見出し画像

デカすぎる宇宙の秘密を解く鍵は、デカすぎる数にある——『宇宙を解き明かす9つの数』訳者あとがき

ウサイン・ボルトが走るとき、周囲の時間は1.000000000000000858倍遅くなり、理論によって予想される宇宙定数の値は、なぜか観測が示唆する値の0.00000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001倍にすぎない——こうした途方もないスケールの巨大数、微小数、そして無限の探究を通じて宇宙の真理を解き明かす 『宇宙を解き明かす9つの数——巨大数・微小数・無限をめぐる冒険』(アントニオ・パディーヤ:著 水谷淳:訳)が好評発売中です。

今回の記事では刊行を記念し、本書の「訳者あとがき」の一部を特別公開いたします。相対性理論やヒッグス粒子、ブラックホールやホログラフィック原理など、現代の宇宙物理学を理解するためのエッセンスがユーモアたっぷりに語られる本書の読みどころが、あますところなく紹介されています。




書名: 『宇宙を解き明かす9つの数——巨大数・微小数・無限をめぐる冒険』

著:アントニオ・パディーヤ

訳:水谷淳

出版社:早川書房

発売日:2024年12月18日

本体価格:2700円(税抜)




訳者あとがき


ピタゴラスは、万物は数であると言った。

この宇宙は数学的原理に基づいて作られていて、人類は数学を駆使することで森羅万象を理解できるに違いないという意味だ。中でも物質や力など、自然界のもっとも根源的な領域を対象とする物理学は、数学なくしてはけっして成り立たない。学生時代、物理の授業でややこしい数式に翻弄された方も多いことだろう。理論物理学者も、黒板やホワイトボードいっぱいに数式を殴り書きすることで、宇宙を支配する法則を見つけ出そうとしている。

数学はあくまでも人間が頭の中で生み出すものであって、けっして創造主か何かから授けられるわけではない。それなのに、なぜか数学はこの自然界に見事通用してしまう。20世紀初めの物理学者ユージン・ウィグナーは、数学は自然科学に対して不合理なまでに有効であると述べた。宇宙は数学なんて無視して勝手気ままに振る舞ってもいいはずなのに、実際には厳密に数学に従って秩序立った挙動を示す。そのおかげで私たちはこの宇宙を理解できるのだ。

このように数学に支配された世界を探究していくと、当然ながらさまざまな数に出くわすことになる。たとえば、宇宙の誕生はいまから138億年前であるとか、真空中での光速は2億9979万2458メートル毎秒であるといったものが挙げられる。ただしこれらの数値自体は、普遍的なものとはいえない。宇宙の年齢はもちろん歳月が進むにつれて変わっていく。光速は確かに宇宙の至るところで同じだが、この数値そのものは、人間が恣意的に決めた単位に基づいている。キロメートル毎時に換算すれば約10億7900万となるし、フィート毎秒に換算すれば約9億8400万となる。だから、これらの数自体に意味を見出すことはできない。

何か根源的な意味を持ちえる数は、単位の付かない数でなければならない。そのようなものを無次元量という。その一つが、何らかの個数を表す数。たとえば空間次元の数、3といったものだ。また、同じ単位で表される2つの量どうしの比も、無次元量となる。たとえば、陽子の質量と電子の質量の比は約1840。このどちらの数も、どのような単位系を選ぼうがまったく変わらない。この宇宙が何かしらの理由で選んだ数であって、そこには何か深遠な意味が隠されているかもしれない。

そのような数の中でもとりわけ神秘的に見えるのが、人間の想像力を超えた大きな数や、逆に途方もなく小さな数だろう。日常的な数体系ではとうてい書き表せないそれらの数は、この宇宙の根源を探るための手掛かりになりそうだ。

本書は、そのような意味深長な巨大数・微小数を9つ選び、それらを話のきっかけとして物理世界の本質に迫っていく。それらの数のうちいくつかは、物理学の研究から期せずして浮かび上がってきた数である。また、純粋な数学の研究から導き出された数もいくつかある。それらの数を物理の場面に当てはめると、この宇宙の意外な性質が見えてくる。

第1部では、大きな数を5つ取り上げる。

まずは1.000000000000000858。どこが大きな数だとツッコミを入れたくなるが、実は私たちの常識ではなかなか理解できない数だという。この数を手掛かりに、時間が遅れたり長さが縮んだりする、相対性理論の不思議な世界を探っていく。そうして、宇宙に開いた巨大な落とし穴に迫っていく。

2つめと3つめは、それぞれグーゴルグーゴルプレックスと名付けられた大きな数。いずれも純粋に数学的な数だが、それを糸口にして、この物理世界で非常に重要な意味を持つエントロピーの概念、そして、私たちの直観が通用しない量子の世界を掘り下げていく。すると、あなたと瓜二つの人間がどこかに潜んでいるという、空恐ろしい結論にたどり着いてしまう。

4つめの大きな数は、グラハム数と呼ばれているものだ。組み合わせ論という純粋数学に由来する数で、厳密に定義できるものの、あまりにも巨大すぎて、その値を具体的に書き下すのはとうてい不可能である。本章ではこの巨大数を話の取っかかりに、情報エントロピーという概念、そして、ブラックホールの不思議な性質を探っていく。グラハム数を思い浮かべようとすると、あなたの頭はなんと重力崩壊を起こしてしまうのだという。

だがまだまだ生やさしい。第1部で最後に取り上げるのは、このグラハム数ですら足下にもおよばない、TREE(3)と呼ばれる超巨大数。ある数学ゲームに関係する数で、そのゲームを極めようとすると、この宇宙全体が何度もリセットされて、最初とまったく同じ状態に戻ってしまう。さらに、この世界は実は、まるでホログラムのようにぺちゃんこであることが明らかになるのだという。

続く第2部では、物理学に大きな謎を投げかける3つの小さな数を紹介する。

その最初は。いまではれっきとした数とみなされているが、実は不遇の歴史を歩んできた。存在しないものとされたり、悪魔の所業とみなされたりしてきた。そんな0が現実の宇宙で姿を現すのは特別な場合であって、そこには対称性というものがからんでいるのだという。

次に登場するのは、0.0000000000000001という小さな数。俗に「神の素粒子」と呼ばれるものが発見されたが、実測されたその質量と理論値との比がこのように非常に小さな数になってしまうのだという。本章ではその謎に迫りながら、素粒子物理学の世界を案内する。スピン、核力、対称性の破れなど、現代物理学に欠かせないいくつかの概念に触れていく。

最後に扱う微小な数は、10のマイナス120乗。0.000...1と0が120個も続く数である。宇宙の膨張スピードを理論的に計算すると、この宇宙はあっという間に大きく膨れ上がって、中身が空っぽになっていなければおかしい。だが現実の宇宙は、ご覧のとおり物質に満ちあふれている。従来の物理学の考え方はどこか間違っているはずだ。そこで一部の人は、私たち人間がいるからこそ、この宇宙はこのような豊かな姿なのだと考えているという。

ここまでは具体的な数を取り上げてきたが、最後、第3部では無限について考えていく。無限は実在するのか、それとも単なる想像の産物なのか。ある数学者は、無限の深淵に踏み込みすぎて精神を病んでしまった。実は物理学のいくつかの理論にも無限が姿を現し、それはその理論に何か欠陥があることを示す警告ランプといえる。その無限を解消しようという取り組みによって、また新たな物理理論が生まれる。いまでは、素粒子は点状の存在ではなく、輪ゴムのような形をしているとする理論が真剣に取り沙汰されているという。

このように本書は、9つの大きな数・小さな数を話のきっかけにして、相対性理論や量子力学、素粒子論や宇宙論など、現代物理学の基本的なところを平易に解説した一冊である。ホログラフィック原理やダークエネルギー、弦理論など、いまだ完全には解明されていない最先端の話題も取り上げられている。数学の面では、0や無限という概念の歴史、さらには、情報エントロピーや超限数といった進んだ話題も扱っている。できるだけ数式に頼らずに、物理学者の考え方のエッセンスを一般読者に伝えるという姿勢で書かれている。

一つ本書の特色を挙げるとすれば、説明のためのたとえ話がなかなかユニークなところだろう。シュレディンガーの猫や理髪師のパラドックスなど、定番のたとえ話に独特のひねりを加えていたり、サッカーのプレミアリーグやイカゲームなどを使ったオリジナルのたとえ話を出してきたりしている。またもう一つの特色として、科学者の人となりなどに関する豆知識がところどころに添えられている。物理学者のマックス・ボルンがある有名歌手の祖父だったことをご存じだろうか? このようなスパイスが随所にちりばめられていることで、物理学に通じた読者も飽きずに読み進められることと思う。巨大な数、微小な数、そして無限に思いをめぐらせて、この宇宙の奥深さを感じ取れる、そんな一冊だろう。



著者のアントニオ・パディーヤは、イギリスの理論物理学者・宇宙論学者。オックスフォード大学、バルセロナ大学の研究員を経て、2008年よりノッティンガム大学の物理学教授に就任。宇宙論に関するイギリスの学会UK Cosmologyでは、10年以上にわたって会長を務めている。また謝辞にあるとおり、ブレイディ・ハーランのYouTubeチャンネルNumberphileで、数に関する動画を何本も製作している。

中でも、すべての自然数の和に関するラマヌジャンの不思議な公式を取り上げた動画(https://www.youtube.com/watch?v=w-I6XTVZXww)は、2024年11月現在920万回以上再生されている。一般向けの著作は本書が初である。


◆書籍概要