの美しい森を一瞬にして灰にしてしまえるんだ。ペシロン島やアキンスロウ峡谷を思い出してごらんよ〉
〈それはごくごく例外的な事例だろ。トッケビは基本、戦争を好まない。お遊びか何かとみなして面白がらない限りね〉
〈うーん、でもさ、それってあり得るんじゃないかな。僕が思うに、あいつらのお遊びには限界ってものがないからね。実際どうかはわからないけど、世界が滅亡するって知らせを聞いたら、僕はこう思うだろうよ。ああ、どこかの自制力に欠けるトッケビがついにやらかしたかって〉
友のおどけた宣りは、さしものリュンさえ微笑ませた。
〈トッケビがらみの笑い話だったら、僕だっていくつか知ってるよ、ファリト。そして、トッケビに関してはその笑い話以外聞いたことがない。トッケビが脅威になるってこともね。もちろん、彼らは僕らの目を眩ませる唯一の存在だ。でも、同時にあいつらは、戦争に何の関心も示さない唯一の不信者でもある。ということは、トッケビだって、僕らが心臓を持たない生物として生きなければならない理由にはなり得ない。そういうことだよね〉
〈広い世界には、僕らがまだ知らない敵がいるかもしれないさ〉
〈ああ、もちろんいるさ。敵は存在する〉
(つづきは書籍でお楽しみください)
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本書については、こちらの記事もご覧ください。
・『ドラゴンラージャ』著者イ・ヨンドによる新ファンタジイ『涙を呑む鳥1 ナガの心臓』発売!
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