見出し画像

もし、夫が自分の信じているのとはまるで違う人間であると世間から言われたら──米200万部突破サスペンス『彼が残した最後の言葉』訳者あとがき

著者初のミステリ小説にして、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーの第1位に上りつめ、アマゾンのレビューは13万件超え、アメリカで爆発的なベストセラーとなっているローラ・デイヴ『彼が残した最後の言葉』(原題:The Last Thing He Told Me)が竹内要江さんの翻訳で刊行されます。

今年から配信開始となったApple TV+ドラマ化作品は、第1話の視聴者数が340万人に達し、今年最も視聴されたドラマのエピソードを記録!日本でも配信が始まっています。最後まで息をつかせぬ、家族の物語。その読みどころとは? 訳者の竹内要江さんのあとがきです。

 訳者あとがき

 

「彼女を守って」──結婚してまだ一年と少しの夫がそんな謎めいた言葉を残して突然失踪した。残されたのは、あまり愛想のよくないティーンエイジャーの継娘と大金のつまったダッフルバック……そんな状況であなたならどうする? パニックになり途方に暮れるといった反応も予想されるだろう。だが、本書の主人公で、木工作家である妻ハンナは、数々の謎を解くべく夫の娘であるベイリーとともに住まいのあるカリフォルニア州サウサリートからテキサス州オースティンへと旅立つ。そこで徐々に明らかになる夫、オーウェンの、そしてベイリーの過去とは?

本書はThe Last Thing He Told Me(Laura Dave, Simon & Schuster, 2021)の翻訳である。著者のローラ・デイヴは1977年ニューヨーク生まれ、現在はカリフォルニア州サンタ・モニカ在住の作家で、本作以前にHello, Sunshine(2017)、Eight Hundred Grapes(2015)など女性を主人公に据え、その生き方やパートナー、家族との関係を描く長篇小説を5冊上梓している。6作目に当たる本作は著者初のミステリ作品になるのだが、2021年5月に発売されるやいなやニューヨーク・タイムズ・ベストセラー・リスト入りを果たし、その後65週もの長きにわたり同リストにとどまった。アメリカ国内では200万部の売り上げを記録し、書評サイト「グッド・リーズ」チョイス・アワードを受賞(2021年ベストミステリ/スリラー部門)、『われら闇より天を見る』の作者クリス・ウィタカーから推薦文が寄せられるなど高評価を受けている。

《ニューヨーク・タイムズ》紙の本書を紹介する記事によると、2000年代初頭に不正会計が露見して米エンロン社が破綻した際(同社の破綻は本書でもオーウェンの勤めるIT企業〈ザ・ショップ〉の不正会計スキャンダルで引き合いに出されている)、創業者である夫の無罪を信じていると語る妻の姿をテレビで観ていた作者が、「自分の夫が自分の信じているのとはまるで違う人間であると世間から言われたらどうする? 最愛の人がどんな人なのか、ほんとうにわかるものだろうか」という疑問を抱いたことから本書の構想ははじまったという。さらに、作者が目指したのは「希望」に根差したミステリであり、だれかに裏切られた状況にあってもなおそこに残る「信頼」を描きたかったということだ。

本書は一貫してハンナの視点から語られる。このため、夫であるオーウェンが自分の知らない顔を持っているのではないかという戸惑いや不安は読んでいるとストレートに伝わってくる。だが、いっぽうでそのような気持ちは徐々にオーウェンへの揺るぎない信頼へと変わり、オーウェンがなによりも大切にしているベイリーを守るためにハンナを大胆な行動へと走らせる。そこにはいない相手への愛や絆の強さが全篇を通して描かれているのがわかるだろう。

本書のもうひとつの重要なテーマは「母になる」ということだ(これには、本書の執筆期間中に出産して「母になった」作者自身の経験も大きく影響しているだろう)。ハンナはニューヨークに工房を構え、木工作家として成功を収めていた。そんな彼女が、過去に事故で妻を亡くしたオーウェンと結婚してベイリーの「母」となる。ハンナとベイリーの仲は最初はぎこちない。幼い頃に母に去られた経験を持つハンナはなんとかベイリーとの距離を縮めようとするのだが、それまでずっと父子で暮らし、自分の世界を確立しているベイリーはそっけない。だが、オーウェンの失踪という非常事態に至り、ふたりで謎を解かざるをえない状況になってたがいに少しずつ歩み寄っていく。

「母になる」ということに関しては、たとえばイスラエルの社会学者オルナ・ドーナトの『母親になって後悔してる』では、母親の役割をすんなりとは受け入れられない女性たちが紹介されている。生物学的に母になった場合でも、その役割にかならずしも自動的になじめるわけではないのだ。ましてやハンナはそれまで自立して生きてきた女性だ。そんな彼女が、夫の娘であるベイリーを守りたいという気持ちから率先して「母」というケアを担う役割を引き受けていく。これもまた、「最後の言葉」を残して姿を消した夫との約束を守るための彼女なりのやり方なのだろう。

ところでマザーフッド、「母性」といえば、日本の小説でもたとえば湊かなえの『母性』や角田光代『八日目の蝉』などの、重圧となる母親の愛情や、他人の子を誘拐して「母」になるさまが描かれる作品からは、それがどこか狂気と紙一重であることもうかがえる。これは著者の意図からは外れるかもしれないけれども、本書は一貫してハンナの視点から語られるので、これがすべて彼女の思い込みだったら……と思うと背筋がうすら寒くはなる、ような気も個人的にはしている。パートナーへのゆるぎない愛が描かれる本作ではあるが、多様な読みもまた可能ではないかと思うので、読者のみなさんもぜひ意外な結末の意味に思いをめぐらせていただきたい。

訳者が本書の存在をはじめて知ったのは、俳優のリース・ウィザースプーンが自身の主宰するブック・クラブの推し本として本書を熱心に紹介していたのをSNSで見かけた際だった。彼女が製作総指揮をとり、出演もしているTVドラマ『ビッグ・リトル・ライズ』(原作はリアーン・モリアーティ『ささやかで大きな嘘』)は小学生の子を持つ母親たちが登場するクライム・ミステリなのだが、本書では一筋縄ではいかないティーンエイジャーとの接し方に主人公が苦労するようすが描かれている。そんな「思春期あるある」に、とくに子育てを経験したか、経験している最中の読者にはおおいに共感いただけるのではないかと思う。

なお、本書はウィザースプーンの映画配給会社ハロー・サンシャインによってドラマ化され、現在Apple TV+で『彼が残した、最後の言葉』として配信中である。ジェニファー・ガーナーが戸惑いながらも謎に向かっていくハンナを好演している。原作である本書と比べてみるのも楽しいかもしれない。

***


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!