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SNS、脳、ケア、アナキズム、鳥たち。『何もしない』訳者あとがき

「何もしない」ことは、現代の経済社会への最大の抵抗になりうる。

哲学、文学、アート、そして生態系のあり方を通して、無為の意味を導き出す『何もしない』から、訳者の竹内要江さんによる訳者あとがきを公開します。

評価

・木澤佐登志 推薦
「無為とともに思考/抵抗せよ。「何もしない」を「する」ために、そして世界を変革するために」
・バラク・オバマ年間ベストブック
・ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー


訳者あとがき


本書は、Jenny Odell, How to Do Nothing: Resisting the Attention Economy (Melville House, 2019) の全訳である。

著者、ジェニー・オデルはカリフォルニア州オークランドを拠点とするマルチメディア・アーティストだ。初の著書である本書は2019年に出版され、その年末にオバマ元大統領が毎年発表する〈お気に入りの本〉リスト入りするやいなや、発売後8カ月が経過していたにもかかわらず《ニューヨーク・タイムズ》紙ベストセラー・ランキング入りを果たし、おおいに注目を集めた。そのほか、《タイム》、《ニューヨーカー》、《フォーチュン》誌等多くの媒体で年間ベスト本に選ばれている。

本書でキーワードになっているのが、原題にもある「注意経済」(アテンション・エコノミー)だ。これは、情報過多社会では人びとの向ける注意が価値を生み出すリソースとなり、経済的利益につながる状況を説明する言葉である。スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンは、このような経済が跋扈する現代ではSNSやアプリによって金儲けのためにわれわれの脳が「ハックされている」と指摘する(1)。

また、カナダの哲学者、マーク・キングウェルは注意経済を哲学的に考察した著書のなかで、ユーザーがソーシャル・プラットフォームのデザインのせいでそこから離れられなくなる現象を、謎のホテルから出られなくなると暗示されるイーグルスの往年の名曲になぞらえて「ホテル・カリフォルニア」効果と言うのだと紹介している(2)。

脳をハックされた現代人は、どこかにいてもどこにもいない、ある意味で「閉じ込められた」状況に置かれている。2016年にドナルド・トランプが大統領選を制した直後に騒然となったSNS環境に耐え切れなくなった著者が近所のローズガーデンに避難する場面からはじまる本書が伝えるのは、閉じ込められ、ハックされたわれわれの脳(人間性ともいえる)を奪還するための軌跡だ。

とはいえ、本書はわかりやすい処方箋を提示するものではない。たとえば、「スマホからSNSのアプリを削除しよう」といった、明快なミニマリスト的アドバイスの類は一切登場しない。注意奪還のために著者が分け入るのは、哲学や文学やアートの世界、はたまた、鳥が鳴き虫が地を這う身近な自然だ。まさに自己啓発書を装った思索の書といえる。著者も断るとおり、本書は「いびつな形」をしている(そこが魅力なのだが)。本書の日本語読者第一号としてこのいびつな軌跡をどのように解説するか、心もとない部分もあるが、ここに道しるべとなるものを少しでも提示できたらと思う。

まず、本書に頻出する語のひとつに「ケア(care)」がある。文脈に応じて「思いやり」、「配慮」、「気配り」等に訳し分けたが、本書が基盤とする思想のひとつに、アメリカの倫理学者キャロル・ギリガンが提唱した「ケアの倫理」があると見て間違いないだろう。本書第一章でもマザーフッド(母であること)から派生するケアと維持の倫理が取り上げられているが、「ケア」とは介護や子育てなど直接的ケア行為だけでなく、「共感」や「思いやり」、「関係性」まで含んだ幅広い概念なのだと英文学者の小川公代は指摘する(3)。本書を貫くのは、そのような他者に向けた「ケア」のまなざしだ。

コロナの時代ということもあいまって最近とみに注目を集めるようになった「ケアの倫理」だが、そこから見える風景はどんなものだろう? 20世紀初頭、スペイン風邪が猛威をふるった時期に、英国の作家ヴァージニア・ウルフは「病気になるということ(On Being Ill)」というエッセイを書いた(4)。そこで健常者と病人のメタファーとして登場するのが、「直立人(the upright)」と「横臥する者(the recumbent)」だ。「横臥する者」は「直立人」の隊列から脱走して横になり空を見上げ、「薔薇の花」を観察する。この姿勢はまさに、有用性あるいは生産性からの逃避を試みる本書の態度にそのまま重なる。

私たちひとりひとりは分離した存在ではなく、多孔的(porous)なのだという確信を、著者は逃避しながら深める。自然界に目を向ければ、鳥の世界も虫の世界も、雨を降らせる雲さえも私とつながっているのだ。その気づきによって、「ある」と思い込んでいた境界はあいまいになり、意味を成さなくなる。冒頭で提示される、本書のシンボル的存在である「無用の木」を説いた荘子は現代でいうアナキズム思想の持ち主だったと、政治学者の栗原康は指摘している(5)。

本書に登場するアナキストは荘子だけではないが、「無用の木」が本書でシンボル・ツリーの役割を果たしていることは重要な意味を持つ。アナキズム(無政府主義)とは「枠(制約)を外していく」思想であると私は理解している。注意経済に搾取されている注意を奪還し、自らにはめられた枠を可視化して外していった先に広がる「枠を外した世界」の可能性を、是非本書で実感していただけたらと思う。

ひとつ誤解のないようにしておきたいのは、有用性からの逃避をアナーキーに試みながらも、著者は世界への「責任」をないがしろにはしていないという点だ。著者にとって「逃避」とは距離を取ってわが身を振り返ることだ。そして、注意の矛先を変えるトレーニングを重ねれば不自由な世界から脱出できるかもしれない。

「何もしない」、つまり、「抵抗」とは、心のなかでなされるものであり、社会からいっとき離脱しつつも世界への責任は忘れない、混成的(ハイブリッド)な姿勢が大切となる。そうしてはじめて、私たちの目の前に新しい世界が広がり、アルゴリズムではなくひとりの人間として、世界とつながりあって生きていると実感できるのだろう。

本書の翻訳は私自身にとっても予期せぬ「遭遇」だった。なぜなら、アルゴリズムにおすすめされたわけでもなく、自ら企画を持ち込んだわけでもなく、早川書房からのご依頼が発端だったからだ。だが、来る日も来る日も本書を訳し、その内容に注意を向ける数カ月間を経て、私もすっかり変わってしまった。何よりも周囲の自然が愛おしく思えるようになり、本書に登場する「何もしない農法」(日本では「自然農法」として知られている)的考えで面倒を見ているささやかな家庭菜園が草だらけになっても、そこでの生き物の営みを想像して以前より罪悪感を抱かなくなった。まさに、豊かさとはスクリーンの中ではなく、足元にあるのだということに気づかされた。

たとえアルゴリズムにすすめられていたとしても、本書を読むという営みによって読者のみなさんの注意の質は多かれ少なかれ変わるだろう。


参考文献
1. アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』久山葉子訳、新潮社新書、2020年
2. マーク・キングウェル『退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学』上岡伸雄訳、 集英社新書、2021年
3. 小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』講談社、2021年
4. ヴァージニア・ウルフ「病気になるということ」片山亜紀訳および訳者解説、https://www.hayakawabooks.com/n/nfb43f5f3b177
5. 栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい 増補版──「生の負債」からの解放宣言』筑摩書房、2021年

竹内要江
翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。訳書にホーキンズ『階上の妻』、ムーア『果てしなき輝きの果てに』(以上早川書房刊)、スタンパー『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』(共訳)、梅若マドレーヌ『レバノンから来た能楽師の妻』ほか多数。

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