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【書評】三田誠:『標本作家』/〈異才混淆〉とシェアードワールドについて

大好評発売中の第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作、小川楽喜『標本作家』。本記事では『S-Fマガジン』2023年6月号(4/25発売)に掲載予定、作家/ゲームデザイナーの三田誠さんによる『標本作家』の書評を先行公開いたします!

小川楽喜『標本作家』(四六判・上製)刊行日:2023年1月24日(電子版同時配信)定価:2,530円(10%税込)装幀:坂野公一(welle design) ISBN:9784152102065
小川楽喜『標本作家』(四六判・上製)
刊行日:2023年1月24日(電子版同時配信)
定価:2,530円(10%税込)
装幀:坂野公一(welle design)
ISBN:9784152102065


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 すでに人類が滅びた遠未来。高等知的生命体である「玲伎種」は、かつての人類から名だたる文豪たちを復活させ、不死固定化処置を施した後、専用の収容施設〈終古しゅうこ人籃じんらん〉で何万年もの間、新たな小説を書かせ続けていた――。

『標本作家』の設定は、おおよそ以上のようなものとなる。
 いかにも壮大な設定でありつつ、やっていることはそれぞれが原稿用紙であったりパソコンであったり、はたまた我々には想像しかできない未来の端末に向かい合ったりと、結局は作家らしい――つまり極めてミクロな執筆作業に終始する。このギャップの大きさが、作品の魅力のひとつであることは論を俟たないだろう。
 だが、この執筆作業においても、『標本作家』はひとつ非現実的な設定を持ち込んでおり、その奇抜な設定と裏腹のリアリティこそが、この荘厳かつ繊細な物語が空中分解しないよう裏打ちしているのだ。
 〈異才混淆いさいこんこう〉。読んで字の如く、文豪たちの才能を混淆させて、それぞれの作家たちの作風を違和感なく出力できるようになるという、玲伎種の超常的な技術。これによって、文豪たちは生前にはなしえなかった、新しい感性の作品、多人数による大長編を著しうる――と同時に、序盤から指摘されるこの技術の問題こそが、『標本作家』を最後までドライブするのだが、ここでは〈異才混淆〉の不思議なリアリティが、現実にも存在する作劇法によるものだ、という話をしたい。

 さて、シェアードワールドという名前ぐらいは、ご存じの方が多いのではなかろうか。有名なところでは『アベンジャーズ』に代表されるマーベルの諸作である。いまや映画界において金字塔となったマーベル・シネマティック・ユニバースのシリーズだが、これらも、また原作となったマーベルコミックスも、「ひとつの世界観においてさまざまな監督や作家がそれぞれの才能や感性を活かして創作する」というシェアードワールドの手法を取っている。同じ世界観で、キャプテン・アメリカとスパイダーマンがそれぞれに活躍していて、たまに一緒に出てくる作品もつくられたりする、ということだ。
 同じカテゴリに、『スタートレック』や『スター・ウォーズ』も入ることになるだろう。
 だが、ここで注目したいのは、『標本作家』の作者である小川楽喜の経歴である。小川氏にとって『標本作家』というのはいわば再デビューであり、最初は二十数年前、ゲーム会社・グループSNEにおいて、TRPG『ゲヘナ』をひっさげてゲームデザイナーとしてのデビューを果たしている。TRPGの説明を細かくすることは避けたいが、おおむね「ルールブックで規定された世界観の中で、集まった複数のプレイヤーがひとつのシナリオを遊ぶアナログゲーム」だと考えてほしい。
 つまり、TRPGとは必然的にシェアードワールドの要素を含むのである。
 当時、私(三田誠)は、この『ゲヘナ』の制作において、小川氏と一緒に何冊かの作品を出す機会に恵まれた。アラビア風世界において超常的な能力を手に入れた享受者となり、さまざまな試練に立ち向かうといったゲームであったが、小川氏の世界観をなるべく損なわないため、細心の注意を払ったのを覚えている。小川氏が最初につくりあげた『ゲヘナ』の世界観は、「本物の地獄の底で、共産主義の矛盾に苦しめられた超人が、その苦悩ゆえに自殺する」といった極めて鮮烈かつハードなものだったのだ。商業での出版時にはユーザーに遊びやすくするため、かなりマイルドに調整されているが、私はこの最初の『ゲヘナ』にこそ魅せられており、せめてその空気だけでも残せないかと苦心惨憺したのである。
 しかし、二十年以上を閲した今正直なところを言えば、最も『ゲヘナ』が強烈であったのは商業化される前の、小川氏が同人でのみつくりあげていた最初期バージョンだったのではないかと考えずにいられない。勘違いされないように言うと、TRPG『ゲヘナ』は多くのユーザーに愛されたシリーズであり、第二版である『ゲヘナ/アナスタシス』も刊行され、今でも中古品がプレミア価格で売り買いされているほどだ。だが「遊びやすくする」というのは、尖った作家性を鈍くする危険性を常に秘めている。当時の小川氏が諸事情あって筆を折った後も、私は彼の初期原稿をどうしても廃棄できず、ずっと本棚に保存していた。
 作者の意図かはともかくとして、〈異才混淆〉のリアリティは、こうしたシェアードワールドの経験から生まれたものではないだろうか。

小川楽喜/グループSNE『ゲヘナ』

 現代において、シェアードワールドの影響は極めて大きい。
 先にマーベルや『スタートレック』の例を挙げたが、大規模化したデジタルゲームは、そのほとんどが制作においてはシェアードワールド的な側面を持つ。ともすれば、ひとつのゲームに何十冊分というテキストが採用される現代において、複数の著者が作業を分担するようになるのは必然的な流れだからだ。
 これも私が関わった中で言えば、『Fate/Grand Order』というソーシャルゲームは八年前から運営されており、すでにシナリオ総量は五百万字を超えている(2019年時点で公表された数値なので今は倍近くになっているだろうか)。その壮大な世界観は必ずしもゲームだけで完結せず、多くのアニメやスピンオフ作品で展開・補完され、ユーザーはその中で好きなところを楽しんでいけばいい、という構造だ。その内容は別世界線のもの、ギャグ的な作品、メシ漫画もの、ミステリタッチな作品など、多種多様に構築されている。こうした多様性を尊重した手法は、まさしくシェアードワールドの長所を活かし、短所を補うためのものだ。作家性を鈍くする危険性を最低限にして、むしろ複数持ち込まれる作家性と思想によって物語を豊かにするための作劇法、と言えばよいだろうか。とりわけゲームを中心に展開する物語は、物語を体験するプレイヤー=読者となるため、双方向の体験で形成される。
 複数の作家のみならず、読者ユーザーをも巻き込んで構築される、現代の物語ということになるだろう。
『標本作家』の作中では、「未来の文豪」として描かれるロバート・ノーマンの作品がこれによく似ている。ロバートが二十二世紀に運営したとされるゲーム『解しがたき倫敦』は、いわゆる「脱出ゲーム」や体験型推理ゲーム「マーダーミステリー」を彷彿とさせる、作者と読者の双方向体験だ。現実でも『死亡通知単』(邦訳:『死亡通知書 暗黒者』)シリーズの周浩暉がマーダーミステリーを執筆していたりする。日本のミステリ作家でもマーダーミステリーを執筆する例は増えている最中だ。
 未来の文豪として、こうした双方向の物語(とそのノベライズ)の作者を据える以上、小川氏の考える作家像とは、必ずしも作者ひとりで完結するような古典的なものではないだろう。それでいて物語全体は伝統的な価値観に集約されていくこととなる。

 おそらく、このねじれが『標本作家』において現代性と古典性を両立させている。
 〈異才混淆〉という超技術――その根底となるシェアードワールドという現代的な作劇に対する展望と疑念が同居しているのだ。優れたSF作品の多くがそうであるように、『標本作家』もまた現代と未来に向けて、希望と警句の双方となりうる。とりわけ私のように深くシェアードワールドに関わる作家には身の引き締まる警句である。
 そして、その観点はゲームデザイナーでもあった小川楽喜氏の経験から喚起されたものだろう。
 過去、現在、未来において究極の小説とはなんなのか。
 作家とは孤独なものなのか。孤独であるべきなのか。それともSNSなども含めて多くの人々と交流し、多様な価値観と感性を合わせ持つべきなのだろうか。
 その狭間に、標本作家たちの住む〈終古の人籃〉は揺れている。

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三田 誠(さんだ・まこと)
1977年兵庫県生まれ。作家、ゲームデザイナー。元グループSNE所属。代表作に『レンタルマギカ』、『ロード・エルメロイII世の事件簿』など。

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