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いよいよ28日から開催! キツすぎる練習で意識が飛んだこともあった――いよいよやってきた、師匠に優勝報告する日

『グランプリ』(高千穂遙)第1章冒頭掲載、第7回目の更新です。今回で更新は最後になります。物語はここからが本番! 続きはぜひ書籍でお楽しみください。


グランプリ

第一章 日本選手権競輪(承前)
 
      7 
 
 記者会見が終わった。
 共同インタビューがおこなわれたインタビュールームだ。集まった記者たちが、いっせいに引き揚げていく。
 だが、瀬戸はまだこの部屋に留まらないといけない。このあと優勝者への個別インタビューがある。
 まずCS放送のカメラがセットされた。競輪専門チャンネルの番組だ。インタビューアーは、自転車世界選手権プロスプリントを十連覇したかつての名選手、野中一慶(のなかいっけい)である。いまはスポーツ評論家として、多方面で活躍している。
「師匠にいい報告ができるね」
 野中が言った。小倉(こくら)競輪場に所属していた野中は、現役時代に何度も清河と連携している。
「ありがとうございます」
 瀬戸は頭を下げた。
 つぎにきたのが、BS放送の番組クルーだった。毎週放送されている自転車競技番組だ。この番組は以前、清河道場まで取材にきたことがある。女性キャスターが、瀬戸の話を聞いた。小さなモニターで録画映像を見ながら、レースを振り返った。このとき、はじめて実感が湧きあがってきた。間違いなく、瀬戸は勝った。ダービー王になった。
 最後は雑誌の取材だった。けいりんキングである。インタビューをするのは、編集長の赤倉達也だ。ベテラン記者の早坂潔(きよし)がカメラを構えている。そのうしろには、松丘蘭子もいる。瀬戸と目が合い、小さくおじぎをした。きょうの蘭子はデジタル一眼レフカメラを手にしている。早坂の補佐という感じだ。
「やりましたね」
 赤倉が言った。
「やりました」
 瀬戸はうなずいた。
「田端(たばた)さんからメールがありました」赤倉はつづけた。
「清河さん、こっちにきちゃったみたいですよ」
「え?」瀬戸の顔色が変わった。頬がひきつり、声もわずかにうわずった。
「嘘でしょ」
 田端秀勝(ひでかつ)は瀬戸の弟弟子(でし)だ。A級1班の選手で、いまはレースが入っていない。たぶん、地元にいる。退院した清河につきそっている可能性は十分に高い。
「昼前に届いたんです。これから大将が東京に行くと言っているって。それ以降は、こっちが問いあわせても、返事がありません」
「昼前ですか」
 瀬戸の表情が、もとに戻った。
 たしかに、あの師匠だ。弟子がGⅠで優出したとなれば、怪我を忘れ、本場まで応援に行くと言いだしかねない。
 だが、いまに至るも、清河の姿はどこにもない。きたという話も伝わってきていない。
 時計に目をやった。午後六時二十五分。清河は飛行機嫌いだ。東京にくるのなら、新幹線だろう。となると、昼に広島をでたのでは決勝レースに間に合わない。
 家族か田端が師匠を止めた。
 たぶん、そんなところだ。腰の打撲で、新幹線の座席に四時間以上すわりつづけるのはむずかしい。肩の脱臼もあるから、横になることもできない。誰もが無理だと思う。ドクターもそんな暴挙は許さない。スタートに間に合わないのだから、おとなしく自宅で静養してましょう。瀬戸がその場にいたら、必ずそう言う。それは田端も同じだ。
「はじめてください」
 赤倉に向かい、瀬戸は言った。
 二十分ほどで、インタビューは終わった。読者プレゼント用のサインも、ウェアと色紙に書いた。
 これで、優勝に伴うすべての儀式が完了した。
 瀬戸は宿舎に行き、スーツに着替えて検車場に戻った。手にしているのは、もちろんブランドもののキャリーバッグである。
 検車場は、がらんとしていた。もう検車員も選手も、ほとんど残っていない。ガードマンが数人と、執務員が何人かいるだけだ。
 しかし、瀬戸があらわれると、どこからか記者たちが集まってきた。まだコメントがほしいらしい。
 ピストを自分のハードケースの横に持ってきた。ピストはすでに入念な手入れがなされている。仲間がやっておいてくれた。瀬戸はピストを分解し、それをハードケースの中に納める。その間も、記者たちは質問をしつづける。写真も遠慮なく撮影する。
 最後は雑談になった。すでに七時半だ。きょうは九時から六本木で祝勝会をやる。仲間がもう店を押さえていて、準備をととのえている。そろそろ行かなくてはならない。
 ハードケースにカバーをかけ、宅配便に預けて、記者団と別れた。
 選手管理室に向かう。
 そこで、預けてあった携帯電話を受け取った。
 コートを着て、キャリーバッグを引きずり、選手宿舎棟の外にでる。タクシーは選手管理に手配してもらった。ほどなくくるはずだ。さすがにもう、出待ちのファンの姿もない。
 瀬戸は、携帯の電源をオンにした。六本木の先遣隊から連絡があるはずだ。
 着信音が鳴った。メールの着信音だ。電源オフの間に何通か届いている。いつものことだ。きょうは、たぶんお祝いメールもたくさん入っているはずだ。
 チェックした。
 キーを打つ手が止まった。
 メールの送信者は田端秀勝だ。件名に「東京駅に着きました」と記されている。
「あの馬鹿……」
 つぶやきながら、瀬戸はメールの本文を読んだ。
 大将が行くと言い張って制止できなかった。病院で車椅子を借りて、自分が一緒についてきた。これからタクシーで立川に向かう。
 そういう内容だった。発信時刻は六時十八分。
 タクシーがきた。反射的に目を向ける。迎車の文字が見えた。自分のために手配されたタクシーである。
 瀬戸の前で、タクシーが止まった。ドアがひらく。ためらうことなく、瀬戸は財布から一万円札をだした。
「すまん。急用ができてしまった。乗ることができない。こいつで勘弁してくれ」
 運転手に一万円を渡した。その金額に、運転手のほうがかえって恐縮した。
 ドアが閉じ、タクシーが動きだす。瀬戸は、それを見送る。
 さて、どうするか。
 待つほかはない。師匠がここに向かっているというのなら、瀬戸はもう動けない。衿(えり)を立て、コートの前を合わせた。きょうは前検日ほど冷えこんではいない。
 ヘッドライトが見えた。屋根の上で、社名表示灯も光っている。タクシーだ。
 止まった。助手席のドアがあき、男がひとり飛びだした。車体後部にまわる。トランクがひらいた。車椅子をだして、男はそれを路上で組み立てた。そのあいだに、後席のドアもひらく。
 瀬戸はキャリーバッグを放りだして、タクシーに駆け寄った。
 後席のドアの前に立った。
「よお」
 シートに腰を置く清河一嘉と目が合った。
「優勝、おめでとう」
 清河は言った。
「用意できました。いま、そこから降ろします」
 タクシーの脇に車椅子をセットした田端が、瀬戸の肩ごしに声をかけた。
「手え貸してくれ」
 清河が言い、腕を伸ばしてきた。
 抱きかかえるようにして、瀬戸は清河のからだを車椅子の座面に乗せた。田端が金を支払い、タクシーはその場から去っていった。
「まったくむちゃなマネを」
 膝を折ってかがみこみ、瀬戸は清河の顔を覗きこむように見た。
「けっ、あいかわらずふざけた頭だな」
 清河はあごをしゃくった。瀬戸の髪型に、清河はいつも文句を言っていた。茶色に染めたのも、ソフトモヒカンも、気に入っていなかった。
「先輩。ダービー王、おめでとうございます」
 田端が横にきた。握手を求めている。
「ああ」
 立ちあがり、瀬戸は田端の右手を握った。
「祝勝会、やるんだろ」
 清河が言った。
「やりますが、まさか」
「そのまさかです」田端が言った。
「レースに間に合わんのなら、祝勝会だと怒鳴って、ここまできてしまったんです」
「師匠」
「仕方がないだろ」清河は肩をすくめた。
「一生に一度のことかもしれんのだから」
「タクシー、呼び直しましょうか」
「いや」田端の言葉に、清河はかぶりを振った。
「おまえ、車椅子を押してくれ、大通りにでて、そこで拾おう」
「自分が押します」
 瀬戸が車椅子の握りに手をかけた。
「だめだ。石は俺の前を歩け」
「え?」
「きょうは、俺がダービー王のハコをまわるんだ」
「…………」
 なるほど。そういうことか。
 瀬戸は得心し、黙って清河の前に立った。先行選手の真うしろにつく、いちばん有利な位置。それがハコだ。瀬戸は、ついにレース本番で清河に自分のハコをまわらせることができなかった。
 歩きだす。田端が車椅子を押した。
「ジャンが鳴らねえなあ」
 清河がぼそりと言った。

※続きはぜひ書籍でお楽しみください!

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