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「フェイスブックとは何か? 定義してみてほしい」――FBの新人研修の中身とは? 元プロダクトマネジャーが実体験を明かすリアルIT戦記『サルたちの狂宴』下巻・試し読み

「インパクトを起こせ」「自分の限界を超えろ」「完璧を目指すよりまず終わらせろ」巨大ソーシャルメディア企業フェイスブックの新人研修では、かつてこんな刺激的な言葉が飛び交っていたようです。プロダクトマネジャーとしてFB社に中途入社した若手起業家アントニオが、自らの体験記『サルたちの狂宴――下 フェイスブック乱闘篇』で、その実態を明かします。

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第二四章 ブートキャンプ

ひとたび境界を越えると、英雄は奇妙に流動的で不明瞭な形をした夢の土地へ足を踏み入れる。そこでは一連の試練を乗り越えなければならない。助言や魔よけやここへ来る前に出会った超自然の存在が秘密のうちに差し伸べる手によって、英雄はひそかに助けられる。試練の地へ向けたそもそもの第一歩は、最初の関門を克服し啓示を受けるという長くじつに危険な道の始まりにすぎなかった。龍たちは駆逐され、驚くべき障壁も乗り越えた。何度も何度もそれを繰り返した。やがて、さしあたっての勝利を幾度も重ね、そのたびに喜びに酔いしれ、すばらしい場所の姿を垣間見るようになる。
         ──ジョーゼフ・キャンベル 『千の顔をもつ英雄』  

2011年4月25日

 町の中にあるもうひとつの町といっていい現在のキャンパスができる前、フェイスブックはスタンフォード大学の東側にあたる、パロアルトの中では低所得者向けの地域にある二棟の建物にオフィスを構えていた。一棟はカリフォルニア・アベニューにあり、ザック、エンジニアリング部門、広告部門のほか、実際のプロダクト制作に関わるチームはすべてこちらにあった。もう一棟は一本隣の大通り、ページ・ミル・ロードに面していて、セールス、法務、オペレーション、そのほか技術面以外でフェイスブックを支える部門がそろっていた。両者の間はこぎれいな白いシャトルバスが往復して人々を運び、ときおり、この一キロ弱の道のりをエクササイズのためや太陽の光を浴びるために歩く社員の姿もみられた。

 新しく入るスタッフを対象にした終日のプログラム、オンボーディングの会場は非技術部門の建物だったので、ページ・ミル・ロードへ向かうシャトルに乗る。会場の会議室は「ポン」という名前がついていて(そう、隣の部屋は「ピン」だ)、プレゼンテーション用の広い部屋だった。壁にそって一段高くなった演壇が設けてあり、幅の細い長机が生け垣のように部屋の端から端を横切って並んでいる。いつもどおり、話し手の目の前、最前列の席に陣取った。細かな点までしっかり観察して相手を見定めるためだ。

 はじめに人事部のスタッフがどうでもいいあいさつをしたあと、すぐに最初の登壇者に移った。僕のスーパーボスでフェイスブックのプロダクト部門責任者、クリス・コックスだ。

 クリスはライアン・ゴズリングやジョニー・デップの系統に属する格好よさがあった。ほどよく和らげた男らしさをぬいぐるみっぽい愛らしさで包んだ、いかにも女性に好かれるようにあつらえられた魅力がある。フェイスブックのPRイベントに登壇するとかならずツイッター上で感嘆の黄色い声があがる、という内輪のジョークが社内でよくささやかれていたほどだ。話がうまく、その天賦の才能を存分に発揮して、フェイスブックとメディアの未来について僕らを引きつける話を展開する。トップバッターとして、新しく加わる僕たちがこれから築いていく世界について、全体的なビジョンをはじめに植え付ける役目のようだ。

「フェイスブックとは何か? 定義してみてほしい」壇上へ上がると同時に、じっと注意を向ける面々に挑戦するような調子でそう問いかけた。

「ソーシャルネットワークです」

「違う! そうではないんだ」

 見わたして次の答えを促す。

 サクラではないかと思うほど完璧なまでにはっきりした口調で、元気のいい若いインターンが答えた。「自分専用の新聞です」

「そのとおり! 読んでおくべきこと、考えるべきことが詰まっていて、それが毎日自分のもとに届けられるんだ」

 そこから、シリコンバレーではおなじみの比喩を使った話を展開していく。これまでに存在したテクノロジーの歴史のなかに今取り組んでいるプロダクトを位置づけ、このプロダクトはその栄えある流れにおける究極かつ必然の最終形にあたる、と述べるやりかただ。ラジオとテレビは大量消費される没個性化したメディアであり、隆盛期には革命を起こしたかもしれないが、根本的に欠けているものがあった。より的を絞った細分化されたメディア、たとえば特定のジャンルを専門に扱う雑誌や、地域版が別刷りになっているような地方新聞などは、現在も進むメディアのパーソナライゼーションの流れを汲んでいる。だがフェイスブックこそ、現代のメディアがめざす目的論的な最終ゴールなのだ。

 フェイスブックは自分専用の《ニューヨーク・タイムズ》であり、自分専用のチャンネルだ。読んだり自分で書いたりでき、シリコンバレーのベンチャーキャピタル(VC)からウォール街のバンカー、畑を耕しているインドの農民まで、世界の誰でも利用できる。かつてブラウン管のテレビでつまみを回してチャンネルを合わせたように、誰でもチャンネルを合わせれば友人のページを見ることができ、自分に合わせてパーソナライズしたソーシャルコミュニケーションの世界を構築できる。そこでは、たとえばあるニュース記事の出どころが《ウォール・ストリート・ジャーナル》だという事実は付随的な側面でしかない。その記事は友人Aが投稿し、別の友人Bがコメントを入れ、妻が友人とシェアした記事なのだ。ここで初めて、新しくフェイスブックに加わった社員は、新聞や本、ひいては政府や宗教といった既存の枠を通してではなく、個人的な人とのつながりを通して解釈した世界という概念にふれることになる。自分自身と自分につながる友人とが、名声とは何か、社会的価値とは何か、終日休みなく活動する脳に何を取り込むべきかを再定義していくのだ。

 アンディ・ウォーホルは間違っていた。未来には誰もが一五分間は有名になれるのではない。一五人の相手に対して常に有名でいる、というほうが正しい。これが新しい考え方だった。外の世界にいる人々はまだ気づいていないかもしれない。だがフェイスブックの社員たちは──選ばれた少数の、幸せなわれわれは──そうした世界がやってくるのを知っていて、それを構築する手助けをするのだ。

 なかなかうまいプレゼンで、聞いていた若手たちは魅了されていた。使命を果たしたコックスはひと昔前の映画スターばりの笑顔を見せ、またたく間に壇上を去り、立て続けに控えているであろう次のミーティングへと消えていった。彼にとって新入りの心をつかむこのスピーチは、おそらく隔週で繰り返しているイベントのはずだ。王と国への忠誠を誓う通常のスピーチを、練りあげて完璧なまでに自然に出てくるようにしたのだろう。フェイスブックはいいところを見せるためなら手を抜かない。

 次に登壇したのはサイトインテグリティチームのエンジニアリングマネジャー、ペドラム・ケヤニだった。あとで知ったのだが、サイトインテグリティとはセキュリティー対策チームで、スパムやポルノをばらまく人間やボット、そのほかさまざまな悪意ある輩がフェイスブックとそのユーザー体験をぶち壊さないよう目を光らせる部署だ。フェイスブックが独自の価値をこの先も守っていくための基盤である、企業文化を伝えるのがペドラムの役目だった。隔月で開かれる「ハッカソン」を率いていたのも彼だ。ハッカソンはもともと徹夜でコーディングを行なうイベントとして始まり、エンジニアが自由にアイデアを試し、そこからいくつものアイデアが製品化されている(フェイスブック動画もその例【*】)。グーグル以来、IT企業の大半がエンジニアリング重視の文化を打ち出す流れとあいまって、ハッカソンは単に中華のテイクアウトを食べながらひと晩じゅう開発作業をする口実ではなく、フェイスブックらしさを大々的に前面に出して盛り上げる決起集会的なイベントへとシフトしていった。僕ものちに知ったが、やがてエンジニアのいない地方のオフィスでも開催するという妙な展開になり、自分の手で創造すること、会社に対してまるごとコミットすること、破壊的なイノベーションを起こすことの価値を外野からもたたえようというイベントになっている。

 ペドラムはこうした価値観を説くために壇上にいた。ここまででコックスが預言者的なビジョンを語ったが、それはまさにプロダクトに関わる人間が人を引きつけようとするプロパガンダ行為の一種だった。次はそのビジョンを現実にする武勇の徳について聞く番だった。ビジョンを現実にするのはエンジニアの義務だ。

 背が高く肩幅の広い身体をフェイスブックのロゴ入りTシャツで包み、さっきまでジムにいたかのような風采のペドラムが、どなりつけるように命じる。「前の仕事で学んだことだの、身につけた信条だのしがらみだの、そういうくだらないものは全部捨てろ」

 ヒートアップしながら続ける。フェイスブックという新しい世界では真実だけに価値がある。私欲を捨てた献身的な共同作業がルールだ(「誰が評価されるかとかは気にするな」)。フェイスブックが成し遂げた業績は(金銭的にはともかく、形の上では)みんなのものだ。

オンボーディングプログラムが、ひいてはフェイスブック全体が天才的なのはここだ。フェイスブックの一員になった者は、かつて欧州から渡ってきてニューヨークのエリス島に降り立った移民と同じく、それまで属していた古い文化を脱ぎ捨て、脇目も振らず新しい文化に身を投じる。移民は新たにアメリカ市民となるにあたり国旗と役人の前で国への忠誠を誓うが、オンボーディングはまさにその誓いの儀式にあたる。宗教的といっていいほどで、誰もが素直に何の疑いもなくそのまま受け入れる。ほかのことでは不遜で見下すような文化に満ちているのに、オンボーディングの場でもその後勤めていた間でも、誰かがフェイスブックや会社の価値観について皮肉めいた挑発的な発言をする場面を僕は一度も見たことがない。アメリカ人にとっての「わが軍」や、母性、合衆国憲法もそうだが、世の中には神聖化された領域が存在して、誰もそれを茶化したりはしないのだ。

 超越した価値観などない時代の発展しつくした世界では、神殿はあっても、売る物がない北朝鮮の商店のように空っぽで、あがめる神も英雄もいない。そんな世界では、会社が推し進めるこうしたファシズムに人は心酔する。目の前には一人ずつ支給された新品のiPhoneとMacBookに加え、端末を入れるためのバッグに入ったあるものが配られていた。Klavika というフォントをベースにしたといわれる、トレードマークのフェイスブックロゴが入った青いTシャツ。毎日かならず社員の半分はこのTシャツを着ているといっていい。自分の子どもにロゴ入りつなぎを着せて写真を撮り(もちろんフェイスブックにも投稿し)、ソーシャルメディアデビューさせる者も多い。褐色の制服を着たナチの突撃隊員に代わる、青い制服に身を包んだ新時代のソーシャルメディア突撃隊だ。

 皮肉は能なき者の最後のよりどころだ。こんな絶対主義的な言いぐさを引くのは、安っぽい冷笑を意図しているからではない。学校でお勉強するには賢すぎるが何かを信じるにも気取りすぎている、中身は空虚なヒップスターを気取っているからではない。違う。僕自身、この日この会議室で、隣の新入社員と同じように、いや、もしかしたらそれ以上に、魅惑されていたからだ。不朽の名声を──みずからの存在を超越する意義と目的をもたらすものを──築きたいという人間の欲求はピラミッドの時代から変わらない。聖なる地のありかたと、それをめざす手段が違うだけだ。

 クリス・コックスの巧みな話、ペドラム・ケヤニの冷酷な指令と続いたあと、休憩時間に入った。

 インターンが数人ずつ集まっていた。知り合いらしい。バークレーかスタンフォードかMITか、そのあたりに通っていて顔見知りなのだろう。もし自分が一九歳の大学生で、物心ついたときからフェイスブック、ツイッター、インスタグラムあたりを使いこなしていて、いきなりこちら側の人間になって仕事をすることになったらどうだろう? 僕がその年でそんなチャンスを手にしたら、ガムテープを口に貼られたって自慢してまわるにちがいない。

 会議室を出ると、社内に点在するマイクロキッチンの一つがあった。マイクロキッチンといっても、毎日三食がサーブされるカフェテリアにくらべれば小さい、というだけだ。それに厳密にいえばキッチンではない。料理するようなものは置いていない。大半は高血圧か糖尿病を引き起こしそうな加工食品の類いで、ほどほどに自滅的な生活をしている大学生の常備食といった品ぞろえだった。ベイエリアでは標準的な感覚になっている健康志向への歩み寄りとして、ボウルに入ったフルーツ、ガラス容器に入れたナッツやグラノーラもある。このときは知らなかったが、当時フェイスブックは社員のためにグーグル並みにいたれりつくせりの環境を用意する方向で動いており、キッチンに常備されたおやつも、スニッカーズはスイスのトブラローネへ、ドリトスはスパイスの利いた本格的なインドのスナック「チャート」へと徐々にグレードアップしていった。コーヒーも進化した。ノーブランドのオフィス向けコーヒーをやめ、トレンドに敏感なミッション地区で創業し地元でのブレンドにこだわるコーヒーショップ、フィルズコーヒーを導入。僕がやめるころにはキャンパス内に本格的なフィルズの店舗ができ、カフェイン補給スポットとして、また交流の場やカジュアルなミーティングの場として利用されるようになった。だがそれはまだ先の話になる。

 血糖値を上げた僕たちは会議室に戻った。

 壇上に一脚だけ置かれた椅子に背筋を伸ばして静かに座っている人物がいる。髪はカールし、インド系の外見だ。彼は説明不要、その名は社外でも知られ、ペドラムやあのコックスよりも知名度は高い。この人こそチャマス・パリハピティヤ、フェイスブックの成功をつかさどってきた重要人物の一人だった。友達申請の機能などを強化して新規ユーザー獲得を推進するグロースチームを率い、ほぼ大学生に限定された小さなネットワークだったフェイスブックを、一〇億人近いユーザーを抱えるグローバルなオンラインコミュニティに成長させた人物だ。

 チャマスはすぐれたポーカープレーヤーでもあり、シリコンバレー伝説のポーカー大会を主催している。大会にはそうそうたる顔ぶれの投資家や起業家が常連として出場するほか、ときにはプロのポーカー選手や著名なスポーツ選手を招待することもあった。チャマスのよく知られたエピソードはポーカーがらみで、僕も何度か聞いたことがあるのだが、サメみたいに食いついたら離さない競争心をよく物語っている。

 ある日、夜を徹した大きなゲームに勝ったチャマスは五万ドルを手にした。ドイツ車でも買おうと思い立ち、BMWのディーラーを訪れる。身なりのさえない若造を見たセールスマンはチャマスを冷たくあしらい、試乗させなかった。するとチャマスは道路の反対側にあったメルセデスへ向かう。そこではきちんと応対してもらえ、その場で現金を出して一台購入した。チャマスは買ったばかりのベンツでBMWに向かい、さっき自分を軽く扱ったセールスマンに顧客を逃した事実を見せつけたという。今、目の前にいるのはそういう男なのだ。

「いいか、われわれはぶらぶらするためにここにいるわけじゃない。君たちは今フェイスブックにいる。やることは山ほどある」

 チャマスの口上は、表面上は穏やかなオンボーディングに隠された鉄拳だった。「インパクトを起こせ」「自分の限界を超えろ」「完璧をめざすよりまず終わらせろ」等々、発破をかけるスローガンを大文字で書いたポスターがどの壁にも掲げられ、大声で呼びかけてくる。あとで自分のデスクを見て知ったが、こうしたスローガンは忘れさせないためなのか個人のモニターにも貼ってあった。チャマスが振るうややとりとめのない熱弁はだいたいこのスローガンと同じ趣旨で、Fワードを多数投下し、歯切れよく繰り出すマシンガンのような調子は、彼自身がかつて身を置いていたウォール街のトレーディングフロアを彷彿とさせた。

「というわけで、とにかくやれということだ」そう締めくくると、二〇分の脅しは終わった。

 とうとうと語る間、チャマスはまったく身動きせず、肩をいからせ、両手は椅子の後脚をそれぞれしっかり握っていた。立ち上がって演壇を降りるとき、誰にも一瞥も与えずに去っていった。

 聴衆は少しあっけにとられた様子だった。映画のラスト数秒で予想外の展開を見せられ、観客がぼうぜんとして沈黙が広がるなかエンドロールが流れ始めるのに似ていた。

                **

 続いて、フェイスブックを築いた伝説の立役者から、企業としての適正な行動をつかさどるお堅い保安官、人事部へとレクチャーのバトンが引き継がれた。壇上には男女一人ずつが並んで座っている。注意を要する話題を取り上げるには、男女双方が平等にそろっていなければいけないのかもしれない。

 人事部担当役員からの最初の講義は、フェイスブックが常に異常に気をつけているテーマ、「秘密厳守」についてだった。

 イエスが使徒たちに語りかけるときのように、フェイスブックは会社の文化について伝える際、よくたとえ話を使った。ここでのたとえ話は、発表直前の新プロダクトの情報をIT系メディアに漏らすという過ちをおかした社員の話だった。このときザックは「退職してください」と題したメールを全社あてに送り、社員を凍りつかせる警告が全員の受信ボックスに届いたのだという。会議室のスクリーンにそのときのメールが映し出され、全文が読み上げられた。メールには情報をリークした者は誰であろうと即座に辞めてもらうとあり、それがいかにチームへの裏切りであるかを強調して、違反した者のモラルの低さを厳しく非難していた。放蕩息子のたとえでいうと息子は父親に許されなかったことになるが、この話の教訓は明快だ。フェイスブックで会社の面汚しになることをすればすぐさま警備員が飛んできて、深夜のタコベルで暴れる酒飲み同様、外へ追い出されるのである。

 教訓が伝わったところで、僅差で第二位につける重要事項、「慎重な行動」の話に移る。

 フェイスブックは国家安全保障局に次いで大量の個人データを保有するわけで、社内での不道徳なデータ悪用を避ける対策を進めるべき時期がきていた。データの悪用は倫理上問題なだけでなく、嫉妬に駆られた社員が妻にストーカー行為をしたとか子どもじみたインターンが有名人のメッセージをのぞき見したとかいう話題で世間の注目を集めれば、影響力は大きく、面目にもおおいに関わる。現実に、世の人々はフェイスブック上で日々の個人的な体験を他者と共有しつつ、中毒性のあるこのサービスと慎重に付き合っているわけだが、無意識のうちに怒りや不安を抱いてもいる。慎重な行動から少しでも踏み外せば、何億人というユーザーが青色の画面に与えてくれていた、個々の生活に介入するわずかな許可も危うくなる。

 僕個人はこれに違反して処分された人物を一人は知っている。正規の理由なくプロフィール情報を見ているところを内部のセキュリティーチームが発見し、即刻雇用を打ち切られたという。それくらい明快だった。試みた時点でアウトであり、あっという間に追放されて、デスクに置いてあったまだ温かいマグカップは清掃スタッフがすぐに回収するくらいの勢いなのだ。

 僕たちはたまに何かささやいたり隣の人と小声で短く言葉を交わしたりする以外は、こうした話に黙って耳を傾けた。前半の登壇者がもたらした高揚感がまだ残っていて、人事部のセッションは、楽しく騒いだパーティの後に車を運転しているところへ飲酒運転の検問に遭遇して警察と交渉する、みたいなところがあった。警官は台本どおりに話を進め、多少厳しい態度ではあっても話のわかる雰囲気をもっていた。

 ここで、下世話で興味深い話に移った。男性社員が立ち上がって(不自然な感じで)進行役になり、新入社員に向けて話しだした。

 フェイスブックのオフィス風景を思い浮かべてみてほしい。社内のどこへ行っても、情緒面で不器用な若い男のギークたちであふれている。そのなかにおそらく一割ほどだろうか、若い女性がぽつぽつとまぎれ込んでいる。さて、どんな間違いが起き得るだろう?

 性的にも法的にも地雷がたくさん埋め込まれたこの状況で、フェイスブックはいちいち細かな決まりを設けて取り締まるのでなく、基本方針を一つ定めるやりかたを選んだ。言葉を選んで、しかしはっきりと、人事部の男性社員はこう言った。同僚を一回デートに誘うのはOK、だがノーと言われたらノーであり、それ以上誘ってはならない。一度誘ったらそこまで、それ以上やると制裁の対象になる、という。

 つまりシュートを決めるチャンスは一回だけか? じゃ、その一回はうまく使わないと。僕は思った。

 次は女性社員に対する注意事項だった。隣の女性社員から応援を受けながら男性社員が説明したのは、職場のほかの人の「気を散らす」服装は避けるように、という話だった。あとで知ったのだが、実際、上司が女性社員を呼び出して警告するケースはときどきあった。広告チームでも、外見が一六歳くらいに見えるインターンがよく超ミニのショートパンツをはいてきていた。失笑ものといえるくらい不適切だったのだが、抑制が利かない年齢ではまあみんなそんなものだ。

 そしてグランドフィナーレを飾るのは──わいせつ行為について。

 入社にあたっては妙な書類にいろいろサインさせられたのだが、そのなかにフェイスブックはわいせつ行為に対するいかなる責任も負わない、とする書面があった。在職中にいかなるものを見聞きしても訴訟の対象にならない、という意味だ。これはたとえば不適切なコンテンツを調査中にポルノ画像を目にするからなのか、卑猥なジョークを言ったり誰かがハッピーアワーに下着姿で酔いつぶれたりといった男同士ならではの文化の名残からなのか、僕にはよくわからなかった。

「フェイスブックは、毎日のように誰かが人事部に不満をぶつけにくるような風土の会社にしたくありません。何か言うなら相手を呼んで直接言う。それで解決すればおしまいにして、自分のやるべきことに戻ればいいんです」

 これでプログラムはすべて終わった。僕たちは戦利品のバッグ、パソコン、スマートフォンを手に、さっさと会議室を出た。

 広告チームにある新しい自分のデスクへ戻り、パソコンを立ち上げた。すでにメールが二本きている。一本は形式的な「フェイスブックへようこそ」というメール。もう一本はワークフロー管理システムからで、バグ修正作業がいくつか割り当てられていた。僕はプロダクトマネジャーでもあったが、ほかのエンジニアと同じくエンジニアリング版ブートキャンプをこなさなくてはならない。六週間で、知ったかぶりの新入り(N o o b)をフェイスブックのエンジニアに仕立てるプログラムだった【†】。このプログラムには、使えない人間である可能性を示す兆候があればマネジメント側に知らせ、選別するしくみの意味合いもあった。どんどん進むハイペースのコースで、フロントエンドのコードからバックエンドのインフラまで、その中間のありとあらゆることについてフェイスブックのやりかたを学ぶ。どうやらこの会社にはテクニカルな領域のあらゆる側面を自前で育成する精神が遺伝子レベルで染みついているのかもしれない。ときにはオープンソース言語やツールを使うものの、どこからどう見てもフェイスブックでしかないレベルまでカスタマイズするのだ。経験豊富なエンジニアでもまったくの異世界からきているため、ここでの「真の正しいやりかた」をかならず教え込む。学校を出たばかりで実際の制作現場をまったく知らずに入ったエンジニアは、技術的なものの見かたが完全にフェイスブックの型にはめられてしまう。その後ほかの企業で仕事をしたとしても、このとき植え込まれた先入観と
考えかたをあたかも神が示した真実であるかのように、未来永劫引きずることになる。フェイスブックへ移ってきた元グーグル社員も同じ道を歩んでいた。

 僕に与えられたバグは五つあった。僕はPHPのコードの書きかたすら知らなかった。PHPはフェイスブックがフロントエンドで使用していた言語だ。だめな言語として名高く、当時から開発環境で使うユーザーは少なかったが、フェイスブックでは単にハーバード時代にハッカーだったザックが知っているからという理由で使われていた。

 オンラインマニュアルを参照し、開発サーバーを立ち上げた。個人的な開発用のテスト環境で、ここでコードを生成する。メインリポジトリからフェイスブックのコード全体を取ってきて、エディタで全体に目を通した。

 ふーん、これが大騒ぎしてたことか?

 ちょっとした冗談として、「いいね!」ボタンのテキストを卑猥な言葉に替え、コードを保存して、自分のブラウザで再読み込みをクリックした。僕のプライベート版フェイスブックがリロードされる。そしてたしかに、僕はウェブ上のあらゆるものと結ばれるようになっていた。

 インパクトを起こせ。幸運は勇者に味方する。

 幸先はよさそうだった。

【*】今やフェイスブック伝説の一つになっているが、マーク・ザッカーバーグは当初フェイスブック動画立ち上げの話に反対したという。企画を立ち上げたエンジニアはザックの意向を無視、数日にわたり会議室にこもって完成させ、ザックの意に反してリリースした。現在、フェイスブックはグーグルのユーチューブに次ぐ動画共有サイトである。

【†】「Noob」は業界用語で初心者や新入りを指す。コーディングのオンラインフォーラムでは、明らかに知識のない者をひるませ侮辱する呼称だ。フェイスブックでは半分愛情を込めて新人を指す言葉として使われていた。

      (「第二四章 ブートキャンプ」終。続きは本をご覧ください)

〔著者紹介〕アントニオ・ガルシア・マルティネス Antonio Garcia Martinez
アメリカのIT起業家、作家。カリフォルニア大学大学院(バークレー校)の博士課程で物理学を専攻。ウォール街のゴールドマン・サックスでストラテジストとして働き、2008年の金融危機を機にシリコンバレーへ。ウェブ広告のベンチャー企業アドグロックを仲間と立ち上げ、その後ツイッター社に売却。フェイスブック(FB)に転じてプロダクトマネジャーを務めたのちに退職。シリコンバレーでの起業経験とFB社での日々を赤裸々につづった本書は《ニューヨーク・タイムズ》のベストセラーリストに登場し、大きな話題を呼ぶ。ツイッター社のアドバイザーをへて、現在はワシントン州のオーカス島を拠点に、サンフランシスコ湾に浮かべたヨットの船上で暮らす。

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