138億年宇宙の旅_上

ホーキング博士の直弟子が案内する『138億年宇宙の旅』試し読み

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ハヤカワ文庫『138億年宇宙の旅』上(クリストフ・ガルファール/塩原通緒 訳)は、6月6日(木)発売です。

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先端宇宙論の世界は不思議な謎に充ちている。秘密を探るため、地球から太陽系、銀河系、彼方の「目に見える宇宙全体」の果てへ飛び、宇宙誕生から今日まで138億年にわたる壮大な旅を始めよう。フランスのベストサイエンスブック・オブ・ザ・イヤーを受賞した国際的ベストセラー入門書の冒頭を特別公開!

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まえがき 

 
本文に入る前に、あなたに言っておきたいことが二つある。
一つめは約束で、二つめは抱負だ。
まずは約束。本書には、方程式はたった一つしか出てこない。

   E = mc²

これだけである。
つぎに抱負。本書では、読者を誰ひとり振り落とさない。これが僕の野心だ。
 
これからあなたは、今日までの科学が解き明かしてきた宇宙へと足を踏み入れ、その中を旅していくことになる。そこで見るものは、誰もが理解できるものだと、僕は心から信じている。

そしてその旅は、家から遠く離れた、地球の裏側で始まる。

第1部 コスモス

 
1 沈黙のとどろき
  
想像してみてほしい。
いま、あなたは遠くの火山島にいる。
夏のほんのりとあたたかな夜、空には雲ひとつない。周囲の海は、湖のように穏やかだ。小さな波がひたひたと白砂に打ち寄せるだけ。静けさに浸りながら、あなたは砂浜に寝そべって、目を閉じている。

日の光をたっぷりと浴びた熱い砂に温められた空気には、甘いエキゾチックな香りがこもっている。
なんという安らかな世界。

すると遠くから甲高い叫び声のような音が聞こえて、あなたはがばと飛び起き、暗闇に目を凝らす。
が、何もない。

さっきの叫び声が何だったにせよ、いまはもう物音ひとつしない。考えてみれば、怖がるようなことは何もないのだ。この島は、ある種の生き物にとっては危険なところかもしれないが、あなたにとっては恐るるに足らず。あなたは人間であり、最強の捕食者なのである。

まもなく友人たちもここに一杯やりにくるだろうし、なんたっていまは休暇中なのだ。そこであなたはふたたび砂の上に仰向けになり、人間という種ならではの思考に没頭する。

広大な夜空いっぱいに無数の小さな光が点滅している。隅から隅まで裸眼でも見える。ふと、子供のころに感じた疑問が思い出される。これらの星って、何なのだろう。どうしてちかちかしているんだろう。どれくらい遠くにあるんだろう。そしていま、あなたは思う──

そんなことが本当にわかるものだろうか? ふっと息を吐いて、熱い砂の上で伸びをしながら、くだらない疑問を頭から追いやる。そんなこと考えたってしかたないよな。

小さな流れ星がすっと頭上の空を横切り、あわてて願いごとをしようとしたとたん、とてつもなく奇妙なことが起こる。先ほどのあなたの最後の疑問に答えるかのように、50億年が瞬時にして経過し、気がつくとあなたはもう浜辺にはいなくて、空っぽの宇宙空間を漂っている。

目は見えるし、耳も聞こえるし、感覚もある。だが、肉体はどこかへ消え失せている。あなたは空気のような存在になっていて、純粋に意識しかない。そして何が起こったのかと考える暇もなく、もちろん大声で助けを呼ぶ暇もなく、ただいきなり、このうえなく奇妙な状況に放り込まれている。

前方、数十万キロメートル先に、遠くの小さな星々を背景にして球状のものが動いている。
そいつは暗いオレンジ色の光に包まれていて、回転しながら近づいてくる。その表面が融けた岩石で覆われていることに気づくのに長い時間はかからない。
そう、それは惑星なのだ。
融解して液化した惑星だ。

呆然としつつも、ひとつの疑問が頭をよぎる。いったいどんなとほうもない熱源が、こんなふうに世界をまるごと液化できるのか。
だがそのとき、右側に、巨大な恒星があることに気づく。その大きさは、惑星に比べ、圧倒的に大きい。そして、こいつもまた回転している。そして同じように空間を移動している。
しかもこいつは、どんどん大きくなっているように感じられる。

惑星はさっきまでよりずっと近づいてきているが、驚異的なペースで成長しつづけている一方の巨大な球の前にあっては、オレンジ色の小さなビー玉のようにしか見えない。恒星はすでに一分前の大きさの倍にまで膨らんでいる。いまや、この巨星は赤みを帯びていて、温度100万度のプラズマの長大なフィラメントを猛烈な勢いで、光速に近いような速さで宇宙空間に噴出している。

その眺めは恐ろしいほど美しい。実際、あなたはいま、宇宙が見せることのできる最も暴力的な出来事のひとつを目の当たりにしている。にもかかわらず、音はいっさいしない。そこは沈黙に包まれている。なぜなら真空空間では音が伝わらないからだ。

もちろん、恒星がこのペースでいつまでも成長を続けることはできない──が、とりあえずはまだ続いている。もはやそれは想像を超えた大きさにまで成長し、一方、液化した惑星は、自らの強さを超えるエネルギーを浴びせられ、あとかたもなく吹き飛んでいる。しかし恒星は気づきさえしない。まだまだ大きくなりつづけ、最初の大きさの約100倍に達したところで、いきなり爆発する。そして自らを構成していた物質のすべてを宇宙空間に撒き散らす。

幽霊のようなあなたの体を衝撃波が突き抜け、あとは塵だけが四方八方に吹き飛ぶ。もはや恒星はあとかたもない。見るも壮観な色鮮やかな雲に変わって、超人的な速さで星間の空洞に広がっていく。

ゆっくりと──とてもゆっくりと、あなたは我に返る。そして、いましがた起こったことが意識にのぼったとたん、頭の中が奇妙に冴えて、恐ろしい真実に気づく。あの死んだ星は、ただのどこかの星ではない。あれは太陽。われわれの太陽だったのだ。そして輝きの中に消えていった融解した惑星は、地球だったのだ。

われわれの地球。われわれの故郷。なくなってしまった。

あなたが目撃したものは、われわれの世界の終焉だった。頭で考えられた終焉なんかじゃない。マヤ文明に起源があるとか言われる荒唐無稽な幻想でもない。本物の終焉だ。あなたが生まれる前から、いずれ起こることを人類が知っていた終焉だ。その50億年後の光景を、いまあなたは見たのである。

混乱した頭を整理しようとすると、急に意識が現在に戻ってきて、体の中にすっぽりと収まり、気がつけばあなたはふたたび浜辺に寝そべっている。
心臓をどきどきさせながら体を起こし、おかしな夢から醒めたときのように周囲を見まわす。木々も、砂も、海も、風も、当たり前のようにそこにある。向こうから友人たちがやってくるのがうっすらと見える。

いったい何が起こったんだ? いつのまにか寝ちゃってたのか? いま見たものは夢だったのか? ひやりとした感覚が体中に広がるとともに、頭の中の疑問がかたちを変えはじめる。ひょっとしてあれは本当だったのか? 太陽はいつか本当に爆発するのか? もしそうなら、そのとき人類はどうなるのか? そんな黙示録のような事態を誰が生き延びられるだろう? 人間が存在していたという記憶そのものまで、すべてが宇宙の忘却の彼方へと消え失せてしまうのか?

顔を上げ、星の輝く空にあらためて目を凝らしながら、いましがた起こったことに必死になって説明をつけようとする。だが、じつのところ、あれがただの夢でなかったことはわかっている。いま、自分の意識は浜辺に戻ってきて、ふたたび体の中に統合されているが、自分はたしかに時間を超えて遠い未来へと旅をしてきたのだ。そしてそこで、誰も見られないはずのものを見てきたのだ。

ゆっくり深呼吸して心を落ち着かせると、なにやら奇妙な音が聞こえてくる。風や、波や、鳥や、星が、みんなであなたにしか聞こえない歌を口ずさんでいるようだ。そして突然、あなたはそこで何が歌われているのかを理解する。それは警告でもあり、招待でもある。未来へ向かって分かれ道は数々あれど、たった一つの道だけが人類を生存へと導き、避けがたい太陽の死や、ほかのほとんどの大惨事をすり抜けさせてくれると、その歌は歌っているのだ。
 
知識の道。科学の道。
それは人間だけに開かれている旅路。
それこそあなたが進むべき旅路。

ふたたび甲高い叫びが闇夜を貫くが、今回それはほとんど耳に入ってこない。意識に蒔かれたばかりの種がすでに芽を出しかけているかのように、このあなたの宇宙について何がわかっているかを、あなたは知りたくてたまらなくなっている。

謙虚な気持ちであらためて上を見やり、子供のような目で星空を見つめる。
この宇宙は何でできているのだろう。この地球の近傍には、そしてその先には何があるのだろうか。人はどこまで遠く見渡せるのだろう。宇宙の歴史についてわかっていることはあるのだろうか。いや、そもそも宇宙に歴史なんてあるのだろうか。
 
波が穏やかに岸に打ち寄せるかたわらで、こうした宇宙の謎に切り込める日がいつか来るのだろうかと思いながら星のきらきらする空を眺めていると、しだいに体が軽くなって、半ば無意識の状態になる。近づいてくる友人たちの話し声は聞こえるが、おかしなことに、あなたはすでにこの世界をさっきまでとは違うふうに感じている。

何もかもが、さっきまでよりどこか豊かに、どこか深遠に感じられる。自分の意識も、自分の肉体も、これまで考えたこともないようなとても大きなものの一部であるかのように感じられる。この手、この足、この肌・・・物質・・・時間・・・空間・・・身のまわりのすべての力の場が互いに絡みあっている・・・・。

いままであることさえ知らなかったこの世界の幕がするすると上がり、予想外の不可思議な現実が姿を現そうとしている。いまやあなたの意識は、ふたたび空の星のあいだに戻りたくてたまらなくなっている。そしていま、あなたにはたしかな予感がある──この生まれ育った世界から遠く遠く離れたところへといざなう奇妙な旅に、これから足を踏み出すのだと。

■著者紹介■  クリストフ・ガルファール    Christophe Galfard 

写真(禁転載)Photo Astrid di Crollalanza©Flammarion

英国ケンブリッジ大学で理論物理学の博士号を取得(指導教官はスティーヴン・W・ホーキングで、専門はブラックホールの情報パラドックス)。その後は科学解説者となり、自身のサイト( www.christophegalfard.com)やライブでの活動にくわえ、サイエンスライターとしても活躍、本書のほかにLe Prince des Nuagesや、スティーヴン・ホーキング、ルーシー・ホーキングとの共著『宇宙への秘密の鍵』George's Secret Key to the Universeなどの著書がある。

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この続きは、6月6日発売のハヤカワ文庫『138億年宇宙の旅』上(クリストフ・ガルファール/塩原通緒 訳)でお楽しみください。

◆上巻目次◆
まえがき
第1部 コスモス
第2部 宇宙の筋道
第3部 高速の世界
第4部 量子の世界に飛び込む

                * * *
◆下巻目次◆
第5部 時空の起源
第6部 予期せぬ謎
第7部 わかっていることの一歩先へ
エピローグ
謝 辞
訳者あとがき
解説/村山 斉
参考資料


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