見出し画像

1月19日発売『母を燃やす』(アヴニ・ドーシ/川副智子訳)の「訳者あとがき」を特別公開!

あらすじ
アンタラの母は若い頃から自由奔放だった。結婚して出産した後も抑圧を嫌い、幼いアンタラを連れて家出、アシュラムと呼ばれる修行所に入り導師(グル)の愛人になるような女性だった。夫から離縁されて実家に戻っても、アンタラを寄宿学校に預けっぱなしにしたり、新しい恋人との関係に耽溺したりする日々だった。三十年後、アメリカ育ちの夫と暮らすアンタラは、母の認知症が進んでいるかもしれないと医師から伝えられる。だが、幼い頃から娘を顧みようとしなかった母を、アンタラが簡単に許せるわけもなく……。

インド系アメリカ人作家アヴニ・ドーシによる、デビュー作にして2020年ブッカー賞最終候補作、母と娘の愛憎をきめ細やかに描き、世界26言語で翻訳が決定した『母を燃やす(Burnt Sugar)』が1月19日水曜日に早川書房から刊行されます。発売に先がけ、翻訳家の川副智子さんによる「訳者あとがき」を特別公開いたします。

※画像をクリックすると、Amazonのページにとびます。

装画:いとう瞳  装幀:田中久子

訳者あとがき

「毒親」という言葉が日常の会話や文章に定着してもう十年は経つだろうか。もはや一般化しすぎて、その語の由来はあまり知られていないかもしれないが、もとになったのは米国のセラピスト、スーザン・フォワードによるtoxic parents という表現だった。これはそのままフォワードの著作Toxic Parents(一九八九年刊)のタイトルにも使われ、日本語版では、初版(毎日新聞社、一九九九年刊)以来一貫して『毒になる親』と訳されている。身近に毒があると有害なだけでなく、そのことに慣れすぎて無感覚になる。またはそれなしではいられなくなる。つまり中毒を起こす。本書『母を燃やす』に寄せられた英米の書評に多出するtoxic mother「毒になる母」という語を追いながら、中毒性をもった母娘の関係をあらためて思った。
 一九八一年に結婚し、インド西部の都市プネーで抑圧された生活を送っていた若いタラは、自分の欲求に従って生きることを選び、「アシュラム」と呼ばれるヒンドゥー教の修行所に飛びこんだ。道連れにされた生後まもない娘のアンタラは七歳になるまでその場所で、母がいるのに世話をしてもらえない生活を強いられた。
「母の不幸にまったく喜びを感じなかったといえば嘘になる」──辛辣でありながらどこか突き抜けた感のあるこの一文は、およそ三十年後の現在、アルツハイマー型認知症との診断を受けた母の世話をせざるをえない立場に置かれているアンタラのつぶやきだ。幼児期の育児放棄に始まる「毒母」との愛憎の道のりの総括のようにも、この先の自分への鼓舞のようにも聞こえるこのつぶやきで幕が開くアンタラのセルフ・セラピーは、時空を自在に行き来しつつ、まるで彼女が描く線画のポートレートのように日々刻々と彼女自身に変化をもたらす。微細な変化を重ねて行き着いたところには、果たしてどんな自画像ができあがっているのか? それを見届けたい一心で息をひそめて読み進んだ。
 思わず、息をひそめてなどと言ってしまったが、そんないっときも気を抜けない緊張がどの場面にもみなぎっている。しかも、ときおり前触れもなく、むき出しの感情がむき出しの言葉で襲いかかってくる。たとえばこんなふうに。
──わたしは自分たちの結びつきの深さも、彼女の破滅はまちがいなく自分自身の破滅につながるということも理解していた。(アンタラ)
──昔からわかってたのよ、あんたを産んだら人生が破滅するってことは。(タラ)
──わたしは彼女を、母を、愛している。死ぬほど愛しているのだ。母がいなくなったら自分がどこにいればいいのかわからない。自分が何者になるかもわからない。(アンタラ)
 アンタラの出産を境にあきらかに小説のなかの空気の流れが変わり、収束を求めるように、あるいは溜めこまれたものを爆発させようとするように加速していくのがわかる。結末近く、アンタラ夫婦の住まいでタラと赤ん坊のアニカを取り巻いた人々が、アンタラの知らない歌を延々と歌いつづける奇妙なエネルギーと連帯感に包まれたシーンは圧巻といっていいだろう。集ったメンバーは、子どものころに別れた父、父の新しい家族、アメリカ育ちの夫、その母親、富豪の友人夫婦、そして昔ながらのインドの女である祖母。脇にはメイドもいる。でも、アンタラの精神形成に大きな影響をおよぼしたアシュラムのカーリー母さん(マーター)も、母がかつて愛したレザ・パインも、当然ながらそこにはいない。彼らは影も形も匂いすらも残していない。アンタラはその場の「有毒な」空気に耐えきれず外に出るのだが……。

 一九八二年、ニュージャージー州のインド系移民一家に生まれた著者のアヴニ・ドーシは、ニューヨーク市のバーナード・カレッジで美術史を学んだのち、ロンドン大学で修士号を取得。キュレーター兼現代アートの批評家として、《ヴォーグ》誌、文芸誌の《グランタ》、《タイムズ》紙の日曜版といった媒体で執筆していた。アンタラと同じく母方の祖母との関係が深いようで、冬はその一族が暮らすプネーで過ごすことが多かったという。幼い少女の目で見たアシュラム、とりわけ瞑想部屋での修行者たちの描写は、著者自身がなんらかの形で現場を体験したことがあるのではないかと思えるほど臨場感にあふれている。白い木綿の衣をまとって瞑想する人々を表す「白いピラミッド」という印象的な言葉に象徴されるように、母と引き離された幼いアンタラにとって、彼らの瞑想は異様な光景でしかなかった。
 その白いピラミッドたちの中心にいる「巨人」の導師(グル)のモデルは、《ガーディアン》紙が指摘しているとおり、バグワン・シュリ・ラジニーシと考えてまちがいなさそうだ。人間は愛と瞑想によってかぎりなく自由になるという教えから独自の瞑想法を開発したラジニーシは、一九七四年、プネーにアシュラムを創建し、世界の若者を惹きつけたが、揶揄まじりに「セックス・グル」とも称されていて、死去した年齢も時期も本書の「ババ」とほぼ重なる。
 ドーシのデビュー小説である本書は、二〇一九年、Girl in White Cotton としてインドで出版され、翌二〇二〇年、Burnt Sugar と改題されて英国で出版、二〇二一年には米国でも出版された。現在二十六言語で翻訳出版されており、二〇二〇年ブッカー賞最終候補作に残ったほか、二〇二一年ウィミンズ・プライズ・フォー・フィクション(旧オレンジ賞/ベイリーズ賞)の候補にも挙がるなど好評を博した。インド出身のカナダの女性監督ディーパ・メータによる脚本・監督で映画化されるという最新情報も伝わってきている。
 Girl in White Cotton からBurnt Sugar への改題の経緯は定かでないが、本書におけるキーワード、burn(燃やす)を活かした改題のセンスはすばらしい。母はアンタラの作品を燃やし、アンタラは母に砂糖を与えて母の脳で糖を燃やす。どちらの場合も行為者は強い意思と目的をもってそれをおこなっている。母と娘の毒の話に戻れば、特殊な「毒母」がこの世にまれに存在するのではなくて、強度も性質もまちまちな毒がおそらくは母娘の数だけあるにちがいない。だからこそ「毒母」なる言葉がこれだけ広く受け入れられたのだ。心のなかで「母を燃やす」ことをしている人はたくさんいるはずだ。逃げ場を見つけられずに戻ってきたアンタラが目のまえのドアを開けたら、そこからまた新たな母と娘の──アンタラとアニカの──毒をはらんだ愛の物語の幕が開くのだろう。

 二〇二一年十二月







みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!