三人

フランス文学最高峰ゴンクール賞受賞作『三人の逞しい女』(マリー・ンディアイ/小野正嗣訳)訳者あとがき

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三人の逞しい女』マリー・ンディアイ/小野正嗣訳

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今回は、フランス文学最高峰のゴンクール賞を受賞した傑作小説『三人の逞しい女』をご紹介します。父に捨てられた弁護士のノラ、移住先で教師の職を捨てなければならなかったファンタ、夫を失ったカディ・デンバ。三人の女たちの絡み合う生を通した先に見える「逞しさ」とは何か。芥川賞作家である訳者の小野正嗣さんによる訳者あとがきから、本書の魅力を探っていきましょう。

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訳者あとがき

                                                                  小野正嗣

 現代フランス文学の旗手と言ってもよいマリー・ンディアイを語る際には、その早熟ぶりがよく引き合いに出される。なにせ最初の小説Quant au riche avenir (『豊かな未来について』、未訳)を刊行して作家デビューしたのは17歳の高校生のとき。しかも版元は、サミュエル・ベケットやクロード・シモンの版元である名門ミニュイ社なのだ。

 華々しいデビューを飾り、その才能を称賛されつつも、書き続けることができずに舞台から去っていく書き手も多いが、ンディアイの場合は、その後もほぼ2年に1冊のペースで着実に長篇小説を刊行していく。非常に洗練された息の長い文を紡ぎながら、リアリズムとおとぎ話的な幻想性が混じり合う独特の世界を描き出す作風は、ときに難解と受け止められることもあり、ある意味で、読者を選ぶ書き手だったかもしれない。しかし、2001年には『ロジー・カルプ』(拙訳、早川書房)で、フェミナ賞を受賞して着実に読者層を広げていく。そして、ついに2009年、フランスでもっとも歴史があり、もっとも重要な文学賞であるゴンクール賞を受賞する。その受賞作が本書『三人の逞しい女』である。

 ゴンクール賞は基本的には長篇小説に与えられるものだが、この作品は、たがいにゆるやかにつながる三つの中篇小説を収めた連作集として読めなくもない。というのも、本書を構成する三つのパートのそれぞれが独自の主人公を持っているからだ。

 第1部は、アフリカ出身の父とフランス人の母を持つ女性弁護士ノラの物語である。パリに暮らすノラは、長年連絡のなかった父からの求めに応じて、彼が暮らすアフリカの国(国名は作中で明記されていないが、そこに出てくるグラン゠ヨフなどの地名からセネガルであると推測される)を訪れる。そこで、両親が離婚した際に、父が一緒にアフリカに連れていった弟が、ある犯罪によって、きわめて困難な状況に置かれていることを知らされる。弟は何をしたのか。そして、かつての裕福な身分からは想像できないほど落ちぶれた生活を送っている父の身に、いったい何が起きたのか。

 第2部では、ルディ・デスカスという、フランスの片田舎でキッチン設備の会社に勤める元高校教師の男の物語が語られる。『三人の逞しい女』というタイトルからは少し意外な感じがするかもしれないが、ルディの物語の中心にあるのは、彼とファンタというアフリカ系の妻との関係である。しばらく前から二人のあいだはぎくしゃくしており、ある朝、ルディは妻に対して言うべきではなかったことを口走る。どうしてそんなことを言ってしまったのかと後悔しながら、ルディは二人の過去を回想する。読者の目の前で、ルディとセネガルのダカールから来た妻とのあいだに何が起きたのか、そしてルディが自分の人生に苦い挫折感を覚えているのはどうしてなのかが、次第に明らかになっていく。

 第3部の主人公は、カディ・デンバという若い女性だ。夫と死別した彼女は、同居していた義理の家族に厄介払いされ、フランスに渡ることを余儀なくされる。フランスには「いとこのファンタ」が暮らしており、教師である彼女は何不自由ない暮らしを送っているはずだから、彼女を頼りにすればよいのだ、と。しかし、パスポートもなければビザもなく、わずかな金と、いわば風呂敷一包みの荷物しか持たない赤貧の彼女が、どうすればフランスに渡ることができるのか。そこからカディの苦難に満ちた旅が始まる。

 先に指摘したように、これら三つの物語はゆるやかにつながっている。第3部の主人公のカディは、おそらく第1部で弁護士のノラが父の家で出会う18歳の使用人の少女「カディ・デンバ」であろう。そして第3部で、カディの義母が言及する「いとこのファンタ」は、第2部の主人公ルディ・デスカスの妻のファンタであることもまた間違いない。そればかりではない。ノラの父に巨額の富をもたらしたのはリゾート経営──彼は、ダラ・サラームという土地にあった放棄された「ヴァカンス村」を買収し、その経営に成功する──なのだが、このヴァカンス村の事業に着手したのが、ルディの父アベルであったことが、その計画の放棄の理由とともに第2部で明らかにされることになる。

 三つの物語をつなぐのは、そうしたいくつかの細部の呼応だけではない。一読してすぐに気づくのは、鳥の存在である。どの物語にも必ず鳥が出てくるのである。そしてまた、三つの物語のどれも移民や難民といった主題と何らかの関わりを持っている。ノラの父はフランスへの移民だったし、ファンタもまたフランスに移民として暮らしているし、カディはほとんど難民のような状況に置かれてフランスを目指す。

 移民にせよ難民にせよ、彼ら・彼女らは、よりよい生活──安全で自由で、より多くの可能性に開かれた社会──を求めて故郷をあとにしてきた(あとにせざるを得なかった)人たちでもある。移民や難民が出てくる小説において、その翼によって自由や広大な世界を象徴する鳥が重要な役割を果たすのは当然といえば当然なのかもしれない。

 すぐれた作家の想像力はときに現実に先行するものだ。本書には、シリア内戦の激化を受けて生じた2015年のヨーロッパ難民危機を、なかでも、命の危険を冒してまでヨーロッパを目指す移民や難民の置かれた境遇を、予期していたのではないかと思える描写がいくつもある。

 現在、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアといったヨーロッパの国々にとって、移民や難民をどのように受け入れていくのかという問いは、これまで以上に緊急の課題となっている。そのような今日的な文脈のなかで本書を読むとき、ンディアイ自身がたとえこうした問題について何も語っておらずとも、たとえば第3部のカディの物語から感じ取れるように、マリー・ンディアイという作家は、難民危機という未曾有の出来事をめぐる報道においては名も顔もない群衆として捉えられがちな移民や難民の一人ひとりに、人間としての尊厳を回復させ、その固有の物語──それがどんな苛酷なものであれ──を語らせようとしているように見えなくもない。なにせンディアイは、2007年、内務大臣時代に厳しい移民政策を取ったニコラ・サルコジが大統領選挙に勝利すると、サルコジ政権下のフランスに住み続けることを嫌って、夫の作家ジャン゠イヴ・サンドレと本書が捧げられた三人の子供たちとともに、家族でベルリンに移住した人なのだ。

 セネガル人の父とフランス人の母を持つという多元的な背景を強調されることを頑なに拒絶してきたンディアイは、じじつ、プルースト的な伝統に連なると称されもする華麗な文体を駆使するその高度な文学性が高く評価されてきた。しかし、本書を読めば明らかなように、彼女が追求している「文学」は、同時代の政治的な問題とは無関係ではないように見える。ンディアイにおいては、美的な探求は政治的な問いを決して排除しないのである。

 それにしても、『三人の逞しい女』とは不思議なタイトルである。三人の女性たちは、ノラも、ファンタも、カディも、「逞しい」という形容詞が喚起するイメージからはほど遠い女性たちだ。むしろ彼女たちは、悩み、悲嘆に暮れ、疑念に駆られ、騙され、無力な怒りに苛まれ、ときに辱められている。なのに、どうしてンディアイは彼女たちのことを「逞しい」と呼ぶのだろうか。

 彼女たちの誰もが、移民か、移民に出自を持つ女性だという事実は示唆的である。移民社会と言われるフランスでさえ、異なる背景を持つ者たちが共生することは難しい。異なる出自を持つ人々のあいだにはつねに疑念や迷いや無理解や敵意が生まれ、ときには血の流れる激しい対立や不和が生じている。しかし、それでもなお、遠いところからやって来た者たちとともに生きることを諦めてはいけない──そう三人の女性たちは、言葉ではなくその存在のありようそのものによって示しているように思える。なぜなら、もし彼女たちの生き方に共通点があるとすれば、それは、わかりやすく単純な正解を性急に求めようとするのではなく、むしろ正解などどこにも見当たらない不確実や不可解な状況をひたすら耐え続けるという態度だからだ。イギリスの詩人キーツであれば「消極的能力(ネガティブ・ケイパビリティ)」と呼ぶであろう、そのような生きる姿勢こそが、この忘れがたい三人の女性たちの持つ「逞しさ」なのかもしれない。

 以下にンディアイの主要小説作品のリストを記す。

 ・Quant au riche avenir, Minuit, 1985.
 ・Comédie classique, P.O.L, 1987.
 ・La Femme changée en bûche, Minuit, 1989.
 ・En famille, Minuit, 1991.
 ・Un temps de saison, Minuit, 1994.
 ・La Sorcière, Minuit, 1996.
 ・Rosie Carpe, Minuit, 2001.『ロジー・カルプ』(拙訳、早川書房)
 ・Tous mes amis, Minuit, 2004.『みんな友だち』(短篇集。笠間直穂子訳、インスクリプト)
 ・Autoportrait en vert, Mercure de France, 2005.
 ・Mon cœur à l’étroit, Gallimard, 2007.『心ふさがれて』(笠間直穂子訳、インスクリプト)
 ・Trois femmes puissantes, Gallimard, 2009.『三人の逞しい女』(拙訳、早川書房)本書
 ・Ladivine, Gallimard, 2013
 ・La Cheffe, roman d’une cuisinière, Gallimard, 2016.

 本書の刊行にあたっては、『ロジー・カルプ』の刊行のときと同様に、早川書房編集部の山口晶さんにたいへんお世話になった。訳稿の完成が遅れに遅れて、ずいぶんご迷惑をおかけした。山口さんはきっと幾度となく天を仰ぎたくなったにちがいないが、それでも終始変わらず、いやな顔ひとつせず、寛大に、緻密に、そして飄々(ひょうひょう)とサポートを続けてくださった。この場を借りて、心から御礼を申し上げたい(そして深く陳謝いたします)。そのほか、校閲やブックデザインなど、訳者の目には見えないところで、この訳書に携わってくださったすべての方々に心から感謝したい。本当にありがとうございました。

2019年4月
                                小野正嗣

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マリー・ンディアイ/小野正嗣訳
『三人の逞しい女』
本体価格2900円+税 早川書房より好評発売中




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