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北上次郎氏による『われら闇より天を見る』書評を先行掲載。「これは、運命と戦う十三歳の少女の物語である」

ミステリマガジン11月号(9/25発売)より先行掲載
北上次郎氏による『われら闇より天を見る』書評


『われら闇より天を見る』
クリス・ウィタカー/鈴木恵訳
装画:agoera
装幀:早川書房デザイン室

 8月17日発売の早川書房が今年もっとも推すミステリ『われら闇より天を見る』。その書評を北上次郎氏にお書きいただきました。9月25日発売の『ミステリマガジン2022年11月号』に掲載となるこちらの書評を、先行公開いたします。


 ダッチェスの圧倒的な個性にくらくらだ。
 この十三歳の少女ダッチェスは、一度も泣いたことがない。泣いたら負けだ。母親のスターが救急車で運ばれる冒頭のシーン。近寄ってきて、「死んだの」と声をかけてきた地元の人間に、「おまえこそ死ね」とダッチェスは言う。病院2階の、明かりを落とした家族室に入ると、五歳の弟ロビンに「おしっこ行く?」と尋ね、ロビンが頷くとトイレに連れていく。歯みがきをみつけたので指さきに少し絞り出し、歯と歯ぐきをこすってやる。「置いてかないでね」「置いてかないよ」「ママは助かる?」「うん」。すぐにロビンは眠ってしまう。ダッチェスはドアの前に立つ。誰も入れないつもりだ。ここから、この長編は始まっていく。哀しい冒頭だ。十三歳の少女の、強い覚悟が伝わってくる冒頭だ。
 ダッチェスは戦士だ。「おまえんちのお袋、またやらかしたってな」と声をかけてくる生徒をにらみつけると、「あたしは無法者のダッチェス・デイ・ラドリー」「こんどうちの家族のことを口にしたら、首を斬り落とすからな、このチンカス」と言い放つ。
 これは、運命と戦う十三歳の少女の物語である。ほかにもいろいろな要素のある小説を、そう断言しては正確ではないのだが、いちばん印象の強い部分を取り上げればそういうことになる。三十年前に幼子をひき殺して収監された男ヴインセント・キングの、懺悔の人生の記録であり、その幼なじみでいまは警察署長になっているウォークとの友情(十歳の夏休みに二人で海にいく回想がきらきらと光っている)が物語の底を流れる小説であり、さらにこの二人が付き合っていた女性たち、スターとマーサ、十五歳の彼らの、たった一度の青春がまぶしく語られていく小説でもある。
 それから三十年たって、スターは飲んだくれ、キングは刑務所にいて、マーサは弁護士、ウォークは警察署長と、みんな別々の人生にいる。キングは出所してきて、新たな事件が起きて、その犯人探しにウォークが奔走するというかたちで展開していくから、もちろんこれはミステリーでもある。村人たちはみんな怪しく、それぞれの事情が隠されているようで、英国推理作家協会賞最優秀長編賞(ゴールドダガー賞)を受賞しているように、読みごたえは十分だ。
 しかししかし、読み終えてみると、たった一人で世界と戦う少女ダッチェスの姿が残り続ける。冒頭近く、ロビンにホットドックをつくってあげるためにパンとソーメージを買い、そのあとダイナーに寄って何か注文すればただでもらえるケチャップの小袋をひとつだけ手にして出ようとするシーンがある。それを目撃した同級生が大声で「ケチャップをもらうには何かたのまなくちゃいけないんでしょう」と言うので小袋を戻してロビンの手を掴み店を飛び出す。おお、このあとを引用するだけで目頭が熱くなる。ふたりはだまりこくったまま静かな通りを選んで歩くのである。するとロビンが「ソースなんていらないよ」と言うのだ。「なくたっておいしいもん」
 私、泣き虫なので、これだけでダメだ。
 この挿話自体はすごく些細なことにすぎないが、これはダッチェスを襲ってくる過酷な運命を象徴するエピソードのひとつにほかならない。ネタばらしになるので詳しいことは書けないが、ダッチェスは追ってくる者から逃げなければならない。誰も助けてくれないのだ。彼女はひとりで弟ロビンをまもらなければならない。その比類ない孤独が胸を打つ。大丈夫かダッチェス。心が折れないかダッチェス。
 たった一人で世界と闘うヒロインは美しい!

【書誌情報】

■タイトル:われら闇より天を見る
■原題:We Begin at the End
■著訳者:クリス・ウィタカー/鈴木恵訳 
■定価:2,530円(税込) ■ISBN:978-4-15-210157-0
■判型:四六判並製

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