_トム_ハザードの止まらない時間

B・カンバーバッチ主演映画化決定、『トム・ハザードの止まらない時間』解説特別公開

『トム・ハザードの止まらない時間』が新☆ハヤカワ・SF・シリーズより刊行されました。本作は英国俳優ベネディクト・カンバーバッチの主演映画化が決定している、ある男の孤独と愛を巡るドラマです。本欄では牧眞司氏による解説を特別公開いたします!(編集部)

歴史のなかに身を潜めつづける人生、孤独と愛をめぐる痛切な物語

SF研究家    
牧 眞司 

 本書はマット・ヘイグ How to Stop Time の全訳である。加齢が極度に遅く進む遅老症のため、歴史のなかに身を潜めるように生きつづけるトム・ハザードの愛と孤独をめぐる物語だ。描かれる時代はトムが生まれた1581年から現代までに及ぶが、時系列に語られるのではなく、現在と過去とを往き来しながらモザイク状に構成されている。
『トム・ハザードの止まらない時間』の原著は、英国エディンバラに本拠を置くキャノンゲート・ブックスから2017年7月に上梓されたが、刊行前からベネディクト・カンバーバッチ主演で映画化が決定していた。映画化権を取得したのは、英国のサニーマーチとフランスのスタジオカナルである。本書はお読みいただければおわかりのように、キャラクターといいストーリーといい場面構成といい、じつに映像映えしそうな内容なのだ。ちなみにマット・ヘイグ作品は本書以外にも、『英国の最後の家族』(ランダムハウス講談社)、『今日から地球人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、 The Radleys の映画化企画が進行中で、へイグ自身も脚本に関わっているそうだ。へイグは小説家として、またジャーナリストとして活躍しているが、映画界ともつながりがあるのだろう。2014年公開の『パディントン』では、いくつかのシーンの脚本を担当している。
 原著のレビューや映画化のニュースでは、過去の映画作品を引きあいに出した紹介もあった。たとえば、「『きみがぼくを見つけた日』と『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を併せ、より風変わりにした作品」(HelloGiggles)。「2013年公開の恋愛映画『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』と2012年公開のトム・ハンクス主演SF映画『クラウド アトラス』を足して2で割ったような」(アートコンサルタント)。
 レビュアーはおそらく知っていてそのタイトルを挙げたのだろうが、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』はF・スコット・フィッツジェラルドの短篇「ベンジャミン・バトン」(『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』[角川文庫]所収)の映画化であり、フィッツジェラルドは『トム・ハザードの止まらない時間』のなかで、脇役ではあるものの、重要なアクセントの役割を担うのである。主人公トムは1928年のパリでピアノ弾きとして暮らし、孤独な時間を埋めるため〈ハリーズ・バー〉に立ちよる。そこでフィッツジェラルドとその妻ゼルダと出逢い、ふたりから新しいカクテル、ブラッディメアリーを勧められる。このくだり、文芸愛好家なら堪らない演出だろう。1920年代のパリは芸術のメッカであり、各国から作家がやってきた。フィッツジェラルド夫妻はこの町でヘミングウェイと知りあい、三人のもつれあう関係がはじまる。三人が足繁く通ったのが〈ハリーズ・バー〉だ。
『トム・ハザードの止まらない時間』では、ゼルダがトムに「スコットは書評が怖いの。それからヘミングウェイ。あと、孤独も」と言う。もちろん、トムは事情を知らないで聞いているのだが、読者はニヤリとする場面である。トムは「ぼくは時間が怖いです」と答え、それに対しゼルダは「わたしたちには年を取る予定はないの。ねえ、スコット?」と嘯く。
 何歳になっても子どものまま自由奔放に生きるゼルダ(フィッツジェラルド曰く「アメリカで最初のフラッパー」)。とっくに子ども時代など過ぎ(そもそも子どもらしく生きることなど許されなかった)、しかし若い風貌のままで何百年もの時を過ごしてきた、そしてそれがこれからもつづくトム。
 フィッツジェラルド夫妻とのやりとりに限らない。トムはその長すぎる人生のなかで、居場所を変えながら歴史のさまざまな局面に立ちあう。フランスにおけるプロテスタント迫害、イギリスでの魔女狩り、シェイクスピアのグローブ座、ペスト大流行、ウォリス船長やキャプテン・クックの航海、太平洋の島における大英帝国の植民地支配、……。
 とりわけシェイクスピアとの関わりは、トムの人生にとっては先述したフィッツジェラルド夫妻との会話以上に重要だ。トムはリュート奏者としてシェイクスピアに認められ、グローブ座に加わる。シェイクスピアはエールを愛飲しており、ビールと比べてこんなことを言う。「エールは日持ちがしない。一週間もすれば、騎士のズボンくらいすっぱくなる。ビールはいつまでも持つ。保存性が高いのはホップの作用だと言われている。エールのほうが、人生勉強として価値が高い。長く待ちすぎると、『こんにちは』を言う前に『さようなら』を言うはめになる」。シェイクスピアはトムがフランス出身と知って、ビールのほうが好きだろうと問うが、トムもエールを選ぶ。
 さりげないやりとりだが、ここにこの物語のテーマがくっきりと映しだされている。
 冒頭で述べたように、物語はモザイク状に構成され、進行中の現在と追想のなかの過去とを往き来する。また、過去は古い順に語られるのではなく、主人公が現代で遭遇するできごとが記憶に作用して、連想的に呼び覚まされるようだ。プルースト『失われた時を求めて』(集英社文庫ほか)のマドレーヌのように明白なきっかけがあるとは限らないが、読者が違和感を覚えることのないよう、作者は巧みに物語の流れをつくりだしている。
 歴史上のできごととは別に、トム・ハザードの人生においてきわめて重要な節目となったことが、ふたつある。
 ひとつは1599年、恋人との出逢い。母を亡くし、住んでいた村にも居られず放浪していたトムは、ロンドン近郊の村に住む娘ローズと知りあう。それまで自分の長寿を他人に知られないように注意を払ってきたトムだが、ローズには心を許し、すべてを打ちあける。ふたりは結婚し、娘マリオンが生まれた。マリオンにはトムの長寿形質が遺伝していた。ローズがペストで亡くなる前後のどさくさで、マリオンの行方がわからなくなり、トムは彼女を探しつづけることになる。「マリオンを見つけだす」──これが本書の物語を貫く大きな柱だ。
 もうひとつの節目は、1891年、組織「アルバトロス・ソサエティ」への参加だ。組織の重鎮であるアグネスがトムを見つけだし、加入するよう呼びかけてきた。きっかけは、トムが歳を取らない自分の体質に悩み、それとは逆の早老症を研究しているドクター・ハッチンソンに相談したことだ。ドクターがトムの症例を学会で発表しようと準備している段階で、それを察知した組織がドクターの口を塞ぎ、トムにコンタクトを取ってきた。トムには選択肢はない。組織に加入しなければ、殺されるのだ。組織は遅老症に罹った者で構成され、自分たちをアルバトロスと称し(寿命が長いとされるアホウドリに由来)、通常の人間をカゲロウと呼ぶ。組織の目的は自分たちの安寧の確保であり、そのため、世間に遅老症の存在が知られぬよう注意を払っている。その徹底ぶりは偏執的なほどだ。組織の中心にいるヘンドリックはあらゆる方面に伝手を持つ実力者で、トムが組織の義務を果たせば、じゅうぶんな庇護を与え、マリオンの捜索にも手を貸そうと約束する。
 義務とは、新しいアルバトロスが見つかった際、組織への加入をうながすこと。そして加入を拒否したときに殺すことだ。トムはこの義務に疑問を感じながら、いままで自分がカゲロウの社会のなかで味わった苦痛を思い、またマリオンとの再会を信じて、ヘンドリックに従っている。
 ヘンドリックはまたアルバトロスたちに、世間に素性を悟られぬよう、八年ごとに居場所を変えることを強制する。そして、カゲロウを愛したり気にかけたりするなと忠告する。「それは“われわれの優位性を損なう”」行為だ。
 しかし、それまで住んでいたアイスランドからロンドンへ移住したトムは、そこで魅力的な女性を見つけてしまう。素性を隠して(そんな操作はヘンドリックが万端整えてくれる)高校の歴史教師となったのだが、そこで教養あるフランス語の教師カミーユと意気投合したのだ(彼女はSFのマニアでもあった!)。もちろん、トムは自分がアルバトロスであることを隠して、それなりに距離を置いてつきあっていたが、だんだんとそれが辛くなってくる。また、カミーユはトムのことを、以前どこかで見たことがあると言いだす。あるいは歴史のどこかですれちがっていたのだろうか? だとするとカミーユは……。
 また、トムが担当するクラスの生徒アントンは不良少年だが、向上心や知識欲の片鱗をのぞかせる。この交流を通じて、トムの胸にそれまで封印していた人間らしい感情が去来する。こうした感情の抑揚が巧みに描かれているあたりも、この作品の持ち味だろう。
 これまで長寿を扱ったSFはいくつもあった。たとえば、ロバート・A・ハインライン『メトセラの子ら』(ハヤカワ文庫SF)では、身を隠して暮らしてきた長命族が、自由に暮らせる別天地を求めて宇宙へ旅立つ。その続篇『愛に時間を』(ハヤカワ文庫SF)では、宇宙に広く植民がおこなわれたのち、長命族と短命族との確執、さらには長命族同士の権力闘争を背景に、長命族の長老たるラザルス・ロングが時空を超えた冒険につく。物語はさらに『獣の数字』『ウロボロス・サークル』『落日の彼方に向けて』(すべてハヤカワ文庫SF)へと引きつがれ、複数の歴史線が相互乗り入れする、きわめて壮大なスケールの一大サーガとなる。本書とは対極にあるシリーズといえるだろう。
 ポール・アンダースン『百万年の船』(ハヤカワ文庫SF)では、紀元前から生きつづけるフェニキア人ハンノが、歴史のなかで別の不死人と出逢っていく過程と、社会の表舞台に立たぬように注意しながら自分たちが平和に生きる方法を探りつづける奮闘が描かれる。ハンノの立場は『トム・ハザードの止まらない時間』でいえばヘンドリックに相当するが、あくまで穏健・寛容で、理性的なリーダーシップの持ち主だ。
 ハインライン作品もアンダースン作品もどちらかといえば巨視的な観点に立って描かれていたが、レイ・ブラッドベリ「歓迎と別離」(『太陽の黄金の林檎』[ハヤカワ文庫SF]所収)では、この作者らしくきわめて身近なところに視点が据えられている。少年のまま成長が止まっている主人公ウィリーが、世間の不審の目を避けるため、里親と別れて新しい家族をさがす物語だ。ウィリーはこれまで何度も、そうした別離を繰り返し、違う町で自分を歓迎してくれるひとと出逢ってきた。短篇ではあるが、本書と共通する風韻がある。
 日本の作品でいえば、梶尾真治の《エマノン》シリーズ(徳間文庫)が思い浮かぶ。ただし、エマノンは長寿というよりも、地母神的な存在であり、本書のトムのような苦悩とは無縁である。
 本書で語られるのは、アルバトロスならずとも誰もが共感する孤独と愛のドラマだ。正直に言えば、グレッグ・イーガンやジーン・ウルフといった強面の作品がひしめく《新☆ハヤカワ・SF・シリーズ》で刊行されるのは、読者にとってのハードルを上げやしないか、少々心配でもある。素直に心に染みる物語なので、身構えずにお読みください。
 最後にひとつ付け加えるなら、主人公トムの人生にはつねに音楽があることに、重要な意味があると思う。多くのSFでは時間を機械論的に扱うが、トムに寄りそう音楽はあくまで「生きつつある時間」だ。現在のなかに過去の印象があり、現在のなかに未来の予感がある。それが作品全体の基調ともつながっている。


『トム・ハザードの止まらない時間』
マット・ヘイグ/大谷真弓訳
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