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『スノウ・クラッシュ』からバロック・サイクル三部作、最新作Termination Shockまで――ニール・スティーヴンスン作品ガイド(日暮雅通)

早くも話題沸騰の、ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ〔新版〕 』(ハヤカワ文庫SF)この記事では、本作の翻訳者である日暮雅通氏によるスティーヴンスン主要作品ガイドを公開します。

スノウ・クラッシュ 早川書房
『スノウ・クラッシュ〔新版〕』早川書房

『スノウ・クラッシュ』の原書が刊行されたのは1992年。ちょうど30年が経っている。この文庫での再刊も20年ぶりだが、これほど昔に出されたアイデアが今でも色褪せない、というより現在を先取りしていたことを考えると、ニール・スティーヴンスンが並々ならぬ作家であるとわかるだろう。

何が「先取り」なのかというと、言わずと知れた本書のメインテーマ、「メタヴァース」である。この言葉(発想)が、ここへ来て大きな話題となり、ビジネスの世界に影響を与えているということは、皆さんもご存じと思う。今日、世界を席巻したIT企業の創業者の多くがSF小説に影響を受けたり愛読したりしているのだが、そうした中でも特に著作の名を挙げられる頻度の高いのが、スティーヴンスンなのだ。

『SF思考 ビジネスと自分の未来を考えるスキル』(ダイヤモンド社)の編著者、宮本道人氏の「SFを重視している著名人」リストによれば、Google の共同創業者ラリー・ペイジが本書『スノウ・クラッシュ』の愛読者であり、同じ共同創業者のセルゲイ・ブリンはGoogle Earth の開発に本書が影響したと言っているし、LinkedIn の創業者リード・ホフマンやPayPal の創業者ピーター・ティールなど、数々のビッグ・ビジネス創業者が本書のファンであるという。また、Amazon の創業者ジェフ・ベゾスは、Kindle の開発にスティーヴンスンの『ダイヤモンド・エイジ』が影響を与えたと言っているし、『七人のイヴ』はビル・ゲイツオバマ元大統領が推薦しているというのだ。

そして2021年の秋、フェイスブックが社名を「メタ(Meta)」に変更し、「メタヴァース」のイメージを強調すべく事業を再編成した。AR(拡張現実)やVR(仮想現実)の端末を使って人々がアヴァターの姿で自由に活動するヴァーチャル空間。まさに本書のメタヴァースだろう。今ではビジネスやテクノロジー関連のニュースに「メタヴァース」というワードを見ない日はないほどだ。

同じく本書に登場した「フランチャイズ国家」(巨大化した企業が、弱体化した国家を凌駕してつくる独立国家)という世界観が、今から30年前に打ち出されたものだということも考えると、やはりスティーヴンスンの卓越性は否めないところだ。

スティーヴンスンの現時点での最新作も、やはり近未来を扱った地球的規模のSFである。その作品も含め、この機会に、2000年以降に出た主な単行本作品も、順番に紹介しておこう。

〈The Baroque Cycle〉三部作

Quicksilver(第1巻、2003年)……2004年アーサー・C・クラーク賞受賞
The Confusion(第2巻、2004年)……2005年ローカス賞SF長篇部門受賞
The System of the World(第3巻、2004年)……2005年ローカス賞SF長篇部門受賞、2005年プロメテウス賞受賞

第1巻だけで『クリプトノミコン』全体と同じ量。3巻にわたる物語は通常の本の12冊分はあることになる。『クリプトノミコン』の登場人物の先祖たちが登場し、1661年から1714年までの世界でいずれも重要な役割(うち二人は主人公)を演じるという内容だ。「ロジック・ミル」と呼ぶ計算装置の開発があると思えば、ガレー船から脱出してスペイン海賊の財宝探しに挑む冒険物語もありという、言語や貨幣システムなどの理想型に近づいて世界を変えようとする科学者を中心とした、歴史冒険メタSF。

Anathem(2008年)……2009年ローカス賞SF長篇部門受賞

『スノウ・クラッシュ』は言語SFとしての側面をもっているが、本作でも、スティーヴンスンは新たな世界をつくり出すため、英語とラテン語、ギリシャ語をアレンジした新言語を創作した。舞台は遠い未来の地球に似た惑星。そこでは4千年ほど前に文明が崩壊寸前に陥り、再構成されたあとは修道士(科学技術の利用を制限されながら学問を学ぶ者)の集団と、修道会の外にいる者(科学技術を当たり前のように使う一般人)の2グループに分かれていた。
主人公のラズは、禁じられた技術を使って異星人の船を観測したせいで「アナセム」という儀式により修道会から追放された師、宇宙構造学者オローロのあとを追って、惑星の裏側にある修道会へ旅をする。「幾何学人」と呼ばれるエイリアンたちの攻撃から生き残ったラズは、並行宇宙から到来したこのエイリアンに対抗すべく、友人たちとともに秘密プロジェクトに参加するが……。

The Mongoliad(2010~2013年)

スマホ向けのアプリとして配信されることを想定した、インタラクティブ連続小説。モンゴルが征服した頃の中世ヨーロッパを舞台に、戦士や神秘主義者の活躍を描く冒険もの。プロジェクトの発端は、スティーヴンスン自身が〈The Baroque Cycle〉シリーズのときに描いた剣術シーンの信憑性に不満を抱いていたことだという。彼のほか、グレッグ・ベアなどのSF作家、映画監督、コンピューター・プログラマー、グラフィック・アーティスト、武術家や戦闘用の振付師、ビデオゲーム・デザイナー、編集者などが協力した。2010年から2012年まで配信されたあと、2012年から2013年にかけて三部作の単行本として刊行。

 Reamde(2011年)

麻薬密輸で莫大な違法資産を築き上げたリチャード・フォースラストの会社がつくった多人数同時参加型オンラインゲーム「T’ Rain」は、世界一の人気を得た。だが、リチャードの姉の養子ズーラの恋人ピーターが彼からメモリを借りたところから、事態は暗転する。ピーターはロシア人マフィアに所属してクレジットカード詐欺をしていたのだが、そのメモリは中国のT’ Rain プレーヤーが作ったReamde(Readme の偶発的または意図的なスペルミス)というランサムウェア・ウィルスに汚染されていた。
ロシア人たちはピーターとズーラを連れて、ハッカーたちから金を取り戻すため中国に飛ぶ。だが、そこで出会ったのは指名手配中のテロリストたちと、それを追うMI6のエージェントたちだった。テロリストたちはズーラを誘拐し、ブリティッシュ・コロンビア州の荒野に連れて行くが、カナダとアメリカの国境で銃撃戦が繰り広げられる……。いわゆるテクノスリラー。

Seveneves(2015年)
=『七人のイヴ』日暮雅通訳、新☆ハヤカワ・SF・シリーズ(3分冊、2018年)→ハヤカワ文庫SF(2分冊、2020年)

ある日突然月が崩壊し、2年後には無数に降り注ぐ隕石で地上の人類が滅亡すると予測される。各国政府は協力して、人類の遺伝情報や文化遺産のデータを未来に遺すため、国際宇宙ステーションを核とした宇宙船団による〝方舟計画〟を立案。宇宙に逃す1500人を選出する。だが、地上の人類が滅びたあと、船団の1500人は思想の違いから分裂し、互いに数を減らしていく。第二部で明らかになる〝七人のイヴ〟とは、どういう意味なのか……。
そして第三部、物語は5000年後の世界に飛躍する。宇宙にいた子孫はどうなるのか、地球に遺された人類は本当に滅亡したのか……深刻な遺伝子のボトルネックを経て宇宙文明として人類社会を作り直すことを描くハードSF。

The Rise and Fall of D.O.D.O.(2017年、ニコール・ギャランドと共著)

米国政府の秘密機関であるDODO(通時的作戦部門: Department of Diachronic Operations)のメンバーたちが、魔法を使って歴史を変えようとする、サイエンス・ファンタジイ。複数の形式の物語で構成されているが、中心となるのは1851年にロンドンで書かれた女性の一人称による通時的記録(ダイアクロニクル)。彼女のメモのほか、日記や記録、オンライン・チャットなどが使われており、それぞれフォーマットやフォントが異なる。一部は改訂されたり、不完全だったりするが、あとで、組織が崩壊しつつあるDODOのサーバーから密かに(無造作に)盗まれたものだと説明される。

Fall; or, Dodge in Hell(2019年)

2011年のReamde に登場したリチャード・〝ダッジ〟・フォースラストが「精神アップロード」をする、スペキュラティヴ・フィクション。億万長者のダッジは脳死状態になるが、遺言にしたがって冷凍保存された脳が完全にスキャンされ、そのコネクトーム(神経回路の地図)がデジタル形式で保存された。
数年後、彼の孫ソフィアが大学の卒業研究でドッジのコネクトームをアニメーション化すると、それはエグドッドと名乗り(EgdodはDodge の逆スペル)、独自の物理法則を持つ仮想世界を構築した。だがその世界は、昔ダッジの遺体を引き取る契約をしていた会社のエルモ・シェパードに乗っ取られてしまい、ダッジとエルモは最後の対決をすることになる。

Termination Shock(2021年)

気候変動が人間社会を大きく変えてしまった近未来の地球を舞台にした、クライメート・フィクション。テキサスの大富豪T・R・シュミットは、成層圏に何ギガトンもの硫黄を吹き込み、熱を奪うガスに対抗して地球を冷やす計画を立てる。火山の噴火の効果を再現するものだが、すべての地域に効果をもたらすとは言い切れなかった。彼は誠実さを示すため、海面上昇で水没する恐れのある国の代表者をプロジェクトの立ち上げに招待した。
その中にいたのが、もうひとりの主人公である、オランダ女王の孫娘サスキアだ。彼女がテキサスに到着したときに命を救ってくれた野生イノシシの賞金稼ぎ(農場や牧場を荒らす野生イノシシを捕まえる職業)、ルーファス・グラントを加え、三人の主人公が、銃撃戦とサイエンス&テクノロジーとロマンスという要素に満ちた、国際的な陰謀をめぐる物語を展開していく。タイトルは、一度始まったジオエンジニアリング計画を急に止めると、ターミネーション・ショックと呼ばれる急激な温暖化を引き起こす可能性があるという考えに基づいている。

なお、早川書房で刊行され絶版となっていた『ダイヤモンド・エイジ』と『クリプトノミコン』は、『スノウ・クラッシュ』と同時配信で電子版による復刊がされることになった。本書とともに読んでくだされば、スティーヴンスンの作品世界をさらに深く知ることができると思う。

お読み逃しなく!

SmartNews創業者・CEOの鈴木健氏による「『スノウ・クラッシュ』解読」は▶こちら

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