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織田作之助賞ノミネート記念! 藤井太洋インタビュー

藤井太洋氏が、第二内戦後の2045年北米を舞台に描いた進化テーマSF『マン・カインド』(早川書房)が、第41回織田作之助賞にノミネートされました。選考会は12月19日(木)に、大阪市北区の毎日新聞大阪本社で行われます。本作は史上初めて、単行本化前の〈SFマガジン〉連載で、星雲賞日本長編部門も受賞した傑作です。今回のノミネートを記念して、〈SFマガジン〉12月号(2024年10月25日発売)に掲載のインタビューを再録します。


『マン・カインド』書影

■書籍化までの変化

──『マン・カインド』は2045年の主にアメリカを舞台にした小説ですが、そもそも本書を着想したのはいつごろですか。

藤井 2015年の『伊藤計劃トリビュート』で「公正的戦闘規範」を書いたあと、2016年の『AIと人類は共存できるか?』で「第二内戦」を書いて、この話は「公正的戦闘規範」とも繫がるなと思いました。同じ設定の物語が書けそうだと考えながら、同時期にワールドコンにも行くようになりました。スポケーン、カンザスシティ、サンノゼと訪れて、アメリカを肌で感じる機会が増えてきたんです。それもあって、この時期はアメリカを舞台にした作品を多く書いているんですよね。『屍者たちの帝国』の「従卒トム」も、アメリカに関する話です。その流れの一つの大きなまとまりとして、長篇の『マン・カインド』を書き始めました。

──「公正的戦闘規範」が2015年に書かれた当時は、今ほど知られてなかったドローンと戦争をテーマにしていましたね。

藤井 当時は非対称戦争で持たざる国がチープなドローンを使って市民テロを行う、それが組織的に行なわれうることに脅威を感じていた時期でした。これって防ぎようがなくて、持ってる国も同じことをやろうと思えばできるわけですよね。大量の機械を使った叩き合いのような戦争を、多分人は回避したがるだろうと思ったんです。実際、アメリカのオバマ政権下で行なわれたドローンによる暗殺は、引き金は必ず人間が引くっていうドクトリンを通していた。それでPTSDになるオペレーターの方がたくさん出てしまったりしてはいるんですけど、人がやるというルールをとりあえず守っていったわけです。それと同じように、自分たちが一線を引きたがると思ったんですよ。一線の引き方として「公正戦」、ヒロイックな形での代表戦を持ち込んでいくということを考えました。
『公正的戦闘規範』ではISの後継組織が中国に対して攻撃を仕掛ける。それに対してアメリカから持ってきた特殊部隊みたいな人たちが公正戦を披露するというような形の筋書きなんです。そういうところに着想を持って書き始めたんですが……今は本当にドローンを使った戦争がリアルに行われるようになってしまった。ロシアのウクライナ侵攻では、ウクライナが多くのドローンを侵略側に対するカウンターとして使っています。軍の一般的な装備です。そうなってくると小説でも、単純にドローンで飽和攻撃するみたいなアイデアからもう一段展開を先に進めなきゃいけない。
 あと、大きく影響を受けたのは道徳の部分です。一番大きかったのが、ロシアの侵略で行われた虐殺と略奪ですね。19世紀とか、20世紀初頭のような形態というか、統率されてない兵隊も使った戦争を、現代の普通の国がやってのけてしまうっていうのは、道徳、倫理観の底がかなり抜けてしまったように感じました。

──ドローンどころではないですね。

藤井 そうです。そこはなんとか踏みとどまろうと思って改稿したんですけど、さらにイスラエルのガザ侵攻が始まり、パレスチナに対する問題が表出してきた。そこで見えてくる映像や、殺されていく人たちの声が聞こえてくると、やっぱりまた、道徳の底がもう一段階に抜けてしまった感がある。しかも今回は、いままでは非難する側だったアメリカやドイツ、EUの代表国まで沈黙を守っている。これらもちょっと筆が止まりそうな原因の一つになりました。ただ、逆にそこであえて公正戦をする、ルールを引き直していって、話し合い、交渉することによって紛争の規模や被害を小さくしていこう、という心はまだ人にあるだろうという望みを、フィクションとしてまとめるきっかけにもなったと思いました。結局すごい書き直すことになっちゃったんですけど。

──「第二内戦」が書かれたのは2016年です。

藤井 確か、カンザスシティのワールドコンで行った時なんですけど、会場の前で罵り合いをやってるわけですよ。白人のコミュニティと、有色人種からなる活動家コミュニティが張り合っている。

──ちょうど前回のトランプ対クリントンの大統領選の時ですよね。

藤井 そうです。カンザスシティは真ん中の町で、前に行ったスポケーンは西側の町で、風土がまるで違うことに衝撃を受けました。でも、ワールドコンで集まってる作家たち、特に発言をする人たちっていうのは、明らかにヒラリー・クリントンを支援しているわけです。その片隅で、反対の立場の集団がいるのも目にしていました。私は外国人なのでどっちの話も聞いたんですが、この意識の違いというか、見えてる世界の違いは本当にすごいと感じました。
「第二内戦」はそういうところから着想を得て、アメリカが保守と革新に分断されてしまう可能性がないとも言えないなと。実際にトランプ政権下でカリフォルニア州は勝手に国際条約の席に代表団を送り込んだりとかして、さすがに条約を結んだりはしませんけど、国でございみたいな感じで演説してたりするので、昔みたいに共和国と合衆国に分かれるとまではいかなくても、実態としての内戦状態っていうのは起こり得るのかなと思って書きましたね。

──本当にますますタイムリーな題材になってきていますね。

藤井 アメリカ国内でも実際に描かれているでしょうし、いま内戦について正面から描こうとすると、どうしてもセンセーショナルなものになってしまいます。アメリカ人同士が戦い、殺し合うという表現は避けられないと思うんです。私は内戦の現場自体からは強く距離をとって、その結果のところに舞台を設定しています。内戦自体は書けないし、当事者が書いた方が絶対いいだろうなという思いもありますから。

■進化をテーマにした理由

──他の短篇とも共通する舞台設定のなかで、長篇の『マン・カインド』では人類の進化がテーマです。現代から本当に近い地続きの近未来で、進化をテーマに書こうと思った動機はなんでしょうか。

藤井 技術の使い方ですね。何か新しいテクノロジーが出てくると、それで全部解決すると思っちゃう。インターネットの時代以降、そこにお金がついて回るようになった。生成AIがすごくいい例で、生成AIでできることって本当にたくさんあるんですよね。ものすごく多い。面白いんですけど。ただ、そこに投資をしてる人たちとか、生成AIで仕事をしていくんだみたいに思ってる人たちって、それで全ての仕事をやろうとしてしまうんですね。本当だったらもっと簡単な方法があったりするのに、何千行もプロンプト指示書を書いて、ふわふわした答えを整えようと必死になってる。金槌を持ってると何でも釘に見える状態。コンピュータが入ってきてから、なんでもそうなってきてるところがあるんですね。量子コンピュータのときも、遺伝子組み換えのときでもそうでした。そして遺伝子の編集に近いところができるようなことになってくると、遺伝子編集でなんでもできるみたいな話が出てきつつある。問題はそこにお金がたくさんついてきて、現実のものになってしまうこと。そういった危うさみたいなものをずっと書き続けてるんですけど、今回の『マン・カインド』でもそういう形で人類の進化みたいなものが結構引き寄せられるんじゃないかなという風に思いました。タイムラインとして2045年にこういう状況が生まれてくるためには、と逆算すると、2024年のいま登場人物がもう生まれていなければおかしいな、みたいな(笑)。できればこういう話って、自分の知っている世界で起こる方が楽しいので、できるだけ現実に引き寄せてくる方がいいんです。2060年とか2070年みたいな、明らかに私たちと違うジェネレーションの人たちの話じゃなくて、ギリギリそういう世界が感じられるところにしたいなと思って、いまと地続きの2045年にこれが起こるリアルみたいなものを、つなぎとめようと頑張りました。

──お金がついてまわってしまう資本主義下のテクノロジーに対して、だったら人間が進化しちゃったほうが早いという、批判的な意味合いもあるのでしょうか。

藤井 もちろんそれはあります。そもそも私たちも体をずっと改造し続けて、人為的にどんどん進化しているわけです。身長が伸びたり寿命が延びたり、健康な60歳は明らかに私たち以前の時代よりも増えてるわけですよね。そうやって長く生きられる、幸せになってきてるのは事実。環境によって、私たちは自分たちの状態を相当変えてるんですけど、未来にはもっともっと変えてくると思う。宇宙に進出する時代になって住む環境が変わってくると、もっと積極的に体を変えていくと思うんですよ。レーシック手術で眼鏡を付ける必要が無くなる人たちが出てきたり、歯を子どもの頃からフッ素でコーティングしていて、一生で一度も虫歯になったことがない世代っていうのも出てきているわけです。それもある意味、新しい人類ですよね。

──そういう意味で、『マン・カインド』のなかの進化は、あまり良くない発端ではありますが、新しい手段として必ずしも良くないものとしては描かれていないですよね。

藤井 そうですね。そういう風に変わった人たちも、きっと人類はこれからどんどん受け入れていかなきゃいけない、受け入れたほうが幸せになれると思います。

──親子の世代ぐらいの僅かな違いで進化と対立が描かれますよね。

藤井 そうですね。今回、連載版から単行本にするときに、マン・カインド側の視点のシーンをけっこう増やしたんですよ。連載の時には、ジャーナリストで一般人の迫田の視点で書いてるシーンがかなり多かったんですけど。今回はトーマやレイチェルといった、当事者の視点をちょっとずつ差し挟んでいます。そういう意味では、読むことで変わっていく自分自身に対する自覚を持つきっかけにもなるといいな、みたいなことを思いますね。

──藤井さんご自身が下の世代の人を見て変化や進化を感じることはありますか。

藤井 ありますね。まず優しいし、人とのコミュニケーションがとても丁寧だと思います。あとは基本的に攻撃性が少ないですよね。私たちの世代だと一般的に話をしていても、皮肉だったり、あてこすりというレベルの攻撃性がつい出てしまう。それが十歳ぐらい下の世代になるだけでも明らかに減ってきます。

──そのあたりの世代的な実感も、人類とマン・カインドの差異に反映されていたりするのでしょうか。

藤井 『マン・カインド』のなかで感じる差は、どちらかというと変化した側のほうが感じるものです。本来は努力量や環境による、もっとなめらかな変化であるはずの差異が、デジタルに区切られて存在することに対する違和感。人為的に作られた差に対してはすごく敏感に拒否反応が出るだろうなと思って、それを描いた作品ではあります。ただ本書はフィクションで、エンターテイメントなので、かなり人間とは違う能力を持たせていますけどね。

■自分たちと違う場所へ

──本作の連載は2017年から2021年。連載版で星雲賞の日本長編部門を受賞されました。いかがでしたか。

藤井 驚きましたね。本も出ていないのに(笑)。でも嬉しかったです。連載がけっこう飛び飛びだったりしたので、ちゃんと読んでくれる人がいるんだなっていうのは、すごく励みになりました。

──本にまとめるなかで現実世界の変化の速さはどうでしたか。

藤井 コロナ禍が一番きつかったですね。あの時期、大きな物語をまとめることに対してすごく腰が重くなってしまったのは事実です。まず外出しなくなったので、外からの刺激がすごく減った。新しいことを始めることや、やっていることを切り替えて集中して作業するっていうことが難しくなってしまったんです。辛かったですね。
 いっぽうでテクノロジー的には、連載版では量子コンピューティング一辺倒だったんですけど、生成AIの成果がすごくはっきり分かりやすくなったおかげで、記事を自分で書かない記者みたいな存在のリアリティが上がってきたので、かえって楽になったところはありました。

──連載を始められたころと比べて、世界の状況ではなにが一番変わったと感じましたか。

藤井 連載原稿を書き始めた頃は、まずはトランプ大統領が生まれてしまう危険性があって、そして実際に生まれてしまった。そうまで怒っている人たちがいるんだっていうことに対する理解が生まれましたね。カズオ・イシグロが、リベラルアーツ系の人々はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていない、という「横の旅行」の話をしていましたけど、そこに対する反省を私はするようになりました。『マン・カインド』の連載を始めた頃は、作家になって4、5年ぐらいで、作家たちや編集者との付き合いが広がってきたころなんですけど、あちこちの国に知り合いがいるといっても、それが同じような人たちとしか交流できていないなって思うようになったんです。同じでない考え方に触れることはなかなかできないんですけど、トランプが勝ってしまう状況だったりとか、道徳の底が抜けたようなロシアの侵略だったりとか、イスラエルの民族浄化とか、そういうものに反対の声を上げない人たちがいるっていうことで、もっともっと違うところに手を伸ばしていかなければいけないなと感じることが増えてきた7年、8年ではありましたね。

──そういった視点の変化は、他の作品でも取り入れていらっしゃるのでしょうか。

藤井 そうですね。意識的に書くようになりましたね。つい最近出た『サイボーグ009トリビュート』で書いた「海はどこにでも」でいうと、まず008のピュンマを選んで書いたこと。彼は結構きわどいキャラクターで、ポリティカルコレクトネスの影響によりデザインの変遷があったりした人物なんですけど、彼を主人公にして書こうと。そうすると否応なしに人種の問題から逃げることはできなくなるので、そこを書こうとしました。作中で選挙があるんですけど、権威主義側とリベラル側、ワーカー側という三者が入り乱れるテーマみたいなものを書くことに挑戦しました。完全に書き切ったわけじゃないですけど、そこに手をつけようというふうに思った次第です。
 あとは2022年に出した『第二開国』。奄美大島を舞台に書いた作品では、自分の地元というよく知ってる場所を選んで、そこにずっと留まり続けた人たちのこともフィクションの中で書けないかと挑戦してみたりもしています。せめて自分の中にあるものだけは、水平に広がる横の世界だけじゃなくて、ちょっと深いところを掘り下げていきたいと思って書くことが増えてますね。『マン・カインド』でも、トーマとかレイチェル側の視点を書く時にそういう考えが活かされています。一般人とはかなり変わった視点からの描写というシーンを作ることが、そこそこできるようになったかなと思います。そういう意味で、普通にしてると自分と同じような人たちとしか会えないので、できるだけそこからは見えないものに手を伸ばしていこうかなと思うようになりましたね。2月にインドに行った時の体験なんかも、できるだけ今後の創作に生かしていきたいなと思います。

■今後について

──今後の作品についてお聞かせください。

藤井 小説を連載する場所がだんだん減ってきているので、ウェブ媒体での活動を始めようと思って準備をしています。媒体名は遠からず発表できるかと思います。あとは短篇集や、まだ本にはなっていない原稿のまとめをしばらくはやらなきゃいけない。それと、来年は郷土の奄美大島の歴史小説を書こうと思ってます。
 11月には東京創元社からは日本で発表していない作品を収録したSFの短篇集も出ます(編集部註:『まるで渡り鳥のように』発売中)。いい作品集になりますが、やっぱり、長篇SFを書きたいですね。デビュー作の『Gene Mapper』でも遺伝子関係の話を書きましたし、『マン・カインド』でも扱ったテーマですけど、今度はこれをさらに膨らませて、宇宙開発の現場を書きたい。宇宙に人が住んでいる時代を舞台にして、アクチュアルに自分の身体状態を決めていく、そういう人々の話を三部作ぐらいで書きたいなという風には思っています。

──宇宙開拓史のような。

藤井 宇宙島、スペースコロニーに住む人々の話ですね。四、五千人ぐらいでコミュニティを作って居住する島がいくつか集まって、ひとつの宇宙島コロニーを作っていて、そこで地球と交易をしながら生活している人々がいる時代。木星圏への港の機能を持っていて、宇宙空間で建築をする。そういう経済・行政で、どこからか衛星や彗星を捕まえてきて、それを資源として採掘しながら暮らしているみたいな感じ。100年、200年後ぐらいを舞台にして、その場所で、人々が自覚的に自分の遺伝子医療を行って何者かになるっていう選択をしていく。そういう社会で働く人々や、学生たちが大人になる話みたいなものを書こうかなと思っています。

──ありがとうございました。

(2024年9月9日/於・早川書房)

■書誌情報

タイトル:マン・カインド
著者:藤井太洋(ふじい・たいよう)
ISBN:978-4-15-210318-5
発売日:2024年9月19日

■あらすじ

公正戦闘の概念が世界に浸透した2045年、ジャーナリストの迫田城兵は、国際独立市テラ・アマソナスの指導者チェリー・イグナシオが軍事企業〈グッドフェローズ〉の捕虜を銃殺する場面に遭遇する。この不可解な虐殺を世界にレポートしようとする迫田だったが、なぜか事実確認プラットフォーム〈コヴフェ〉により配信を拒否されてしまう。チェリー本人から遺族訪問を依頼された迫田は、〈グッドフェローズ〉唯一の生存者レイチェル・チェンとともに、熾烈な第二内戦を経た北米の自由領邦をめぐる。やがて2人と合流した〈コヴフェ〉のトーマ・クヌートは、虐殺に関する迫田のレポートが軽視された原因を解析、〈グッドフェローズ〉のメンバーに秘められたある秘密を知る。『Gene Mapper』『オービタル・クラウド』に続く待望のSF長篇。

■著者紹介

1971年奄美大島生まれ。2012年、ソフトウェア会社に勤務する傍ら執筆した長篇『Gene Mapper』を電子書籍で個人出版。異例の話題を呼んだ同作は、大幅な加筆修正を施した増補完全版『Gene Mapper -full build-』として、2013年に商業出版された。2014年の第2長篇『オービタル・クラウド』(ともにハヤカワ文庫JA)で第35回日本SF大賞を、2018年の『ハロー・ワールド』で第40回吉川英治文学新人賞を、それぞれ受賞した。主な作品に『公正的戦闘規範』(ハヤカワ文庫JA)、『ワン・モア・ヌーク』『第二開国』『オーグメンテッド・スカイ』など多数。なお、本書『マン・カインド』は、SFマガジン連載版で第53回星雲賞日本長編部門を受賞した。


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