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ピーター・トライアス『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』冒頭部分を無料公開(1)~ 「われわれは勝ちました」~

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン
ピーター・トライアス  中原尚哉 訳

新☆ハヤカワ・SF・シリーズとハヤカワ文庫SFから同時発売!

第051番戦時転住センター

1948年7月1日

AM8:15

 アメリカ合衆国の死は一連の兆候があらわれていた。20歳のルース・イシムラは数100マイル離れた日系アメリカ人強制収容所にいたため、それを知らなかった。収容所は粗末な住居が並び、急ごしらえの哨所が立ち、周囲は有刺鉄線のフェンスでかこまれた施設である。なにもかも埃だらけで、ルースも息が苦しい。他11人の女性といっしょの部屋では、同室のキミコを2人が慰めていた。

「彼はいつも釈放されるから大丈夫よ」1人が言った。

 キミコは取り乱していた。目は泣き腫らし、喉は痰と埃で詰まりかけている。

「でもこのまえバーナードはひどく殴られて、1カ月も歩けなかったわ」

 バーナードの収容理由は、8年前に仕事で1カ月だけ日本を訪れたことだった。アメリカに完全な忠誠を誓っているのに、疑惑を持たれたのである。

 ルースの寝台は軍用毛布の上に楽譜が散らばっていた。バイオリンは弦が2本切れ、もう1本もささくれていまにも切れそうだ。シュトラウスとビバルディの褪せた譜面とともに放置されている。食卓、椅子、棚は、壊れた箱やばらした木枠やその他の廃材を集めてつくられている。床板は毎朝掃いても汚く、隙間だらけでつまずきやすい。くたびれた石油ストーブは悪臭ばかり強く、冷え込みのきびしい夜にはろくに暖まらない。ルースは、いっそう強く泣きはじめたキミコのほうを見た。

「一晩じゅう拘束されたきりなんて初めてよ。いつもかならず釈放されるのに」

 キミコの両側にいる2人も深刻な顔だ。終夜の拘束は最悪の事態を意味することが多い。ルースは喉に違和感をおぼえて咳をした。呼吸を楽にしようと胸を平手で叩く。朝早いのにすでに暑い。ここは砂漠できびしい気候が続く。汗まみれの首を伸ばして、若い頃のキミコの写真を見た。資産家の令嬢として生まれた器量よしだ。

「ルース! ルース!」住居の外から呼ぶ声は、ルースの婚約者のエゼキエル・ソンである。すぐに本人が室内に駆けこんできて、叫んだ。「警備員が1人もいなくなったぞ!」

 ルースはエゼキエルの髪から砂埃を払ってやった。

「なんの話?」

「アメリカ人がいなくなったんだ。朝からずっと姿がない。車で去っていくのを見たって、年寄りたちが言ってる」

 キミコが顔を上げた。

「アメリカ人がいなくなったの?」

「そうみたいだ」エゼキエルは明るい顔で答えた。

「なぜ?」

「びびって逃げ出したんじゃないかな」

「じゃあ、噂は本当なの?」

 キミコの声が希望で上ずった。エゼキエルは肩をすくめた。

「たしかなことはわからない。でも天皇がここの全員の解放を要求したって話だ」

「でも、天皇がなぜわたしたちを保護するの?」

「あたしたちが日本人だからでしょ」ルースは言った。

「俺は半分しか日本人じゃないぞ」

 エゼキエルが反論した。彼の血の残り半分は中国系である。痩せて撫で肩なので、実際よりも背が低く見える。畑で毎日働いているので日焼けし、肌は干したプルーンのようにかさかさに乾いている。波打つ黒髪は逆立ち、性格は溌剌として少年らしい魅力がある。

「年寄り連中は、俺たちはアメリカ人だと言ってたぜ」

「これからはちがうのよ」

 日本人の血を16分の1以上持つ者は、市民権の有無にかかわらず、この日系アメリカ人強制収容所に送られている。ルースは他の子どもたちの大半とおなじく痩せて、手足が棒のように細く、唇は荒れていた。肌は白いが、髪はばさばさでもつれている。エゼキエルとは反対に落ち着いて立ち、砂埃など気にしないふりをした。

「なにかあったのか?」エゼキエルがキミコに訊いた。

「バーナードが一晩帰らなかったの」キミコは答えた。

「ラス棟にいなかったか?」

「あそこははいれないでしょう」

「もう警備員はいないぜ。いまから調べにいこう」

 5人は狭い部屋から収容所の敷地に出た。細長い住居が等間隔に数百棟も建ち並び、陰気で殺風景な眺めをつくっている。看板の“戦時転住センター(WRAC)51”の文字をだれかがバツで消して、かわりに“怒り(ラス)51”と書いている。住居の壁にはタール紙が貼られているが、気まぐれな天候のせいで細かくちぎれて垂れ下がっている。外壁の防水のために何度も重ね貼りされたが、見映えはさらに悪くなっていた。学校、野球場、形ばかりの商店、みすぼらしい集会場もあるが、どれも人気がなく廃墟化している。はてしない砂塵と焼けつく太陽にどこまでも支配された収容所の風景である。

 一行がラス棟へ歩いていると、北西の角にある監視塔に人々が集まっていた。

「なにかしら、見にいきましょうよ」キミコの同室者の1人が言った。

 エゼキエルとルースはキミコを見たが、彼女は人だかりを無視して、1人でラス棟へ足ばやに歩いていった。

 2人は監視塔のほうへ行った。そこでは数人の男が内部を調べはじめていた。そのようすを日系一世や二世が真剣な面持ちで見つめ、なにごとにも指示を飛ばしたり質問を叫んだりしている。ルースの知らない収容者も多かった。一世と呼ばれる年長者は最初にアメリカに移民してきた人々で、若い二世はアメリカで生まれた世代である。あらゆる人が集まっていた。豚っ鼻にホクロが3つある男。割れた眼鏡をかけた婦人。苦労した経験の度合いで皺の本数が異なる双子。生活苦は平等に肉体に刻まれる。浮いた骨やへこんだ腹が苦境をあらわしている。たいていの収容者はわずかな服しか持たず、身だしなみに苦労している。ほころびを毛糸でつくろい、糸のちがいは上手な縫い方で隠している。しかし靴ばかりはどうしようもない。すりきれたら替えはなく、たこだらけの素足にサンダル履きが普通だ。10代の子どもたちが集まり、なんの騒ぎかと興味津々で見守っていた。

「部屋の奥にアメリカ人が隠れてないかたしかめろ」

「休憩してるだけかもしれないぞ」

「食料は残ってないか?」

「武器はどうだ?」

 なかを調べていた者たちがしばらくして出てきた。米兵は持ち場から逃げ出し、武器は持ち去っていると断言した。

 そのあとに起きた喧々囂々の議論は、これからどうするかという問題がおもだった。

「帰るのさ! 他になにがある」若い男が主張した。

 しかし年長者たちは乗り気でなかった。

「帰ってどうするんだ。外の状況も、ここがどこかもわからないんだぞ」

「外で戦闘が続いてたらどうするんだよ」

「出たとたんに撃たれるかもしれない」

「アメリカ人は俺たちを試してるんじゃないのか?」

「なにを試すんだよ。だれもいないんだぞ」

 エゼキエルはルースを見て尋ねた。

「おまえはどうしたい?」

「解放されたのが本当なら……両親はきっと驚くわ」

 学校の教室に兵隊がやってきたのは数年前のことである。屋外で1列に並ばされ、持ち物はかばん1つだけと言われて、遠足か、せいぜい短期間の行事だろうと思った。もうサンノゼに帰れないとわかったときは、大好きな本を1冊も持ってこなかったことが悲しくて泣いた。

 人々が驚いて息をのみ、南を指さした。ルースが見ると、一筋の砂埃を蹴立てて小さなジープがこちらへ走ってきていた。

「どっちの旗を立ててる?」若者の1人が訊いた。

 人々の視線が車体の側面に注がれる。舞い上がる砂埃で国籍マークはよく見えない。

「米軍だ」

「バカ、ちがう。日の丸だ」

「目が悪いのか? 絶対にアメリカだ」

 ジープが近づくあいだ、時間の進みが遅くなった気がした。ほんの数ヤードが数マイルに感じられる。蜃気楼のようだ。救いを待つ人々を愚弄する幻か。暑い日差しに焼かれ、服は期待と汗で湿っている。ルースは息をするごとに肺が苦しくなったが、それでも待ちつづけた。

「まだ国旗は見えないのか?」だれかが訊いた。

「まだだ」

「目がおかしいんじゃないのか?」

「そっちの目こそ」

 しばらくしてようやく国籍が見分けられるようになった。

「大日本帝国陸軍の車両だ」

 やってきたジープが停まり、強壮な若者が降りてきた。上背は6フイート近くあり、日本軍の茶色の軍服に、“千人針”と呼ばれる幸運の縫い目を1000個いれた赤い飾り帯をかけている。収容者たちはそのまわりに集まって尋ねた。

「外はどうなってるんだ?」

 日本兵はまずお辞儀をし、眉を震わせて涙をこらえつつ、話しはじめた。

「わたしのことは憶えていらっしゃらないかもしれませんが、深作慧と申します。現在は大日本帝国陸軍の伍長を務めております。スティーブンと名乗っていた4年前に、この収容所から脱出して、帝国陸軍に入隊しました。みなさんに吉報を持ってまいりました」

 ルースをふくめて多くの人々が驚いた。14歳で失踪したときの深作少年は、身長5フィートに満たず、ぎすぎすに痩せていた。貧弱で野球ではいつも空振り三振するので、他の男の子たちからメンバーにいれてもらえなかった。

「外はどうなってるの?」女の1人が訊いた。

 深作は兵士としての立場を忘れて満面の笑みとなり、宣言した。

「われわれは勝ちました」

「勝ったって、なにに?」

「今朝、アメリカ政府が降伏しました。この国はもうアメリカ合衆国ではなく、日本合衆国になりました。一部に抵抗勢力が残り、ロサンジェルスに立てこもっていますが、長くは続かないでしょう。なにしろ昨日のことがありますから」

「昨日なにがあったの?」

「天皇陛下は、アメリカに勝ち目なしと知らしめるために、秘密兵器を使用されたのです。みなさんにはバスを手配しています。まもなく到着して安全な場所へお送りできます。解放され、新しい住宅も提供されるのです。陛下からは、収容者に手厚い配慮をと、とくにお言葉がありました。各地の強制収容所には20万人を超える人々が収容されています。しかし今後はこのUSJの大地で新たな機会が開けます。天皇陛下よ、永遠に!」

 深作は叫んだ。すると一世たちは反射的に唱和した。

「天皇陛下よ、永遠に!」

 合衆国で生まれた二世たちはこのように唱和するものだと知らなかった。

 深作は続いて日本語で叫んだ。

「てんのうへいか、ばんざーい!」

 これは“天皇陛下よ、永遠に”とおなじ意味である。

 今度は一世も二世も声をあわせた。

「ばんざーい!」

 ルースも叫んだ。すると、体から湧いてくる畏敬の念を生まれて初めて感じて驚いた。

 軍用トラックがむこうに停まった。深作は宣言した。

「この吉報のお祝いに、食料と酒をご用意しました」

 ルースは目を瞠った。トラックの運転席から降りてきたのは、帝国陸軍の礼装軍服に身を包んだ女性将校である。青い瞳と黒い短髪から混血であることがわかる。深作は敬礼した。

「お待ちしていました、中尉」

 女性中尉は軽く返礼すると、同情心にあふれた目で人々を見まわした。

「皇国に代わって、みなさんの犠牲とご苦労に敬意を表します」

 深々と頭を下げ、しばらくそのままで誠意をあらわした。英語に訛りがないので二世らしい。女性将校の登場に驚いているのはルースだけではなかった。他の収容者たちも目を丸くしている。男性兵士が女性の上官に敬礼するところを初めて見たのである。ルースの目は彼女の新軍刀にむいた。あらゆる将校にとって身分証明書のようなものだ。

「わたしは芳田益代といいます。みなさんの多くとおなじくサンフランシスコで育ち、当時は英名でエリカ・ブレイクと名乗っていました。母は勇敢な日本人女性で、日本文化の重要さを教えてくれました。わたしは諜報活動をおこなったという偽りの嫌疑をかけられ、家族から引き離されて、みなさんとおなじく収容所にいれられました。しかし帝国陸軍に救助され、日本名と身分を新たにあたえられました。西洋人という誤った衣をきっぱりと捨てたのです。わたしたちはアメリカ人として受けいれられませんでした。望んだのがまちがいでした。わたしはいま大日本帝国陸軍の中尉です。みなさんは皇国の臣民であり、新しい身分があたえられます。めでたいことです!」

 トラックの荷台から4人の兵士が酒樽を運び出してきた。

「杯を持ってきてください」

 まもなくだれもが天皇を称えはじめた。かつてのスティーブン、いまの深作から戦争の経過を詳しく聞いた。年長者たちは芳田中尉を連れて収容所を案内した。エゼキエルは酒で赤くなった顔でルースに言った。

「俺たちも軍にはいろう」

「あなたがなんの役に立つかしら。腕立て伏せであたしに負けるくせに」ルースはからかった。

「力をつけるさ」

 エゼキエルは力こぶをつくった。ルースはその二の腕の小さなふくらみをなでた。

「子ネズミくらいじゃないの。それより、あの2人の腰の拳銃を見た? ニューナンブ18式自動拳銃よ」

「銃なんて見てないよ」

「18式は撃茎の発条が弱かったのを大幅に強化してあるのよ。旧型の使用弾薬は8ミリで──」

 そのとき悲鳴が響き、人々はあたりを見まわした。ラス棟のほうから複数の泣き声が聞こえた。突然の出来事にルースははっとして、キミコを忘れていたと気づいた。

 ラス棟は収容所で唯一の3階建てである。そこに兵士の住まいと特別尋問施設がある。赤煉瓦の大きな立方体の建物で、左右に翼棟がある。深夜にしばしば不気味な悲鳴が聞こえ、月光の角度と明るさによっては赤煉瓦が血の色に輝いて見える。この建物に近づくときはだれもが背中を丸めて小さくなった。

 そのラス棟にはまだアメリカの国旗がひるがえっている。そこから10人以上の収容者が運び出されていた。みんな痩せ細り、血まみれで傷だらけである。

「どうしたんですか?」深作伍長が問うた。

 褌一丁で頭の半分の髪を引き抜かれた男が叫んだ。

「兄弟たちは殺され、俺は皇国に協力したと疑われた。そんなことはしてないのに!」男は地面に唾棄しようとしたが、口が渇いていてなにも出なかった。頭皮は無残な傷だらけ。広がった鼻孔と見開いた目のせいでチンパンジーのようだ。怒りに震えながら叫んだ。「俺はアメリカ人なのに、犬以下の扱いをされた」

 深作伍長はそれに答えた。

「天皇陛下はみなさん全員をお救いくださいます。そのためにアメリカ人に鉄槌を下されました」

 ラス棟の玄関からキミコが出てきた。だれかを両腕で抱えている。

 ルースは息をのんだ。バーナードである。しかし両脚がない。包帯で巻かれた短いつけ根が残っている。キミコの顔は蒼白、目はショックで凍ったように動かない。バーナードに息があるか、ルースのところからはわからなかった。

「かわいそうなキミコ」ルースの隣のだれかが言った。「裕福な一家だったのに、なにもかも奪われて」

「金持ちほど悲惨さ」

 人々は悲しげにうなずきあった。

「きみ……」深作伍長が声をかけた。

 しかし続けるより早く、キミコが怒りをこめて問いただした。

「天皇はどうして彼を救ってくれなかったの? どうして1日早く助けにきてくれなかったの?」

「ご不幸はお気の毒です。しかしご友人を殺害したのは陛下ではなく、アメリカ人であることに気づいてください。ここでみなさんに起きたことの百層倍の復讐を、陛下はしてくださいました」

「復讐なんてどうだっていいわ。彼は死んだのよ。死んじゃったのよ!」キミコは叫んだ。「天皇が本当に全能なら、もう1日早くあなたをよこさなかったのはどういうわけ?」

「落ち着いてください。怒りはわかりますが、陛下を侮辱することは許されません」

「天皇なんかくそくらえよ。あなたもくそくらえ。アメリカ人もくそくらえ」

「正常な心理状態ではないようなので、もう一度だけ警告します。天皇陛下への侮辱はやめなさい。さもないと──」

「さもないと、なに? 罰が下るの? 天皇にもあなたたちにもくそを食わせて──」

 深作伍長はニューナンブ18式自動拳銃を抜いて、キミコの頭に銃口をあて、発砲した。頭がはじけ、脳と血が地面にまき散らされた。ボーイフレンドの死体を抱き締めたまま、キミコはあおむけに倒れた。

「陛下への侮辱は何人たりと許さない」

 深作伍長は宣言した。拳銃をホルスターにおさめて、キミコの死体をよけて歩き、ふたたび収容者の安心と安全を説明しはじめた。

 しかし人々は茫然として言葉を失っていた。エゼキエルは震えている。ルースは彼にしがみついて訊いた。

「これでもまだ兵士になりたいと思う?」

 エゼキエルへの問いであると同時に、自分への問いでもあった。キミコの遺体を見て、涙をこらえた。そして両手を下腹にあてて、エゼキエルに言った。

「あなたは強くなって。お腹にいるベニコのために、強くなって」


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