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「今年こそはコミケへ行くよ」——文明崩壊後の部活SF『コミケへの聖歌』試し読み

第12回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作、カスガ『コミケへの聖歌』の試し読みを公開します。文明崩壊後の僻村で、伝説とされる《コミケ》を夢見る少女たちの物語。ポストアポカリプス部活SFの傑作です。 

カバーイラスト:toi8

1

 荒廃した世界のはずれにあるイリス沢集落地の、そのまたはずれの森の中に、われらが《イリス漫画同好会》の部室はあった。

 もともとは旧時代に建てられた農具倉庫で、旧文明が終末を迎えたあとは使う人もなく、風雨にさらされるままに放置されていた建物だ。わたしたちが発見したときはほとんど倒壊寸前で、屋根も壁も穴だらけだったが、今年の春にわたしたち四人はその遺跡を修繕して、〈部室〉として使うことに決めた。屋根の穴をふさぐのにうってつけのトタン板は、森の奥の別の遺跡から剥ぎ取ってきた。素人大工では塞ぎきれない羽目板の隙間には、アサダの樹の皮をぎゅうぎゅう詰め込み、旧時代のアニメ雑誌から切り取ってきたポスターを貼って風を防いだ。

 それだけの手間をかけてまで部室が欲しかった第一の理由は、〈部活〉には部室が必要だったからだ。マンガの中で部活をやる登場人物たちは、みんな〈部室〉という俗世間からの避難所を持っていた。そして、わたしたちにとってマンガ内の描写は、なにをおいても厳守しなければならない信仰箇条のようなものだった。

 第二の理由は、その小屋がわたしたちだけの「部屋」だったからである。集落内に自分専用の個室を持てるような女の子はいなかったし、たとえ四分の一ずつわかちあわねばならないとしても、そこは、わたしたちが自分だけの時間を過ごせる聖域だったのだ。

 荒廃した世界の片隅のそのまた片隅で、わたしたち四人は結構楽しくやっていた。マンガがあったからである。三十年続いた暗黒期に、マンガは他の書物と一緒に大部分が焼却されていたが、なにぶんにも発行部数が膨大であったため、森の中に埋もれた旧時代の住居跡を丹念に探せば、焚書をまぬかれたものがそこそこ見つかった。そうやって集めたマンガの単行本が、部室には百冊近くも溜め込んであった。

 残念ながら、発掘された単行本は全巻がそろっているとは限らず、しばしば肝心な巻がごっそり欠けていた。奇跡に近い偶然に頼る以外に、欠けた巻を積極的に入手する手段はなく、いくつかの物語の発端や途中や結末は永遠の謎のままであった。

「あたしらで足りない巻を描こうよ、ゆーにゃ」

 あるとき、幼なじみの比那子ひなこがそう言い出した。最初は冗談だと思った。髪の毛のように細い描線に、目に見えないほどこまかい点で表現された中間色。紙面は古びてぼろぼろになってはいても、想像もつかない技術と道具の産物なのは明らかである。到底わたしたちの手に負える代物とは思えなかった。わたしがそう指摘すると、比那子はこう答えた。

「こんなの簡単だよ。紙の上に四角描いてさ、中に絵を描くだけじゃん」

 その紙を手に入れるのがひと苦労だった。筆記に耐える白紙は貴重品となっていた。最終的に、比那子がナグモ屋敷の土蔵から三十冊の未使用の帳面をひそかに持ち出してきた。旧時代には金銭出納簿として使われていたノートらしく、黄ばんだページの上に青い罫線が引かれ、「摘要」だの「支払」だのといった文字が印刷されていたが、そんなことは誰も気にしなかった。ペンの方は削って尖らせた葦の茎やカラスの羽軸が、それなりの要求を満たすことがわかった。

 こうして、失われた物語の欠落を埋める作業からはじまったわたしたちの〈部活〉であったが、比那子はすぐにそれだけでは飽き足らなくなった。彼女は元のマンガには存在しない人物をどんどん登場させ、自分で考えた設定を勝手に追加していった。往々にしてそれらの人物や設定が、新しい物語の中心になった。くやしいことに、それがとてつもなく面白いのだった──いや、比那子の話が面白かったという意味ではない。彼女の作る話はどれも玉石混淆で、ありていに言えば石の方がずっと多かった。

 新しい物語を作る行為に、わたし自身がすっかりハマってしまったのだ。創作とは、それほどの快楽であった。いにしえの慣習にならい、わたしたちはこれら自作のマンガを描き綴った帳面を〈同人誌〉と命名した。わたしと比那子は〈同人誌〉を互いに見せあうばかりでなく、集落の女の子たちにもこっそりと回覧させた。同世代の読者たちからの反応はおおむね好評だったため、わたしたちはマンガを描き続け、見せ続けた。やがてその読者たちの中から、スズが加わり、かやが加わった。仲間が増えたことは、創作の快楽を三倍にも四倍にもしてくれた。

 三年も続けていると、未記入だった金銭出納簿のページの大半が、手製の没食子インクに葦ペンで描かれたマンガで埋め尽くされた。

 わたしたちは残り少なくなった白紙の帳面を使いきるまで、このささやかな〈部活〉を続けていたに違いない。そして、使える紙がなくなれば、ふっつりとマンガを描くのをやめていたと思う。そのころにはわたしたちも大人になり、イリス沢の共同体の中で大きな責任を背負うのだから。

2

「今年こそは、冬が来る前にコミケへ行くよ」

 それが比那子の口癖であった。

〈コミケ〉とは、旧文明の崩壊前に《廃京》の海岸で開かれていたマンガの祝祭で、わたしたちが掘り出したマンガの単行本も、かつてはそこで生み出されていたのだという。今もそんなものがおこなわれているとはとても信じられなかったが、今日に至るも《廃京》のどこかで〈コミケ〉の伝統を守り続けている人々がいるのだと、比那子はかたくなに主張していた。

 比那子の主張は以下の通りである。

 旧文明が崩壊していった時期に、マンガを支えていた技術もまた失われてしまった。けれども、それがなんだというのだろう? つまるところ、それらはマンガの本質ではない。筆記の道具があり読者さえいれば、どこででもマンガは描けるのだ。

 散り散りになったマンガの描き手たちは、あるときは収容所のコンクリートの上に、あるときは路傍の砂の上に、彼らのマンガを描き続けた。それらのマンガは当時の人々にひとときの心の慰めを与えただろうし、マンガの描き手たち自身もその返礼として、ひと椀の粥やひと晩の寝床にありつけたかもしれない。

 今も述べた通り、この時期のマンガは道端の壁や地面に描かれるもので、役目を終えれば風雨にさらされるままに消えていく運命にあった。しかし、すべての文化と記録が否定された暗黒期には、そのはかない性質がかえって有利に働いたのである。

 この暗黒時代を支配した新政府によって、紙に印刷された記録は発見され次第に焼却され、他の記録媒体も同じ運命をたどった。その記録を後世のために残そうと抵抗した者は、自分が守ろうとしたものと一緒に生きたまま焼かれた。

 しかし、砂の上に描かれたマンガは、描き手でさえわざわざ保存しようと思わないほどに無価値であり、したがって比較的無害なものと考えられていた。いずれにせよ人間には娯楽が必要である。暴君や密告者や狂信者たちでさえも、ときにはマンガを見て心の憂さを晴らしたくなる日があるのだ。

 それはマンガの描き手たちにしても同様であった。だから彼らは《廃京》の秘密の場所に集まり、互いのマンガを披露しあおうと取り決めた。その集会こそが、新しい〈コミケ〉の形に他ならない。かくして〈コミケ〉の伝統は、文明の終焉と暗黒時代を生き延び、現在にまで伝えられた。今も《廃京》の海辺では、わたしたちが切望してやまないマンガの続きや、いまだ読んだことのないマンガが、〈コミケ〉によって生み出され続けているのである──

 結局は全部、比那子の空想──いや、妄想なのであるが。

 年に二回、春と秋には、レンジャク商人が北の山地を越えてきて、海辺の集落でしか手に入らない塩と交換に、イリス沢の米と木炭を運んでいった。その商人たちによれば、北の山脈を越えたずっと先には塩水の海があるらしい。《イリス漫画同好会》の部員で塩水の海を見たことがあるのは、元ナガレ者のスズだけだ。他の三人は真水の湖すら見たことはない。

 南の《廃京》から来る者は誰もいない。

《廃京》の周辺は、武装した野盗の集団が徘徊する危険な土地である。さらにその先は、赤い瘴気の立ち込める不毛の荒野と化している。《廃京》そのものがどうなっているかは、行って戻ってきた者がいないので誰も知らないが、作物すら育たない以上、人間が生活できる場所でないのは確実である。〈コミケ〉だの、今も作られている新しいマンガだの、すべて比那子の作り話にすぎない。

 それでも冬枯れの時期が近づくと、比那子は〈部活〉のたびに「コミケへ行こう」と言い出すのだった。他の部員たちはそれを適当に聞き流しながら、アキバやナカノといった伝説の土地をこの目で見てみたいとか、乙女ロードなるものは一体どこにあったのだろうとか、行けもしない《廃京》遠征の話で盛り上がるのも、また恒例になっていた。

3

  それが夢物語のうちは、《廃京》遠征も悪くはなかった。その日の〈部活〉でも、わたしたちは森の中の部室に集まって、比那子が持ち込んだ古地図を前に、〈同人誌〉の執筆そっちのけで議論を交わしていた。

 先日、比那子の住むナグモ屋敷では、土蔵の奥の古いがらくたを虫干ししたのだそうな。例の金銭出納簿を発掘してきた土蔵である。そのがらくたの奥の奥に、比那子の大伯父の遺品である木製の茶箱があった。蓋には南京錠がかかっていたが、好奇心の強い比那子はかなてこを持ち出して、錠を無理やりにこじ開けた。

 その箱の底に、この地図が敷かれていたのだという。紙質と印刷の鮮明さから見るに、おそらくは暗黒期以前、旧時代の技術の産物と思われた。もしそうならば、百年近く昔の地図ということになる。そのわりには保存状態は良好で、目ざとい比那子は、地図の上に「東京」なる二文字が記されているのを見逃さなかった。

 東京。それが旧時代における《廃京》の旧名だったのを、比那子はマンガを通じて得た知識で知っていた。

 地図を広げると、部室の机の半分を占める大きさがあった。旧時代の旅行用に使われていた地図らしく、要所要所の地名とそれらをつなぐ道路しか書き込まれていなかったが、それだけでもわたしたちの想像力を刺激するには十分だった。

 なかんずく、「浦安」の地名が比那子を狂喜させた。なぜならば、それは数多のマンガに名を留める夢と魔法の国ディズニーランドが存在した土地であり、比那子の研究によれば、そこから遠からぬ地点に〈コミケ〉があるはずなのだから。もっとも、わたしとしては他の地名にも興味があった。この地図によって、今まではお伽話でしかなかった「渋谷」や「横浜」といった土地の実在が証明されたのだ。一年生の茅はひたすら舞い上がっていた。《廃京》がこんなに狭いものならば、〈コミケ〉へ寄ったついでに、ディズニーランドや乙女ロードの跡地も見られるのではないか。いやいや、もしかするとディズニーランドや乙女ロードも、まだ細々と営業を続けているのではなかろうか、と。

 ただ、二年生のスズはそういう夢物語には興味がないらしく、部室の隅で長椅子がわりの古ベンチに座り、ぼろぼろの少女マンガ雑誌を一心に読みふけっていた。その一冊はスズのお気に入りで、すでに百回は読み返していたと思う。

 結局のところ、東京にせよ浦安にせよ、あるいは渋谷や横浜にせよ、それらはアトランティスやキャメロットのような伝説上の土地の名称であり、その名を現実の世界と、ましてや自分たちの生活圏と引き比べてみようなどとは、誰も本気で考えていなかったのだ。

 最初に気づいたのは茅だった。

「……あのう、ゆーにゃ先輩」それまで意識すらされていなかった地図の左上隅を指差し、茅がおずおずと口を出した。「ここに書いてある〝湫田くで たIC〟って、ひょっとして、あのクデタのことじゃないですか?」

 茅の指先に目をやると、《廃京》のほぼ反対側、地図が途切れるか途切れないかギリギリの場所に、「湫田IC」の文字があった。わたしはこの後輩の想像力の豊かさに苦笑した。

 クデタとは、イリス沢から徒歩で一日の距離にある、放棄された旧市街の遺跡である。昔は山あいの市場町として栄えた場所だったそうだが、今は南の危険地帯と近すぎるため、定住する人もなく、森に覆われて久しい。近辺の集落の廃物拾いたちは定期的にその廃墟を訪れては、樹木に屋根を破られた百年前の遺構を探索し、金属やガラス製品や布地などの、集落内では手に入らない品物を持ち帰っていた。

「まさか、偶然よ。昔にもそういう地名があったのよ、きっと」

「でも、こっちの文字は〝月夜見〟って読めませんか? これも、ツキヨミのことじゃないかと思うんです。〝くでた〟と〝つきよみ〟って地名が隣りあっていた場所が、旧時代にも、こことは別に存在していた──そんな偶然って、あるものなんでしょうか?」

 確かに、そこには三文字の痕跡が読み取れた。ツキヨミはクデタの近くにある小規模な集落だ。地図のそのあたりは折り目になっていた場所で、文字は白くかすれて消えかかっていた。正直、わたしには〝月〟の部分しか読めなかったが、茅は〝月夜見〟と読めると言い張った。比那子も茅に賛同した。

「ねえ、スズ! ちょっとこっち来て」

 部室の隅で百一回目の再読に移ろうとしていたスズに、比那子が声をかけた。

「なんですか?」マンガの織り成す幻想の世界から、スズが気乗りしない様子で顔をあげた。

「スズって、前に塩水の海を見たことあるって言ってたよね? この地図の海岸のどっかに、聞き覚えのある地名ない?」

「塩水の海っていっても、うちが見たことあるのは、《廃京》よりずーっと北にある海ですよ? 《廃京》の地図なんか見たって、なーんにもわかりませんってば」

 渋るスズを、比那子が「いいから見るの!」と、強引に地図の前まで引っ張ってきた。

「この地図って、線と字しか書かれてないじゃないですか。こんなの見せられても……」

 ぶつぶつ言いながら地図を眺めまわしていたスズが、不意に口をつぐんだ。比那子が熱心に問いかけた。

「どう? 知ってる海岸があった?」

「いえ──でも、この湖の形には見覚えがありますよ」

 スズが、地図上の〝湫田〟のずっと東にある大きな湖を指し示した。

「うち、イリス沢に来る前の前くらいは、湖の岸にある集落地にいたんですよ。イリス沢と違って、みんなが水辺にバラバラに住んで、マスとかイワナとか、魚捕りながら生活してるとこ。そこの船頭の元締めのじーさんが、自分で作った湖の地図を見せてくれたんです──ほら、なんか革靴みたいな形してるじゃないですか? そのときもそう思ったんで、だから、憶えてるんです」

「その湖ってのは、間違いなくイリス沢の東にあるの?」比那子が念を押した。

「はい。そこから先はずーっと西に山を越えてきましたし」

「ちょっと待って」わたしは思わず声をあげた。「それじゃあ、この地図の中にイリス沢もあるってこと?」

 さっそくイリス沢探しがはじまった。

 結論から言えば、捜索は不毛に終わった。当然である。あの広大なクデタの遺跡さえ、申し訳程度に記されているだけなのだ。当時は過疎の小村だったイリス沢の名が、書かれているわけがない。

 それでも、茅の直感とスズの記憶が正しければ、この〝湫田IC〟のすぐ近く、地図の上端のどこかに、イリス沢があるはずなのだ。今この瞬間に、わたしたち四人が地図を囲んで頭を突きあわせている、《イリス漫画同好会》の部室があるイリス沢が。

「こんなに近くにあったんですねえ……」

〝湫田IC〟の文字と〝東京〟の文字との距離を目で測りながら、茅がしみじみと言った。

「ねえ、ゆーにゃ! すごいよ! これって本当にすごいことだよ!」

 比那子はそう叫びながら、何度もわたしの両肩をゆさぶった。

「……うん、すごいわね」

 わたしの方は、世界の中での自分たちの位置を見出した哲学的感動の意味で「すごい」と答えたのだが、比那子の方は、まったく別のことを考えていた。迂闊だった。なぜ、このときに比那子の言葉の底意を見抜いて、事前に釘を刺しておけなかったのだろう。

「やっぱ、ゆーにゃもそう思うよね?」

 比那子は〝湫田〟の左上、わたしたちがイリス沢だと見当をつけたあたりに人差し指を置いた。そして、旧時代の道路の上をなぞりながら、その指先をぐいっと〝東京〟まで滑らせていった。

「だって、この道をまっすぐたどっていけば、〈コミケ〉まで歩いていけるってことじゃん!」

4

 比那子が突飛なことを言い出すのは今にはじまった話ではなかったから、わたしも最初は適当に調子をあわせておいた。これがいけなかった。まだ引き返せるうちに、その計画の無謀さと杜撰さを指摘しておくべきだったのだ。

 厄介なことに、スズと茅まで完全に乗り気になっていた。

「行きたいです、〈コミケ〉!」茅が勢いよく手を挙げたため、狭苦しい〈部室〉に置かれた大机が揺れた。「半年前から描き続けてる新作が、もうすぐ完成しそうなんです。わたしのマンガ、もっと大勢の人に読んでもらいたいです!」

 茅は最年少ながらも一番熱心な〈部員〉で、わたしたちが定期的に作っている〈同人誌〉『アイリス』にしても、最近は半分以上が茅のマンガで占められていることが珍しくない。『アイリス』以外にも、どこからかかき集めてきた反故紙の裏に寸暇を惜しんでマンガを描き溜めており、その反故紙を綴じた個人誌が二十数冊にも及んでいた。

「途中までなら、うちが案内できますよ?」スズも名乗りをあげた。「うち、クデタへは、オヤジと一緒にしょっちゅうイノブタ撃ちに行ってますから。あの辺はうちらの庭みたいなもんです」

 二年生のスズは元ナガレ者の娘で、小さい頃から渡り猟師の父親に連れられてあちこちを旅してきた。そのせいか妙に達観したところのある子だ。マンガよりもイラストを描くのが好きで、『アイリス』の表紙はもっぱらスズの仕事だった。

 なお『アイリス』の発起人である比那子自身は、いつも大長篇マンガの第一話だけ描いては投げ出してばかりで、最後まで話を完成させたことは一度もない。本人に言わせると、「先に描いておきたい別の話が見つかったから後回しにしてるだけで、いつかは続きを描いて完結させる予定」だそうだが。

「うわっ、それってもう完璧じゃん」比那子がここぞとばかりに身を乗り出した。「見せるマンガもあるし、行き方もわかってる──それで、《廃京》まではどれくらいかかると思う?」

「そんなの、《廃京》までの道なんて知りませんし、地形や天候次第で全然変わりますから、うちに訊かれても困りますよ」

「じゃ、この道路の線が、ずっと徒歩で行ける平坦な道で、ずっと晴天続きだったとしたら?」

「もう一回、地図見せてください……んー、その条件なら、クデタから片道十日間ってとこですかね?」

「だったら、なるべく早く出かけないとまずいのか。師走の前には山道は雪で埋まっちゃうし、向こうでも三日ぐらいは滞在したいし、帰り道のことも考えたら、今月中には出発しないと」

「あの、ヒナコ先輩。もし時間が余ったら、わたし、乙女ロードにも行ってみたいです!」

 茅が目を輝かせて言った。なぜ、この子はこんなにも乙女ロードにこだわるのか。

 それにしても、この雰囲気はまずい。いくら〝ごっこ遊び〟とはいえ、このまま放置すれば比那子の性格からして、本当に後輩を引き連れて《廃京》に出発しかねない。

「ええ、そうね。《廃京》でマンガを描いてる皆さんと交流できるなんて、わたしとしても、願ってもない機会だと思うわ──」

 わたしは机の上に置かれた〈お茶〉を飲み干すと、にこやかに現実への軌道修正を試みた。

「──でもね、〈コミケ〉だの《廃京》だのなんて、やっぱり、わたしたちにはまだ早すぎるんじゃないかしら? 本当に〈コミケ〉に行きたいって気持ちがあるのなら、あと二、三年は待てるわよね? 〈コミケ〉は逃げやしないんだし、きっとその頃にはイリス沢も落ち着いて、わたしたちも遠出する余裕ができると思うのよ」

 けれども、後輩たちは少しの妥協もする気はなかった。子供っぽい茅は仕方ないにしても、リアリストのスズまでもが比那子の味方をしたのは予想外だった。

「エーッ、三年も待ってたら、うちら完全にオバサンですよ、オ・バ・サ・ン」

「そうですよ。三年後にはわたしたちみんな子供もできちゃってますし、そうなったら、一生〈コミケ〉へ行くチャンスなんてないですよ」

「わかってないねえ、ゆーにゃは」比那子が指を振ってチッチッと舌を鳴らした。「本当に行きたいって気持ちがあるからこそ、〝今〟行かなくちゃダメなんだよ。行かない理由なんて、いくらでも思いつくんだから」

 わたしは冷静さを保とうと、〈お茶〉のポットを傾けた。空だった。

「──あれ? ゆーにゃ先輩、お茶、切れました? ポット、貸してください。お茶、沸かしなおしてきますから」

 立ち上がった茅に、スズが琺瑯びきのカップを振った。

「あー、カヤー。うちの分もお願い」

「はーい」

 火の用心のため、コンロは水瓶と一緒に表に置いてある。針金でひび割れを修繕したポットを片手に、茅が部室を出ていった。この子はいろいろと気が利く。それに本当に器用な子で、〈お茶〉を淹れるのも、火を熾すのもうまい。わたしなら火種を作るだけで二分以上かかるところだ。

 干したタンポポの根を煎じたものを、わたしたちは〈お茶〉と呼んでいた。常飲したくなるほど美味なものでもなかったが、〈部活〉で〈お茶〉をするのはマンガの中での習わしのひとつであったし、わたしたちは可能な限り、それらを模倣しようとしていたのだ。

 茅が〈一年生〉でスズが〈二年生〉で、わたしと比那子が〈先輩〉なのも、同じ理由による。最初のうちは呼ぶ方も呼ばれる方もくすぐったかったが、もう慣れてしまった。そうそう、比那子がわたしを呼ぶのに使う「ゆーにゃ」とかいうふざけたあだ名も、なにかのマンガを参考にしたものだ。

 しかし、今はわたしの呼び名より重要な問題があった。茅が外でお湯を沸かしている隙に、わたしはさりげなく比那子に念を押した。

「……もちろん、本気じゃないわよね? 別に、本当に《廃京》に行くつもりじゃないんでしょ?」

 比那子が怪訝な顔でわたしを見返した。

「なに言ってんの? さっきから、ずっと《廃京》に行くって話してたじゃん? しっかりしなよ、ゆーにゃ」

「うん、そういう〝設定〟なんだよね……いや、わたしはわかってるのよ? でもね、カヤなんかは夢見がちな子だし、遊びだってわかってても、ついつい真に受けちゃうじゃない。あとでがっかりさせるのも気の毒だし、今回は予行演習として、みんなでツキヨミあたりへ日帰りのピクニックに行くって話にして、そっちの方で計画立て直さない?」

 比那子がやれやれと首を振った。

「もちろん、《廃京》へ行くんだよ──ひょっとして、ずっと〝ごっこ遊び〟のつもりで話してたの?──ま、ゆーにゃは昔からそういうとこあるから、仕方ないけどさ。もう最上級生なんだし、いい加減、夢と現実の区別はつけようよ」

 それはわたしが言いたいことだ。人のセリフを盗るな。

「あのね、現実的に考えて、ひと月も集落を空けられるわけないでしょ? ヒナコと違って、他のみんなには仕事があるんだから──スズもカヤも、それをわかった上で話をあわせてくれてるのよ」

 わたしたちのやり取りを面白そうに眺めていたスズが、会話に口をはさんだ。

「あ、うちならダイジョブですよ。うちらは基本的に自給自足だから、多少のユーズー利きますし。それに、うちのオヤジなら、一か月ぐらいほっといても死なないですよ」

「いや、そもそも誰も《廃京》に行ったことはないのよね? 途中の道路がどうなってるかもわからないし、一か月で帰れるとは限らないわよ?」

「そんなの出発さえしちゃえばなんとかなるよ。道がわからなくなったら、途中で現地の人に訊けばいいんだし」

 比那子がそう答えたとき、折悪しくも茅がタンポポのお茶を手に戻ってきた。スズがぐいっとベンチから背を伸ばした。

「あのさー、カヤ。先輩方が、『カヤは家の仕事があるから一緒には行けないわね。しかたないから今回は留守番しててもらおうか』って相談してたよ」

「え。あ。あの」

 茅が戸惑いながら、あわてて湯気の立つポットを置いた。

「あの、わたしは大丈夫です。わたしの家、弟や妹がたくさんいますから。それに、わたしがいなくなったら、その分の食い扶持が助かりますし」

 うんうんと比那子がうなずく。

「そうそう。どーせ農閑期は暇なんだしさ、親も許してくれるよ、きっと」

 許してくれるわけがないだろう。野盗や野犬が徘徊する汚染された百数十キロの土地を横断する遠征を、婿取り前の娘に許す親がどこの世界にいるのか。

「じゃ、こっそり行けばいいじゃん」

 どんどんと話が不穏な方向へと流れていく。そういう話をしているのではない。《廃京》までの道のりは、女の子だけで旅をするには危険すぎると言っているのだ。ノブセリと呼ばれる野盗集団の捕虜となり、彼らの奴隷として悲惨な生活を送っている女性たちの噂は、ここイリス沢にも届いていた。

「いーじゃん。ゆーにゃやスズやカヤと一緒なら、あたしは奴隷でも平気だよ?」

 わたしは平気じゃない。なんの因果で、奴隷になったあとまで比那子との腐れ縁を続けねばならないのか。

「あのねえ」

 これを言えば〈部活〉の雰囲気を損ねてしまうのはわかっていたが、もう〝ごっこ遊び〟を続けるのも限界だった。

「〈コミケ〉なんてのは、全部作り話なの。ヒナコが頭の中だけで作った絵空事なの。《廃京》には瘴気で汚れた廃墟が広がってるだけで、そこにはなにもないし、たとえ行けたとしても、なにも起こらないの。

 ──ハイ、これでこの話はおしまい! そんなことより、次の『アイリス』の企画でも立てましょ。いつも通り表紙はスズに任せるとして、わたしとしては、今回は統一テーマでの競作をやりたいと思ってるんだけど」

「〈コミケ〉はあるよ」比那子が真顔で言った。

 わたしは聞こえよがしに溜息を洩らした。まだ〝ごっこ遊び〟を続けるつもりなのか。

「だから、ないんだってば。そんなもの」

「ゆーにゃは《廃京》へ行ったことあるの? 《廃京》の海岸がどうなってるか見たことあるの?」

「行かなくても常識でわかるじゃない、馬鹿馬鹿しい。これだけ世の中がめちゃくちゃになってるのに、のんきにマンガのお祭りに集まってくるような人が、いるわけないでしょ」

「ここにいるじゃん、四人も。だったら、他にそういう人たちが大勢いても、全然おかしくないよ」

5

 それからはどこまでいっても平行線で、その日の〈部活〉は結論の出ないままに終了した。

 例の古地図は今後の予定表と並べて、部室の黒板に鋲釘で留めてあった。いっそ、こんな誘惑を生む紙切れは燃やしてしまおうか──一瞬そうも考えたが、〈部活〉の仲間を裏切るような真似はとてもできない。

「──あの、ゆーにゃ先輩。さっきはすみませんでした」

 草箒を片手に黒板を睨んでいたわたしに、茅が妙におどおどと声をかけてきた。そんなに怖い顔をしていたのだろうか。

「ん? なんのこと?」

「さっきの〈部活〉では、一方的に反対ばかりしちゃって……正直、ゆーにゃ先輩の言ってることの正しさもわかるんです」

「ああ……いいのよ、そんなこと。わたしも、ちょっと意固地になりすぎちゃった部分もあるし」

 後輩を不安にさせまいと、わたしは空元気をつけて微笑んだ。茅は昨年の秋に〈入部〉したばかりだが、最前も述べたとおり、一番執筆に熱心な部員である。反面、〈部活〉の相談事にはあまり口を出さないタイプで、「マンガさえ描いていれば幸せ」という雰囲気のこの子が、あそこまで食い下がったのは意外だった。

「でもね、ヒナコと一緒に《廃京》へ行くとか、くれぐれも軽はずみな真似はしないでね」

「あ。え、ええっと……あの、それは……」茅は一瞬硬直して口ごもり、ぺこりと頭をさげた。「すみません。その約束はできません」

 わたしは心の中で溜息をついた。茅は真面目で、熱心で、そして、嘘のつけない子だった。

「ま、この話はよしましょ。それよりも、明るいうちにさっさと片づけちゃいましょうね」

「はいっ」

 今日の掃除当番はわたしと茅だった。ふたりで「よいしょ」と大机を倒して壁に寄せ、茅が手箒でコンクリートの床から枯草や虫の死骸を掃き集め、わたしが草箒で表の草むらへと掃き出す。立地が立地だけに、部室は頻繁に清掃する必要があった。お互いに、これ以上《廃京》と〈コミケ〉の一件は蒸し返さないようにして、掃除を続けた。

 そうなると、自然とお気に入りのマンガの話題で盛り上がることになる。

「カヤは、先週拾ってきたマンガの単行本はもう読んだの?」

「はい、もちろん。新しく見つかったマンガは、回し読みの順番がきたら、すぐに目を通してますから。機械の体を手に入れるために、宇宙の星々を旅する話ですよね?」

「で、感想はどう? わたしとしては久し振りの大ヒットだったんだけど、一巻しか見つからなかったのが、ほんと残念だったわ」

「うーん、そうですね……ゆーにゃ先輩は、ああいうの、好きそうですよね……わたしも、読んでるときは本当にハラハラしたし、設定やストーリーも凄いと思いました。でも、わたしはもっとこう、普通の女の子たちが集まってわちゃわちゃしてるような、純粋な〈旧時代もの〉が読みたいです」

「カヤは、ほんとに〈旧時代もの〉が好きね」

「はい、大好きです!」

 茅が無邪気に笑った。マンガの話をしているときのこの子は、実に愛らしい。

〈旧時代もの〉とは、女の子が朝から晩まで共同体のための労働に明け暮れるのではなく、毎日〈学校〉なる建物に通い、〈授業〉や〈部活〉や〈恋愛〉や〈お茶〉をしていたという、文明崩壊直前の時代を舞台にしたマンガのことである。〈旧時代もの〉に限らず、わたしたちの描くマンガは旧時代を舞台にした話が多かった。お手本にしたのが旧時代のマンガばかりなのだから、当然だけど。

 部室の壁に貼られたポスターの中では、旧文明の建築物を背景にした四人の制服姿の少女たちが、百年の歳月にすっかり青く色褪せて、黙ってわたしたちを見おろしていた。端に小さく書かれていたタイトルは白く抜けて、なんというアニメのポスターだったのかもわからない。しかし、その風景や服装はさまざまな形で着想の源となってくれたし、茅はその一枚のポスターを題材にして、すでに一本の長篇と四本の連作短篇を描きあげていた。

 掃除が終わると、またふたりで協力して机を戻す。部屋の隅には結構な量の土埃が溜まっていた。どうも比那子・スズ組の掃除にはぞんざいなところがある。一度注意しておかねば。

 茅と一緒に〈部室〉を出ると、表には秋の夕暮れが満ちていた。山の日没は早い。西に見える山際は茜色に輝き、空全体も淡い藍色ぐらいの明るさなのに、地表の近くはすっかり黄昏の薄闇だった。もっとも、わたしも茅もこれぐらいの暗さには慣れている。

 昼の名残りを吹き払う涼風の中で、鈴虫がさかんに鳴いていた。夏はもう終わってしまったのだ。

 鬱蒼とした森の踏み分け道を数分も歩くと、集落を東西に貫く旧時代の道路に出た。アスファルトの路面はひび割れだらけで、至るところでタンポポやハマスゲが芽吹いている。その両脇には、うっかりすると周囲の森に飲み込まれてしまいそうな、貧弱な田畑が広がっていた。これは比喩でもなんでもなく、降雪期以外は毎日のように野良に出て雑草をむしり、畦を侵しはじめた灌木の芽を定期的に抜いてやらねばならなかった。

 稲株と積み藁だけが残るうら寂しい田中の道を、ふたり並んで歩いた。茅はわたしや比那子とふたつしか違わないのだが、頭ひとつ分は小さい。ちゃんと食べているのだろうか。集落内の子供たちの栄養状態は、いつでも母の心配の種だった。今はわたしの心配の種でもある。

「──あのう、これは、『もしも』の話なんですけど」

 分かれ道でしばらく立ち話をしたあと、茅が口を開いた。

「もしも、わたしたちがどうしても〈コミケ〉へ行くってことになったら、ゆーにゃ先輩は一緒に来てくれますか?」

「ごめんなさい。仮定の質問には答えられないわ」

 悲しげに佇む茅に手を振ると、わたしは背中を向けた。わたしも強情だよなー、と内心で反省せずにはいられなかったが、考えを変える気はなかった。

 集落の東にあるわたしの家への道すがらには、山々と森を背にして、ぽつぽつと旧時代の住宅を改修した農家がある。いくつかの窓からは、菜種油のランプや蝋燭の光が洩れていた。

 今日は比那子が変な議題を持ち込んだせいで、すっかり〈部活〉から帰るのが遅くなってしまった。

 両親はわたしがマンガを描くことにいい顔をしない。特に母からは、今は誰もが大変な時代だというのに、マンガなんて非生産的な行為にかまけてる余裕があるのかと、あるときは遠回しに、あるときは面と向かって、何度言われたかわからない。現代において〝非生産的〟とは、共同体の人的資源を削るという意味であり、その負担を他者に負わせるという意味であり、許されない社会悪であった。ましてや、「《廃京》でやるマンガのお祭りに行きたいから、ひと月ばかり家を空けたい」なんて口にしたら、どんな顔をされることか。

 だけど、母の気持ちもわかるのだ。

 わたしたちの親の世代は子供の頃に暗黒期直後の混乱を経験している。それを考えれば、わたしたちは本当に恵まれた時代に生まれたものだと思う。少なくとも、今は餓死しない程度には食べ物があるし、野盗の襲撃に四六時中怯えて過ごす必要もない。農繁期以外は、マンガを描いたり〈部活〉をしたりと、ささやかな趣味に費やす余裕さえあるのだ。父や母たちはそんな少年時代を送れなかった。

 わたしの父は農夫で、母は集落のたったひとりの医者である。母は医者としての技術を祖母から受け継ぎ、祖母は曾祖母から受け継いだ。イリス沢が人口百数十戸という、この時代としては破格の大集落となったのも、母や祖母たちのおかげである。祖母の技術がなければ、比那子や茅やわたしは赤ん坊の頃に死んでいたかもしれない。母の技術がなければ、スズの父親はイノシシにえぐられた傷の出血で命を落としており、腕利きの猟師として親子でイリス沢に居つくこともなかったかもしれない。

 すでに、わたしも腸炎の診断や創傷の処置については、母から手ほどきを受けている。今は人の命なんて簡単に失われる時代だ。母にもしものことがあれば、わたしがすぐにあとを継がねばならない。そして、一日も早く自分の技術を継がせられる子供を産まねばならない。

 ふと見上げると、夜空は西のわずかな領域を残して深い紺色に染まり、上弦の月が煌々と輝いていた。

 ──かつてはあの月にまで足跡を残した文明が、今はこのちっぽけな砦を守るだけで精一杯とは、なんたる哀れなことよ!

 人はパンのみにて生くるにあらず。されど、パンなくしては生くるにあたわず。比那子たちとの〝部活ごっこ〟は大切だが、このイリス沢はもっと大切だ。そもそも集落の安定あってこその〝部活ごっこ〟ではないか。

 だから、わたしは〈コミケ〉に行くわけにはいかない。

6

 赤ランタンの常夜灯で照らされた診療所に帰り着いたころには、表は真っ暗になっていた。

 先ほども述べたとおり、わたしの母は医者で、自宅はイリス沢の診療所である。内科や外科はもちろん、皮膚科に耳鼻咽喉科に眼科に産科、必要とあらば歯科医の役割までこなす、いわば医療のなんでも屋だ。集落の人々はクリハラ診療所と呼ぶ。旧時代に建てられた施設に修繕に修繕を重ねたもので、築百余年のわりには長持ちしている。

 表へまわれば待合室や診察室といったものもあるが、緊急の怪我人や病人は直接に処置室に担ぎ込まれ、母による問診と治療が同時におこなわれる。母の往診中に急患があったなら、代診のわたしが応急処置をほどこしつつ、母の帰りを待つ。二人以上の患者がかちあった場合も、母の手が空くまではわたしが処置をせねばならない。

 ゆえに、わたしは原則として診療所を離れてはならないのだ。今日は非番の日だったが、それでも日のあるうちに帰るという約束の上で出てきていた。

 だから母屋から漏れる蝋燭の明かりを見たときは、どきりとした。普段ならとっくに夕飯を済ませている時間だ。それなのに、まだ食事をしているというのは、不測の事態があって食事が遅れたということに他ならない。

「ただいま」と告げて、こそこそと勝手口の土間から入ると、卓袱台の上座には家長然とした母の姿があった。母の隣では父が、その向かい側では弟が、先に食事をはじめていた。

 食卓に置かれているのは、五分搗き玄米の雑炊と、発酵キャベツのシチーと、イノブタの焼きベーコン──借地農の夕餉としてはまずまずのメニューである。

 キャベツをひたひたの汁が出るまで塩でもみ込み、瓶で重石をして発酵させる。そうしてできあがった発酵キャベツを水で煮込んだスープがシチーだ。調味料は使わないが、キャベツから出る塩味と酸味が味つけの代わりになる。今日は奮発して厚切りのベーコンをメインに回したためか、他の具材は入っていなかった。焼きベーコンの方は、先々週にスズが仕留めたイノブタのおすそ分けだ。日持ちするようにふんだんに粗塩が使われていて、これ一切れあれば玄米飯が二杯は食べられた。

 一食で炭水化物、蛋白質、脂質、ビタミン、ミネラルのすべてが揃っている。母はイリス沢の収穫を用いた理想的な献立表を作成して配布しており、自宅内でもその規律をゆるがせにはしなかった。治療をおこなう人間が病人より先に倒れては話にならず、医者は誰よりも節制を心懸けねばならないというのが母の持論で、「医者の不養生」は母がもっとも嫌っている言葉だった。

 その献立にそった炊事をするのは、わたしと弟の滋波の役目だ。今日の夕食の支度はすっぽかしてしまったが、滋波が一人でやってくれたらしい。小声で滋波に「ごめんね」と呟くと、小さく「いいよ」とうなずき返してくれた。なるべく母と目をあわせないようにしながら、板間に敷かれた茣蓙の上に正座した。

「いただきます」

 両手をあわせ、日々の食事が与えられることへの感謝を示し、箸を取った。

悠凪ゆうなぎ」唐突に母が口を開いた。「食事の前に、なにか言うことがあるんじゃないかね」

「あの……」わたしはおそるおそる訊き返した。「なにかあったの? 誰かが大ケガしたとか、急病で倒れたとか……」

「どうもしやしないよ。あんたはこんな時間まで出歩いてるし、滋波は滋波であんたを当てにして遊び惚けてたから、夕飯がこんな時間になったってだけさ」

 母には申し訳ないが、その言葉に安堵した。どうやら急患が出たわけではなかったようだ。

「ごめんなさい」ここは素直に頭をさげておく。「もっと早く帰るつもりだったんだけど、こんなに急に暗くなるなんて思わなかったの。大事な相談事があったから、わたしだけ先に抜けるわけにもいかないし……次からは気をつけます」

「なにが『大事な相談』だよ、馬鹿馬鹿しい。どうせ、また落書き遊びの集会に行ってたんだろう」

「落書きじゃないってば、マンガだよ」

「似たようなものだよ。今日のことだけじゃない。家でも、暇さえあれば落書きばかりやって──他に、もっとやるべきことがあるだろうに」

「診療所ではちゃんとやってるんだから、家にいるときぐらいはいいでしょ? 余ってる時間くらい好きなことやらないと、息がつまっちゃうわよ」

「今のイリス沢に、『余った時間』なんてものはないんだよ」母がかぶりを振った。「あんたは医術を学ぶために使えたはずの時間を、くだらない遊びで無駄にしているのさ。時間だけじゃない。本当ならいろいろと役に立ったはずの白紙の帳面まで、子供の落書きで埋め尽くして、ただの紙屑に変えてしまって」

「……そうさな。ま、悠凪もまだ子供なんだし」

 それまで黙って箸を使っていた父が、伸ばした髭の下でもごもごと独り言のように呟いた。

「子供が遊びたがるのは仕方ないさ──少しは大目に見てやらんと」父がこんなに長く喋るのを聞いたのは、久しぶりだった。

 わたしは父が喋るのをあまり聞いたことがない。ともすれば、父の声さえ忘れそうになる。

「悠凪はもう子供じゃないし、あなたには関係ないことですよ。わたしと悠凪の話に口を出さないでくれますか?」

 母がぴしゃりと告げた。父はひと言も言い返さず、最初からなにも喋らなかったかのように、食事を再開した。そんな父を冷ややかに横目で見て、母は説教を続けた。

「いいかい、悠凪──あんたはもう子供じゃない。自分の人生を自分で決めなくちゃならない齢だ。医者になりたくないなら、それでもいい。だけど、中途半端な生き方を続けるわけにはいかないよ。あんたは医者になるのかい? ならないのかい?」

「わたしは」母の目を見返すと、わたしはこれまで何度も述べてきた信仰告白を繰り返した。「わたしはイリス沢の医者になります。それが、わたしの生まれてきた意味です」

「なら、落書き遊びは今日で終わりにするんだね。片手間にやれるほど、甘い仕事じゃないんだから」

「わかってるわ。だけど、もう少しだけ続けさせて、お願い! もちろん診療所が一番大切だけど、今のわたしにとっては、マンガも大切なんだから!」

 母が深々と嘆息した。

「まずは、その『わよ』とか『だわ』とかいうみっともない言葉遣いをやめなさい」

 わたしは真っ赤になって口を押さえた。

 もともと、わたしの喋り方はこんな風じゃなかったのだ。小さい頃に、比那子と一緒に「マンガの女の子の喋り方」を真似していた時期があり、比那子は早々に飽きてやめてしまったが、わたしの方はそれを続けているうちに、いつしか習い性となってしまった。

 もちろん、これはあくまで演技のつもりで、〈部活〉以外の場面、特に家族との会話では使わないようにしているのだが、最近ではちょっと気を抜くと、自然に「だわ」口調が出てしまう。この頃は「だわ」口調の方が演技なのか、普通の口調の方が演技なのか、自分でもわからなくなりつつある。

「誰があんたに悪影響を与えてるかは、わかってるよ──」母が言った。「──ナグモ屋敷の馬鹿娘だね? まともに仕事もせずに、毎日のらくら遊び暮らしてるから、ああいう惚け者ができあがるんだ。十七にもなって落書き遊びの大将におさまって、落書きの束を得意気に他の子に見せて回って──本物の馬鹿なんじゃないかね? ナグモの刀自さまも刀自さまだよ。大事な跡取り娘を野放しにしたあげくが、とんだ穀潰しを育てちまった」

 わたしは箸を食卓に置き、卓袱台を力任せにガンと叩いた。弟が怯えたように身をすくませる。父は無反応のまま、黙々と食事を続けていた。

「うるさいなあ! わたしのことはどんな風に言ったっていいけどさ、ヒナコのこと悪く言うのはやめてよ! 友達なんだから!」

 ここで、旧時代のマンガの主人公ならば憤然と席を立つ場面だが、いかんせん現代の少女には、いかなる事情があろうと食事を残すなどという贅沢は許されていなかった。だから、わたしは精一杯ふてくされた態度で顔をそむけ、なおもくどくどと続く母からの小言を強引に無視しながら、掻き込むようにして食事を終えた。

 さいわい食後までお説教が続くことはなかった。母は夕食のあとも、明日の診察の準備や治療内容の検討などの、診療所でやるべき仕事が残っている。急病人でも出れば、深夜であろうと飛び起きねばならない。本来なら、わたしがその仕事を代行できるようにならなければいけないのだが。

 夕食の支度に遅れた埋めあわせとして、食器洗いはわたしひとりで片づけた。井戸から新しい水を汲み、つけ置きの水でゆすいだ椀や小鉢を布巾で拭いているあいだも、腹が立ってしかたなかった。

 こうなったのも、すべて比那子のせいである。比那子のバカのせいで母に叱られたばかりか、本当なら息抜きになるはずだった〈部活〉でも、余計なストレスを溜め込んでしまった。

7

  洗い物を終えて、母屋の端にある二畳半の自室に戻った。部屋の半分を占める寝台の上では、弟の滋波がすうすうと寝息を立てていた。

 母屋とはいっても、その実は診療所に継ぎあわせるように建てられた陋屋である。卓袱台の置かれた土間つきの台所兼居間と、父と母が寝る奥の間、それにわたしと弟が寝る次の間があるだけの簡素なものだ。しかしながらこの二畳半では、イリス沢の他の場所では得られない特権が享受できた。

 部屋のガラス窓のすぐ外には診療所の常夜灯があり、一晩中ほのかな赤い明かりが部屋の中に差している。常夜灯には特別なランタンが使われていて、一度点火すれば、油を注ぎ足す必要もなく八時間は煌々と燃え続ける。カーテンを半分開いて小机を窓際に寄せれば、夜遅くでも本が読めたし、〈同人誌〉を描けたのだ。

 けれども、今晩はマンガを描く気になれなかった。

 比那子や母とのやり取りで精神的に疲れ果てていたというのもあるが、自分の描いているマンガが、なんだか急にみすぼらしく無価値なものに思えてきたのだ。本当に、こんなものに熱中していてなんの役に立つというのだろうか?

 今描いているマンガは、ありあわせの材料から月まで飛べるロケットと宇宙服を作り、旧時代の人々が残した月面の基地を訪れる女の子の話だった。彼女は基地の最深部で、月基地に取り残された旧時代人の末裔である月の少女と出会う。月の少女は主人公を出迎えて、感謝の言葉を告げる。「ありがとう、地球の少女よ。私はずっと地球の人々が迎えに来てくれる日を心待ちにしていました」

 しかし、このマンガを描き上げたからといって、私自身は一メートルたりとも地球の重力を振り切れるわけではない。

 誰かの描いたマンガを読んだり、自分でマンガを描くのは、確かに楽しい。だが、マンガそのものに現状を変える力は皆無である。ひとときの夢想と情熱が燃え尽きたあとには、いつでもつらい現実が待っている。ただ「楽しかった」というだけなのだ。

「違うよ、ゆーにゃ。『楽しかった』ってだけで十分なんだよ。わたしたちは『楽しい』のために生きてるんだから」

 おそらく、比那子ならそう言うに違いない。

 その通り。わたしたちは「楽しい」からこそマンガを描いている。ならば、そこに「楽しい」を見出せなくなったのなら、もうマンガを描く意味などないではないか。

「じゃ、もうゆーにゃはマンガを描くのをやめちゃうの? そしたら、次はどんな『楽しい』を探すつもりなの?」

 心の中の比那子がそう質問した。

 別に、マンガをやめるつもりはない──少なくとも、今しばらくは。あれだけ母とやりあったあとなのだし、意地でも続けるつもりだ。習慣のままに筆記具をならべ、肌身離さず持ち歩いているぼろぼろの革カバンから、わたしの担当分の『アイリス』第二十六号を引っ張り出した。

 わたしたちが金銭出納簿に描き綴っている同人誌『アイリス』は、執筆の効率化のため、常に四冊分が同時進行で描き進められ、最新の『アイリス』四冊を部員四人でぐるぐる交換しながら回し描きしていくシステムになっている。

 母はわたしたちの同人誌を「ただの紙屑」と言っていたが、それは言葉通りの意味だ。以前に、部屋に隠しておいた執筆途中の『アイリス』を母に発見され、ほぼ完成していたわたしの十数ページ分と、その直前に描かれていた茅の力作二十四ページを破り取られ、診療所の窓の補修に使われてしまったことがあった。壮絶な親子喧嘩を経た末に、わたしは外出するときは『アイリス』を入れたカバンを持っていき、家にいるときは片時も手放さないようにしている。

 月ロケットを組み立てる主人公が半分まで描かれたページを開いた。それでも、やはりマンガを描く気にはなれなかった。ぐずぐずと描きあぐねていても仕方ないので、気分を変えれば筆も乗るかと思い、紙屑置き場から拾ってきた本を読むことにした。

 イリス沢における小説本の地位は、マンガに輪をかけて低かった。

 集落の識字率は高くはないが、それほど低くもない。他集落との交易のために最低限の文字を覚えた大人たちと、さらに『アイリス』の熱心な読者である十数人の女の子たちもあわせれば、軽く二十パーセントを越えるだろう。

 けれども、〈小説〉なるものを読む人間は皆無である。

 スズや茅はマンガのフキダシに書かれた文字を読んだり、自分でフキダシに文字を書き込めるぐらいの教養は持っているのに、活字だけが並んだ書物を前にすると、途端に尻込みする。

 比那子も小説本の類にはあまり興味を持たない。ナグモの家は暗黒期にすら読み書きが許されていた特権階級で、比那子にしてもナグモの刀自さま直々に文字の読み方を教わっているし、わたしよりずっと難しい文章を読みこなせるはずなのだが、それでも小説を読もうとはしない。

 創作物に深い愛着を寄せる漫画同好会の面々でさえ、この体たらくである。ましてやマンガすら時間の無駄としか考えていない大人たちに至っては、なにをか言わんや、である。

 イリス沢における小説本は、不規則なインクの汚れが染みついた紙束としての利用価値しかなく、その意味では大いに重宝されていた。遺跡や廃墟から掘り出されてきた書籍や雑誌は、数か所の紙屑置き場にまとめて積み上げられ、人々は日々の生活で紙が必要になると、そこから適当に破り取ってきた。破り取られたページは、壁や窓の修繕に、道具の補修に、あるいは包み紙や焚きつけにと、様々な用途に使われた。厳寒の季節はくしゃくしゃに丸めて衣服の下に詰め込めば、保温材にもなった。誰もその中の文字の並びに価値を見出しはしなかった。わたし以外は、誰も。

 わたしには、紙屑置き場から物語の書かれた小説本を探してきては、定期的に持ち帰る習慣があった。いつからこんな習慣を身につけたのか、もう正確な時期は憶えていない。《イリス漫画同好会》の発足よりもずっと以前、わたしが単なる読者の立場に満足していたころ、紙屑置き場にまぎれ込んだマンガの本を漁っていたときに、〈小説〉もまた物語の一形態であり、いわば「絵のないマンガ」であることに気づいたのだ。

 わたしは紙屑の山から小説本を拾ってきては、診療所の仕事や家事や〈部活〉のあいまに、それを読んだ。楽しい本もあった。悲しい本もあった。愉快な本もあった。残酷な本もあった。

「言葉を通じて表現される物語」には、マンガとはまた別の魅力があった。あたかも、語り手の思考がそのまま脳内に流れ込んでくるような気がした。百年以上も昔の人の思考を、今この瞬間に、自分が追体験しているような気がした。これはマンガでは得られない感覚だった。

 いつからか、わたし自身も小説の文章のように思考する習慣を身につけていた。昔の本で目にした言葉や表現を借りて、自分の行動や周囲の状況を言語化する行為は、やるせない現実を生きるにあたって、一種の諦観を与えてくれた。いうなれば人生もまた一篇の物語に他ならず、わたしはわたしの人生の観察者に過ぎないのだ、という諦観を。

 それらの行為や感覚に共感してくれる人間がいなかったのは、先に述べた通りだ。

 小説本を診療所の自室に置いておけば、いずれは母が引き裂いて反故紙として使ってしまう。かといって、わたししか読まない小説本で、〈部室〉の限られた本棚を圧迫するのも嫌だった。未練がましく数冊の本を手元に残しておくよりは、いっそ最初から蔵書など持たないことに決めた。

 読み終えた本は紙屑置き場に戻しておいた。数日後に見にいくと、大抵その本は消えていた。ときには前回に読んだ本がまだ残っていることもあったが、その場合でも別の本を探した。未練は持ちたくなかった。執着すれば、一層つらくなるのはわかっていたから。

 今読んでいるのは、『ベヴィス』という異国の本だ。表紙には、大きな池の水面を棹で突いている二人の男の子と一匹の犬の絵の下に、「R・ジェフリーズ」と作者の名前がある。児童向けの本らしく、難しい言葉は使われていなかったので、わたしでもすらすらと読めた。主人公のベヴィス少年と相棒マークと忠犬パンの数々の冒険ごっこも、あとは最終章を残すのみで、本を紙屑置き場に戻すべき時期が近づきつつあった。

 最後のページまで一気に読み進めた。

 

 帰りぎわに、ベヴィスとマークは農園の丘にある楢の大樹の下でしばらく立ち止まり、うしろをふりむいた。南は満天の星空だった。海鳴りのように楢の木がざわめいていた。空は黒かった。天鵞絨のように黒かった。黒北風が吹きつけていた。まるでその風にあおられているかのように、星々がきらきらとまたたいた。

 大きなシリウスが光った。広大なオリオン座がその剣で天界を支配しつつ、夜空を歩きまわっていた。流星のきらめきが、中天から南の地平線へと落ちていった。黒北風は新芽をちぢこまらせていたが、もうそれらの新芽の中には、東にアークトゥルスがのぼるころに、若葉を吹きださせる力があったのだ。強い北風が楢の枝々をふるわせる音が聞こえた──

「風みたいに、このまま本物の海へ行けたらいいのに」マークが言った。

「ぼくらは本物の海へ行かなきゃならない」ベヴィスは答えた。「いざ、オリオンをめざして!」

 風は海へとむかい、星々はいつも海のかなたにあった。

 

(おわり)

 

 巻末にある三ページばかりのあとがきには、ジェフリーズとは、この本が翻訳された旧時代のさらに百四十年前──つまり今から二百年以上も昔──に生きていた人で、イギリスという土地に住んでいたと記されていた。

 それ以上のことは、わたしにはまったくわからない。そのジェフリーズ氏という人が、どんな性格の人で、どんな人生を送って、他にどんな本を書いたのか。おそらく、終生知る機会はないであろう。

 この本の舞台であり、ジェフリーズ氏が住んでいたイギリスが、地球の裏側にあるのは知っている。そして、わたしがその土地を訪れる機会は永久にやってこないのも知っている。わたしが月面や《廃京》を、決して訪れられないように。

 この『ベヴィス』も、明日には紙屑置き場に戻しておかねばなるまい。ひょっとしたら、この本が地球上に残された最後の『ベヴィス』の一冊なのかもしれないが、それでも壁の修繕や包み紙に使った方が、今のイリス沢にとっては役に立つのだから。

 気に病むことはない。この本の内容は、わたしがちゃんと憶えている。

 本を置いて上着を脱ぎ、シャツとパジャマを兼ねた肌着一枚になった。弟の安眠を邪魔しないよう気を遣いながら、掛け布団を持ち上げ、そっと隣にすべり込む。布団はイリス沢で不足している品物のひとつである。ほとんどの女の子は、親や兄弟姉妹と一緒の寝床で眠るのだ。

 幼い弟の体温をすぐ真横に感じつつ、狭苦しい部屋の四角い天井を見つめ、漫然と考える。とうとう、今日は一ページも描けなかった。少女時代の貴重な一日を、また無意味に過ごしてしまったのだ。

 そんなことをくよくよ思い悩むうちに、眠りに落ちていた。海と星々の夢を見た。

8

  なんやかんやあって、世界はこうなってしまった。現在わかっているのは、二十一世紀のなかばに突発的な気候の変動が起こったという曖昧な歴史だけだ。言い伝えによれば、その年は三か月にわたって日の光は月の光のようになり、六月に雪が降ったという。それにともなって世界中で起きた大飢饉と、社会と産業の崩壊の中で、人類はみるみるその数を減らしていった。

 食料の流通が止まり、ガスと水道と電気が止まると、都市は飢餓と汚染のために居住困難な場所となった。人々は比較的食料の豊富な郊外へと逃げた。あらゆる地域で暴動や略奪が日常化し、当時存在していた旧政府は機能不全に陥った。

 臨時総選挙で議会の多数を占めた急進派により、秩序回復のためのヒノモト新体制が打ち立てられた。これが旧時代の終焉であり、暗黒期の開始である。初期のヒノモト体制の提案者たちは、無為無策な旧ニッポン政府を見兼ねて、非常手段に訴えてでも民衆を救おうとした善意の人々であったと口碑は伝えているが、本当にそうだったのかはわからない。のちに新政府自身の命令で、この時期の記録の大半は焼却されてしまったからだ。

 いずれにせよ、彼らの善意は長くは続かなかった。新秩序のもとでも治安や物資の不足は一向に改善されなかったし、部分的には悪化しさえした。やがて、ヒノモト急進派の中でもさらなる強硬派の頭目が権力を握った。彼は穏健派を一掃して憲法と議会を停止し、すべての権力を彼個人に集中させ、新体制への反抗者を皆殺しにすることに決めた。信じられないのは、当時の民衆の過半数がこの方針を支持したことである。

 都市では過激な反技術主義と反知性主義が横行した。旧文明の施設や機械は片っ端から破壊され、旧時代の書物や記録媒体は見つかり次第焼かれた。大勢の人間が集団リンチで殺された。子供たちは文字を教えられず、農具と武器以外の機械は存在すら許されなかった。旧文明の崩壊の具体的な原因と過程について示唆を与えてくれたかもしれない記録の大部分は、この暗黒時代に失われた。

 旧文明のもとでは一介の研修医だったわたしの曾祖母が、親戚を頼って着の身着のままイリス沢へ逃げてきたのは、このころである。イリス沢もまたヒノモト政府の支配下にあったものの、当時のこの地は山奥の限界集落に過ぎず、交通の便の悪さもあいまって、クデタから定期的に監視官が訪れる程度で済んでいた。

 代々続く地元の名家であったナグモの当主は、新政府に対して徹底した服従で応じた。本来なら元地主というだけで真っ先に処刑されてもおかしくはなかったのだが、すべての土地を率先して差し出し、さらには不穏分子の摘発や旧施設の破壊や焚書に積極的に協力することで、新秩序に忠実な人物として難を逃れた。この人が比那子の高祖父であった。

 このことから、今もなお比那子の高祖父を臆病な卑劣漢呼ばわりする人もいるが、わたしは違うと思う。彼は新政府の方針に表面的に従う一方で、わたしの曾祖母のような人物を知らぬ存ぜぬでかくまい、田畑を駄目にしてしまう新農法の導入をぐずぐずと遅らせ、結果的にイリス沢の被害を最小限に抑えたのだ。

 そして三十年が過ぎたある日、突然にヒノモト政府は消滅した。

 ある朝、《廃京》の近郊に住んでいた人々は、都心の方角に広がる赤い霧を見た。その奥におぼろげに見える大地や建物は墨のような黒色に変化しており、動くものの影さえ見えなかった。午後になると、赤い霧は周辺の都市へ皮膚病のように飛び火し、それらの土地でも草木が一斉に黒く立ち枯れ、人がばたばたと死んだ。数少ない生存者は山奥の僻地へと逃げのびて、この話を伝えてから死んだ。

 一体《廃京》でなにが起こったのか。真相は誰も知らない。

 迷信深い者は、ヒノモト政府が国中で寺社を破壊した劫罰として、《廃京》の中央に黄泉の国への入り口が開かれたのだと信じている。吸い込んだ者に死をもたらす赤い瘴気は、冥界にたなびく霧がこの世に洩れ出したものである。

 毒性の強い元素を含む彗星が落下したのだと、まことしやかに語る者もいる。旧文明の天文台や観測所はいずれも暴徒の略奪にあって廃墟同然となっていたから、この説にしても実際のところは不明だ。

 黄泉の国や彗星よりも合理的で説得力のある説としては、内戦の結果だというものがある。当時、本州は二つの国家に分割され、ヒノモト政府はその分離独立した反乱政府と交戦状態にあった。その国土の支配権をめぐる争いに禁断の兵器が使われ、双方が共倒れになったというのだ。この説を主張する者は、中央政府の消滅と時を同じくして反乱政府も沈黙したのを、その根拠としている。おそらくは反乱政府の主要都市にも、赤い霧に包まれた黒い荒野が広がっているのであろう。

 すべての政府が消えたあとには、文字通りの完全な無政府状態が残された。現在では汚染の範囲はふたたび都心部にまで縮こまり、それ以外の場所では青空が広がっている。しかし、土壌は依然として耕作不能なままであるし、そこに住み着いているのは少数の武装した略奪者の集団のみである。

9

 暗黒時代が終わると、再建の時代がはじまった。わたしの祖母の時代でもある。

 暗黒期のあいだ、曾祖母はイリス沢の山奥にある炭焼小屋に隠れ住んでいた。外の世界ではまともな医療制度はとっくに崩壊しており、イリス沢の人々は治療が必要な病気にかかると、こっそりと曾祖母のもとを訪れる方を選んだ。

 イリス沢の病死者数の少なさに不審を抱いた中央政府の捜索の手が及べば、曾祖母はさらに山奥へと逃れ、ほとぼりが冷めるまで何週間も野宿した。そんな生活の中で曾祖母は女の子を産んだ。誰の子だったのかはわからない。祖母自身にしても、とうとう自分の父親の名前は知らずじまいであった。

 祖母は十二歳になるまでナグモ屋敷で養女として育てられた。やがて、ナグモの当主を継いでいた比那子の曾祖父にあたる人から、祖母は実の母について知らされた。祖母は曾祖母の助手に志願して医術を学び、曾祖母なきあとには、破壊され廃屋となっていた村の診療所を再建した。これがクリハラ診療所である。

 曾祖母は半生にわたる逃亡生活で損なわれた健康をとうとう取り戻せず、祖母が二十になった年、ヒノモト政府消滅の翌年に亡くなった。享年五十五であったという。

 ふたりが一緒に暮らした時間は、曾祖母の知る専門化された医学知識を伝えるのにさえ全然足りなかったが、さいわいにも彼女が隠し持っていた病理学や生理学の教科書があった。それらの書籍を熟読して、さらには、八年間の助手生活で学んだ技術と組みあわせることで、祖母は包括的な医学知識の体系を独力で再構築した。これらの初学者向けの教科書がなければ、循環器系・消化器系の知識や、疫学・栄養学の概念などは、とっくに忘れ去られていただろう。

 祖母のことはかすかに憶えている。優しい人だった。

 曾祖母の形見の櫛で、わたしの髪をすいてくれながら、

「悠凪は人形みたいに綺麗な髪をしてるねえ」

 そう言って、いつも褒めてくれた。わたしが今でも髪を伸ばしているのは、祖母の言葉の影響かもしれない。

 ただ、「人形みたいに綺麗な髪」という言葉の意味が、わたしにはちょっとわからない。わたしの知っている〈人形〉とは、遺跡から発見される煤ぼけた旧文明の遺物か、集落の母親たちが手作りする麻紐の髪を植え込んだボロ布の人形だけで、それらが「人形みたいに綺麗な髪」という比喩につながらないのだ。

 きっと、旧時代にはマンガの女の子のように綺麗な髪をした人形もあったのだろう。

「悠凪は賢くて器用だから、きっと誰よりも偉いお医者になれるよ」

 祖母はそうも言っていた。

「おばあちゃんや、おかあさんみたいに?」

 と、わたしが訊き返すと、

「もちろん、ばあちゃんやかあさんよりも、ずっとずっと立派なお医者になるよ」

 祖母は微笑みながら、そう断言した。

 そうなれたら嬉しいな、と子供心に思った。医師としての祖母は、わたしの憧れであったからだ。

 祖母は生涯にわたり、イリス沢の医師であり続けた。晩年には診療所の運営は母に任せ、自分はもっぱら過去の治療記録を編纂し整理する日々を送っていたが、母の手に負えない重病人が出ると、祖母みずからが手術刀を執った。七転八倒の苦しみの中にあった病人が、祖母の手術で回復し、何度も「クリハラの大先生」に感謝を述べている様子を見ると、わたしまで誇らしい気持ちになれた。

 仕事中の祖母に、「おばあちゃんはなんのお仕事をしてるの?」と、物心ついたばかりのわたしがたずねると、人体の仕組みや、病気の原因や、医者の役目について、子供にもわかる言葉で教えてくれた。わたしの医学教育の第一歩は、祖母の膝の上からはじまったと言ってもよい。

 そうそう、祖母は〈アニメ〉についても教えてくれた。異国の言葉で「命を吹き込まれたもの」という意味だそうな。父や母が生まれるよりもずっと前、祖母が当時のわたしくらい小さい子供だった頃には、まだナグモ屋敷に〈アニメ〉を見せるための道具が残っていたらしい。

〈アニメ〉とはどういうものかというと、要するに動く絵である。

 それを聞いたときは、「なーんだ」と思った。動く絵ぐらいわたしでも知ってる。つまり、紙人形劇のことだ。紙人形劇なら、レンジャク商人たちと一緒にやってくるナガレ者の天幕芝居で見たことがあった。

「そうじゃなくってねえ」

 わたしの返事に、祖母は説明しあぐねたように言った。〈アニメ〉とは、人間がぎこちなく手で動かす紙人形とは違い、絵の中の風景や人物が自由自在に動き回るものだという。

「それって、紙に描かれた絵がそのまま動き出すってこと?」

 わたしには信じられなかった。紙の上の絵が動いたなら、それは魔法だ。

 わたしは〈アニメ〉を見せてくれと、祖母にせがんだ。祖母は、〈アニメ〉を見るためには複雑な機械が必要で、それはもう世界のどこにも残ってないし、その機械の作り方を知っていた人も死んでしまったのだと、申し訳なさそうに答えた。それを聞いたわたしは、おばあちゃんが意地悪をすると言って泣き出し、祖母をすっかり困らせてしまった。

 今のわたしはマンガや小説を通じて得た知識で、〈アニメ〉とはどういうものであったかを知っている。それでも、やはりわたしの想像の中にある〈アニメ〉は、ちょっと複雑な紙人形劇の域を出ない。もっと詳しく祖母から聞いておけばよかったと後悔することもあるが、もう遅い。

 祖母は、少女の時期を苛酷な圧制と窮乏の社会で過ごし、成人してからは、飢餓と疫病と暴力が猛威を振るう無政府状態の中で生きてきた。そして、ようやく少しずつ世界がよくなりはじめた矢先に、死んだ。

 山奥の炭焼小屋で息を潜めて生活もせず、木の皮や藁を齧る飢饉も体験せずに、ふた親のもとでぬくぬくと育ってきた孫娘を、彼女はどんな想いで眺めていたのだろうか。それを考えるたびに、わたしは胸が締めつけられるような気持ちになるのだ。

 だから、祖母との誓いは果たさねばならない。わたしはイリス沢の医者となり、祖母の仕事を引き継がねばならない。この世界を、もっともっとよい場所にしていくために。


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二十一世紀半ばに文明は滅んだ。東京は赤い霧に包まれ、そこから戻って来た者はいない。山奥の僻村イリス沢に生き残った少数の人々は、原始的な農耕と苛酷な封建制の下で命を繋いでいる。そんな時代でも、少女たちは廃屋を改造した〈部室〉に集まり、タンポポの〈お茶〉を優雅に楽しみながら、友情に、部活に、マンガにと、青春を謳歌する。彼女ら《イリス漫画同好会》の次なる目標は〈コミケ〉、それは旧時代に東京の海辺に存在したマンガの楽園だ。文明の放課後を描く、ポストアポカリプス部活SF。

『コミケへの聖歌』あらすじ